第4話

 というわけで宙に浮いたチンジャオロースをつまみながら考える。佐山への一大決心をしたのも束の間、事態はそんなどころじゃないスケールの話になってきた。




 これはマジでどうしたもんか。


 こんな飛びぬけたSFシチュエーションに一介の高校生の脳みそが太刀打ちできるわけもない。考えたってなんでこんな現象が起きているかなんてわかりっこない。




 僕はこれからどうしたらいんだ。世界はどうなっちまったんだ。


 外へと出てみる。夏の夜。まだ少し明るさが残った薄い夜が広がっている。




「神様、これ何すか?」




 空に問いかけてももちろん答えは返ってこない。


 しかし外に出てみて分かった事もある。空を飛んでいる飛行機がぴたりとその場で止まっていた。そのまま立ち尽くしていても、自分以外から発せられる音が一つもない。




 やはり、世界は止まってしまったらしい。その世界で僕は唯一動く事が出来た。




 唯一? そこで原点に立ち返る。




 ーー佐山。




 そうだ。佐山。って事は、佐山の時間も止まってしまっているのだろうか。




「それはちょっと困るな神様」




 せっかく決心したってのに、これじゃ最悪のまま終わる事すら出来ないじゃないか。そしたらいまも佐山の中で僕の存在は、最下層の深海で一生日の目を浴びる事のない海を漂っている存在のままだ。




 頼む。違うんだ佐山。僕はほんとに、君の事が。


 伝えたい。伝えなきゃ。




 止まった世界をどうにかするなんて無理だ。でも僕は生きて動いている。だったら出来る事をする。


 佐山に会って、もう一度ちゃんと伝える。僕が出来る事はただそれだけだ。僕は自転車に乗り勢いよく走り出した。




 夜の街に車輪の音が響く。閑静な住宅街なんて言うがそんなレベルの静けさじゃない。これはもう沈黙だ。沈黙の住宅街。スティーブン・セガールあたりが暴れ回りそうだなとか思うけど、沈黙シリーズをまともに観た事は一度もない。セガールは一体毎度何と闘っているのか。一体いつまで黙っているつもりなんだろうか。そのあたりの事はマジでどうでもいい。




 無音の街で思った。音って本当に大切なんだな。いつもなら聞こえる心地良い虫の音のない夜は、僕をどうしようもなく寂しくさせた。このまま時が止まったら、こうやって音も止まるんだ。音を出すことも出来ない世界。




“ああーなんだかカラオケ行きたいなー”


“マジ? 私もちょうど歌い散らしたい気分!”




 僕の何てことない、でもどこか期待して呟いた独り言からカラオケに二人で行った事があった。今では信じられない時間だ。佐山をそこまで意識していなかったからこそ成立した奇跡の空間だった。


 元気いっぱいに歌う佐山の歌は決して上手くはなかった。だが不快ではなかったし、むしろとても気持ちよかった。聴いているだけで元気になれる彼女にしか出せない歌声だった。




 音がない。それはつまり、佐山の声も、歌も二度と聞けないかもしれないって事だ。




 ーー嫌だ。




 はっきり思う。でも世界を元に戻す方法なんて何一つ分かっていない。とにかく今は、佐山に会いたい。




 ざしゃっと僕は自転車を停める。


 佐山の表札。そう。僕と佐山の距離はこんなにも近い。しかし今となっては色んな理由で彼女との距離は無限のように遠い。


 だが知るか。僕が動けるならいずれ全て動く。何の根拠もないけど、僕が止まっていないのがまだこの世界に希望があるという事、そして佐山との仲をやり直すチャンスがまだあるという証だと勝手に決めつける。


 家が近い事は知っていた。だが敷居を跨いだ事はない。




 ーーチャイム押すべきかな。




 一瞬悩んだがやはり押すことにした。いくらなんでもいきなり押し入るのは無礼すぎる。僕は人差し指でチャイムを押し込む。




 ピン、ポーン。




 あ、鳴るんだなこういうのはと思いながら様子をうかがう。


 10秒、20秒、30秒。何の変化もなく1分が過ぎるがやはり反応なし。試しにもう一度チャイムを鳴らしたが結果は同じだった。




 仕方がない。あがらせてもらうか。


 玄関のノブを下にぐっと下ろしてみる。ガチャリと音がして扉が開いた。よく考えたらここで鍵が閉まっていたら僕はどうするつもりだったんだろう。相変わらず先の事を何も考えられていない。こんなんで僕は今後大丈夫なんだろうか。




「すみませーん。三嶋でーす。お邪魔しまーす」




 念の為様子を見るがやはり反応はない。


 よし、礼儀は果たした。参ろう。僕は靴を脱ぎ、ずいっと玄関に上がった。


 選択肢は三つあった。目の前の引き戸、右側の扉、左側の階段。


 二階は後だな。佐山の部屋はおそらく二階だろうが、時間帯的には家族で食卓を囲んでいる可能性の方が高い気がする。という事でなんとなく右側っぽいなと思い扉の先へ進む。




 当たりだ。そこには食卓の光景が並んでいた。


 テーブルの上には様々な料理が並べられている。そしてそのどれもが明らかに手作りで手が込んでいるのが一目で分かる理想的な食卓だった。


 テーブルの手前側には男性と少年が二人、向かい側には女性が一人座っている。皆の視線はテレビに向き、映し出されたバラエティー番組を見ながら大口を開けて笑っていた。




 この中で面識があるのは手前に座る少年、佐山徹平君だけだ。


 徹平君は現在中学二年生。背は低く小さい方だが、確かバスケ部でなかなかな腕前を振るっていると聞いたことがある。「俺のスピードには誰もついてこれねぇ」とスピードスターの名を自負する彼のスピードは確かに大したものらしいが、実際はねずみのようにすばしっこいバスケ野郎という意味合いで、”チューバス”というあだ名で呼ばれているらしい。何とも可哀そうで可愛らしいエピソードだ。


 まぁ、バスケが上手いのは本当のようなのでまあいいじゃねえか徹平君。僕は彼の肩をぽんぽんと叩いた。




 後の二人は初対面だが簡単に予想は出来る。豪快に笑う男性はお父さんで、すっきりとした短髪、色黒、キラリと並んだ白い歯は常夏男って感じで、そこにいるだけでポジティブがほとばしっている。


 対面に座るのはお母さんで、というかお母さんか? お姉さんじゃねえのかと思うほどに若々しい。実際お姉さんはいないそうなのでやはりお母さんなのだが、ロングの淡い茶髪に色白の肌が眩しい美人だった。なるほど、この二人なら佐山が出来上がるのも納得だ。




 本当に理想的な家庭だった。時間さえ止まっていなければ。彼らは満面の笑顔のまま切り取られていて世界に取り残されている。これはこれで幸せなのだろうか。でも実は意識は生きていて、ひょっとしたら今僕がここにいるのも認識していて、必死に助けてと叫んでいたとしたら。


 とたんに寒気がした。やはりこの状況をもっと僕は恐れるべきだ。




 ーー佐山。




 そうだ。佐山。ここに佐山はいない。彼女ももしそんなふうに助けを求めていたとしたら。


 頭がぐるぐるし出した。彼女に想いを届けたい。でもその為にはまず彼女をこの静止した世界から助けないといけないかもしれない。そうなった時に、一体僕に何が出来る。


 考えては捨てた思考。自分なんかに取り扱える問題じゃないと切り捨てて、現実逃避して動いてきた。でも、結局その壁にぶち当たったら僕はどうする?




 だめだ。無駄だ。その時考えろ。僕は先の事を考えて動けない。今を考えろ。話はそれからだ。とにかく今は佐山に会う。


 僕は部屋を出た。もう一つの扉、引き戸の先を見たがそこは和室で誰もいなかった。やはり二階か。僕は二階の階段を上った。


 二階には三部屋あった。手前左手に一枚、奥に二枚。奥二枚は開け放たれておりその先を確認するがそこには誰もいなかった。手前左手の扉、ここだけ閉じられていた。


 おそらく、ここが佐山の部屋だ。




 途端に心拍数が爆上がりした。いやこの状況で何をドキドキしているんだって話だが、だってお前、お前女の子の部屋だぜ? しかも自分が好きな子の。


 緊張なのか興奮なのか、はたまた背徳感めいたものも混じり出して心臓がリオデジャネイロ状態だった。やべぇ死ぬ。




 いや死んでる場合じゃない。唯一生きてると言える存在かもしれないのだ僕は。


 何のためにここに来た。瞬時に呼吸を整える。幾度かの深呼吸。心臓フェスティバルはすっと閉会した。




「いざ、参る」




 ドアノブをぎゅるっと回した。今解き放たれる佐山のプライベートルーム。




 ーーおお、ここが……。




 意外と佐山の部屋はシンプルだった。正直日頃のノリ、がさつ感からもっと荒れているのかもしれないと思ったが、わりかし綺麗にされている。




 ーーいや、佐山いねぇ!




 しかし部屋に見惚れる前に予想外の結果。佐山がいないのだ。


 どうなってる。佐山は帰宅部なのでこの時間には基本家にいるはずだ。そういえば食卓の時点で気付くべきだった。なんでこの時間に佐山は食卓にいなかったんだ。


 ここにいないとなればどこかに出掛けているという事になる。


 どこだ? 友達の家か? よしみん、さちぼう、いみりーあたりか?


 でもそうなってくると彼女達の家の所在は全く分からない。となれば今度こそ完全に詰みだ。こんな日に限ってどこに行っちまったんだよ、佐山。






 とん。とん。とん。




 ーーえ?




 僕は咄嗟に音の方を振り向く。




 とん。とん。とん。




 階段だ。階段を誰かが上ってくる。え、ていうか待て待て。




 とん。とん。とん。




 音は続いている。どんどん足音は上に近づいてくる。


 ここに来て更に予想外の事態だ。誰かが二階に上ってきている。それはこの世界において、僕以外にも動ける人間がいるという事だ。




 ーー誰だ? 佐山か?




 佐山だったらいい。でももし、佐山じゃなかったら?


 僕は佐山の事だけを考えてがむしゃらに行動している。でも今そこにいる人物が止まった世界を理解し、動いているのだとしたら、どういう意図を持って動き回るだろう。佐山以外の人間だったとした時、何故そいつは佐山の家に入ろうとするのだろう?




 血の気が引いた。まずい。最悪の事態が頭を巡る。隠れないと。 




 とん。とん。とん。




 ダメだ。もう足音はすぐそこまで来ている。音を鳴らしたらその時点でバレる。っていうかもうバレている可能性の方が高い。




 ーー終わったかも。




 がちゃ。ぎい。




 ドアが開かれた。


 僕は固まって動けない。違う意味で僕は覚悟を決めた。


 扉が開き、何者かが部屋の中に入ってくる。




 ーー……はぁ?




 その人物を見て、僕は唖然とする。


 ふざけるな。もうこれ以上のイレギュラーを持ち込むな。世界が止まってるってだけでとんでもねえイレギュラーなんだぞ。それに加えて、これは……これは……。




「あーいたいた。やっぱここか」




 自分の目の前にいる存在。僕はそいつをよく知っている。知りすぎているぐらいに知っている。でも会った事はなかった。だって会えるわけがないから。会えてはいけない存在だから。




「まあ、そうなるよね」




 自分の目の前にいる人物。


 三嶋聡史。そう、僕だ。

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