第13話 野球部キャプテンと秘密のミーティング

 詩を書き写していた。


あとからあとから湧きあがり、閉ざす雲煙とともに、

この国では、

  さびしさ丈がいつも新鮮だ。

この寂しさのなかから人生のほろ甘さをしがみとり

それをよりどころにして 僕らは詩を書いたもの


「荻野」

 後ろの席の山口くんが私を呼んだ。

 私は詩を書き写していた手をとめて、なんでしょう、と振り返った。

 「おまえ、昼休みいつもどこにいるの?」

 私は首をかしげた。

 たまに、というかほとんど外階段にいる。

 お天気がいい日は、お昼ごはんの時間は、いつもひとりで外階段にすわって、ぼーっと誰もいないグラウンドを眺めている。ときどき、美織や翔之介が声をかけにやってくる。

 雨の日は、図書室で窓ガラスに雨粒があたるのを時折眺め、「空と海の出会うところ」という写真集を見ながら、これまたぼーっとしている。

 お昼ごはんなんて食べなくたって生きていける。私は購買で買ったジュースを飲むだけで間に合った。

「まあ、いいや。それよりさ、この前の体育祭ですげえ目立ってただろ。それで野球部員たちが、おまえのことが気になるとか言い始めてさ。少し喋ってみない?」

「え、今?」

 私は翔之介以外の野球部員とは、用事がない時は、極力親しく話すようなことをしないようにしていた。野球部員はモテるので、女の子のやきもちが面倒くさいのだ。野球部員との関係は、外階段から練習風景を眺めているのがいちばんいい。高橋監督だってそうしろって言ってたし。

「今じゃなくてもさ、荻野さ、放課後どこかに集まったりできる?」

 私は首を横に振った。部活のあとは帰りが遅くなるので寄り道することはできない。

「じゃあさ、家帰ってからどこかに集まったりとかは?」

 私は唇をきゅっとして首を横に振ってから

「尚更無理」

 と言って肩をすくめた。

「どうしようかな。じゃあさ、とりあえず電話番号教えてくれない?」

 山口くんは少し困った顔をしている。

 野球部のキャプテンはいつも皆の話しを聞いてまわって、なにかと仲裁したり、なにかと連絡係をしたり、なにかと世話を焼いたりしている。私は、学校の生徒の中で野球部のキャプテンがいちばんえらい、と思っていた。サッカー部のキャプテンの渡部くんと違って、野球の、白いユニフォームが似合うひとだ。このひとを困らせてもなにもいいことはないだろう。電話番号を学校の人に教えるのはこれでふたりめ。仕方ない、と思った。

「・・・いいよ、はい」

 私はノートの端っこに自分の携帯番号を走り書きして、渡した。

「すぐに了承してもらえると思わなかった」

 山口くんはメモを手に取り、少し驚いた表情を見せた。

「・・・でもお願いされて断るのも悪いかなと思って。演歌のせいでしょ」

 私は本当は目立つのは好きじゃないけれど、とっさの判断で、朝練班のアドバイスに従って演歌を歌ったことをほんのり後悔していた。

「ありがとう。とにかく、電話したら出てね」

 山口くんは念を押すように私を見つめた。

「・・・うん、わかった」

 私はちょっぴりため息をつきながら返事した。


 夕ご飯を食べて、お風呂も済ませて、寝る前、少し机に向かう時間。電話のベルが鳴る。私は綺麗に乾かした髪を丁寧に結び直してから、少し呼吸を整えて、電話をとった。

「・・・はい」

『俺、わかる?』

「山口くんでしょ、わかるよ」

『おう、よかった』

 山口くんはほっとした声を出した。

「早速かけてくれたんだね、今日の今日で」

 私は語尾が優しく響くように慎重に声をだした。

『出てくれると思わなかったよ』

 山口くんはだいぶ緊張している様子だった。

「・・・でも出てね、って言われたし、ね」

 私は普段、教室で話している時と変わらない風に喋ろうと努めた。

『そうなんだ、とりあえずありがとう』

 山口くんの声も明るく優しく響いた。

「山口くんもいつも、朝練しているよね、あまり遅くならないようにしないとね」

『そうなんだけどさ、弥生はなんで朝練してるの?いつもひとりだよね?』

「今さらそれかあ」

『そう今さら』

「私、実は学校行くのが億劫で、朝起きるのが苦手だし、気晴らしにしてるの、自主練」

『へえ、ひとりで自主練しているわけか』

「そう。朝練のおかげて休まず学校に通えてるよ。学校、休まないことが大切だからね。野球部は結構、朝練している人いるよね。みんなでやってるの?」

『野球部は午後練習のときって、グラウンドはレギュラーしか使えないっていうきまりがあってさ。朝練に出てるのはみんな控えの選手で、グラウンド使いたい有志が集まってやってるんだよ』

「へえ、そうだんだ。朝練は控えの選手がグラウンドを使える時間なんだね。私もレギュラーじゃないよ、なんか朝練仲間みたいで嬉しいね」

『レギュラーじゃないんだね』

「うん。でもなんとか引退までに一本シュートを決めたいと思っているんだよね」

『朝練ではシュート錬してるの?』

「そうだね、シュート錬がいちばん好き」

 私はゴールを独り占めできる朝練の時間を大切にしていた。もちろん、野球部員が白いユニフォームを着て朝練をしてくれていることは大きな励みになっていた。

『野球のルールってわかる?』

「まあなんとなくわかるよ。3つアウトとったら交代とかそのくらいは」

『野球にもポジションってあるんだけど、ショートってわかる?』

 野球の話しになると、山口くんのお喋りが滑らかになってきた。

「ショート?聞いたことはあるんだけれど、あんまりわからないな」

『ショートっていうのは、2塁と1塁のあいだにポジションをとるんだけど、内野の守りの要なんだ』

「守りの要かあ」

『ピッチャーの背後でピッチャーを守る役目で、動きを見ていると面白いよ。守備でショートを注意して観るのは野球の醍醐味なんだ。ピッチャーが投球フォームに入ったときからショートに注目して観てみてほしいな』

「投球フォームに入ったときから?へー、おもしろそう。バスケもボールの運びよりも裏の動きを読むのが大切だから」

『そうそう、バスケもゴール下の選手の動きを見るのが面白いよね』

「野球の見方が変わりそう」

『遊撃手って言ってさ、遊ぶ、に撃つ、って字なんだけど。守りの中で一番動きがあって、動きがある分だけ頭使うんだ。ピッチャーより頭使うんじゃないかって思うときあるよ。俺はこのポジションに誇りを持っているんだ。これからは、ショート、注目してほしいな』

「へえ、ちょっと難しそうだね」

『今度解説してあげようか』

「ありがとう、ぜひ」

『一緒に野球見られるといいね』

 山口くんに、“一緒に”と言われて、私は嬉しい気持ちになった。

「そうだね。試合は、無理か」

『そうだね、俺ベンチにいる』

「そういえば、この代の応援って行ったことない」

『バスケ部も試合あるもんね。でも、予定が空いたら見に来てよ』

「そうだね、行ってみたいな。楽しみ。ショート注目するね。投球フォームに入ったところからかあ。なんか面白そう」

『はは、レギュラーのショートのやつに言っておくよ』

「キャプテンの仕事大変?」

『そうだね、皆からよく頼まれごとする』

「頼まれごとをよくされるなんて、人事部長みたいだね。今回のこともそうでしょう」

『はは、そうかも。頼られてるって言ったら聞こえがいいけど、ただの雑用の使いっ走りだよ』

「一番信用が大事な仕事だと思うよ。私も信用してるし。まず、野球部は学校で一番だし、そのキャプテンと言ったらね、大事だよ。それに話しやすいのもキャプテンだからかもしれない」

『裏方って感じだけど、存在認めてもらえると嬉しいもんだね。もう少しマネージャと連携とりたいけど、OBの先輩の妹だから、なかなか難しくてさ』

「ふーん。上下関係気を遣うよね。バスケ部より疲れそう」

『そうなんだよ。野球ってことのほか厳しい。さっきね、野球部が一番って言ってたけど、俺は剣道部が一番って思っているんだ』

「へえ、どうして?」

『きちんと胴着着て練習するだろ、礼にはじまり礼に終わるだろ』

「そういえば、野球部もいつも、グランドに向かってありがとうございましたって、大きな声で言っているよね」

 私はグランドに大きな声で敬意を払っている野球部員を見ると、何故か泣きたいような気持になった。吉田先輩のことを思いだした。吉田先輩はいちいち野球帽をとって、小さなでも丁寧に響くような声で、グラウンドに向かって声掛けをしていた。

『そうだろ、野球と剣道って共通する部分も多いと思うんだ』

「どうしてそう思うの?」

『野球部は他の部活と違ってジャージじゃなくて練習用の白いユニフォーム着るだろ。午後練はもちろん、朝練のときも。俺、控え選手だから午後錬ではグラウンド使えなくて、走り込みとか筋トレとか基礎練するんだ。それけっこうきつくてさ。いつも剣道部の奴らも頑張ってるって思って基礎練にはげんでるんだ』

「グラウンド使えないのはけっこうこたえるよね」

『わかる?』

「私も中学のときは、控えはコート使えず、シュート練できず、って感じだった」

『そうなんだ』

「剣道部にこだわる理由はそれだけ?」

『胴着あるだろ。あれがかっこよくてさ。あいつら、剣道部のやつらね。絶対大切に扱ってるだろ。俺たちも練習用のユニフォーム大事にしてるけど、それ以上なんじゃないかなって。俺たち野球部はユニフォームは部室のところでマネージャが管理してくれてて、それはすごく感謝してるんだけど、剣道部は個人管理みたいだから』

「そっか、あれだけのもの、きちんとした心で管理するの、大変だよね」

『剣道が好きじゃなきゃできないよな。あいつら大人しくてあんま喋んないんだけど、それもまたかっこいいっていうか』

「そうかあ」

『おまえが講堂で野次絡まれたとき、手を挙げてくれてたよな』

「そう」

『それもかっこいい』

「ね。仲良しなの?」

『けっこうね、俺が好きだからいつも話しかけにいってる』

「そうなんだ」

『あとさ、雨の日に俺ら体育館のスペース借りに行くじゃん。そのとき剣道の練習風景覗くんだけど、なんていうかさ、武道って感じがしてすげえんだよ。練習なんだけど、空気が凄くてさ。野球の試合中のグラウンドよりすげえんじゃないかな』

「空気の凄さを感じて、それが好きなんて、なんか野球少年っぽいね」

『おもしれーこと言うな』

「私も雨の日に野球部が筋トレやランニングロードで走り込みしてるの好きだよ。いつもと空気が変わるもん。雨の日の練習って憂鬱だけどさ」

『なんで?』

「床が湿り気で滑りやすくなる。ユニフォームでの練習、いいよね。見てて励みになる」

『俺たちも大切な伝統だと思って、誇りに思っているんだ』

「いつも学校のためにありがとう」

『そこまで?』

「ユニフォーム姿でグラウンドで練習するの、すごく大切なことだと思う」

『皆でそう思って俺たちのこと応援してくれると嬉しいな』

「そうだね、応援もしがいがあるね」

『俺も女子バスケ部応援してるよ』

「ありがとう。一緒に朝練頑張りたいね」

『そうだな、学校のためにも頑張らないとな。おまえいつもひとりで朝練してるけど、女バスは朝練ないの?』

「朝練はなくて、好きでやってるの。朝の学校の空気が好きなの」

『朝練の時間にグラウンド使ってるの控え選手だけだから、あんまり見ないで』

「ふふ、わかった。グラウンドの空気を感じながら、シュート練に励むわ」

『そうして。そういえばさ、いつもやすみ時間もひとりでいるけど、ひとりが好きなの?』

「ひとりが好きなわけじゃないけど、話し合わなくてさ。一緒にいても何話しているか聞き取れないんだよね、女の子たち」

『でもちょっとは話した方がいいよ。俺もけっこう人見知りだけど』

「そんな感じしないね」

『キャプテンだから頑張って話しかけてる。頼まれごとされるから、お願いするときのために人脈を作らなきゃ』

「それは、いい心がけだね。私も見習わなきゃ。へこむ」

『へこまなくていいけどさ、あれ、いつも何しているの?勉強?』

「勉強じゃなくて、詩をノートに書き写しているの」

『詩?どんな詩?』

「図書館で借りてきたり、好きな音楽の歌詞カードを書き写したり」

『へえ、そうなんだ。どんな音楽が好きなの?』

「ドリカムとスピッツ。歌詞書き写してるのは主にSpitzだけれど。草野正宗さんの詩が好きなんだ。恋焦がれてる」

『ああ、言ってたね。そうなんだ、Spitzね。好きな歌は?』

「Spitzは選べない」

『Spitzの話しはしないでって言われちゃった』

「私も話しが長くなるかも。ほんと好きだから」

『スピッツの話しはとっといて。他にある?』

「あとはね、山崎まさよし」

『俺、山崎まさよしはわからないな。ドリカムは?俺もドリカム好きで、ドリカムが好きって言うか、実はドリカムのある歌が好きで、世の中に数ある音楽の中でその曲が一番好きかも。俺、野球部では控えだけど、レギュラーの選手たち見ていつもその曲が思い浮かぶんだ』

「へえ、そんなに?ドリカム好きとしてはそんなに思い入れ持ってもらえて嬉しい」

『ドリカムで一番好きな曲って選べる?』

「もちろん!実は選べる」

『それは気になるな、教えてくれる?俺も教えるからさ』

「えーなんだろ」

『せーので一緒に言い合おうか?』

「そうだね、それ楽しそうだね」

『あのさ、その曲が一緒だったさ、俺のこともっと信じてもらえる?ちょっとこの状況のことで言わなきゃいけなことがあってさ、告白とかじゃないんだけど』

「ふふふ」

 私はなんとなく、後ろで複数の野球部員の声がするのに気が付いていた。

『笑ってくれて助かったよ。実はさ野球部って練習のあと毎日皆で集まってミーティングしているんだよね。・・・だめだ、言いにくいな。先にせーのしようか』

「わかった、オッケー」

『せーの、「眼鏡越しの空」』「『眼鏡越しの空』」

『ほんとに?』「ほんとに?」

『「ほんとに?」の声も合ってたね』

「そうだね」

『なんかね、“太陽のリング”の曲じゃないかって』

「『時間旅行』?私、それだったら『太陽が見てる』の方が好きかな」

『あの歌、「時間旅行」っていうんだ』

「そう、“太陽のリング”ね」

『俺、結構嬉しいな。ドリカムってラブソングが多いけど、これはそれだけじゃなくっていいよね』

「そうだね、憧れの歌だもんね」

『一緒だったことで、だいぶ勇気沸いてきたわ。思ってたより話してくれるね』

「気を遣わせてごめんね」

『いや、謝らなくて大丈夫だよ。おまえもレギュラーに憧れることある?あ、おまえって言ってよかった?』

「大丈夫。憧れとかはないかな、練習仲間だから。野球部と違ってレギュラーと控えって区別なく練習メニュー一緒だし。仲間感が強いかも」

『それ羨ましいんだよな』

「そうだよね。私も羨ましい。羨ましいじゃなくて嬉しいか。けっこう辛いんだよ。練習メニュー違うって」

『野球部はレギュラーと控えってすごく区別されてるんだ』

「うーん、そっかあ」

『午後練できるレギュラーって凄い憧れる』

「そっかあ。私もわかる。わかるって言っちゃっていいのかわからないけれど」

『だから目指して練習頑張るんだけどさ。でも、順序って残酷でさ、野球って少年野球から始めることが多いから、その時からあまり変わることってないんだよね』

「ああ、それ監督も言ってた。厳しい世界なんだね」

『監督はなんて言ってた?』

「野球部志望なら面接があって、仲間と一緒で居られるよって。居られるよっていうか、野球ができるんだよ、か」

『そうなんだ。でも野球好きってことは同じで、野球仲間なんだけどね』

「仲間っていいよね、一緒に、とか。私も監督の、一緒に、に凄い釣られた」

『そうなんだよな、自分の居場所っていうかさ』

「そういうの、学校生活を送るうえで必要だよね」

『野球仲間はけっこう外にまで広がってる』

「そうなんだ。なんかもっと言いたいんだけれど、言葉にできない」

『いいよ。荻野はさ、誰に憧れてるの?』

「誰にというかさ、何にと言うかさ、恥ずかしんだけどさ」

『なに、なに?』

「私この歌聴くとき、いつも白いユニフォーム姿で学校のグランドで練習してる、野球部員思い浮かぶんだよね。監督のせいかな?せいというか、お陰か」

『え、そうなんだ。午後錬のレギュラーの?』

「いや、違う。私も午後錬あるし、見てる余裕ない。たぶん朝練だよ。いつも少し早めの時間にあがって、外階段通りながら眺めてる。それか、ナイトライトついたあと」

『それは嬉しいな』

「ナイトライトいいよね。私ね、顧問の監督にね。顧問の監督じゃあ、ないか」

『その話し聞いた。”一緒に”ってやつ。朝練も含めて?』

「そう、朝練も含めて。というか、むしろ朝練」

『それは嬉しいな。誰かか自分の練習姿を見て、同じ曲想像しているなんて思わなかった。すげえな』

「私もびっくりした。でも野球部員のユニフォーム姿の背中は、しゃんとして憧れる、だよ。やっぱり、私たちは普段の練習はジャージで。ユニフォームって試合のときしか着ないから。それにな、ユニフォームって言ってもな。野球部の白いユニフォームは偉大だよ」

『嬉しい。マジ嬉しいな。俺たち朝練のときはジャージでいいんじゃないかって言ってたこともあって、マネージャも大変だし、朝練の時間は短いし、控えの人数も多いから』

「控えの人数、多いんだ。そっか、そっかあ」

『でも俺は絶対に駄目だっていつも言ってるんだ。やっぱり大事だよな』

「私、朝練もちゃんとユニフォーム着る控えの選手たちに感謝したい」

『そう言ってくれると俺も嬉しいよ。なんでかって』

「私、バスケ好きじゃないかも」

『好きじゃない理由はなんなの?』

「私、ドリブルできない」

『それでも続けているの?』

「身を守るためなんだよね、一番の理由が」

『俺もそうかも』

「そっかあ、同じなんだ」

『男だとかっこ悪い』

 山口くんと違う声がした。

「でも、仲間って必要じゃん。会話の糸口になるし」

『今、俺、喋ってない』

 山口くんが笑いながら弁解している。

「わかってる」

『合宿もあって、練習も厳しくて、それで、ひとりで朝練してるおまえがそう言ってくれたら、説得力あるよ』

「そんなに厳しいかどうかわからないけれど、朝練も好きでやってるだけだし。伝統って大事だね。心がけの継続というか」

『心がけの継続っていいな。剣道部の空気に通じるな』

「山口くん、剣道好きだね」

『俺、野球じゃなかったら、剣道やりたかった』

「うん、合う、合う」

『簡単に言うな』

「簡単に言ってない」

『でも個人競技って厳しそうで。野球はチームワークが大事だから』

「そうだね。私は個人競技の方が向いてたのかな?」

『いや、そんなことないって、一緒にチームプレーの競技、頑張ろうよ』

「野球のチームプレーって尊いよね」

 電話口の後ろがざわめきだした。

『どうしてそう思うのかって』

「ボールが小さいからじゃないかな?」

『面白いこと言うねって』

「だって、難しくない?より一層難しくない?しかも一点取るの、バスケより難しくない?」

『確かにそうかもしれないねって』

「野球部のキャプテンに頑張ろうって言われたら頑張るしかないな」

『一緒にね』

「そうだね、一緒にね。一緒に言ってもらえて凄く嬉しい。私、野球部の監督にも、一緒にって言ってもらえて、凄く嬉しかった」

 私がバスケットを続けられるのも、きつい練習でも頑張れるのも、隣で野球部が白いユニフォームを着て練習していればこそだ。

『なんか話したいことある?』

「そうだな、好きな食べものの話しとかどう?」

『カレー一択でしょ』

「カレーか」

 私は可笑しくなってちょっとわらった。

『なんでわらったの?』

「言いたくない」

『いいから言って』

「可愛すぎる。一択でしょって」

『男に可愛いって言わないで』

「でも、思っちゃったんだもん」

『なんだったらかっこいいって言ってくれるの?』

「とんかつ?」

 私は少し考えてから仕方なくそう答えた。

『じゃあ、かつカレーにする』

 山口くんが即答した。

「・・・」

 私はその予想できる答えにより一層可笑しくなってわらった。

『わらいすぎ。いや、かつカレーって言わしたいだけかって』

「ごめんなさい」

『いや、俺、カレーが好き。筋通したい。皆もわらわないで。合宿のメニューで一番好きだし、おかわりする人も一番多い』

『合宿の話し俺もしたい』

 山口くんと違う声が響いた。

『あ、もうちょっと黙っててよ。ごめんね、今、皆で集まっているところで話していて、実は皆の前でハンズフリーフォンで話しているんだ。どのタイミングで切り出そうかと思っていて。野球部しかいないから安心してよ』

「そうだったんだ。あ、じゃあ私もハンズフリーフォンで話してみよう」

『誰かいるの?』

「誰もいないけど」

『どこで話してるの?』

「自分の部屋だよ」

『皆に聞かれているの嫌だった?』

「ううん、そうかなって実は思ってた」

『なんでわかったの?』

「だって、山口くんキャプテンだし。なんとなく、空気?」

『そうか、空気か』

「皆いる方が緊張しないでしょ?」

 私は山口くんの人柄の良さを想って、電話口で集まっている野球部員の声に耳を澄ませた。

『結構話し長くなっちゃったな。大丈夫?』

「大丈夫」

『荻野は好きな食べものなんなの?もしかしてカレー?』

「カレーではないですね」

 私はちょっぴり姿勢を正して答えた。

『今、なんで敬語使ったの?』

「先輩いるんじゃないかと思って。今更」

『ああ、そうか。ここには野球部の2年生しかいないから、敬語使わなくて大丈夫だよ』

「そうか、わかった」

『さっきのさ、せーのさ、食べものでもしてみない?でも俺自分の一番カレーって言っちゃたしな。どうしよう』

「コンビニで買えるもの限定にしようか」

『あ、いいね、コンビニ限定にするの。合ったら今買いに行けるし』

「いいな、私は行けないや」

『え?何で?一緒に野球中継見るかわりに同じもの一緒に食べれたらいいなかって思ったのに』

「いや、こんな時間に外出れない」

『そっか、女の子だもんね。ちょっと忘れてた』

「ふふ、朝練控え選手仲間だもんね」

『そうなんだよ。話しやすくてびっくり。こんなんならもっと早く声かければよかったかな。でもきっかけ体育祭の演歌だからな。意外と話せそうと思ったのあの時だからな』

「えー!そうなんだ。演歌ね。でもその前から話してたでしょ」

『いや、学校とこの時間は別だよ。俺、別人。その話しするの嫌?』

「そんなことないよ、あのとき野球部の人たちにいろいろ教えてもらえて楽しかったよ」

『それならよかった。コンビニ限定だよね。でもコンビニ限定だと範囲が広くて怖いな。ここはぜひ打ち取りたいとこだな』

「野球中継みたいだね」

『なんでも話が野球になっちゃうんだよね。嫌かな?』

「ぜんぜん、楽しいよ」

『コンビニ限定どうしよう』

「うーん、実は一番はスイーツなんだよね。スイーツに範囲絞っていいかな」

『それ助かる。俺は一番買いたいものスイーツじゃないけど、ちなみにポテトチップスね。野球観戦にはポテトチップス一択でしょ。また一択って言っちゃった。しかも、また野球になっちゃった』

「野球好きなんだね」

『野球と同じくらい剣道も好き。次のオリンピックいつかな。あ、話しとんじゃった。俺だいぶ緊張とけてきたな』

「緊張してたよね、キャプテンさすが話し上手だね」

『荻野は緊張してないの?』

「緊張はね、電話取る前に、緊張しないって決めた」

『そんなんで?褒めてもらえたから、コンビニ限定で好きな食べものせーのはスイーツに範囲を絞ろう。荻野はいちおう女の子だから、俺が合わせてあげる』

「いちおうが気になるけど、ありがとう」

『いえいえ、どういたしまして。ではコンビニ限定スイーツ好きなたべものせーの』

「はい」

『せーの、「いちご大福」』「『いちご大福』」

『おー、合ったね。俺のナイスプレーで内野ゴロゲッツー打ち取った気分。ゲッツーってわかる?』

「アウトをふたついっぺんにとるあのプレーですか?」

『そう、それか、俺じゃありえないけど、走者一掃のクリーンヒット打った気分。ホームランじゃなくてランニングホームランかな。全力疾走したから。あ、いま部員たちが笑い出した。山口はほんとに野球が好きだなだって。いつもこんな感じでミーテングという名のもとに集まっているんだ』

「ふふ、楽しそうだね」

『荻野もわらってくれてよかった。見たことある?』

「テレビで」

『今度、本物見に来てよ』

「うん、ありがとう。応援行きたい」

『ぜひ来てよ。俺が出てるかかわからないけど』

「野球部員は全員尊いよ」

『大きく出たな』

『今うしろの野球部員が声出した』

「だって、じゃなきゃ共学やってられないよ。皆、何してるの?」

 電話口の後ろの声が揃って笑い声をあげた。

『皆、それぞれって感じ。ミーテング中断して早速電話かけてみようって。楽しく始められてよかった。けっこうおまえの話し聞いてるよ。マネージャやってほしかったなって思ってるいるやつもいて、この時間に話してみたかったんだって。それで呼ぶのは難しいから電話でって』

「そっか、ありがとう」

『いや、こちらこそ。ところでなんでいちご大福?』

「私の一番好きな食べもの、いちごなんだ」

『そうか、だからか。俺スイーツ、洋菓子か和菓子かで迷って、和菓子にしろってアドバイスもらっちゃった。そいつとダブルで嬉しいわ』

「それはよかった」

『今からそいつとコンビニ行っていちご大福買ってこようかな。そうでもしないと誰かと交代できなさそうだから』

『じゃあ、俺が合宿の話しでもするか』

「あ、合宿の話し、私も聞きたい」

『けっこう他の部員とも話せそうだね』

「合宿の話しできるのって、女バスと野球部だけだもんね」

『野球部と女バスって言って欲しかったって』

「ごめんね。失礼しました」

『セミナーハウスって野球部のOBの寄付金で大半が賄われてるんだ』

『荻野も社会人になったら寄付したら?』

「仲間に入れてもらえたら嬉しい」

『セミナーハウスのことも話してあげたら?俺らの部室のこととか』

「あ、面白そう」

『交代できる?これ野球でいうと何かな?』

『キャプテンの代打でいいんじゃない?』

『じゃあ、クリーンヒットを頼まれた代打の気分で話してみよう』

『俺のお株奪わないで。荻野、いい?大丈夫かな』

「うん、大丈夫そう」

『じゃあ、コンビニ行ってくるね』

『ちょっと、待って。コンビニ行かないで。あなたの好きなコンビニスイーツがいちご大福なんて知らなかった』

『いや、俺の好きな食べものなわけじゃないよ』

『じゃあなんでいちご大福って言ったの?』

『荻野に合わせたんだ』

『女の子って言った』

『おい、山口困らせるな。荻野は女だろ。荻野が不安がるだろ。黙ってるっていうから特別に入れてやったのに、約束守れねえのか』

『仲良く話し過ぎなんだもん』

『トップバッターは山口だったけど、荻野、野球部員のこと信頼してくれているから、誰とでも話せそうだっただろ』

『ちょっと待っててね、荻野。今、キャプテンと彼女が喧嘩し出しちゃった。彼女が泣いちゃって、ちょっと山口喋れない。皆でなだめなきゃ。俺、山口の代わりに代理で話すわ。野球部の人間だから安心して』

『いや、いったん電話切った方がいい。荻野も疲れただろ。大丈夫だったらおやすみって言って電話切ってくれる?ちょっと電話放置するね』

『放置じゃだめだろ。荻野、繋げとく?』

「いや、いったん切ります」

『ごめんね助かるわ、皆で山口助けないと。明日、ちゃんとしてまた電話するから。学校で誰か話しかけても大丈夫?』

「キャプテンしか認識できてないんですけど」

『野球部員だったら大丈夫?』

「そうですね」

『じゃあ、今日はミーティングに参加してくれてありがとう。明日学校でね』

「はい、おやすみなさい」

『おやすみ、バイバイ』


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