第10話 ナイトライト おっぱい編

『俺、マジパン先輩の本領発揮しちゃう』

 斎藤宏介さんが可笑しそうに話し始めた。

『放送室ハイジャックの放送ハイジャック絶賛ONAIR中ね。楽しんで耳澄ませて聴いてね。俺がこうして活躍している間に、野球部員と一緒になって、とある理由のために、とある理由なんて言っても皆バレちゃうね。藤くん出禁をどうにかして文化祭乗っ取る計画を誠意遂行中だよ!出禁になった理由は訊かないでね!』

 また教室棟が騒がしく震えた。

『みんなまとめてありがとうね。えーとエースのピッチャーは各々登板中で、凄いね、豪華布陣だね』

 全校生徒をまとめて制圧するために野球部員が全員一致団結して廊下を動き回っていた。放送が始まってから騒ぎ出した生徒も大人しく席に着き始めた。

『俺、マジパン先輩として引き下がれなくなってきたな』

 笑いが起きた。

『皆、笑ってくれてありがとう。え?マジパン先輩って、弥生が最初に俺に付けてくれた俺の呼び名。マジパンみたいな声、マジパン先輩って。言ったの。マジパンみたいな声、マジパン先輩って。そう、生徒会長より先。生徒会長って最初に呼び出したのは吉田の野郎ね。ちなみに俺、今日、英和の制服着ちゃってて、一日生徒会長って、体育祭実行委員長に任命されちゃった。聖書の先生にも報告済』

 男子生徒の野次が飛んでいる。

『藤くんもいいよね、俺、今日、生徒会長で』

 ”藤くん”と名前が出ただけで学校全体がどよめく。

「聖書の先生も藤原さんのこと好きなんだって」

 美園が小さな声で囁いた。だから大目に見てもらえるのかあ、と思った。翔之介が何故か私のあたまをぽん、とした。斎藤宏介さんのハイジャックは続く。

『で、俺の声がマジパンみたいなんだってさ。マジパンってマジックパンの略なの?チャマ、本当のこと教えて。チャマさんはね、今日はね、臼井でお留守番。ね、マジパンの続きね』

 斎藤宏介さんは、私がマジパンの声って言ったとき、確か嫌そうな声で拒否していたのに、ずっとマジパンの話しをしている、と思った。翔之介は笑いながら耳を澄ませている。

『俺のマジパンの声。俺の声マジパンね。もういいよね。もう、俺の声マジパンで。これだと俺困っちゃう。ネタには困らないけれど、俺マジパンやだ。俺の声マジパンやだ。でもマジパン先輩で俺の手元狂っちゃう。で、マジパン問題。でね、おまえ失礼なやつだなあって俺の保護者が、笑って聞き流してくれたよね。弥生も大好きな俺の音楽の保護者ね。今日も居るよ。俺、ちょっとショック受けちゃって、マジパン素朴爆弾で。男の声で、マジパンはねえ、ひでえ!これがねえ、俺の本音』

 翔之介がお腹を抱えて笑い出した。美園は機嫌良さそうに大人しくしている。私は斎藤宏介さんに申し訳ない気持ちで一杯になった。

『俺ね、あのあと調べちゃったの。マジ、かっこいいマジパンはねえのかって。で、あのねえ、それはねえ、嬉しそうに話してくれたよ、いつもの調子で。いやね、ずっと好きって言ってくれているけれど、俺の声』

 確かに私は、斎藤宏介さんの声が好きで、そう言っていた。好きだからこそ、いろいろ呼び名をつけた。

『そのあとねえ、とってつけたように生徒会長って。生徒会長だから好きになったの?いつも困っている時には立法政府立ててあげているからね。マジパンって弥生にとってはじいちゃんからの愛の象徴なんだってね。じいちゃんが買ってくれたケーキには必ずマジパンがのっていたんだとさ。男は何かを我慢して、ケーキにマジパンふたつ乗せてあげてね』

 私は翔之介の顔を覗き込んだ。翔之介は私にデコピンした。

『赤ちゃんみたいだな、発想が。俺と一緒の時はマジパンいらないよね。俺がHappyBirthday唄ってあげるから。え?俺がメリークリスマスって言ってあげるからね。王子様よりマジパン先輩の方が嬉しい。だって正義の味方みたいじゃん。これじゃあ俺、結局何が言いたいのかわからねえ。え?本題は、あるの。マジパン先輩ってジャンプのギャグ漫画に出てきそう』

 翔之介が頷いている。

『俺がボーカリストって名乗る前からマジパン先輩って呼ばれてたな。歴史長いの。俺困っちゃう。でも、俺、マジ、草野正宗さんみたいになりたい。でも、俺に対する王子って弥生にとってはone songのフィリップ王子なんだよなあ。生徒会長のあとさ、こっちのほうがしっくりきたりして、とか言われてなあ。皆、俺のこと生徒会長って、呼ばないでね』

「誰も呼ばねー」

 翔之介が呟いた。

『なんてね。今日は司令塔から指令が出たから満を持してって感じてこうしてやってきてハイジャックしてるわけだけれど、これで俺、ラジオになってんの?』

「なってねえー。ただのひとりごとだろ」

 翔之介が呟いた。私と美園は顔を見合わせて笑い合った。

 ハイジャックの放送が一旦中断された。

 外階段に山口くんが駆けてきた。こっちに戻って欲しいって、と言われて、私たちは教室棟に戻った。

 斎藤宏介さんの相棒の田淵さんが来校し、野球部員に囲まれていた。斎藤宏介さんと田淵さんは、ふたりで学園長に挨拶に行った。

 私たちは4人で、私は荷物を持ったまま、自分のクラスではなく、職員室にいちばん近い、1階の普通クラスの教室に連れていかれ、窓側の席にすわるよう促された。高木くんも側にやってきた。 

 そのあと放送室の機材が私たちの向かいの教室棟の3階の教室に移された。教室の電源を確認して、マーシャルの電源を確保できることがわかった。

 野球部にはアコースティック隊と軽音楽部隊があることが明るみとなり、秘密組織と連携を取っていることがわかった。

 ハイジャックの放送が再び始まった。

『ここは眺めがいいね。向かいの教室に手を振ってみよう』

 斎藤宏介さんがそう言って、私たちに向かって手を振った。私たちは皆で、手を振り返した。

『はいはい、野次が凄い。フリースローね。今朝も弥生、冷静に決めていたよね。俺も見てた』

「斎藤!」

野球部員の野次が飛んだ。

『はいはい、ちょっと待っててね。弥生、朝練で鍛えた拾い上手の弥生に、おっぱいをまず拾ってもらえって野次から言われたんだけれど、おっぱいって何?凄い盛り上がっているけど、大丈夫なの?俺、おまえに投げていい?俺の荻野弥生、俺についてきて。俺、ちょっとあっち行く。ちょっと待ってて』

 私は高木くんの顔を覗き込んだ。バツが悪そうな顔をしながら、任せた、と言って、私の肩をぽんとした。私は斎藤宏介さんがやってくるまで待った。その間にこの教室にも仮の放送設備が設置された。どの教室でもマーシャルの電源が取れることが確認できたようだ。これで許可が下りれば、教室でのバンド演奏が叶う。

 斎藤宏介さんが向かいの教室棟からやってきた。私のあたまをぽん、として撫でた。翔之介が斎藤宏介さんを睨みつけている。

 私はひとつため息をついてから、

「体育祭実行委員長として」

 と呟いて、自分の鞄から読み慣れた詩集を取り出した。それを両手で持って、斎藤宏介さんに表紙を手向けた。「すみれの花の砂糖づけ」だ。

「あ、あの時の詩かあ」

 斎藤宏介さんは気が付いてくれた。

「ええ」

 と私は言った。そして続けて

「妻にして」

 と言った。

 皆はぎょっとした顔をした。斎藤宏介さんは

「消しゴムの重さにはしないよ」

 と言ってくれた。私は微笑んで頷いた。

「一編」

 と私は呟いた。

「爆弾落として!」

 野次が飛んだ。


    おっぱい


「え?!」

    

    おっぱいがおおきくなればいいのにとおもっていた。

    外国映画にでてくる女優さんみたいに。

    でもあのころは

    おっぱいが

    おとこのひとの手のひらをくぼめた

    ちょうどそこにぴったりおさまるおおきさの

    やわらかい

    つめたい

    どうぐだとはしらなかったよ。

    おっぱいがおおきくなればいいとおもっていた。

    おとこのひとのためなんかじゃなく


「バーイ、いわさきちひろ!!」

 私の声は明るく元気よく響いた。

「おいおい、いわさきちひろにしかならねえ!」

 またまた野次が飛んだ。

『はい、はい、弥生ちゃんが俺たちの野次と声援を拾ってくれたね。爆弾っておっぱい爆弾のこと?言った本人が一番驚いていたね。うん、うん、ひとつ前は「ちび」、ひとつあとは「じしん」なんだって。みんなも詠んでみよう。え?お返しに「おっぱい」唄え?おまえら、それが本当の目的か。俺たち草野正宗さんに本気で頭上がらない。弥生はこういう時どうするの?』

 私は両手で耳を塞ぐしぐさをした。

『そうか、恥ずかしがって耳を塞ぐのか。可愛いな。俺本気で草野正宗さんに感謝しちゃう。俺たちまだ高校生だもんね。草野正宗のこんなんで、やべえ、俺草野正宗さんにこんなんとか言っちゃった。高校生が草野正宗さんの「おっぱい」って歌詞にタイトル。え?中身はたいして「てめえ!」落ち着け俺。エロくない?あっそう。草野正宗さんを召喚?俺たちの神?野次が盛り上がり過ぎて拾いきれない』

 斎藤宏介さんは戸惑い気味に話している。

『いやもう、おっぱいっていう話題がね』

 私は美園と顔を見合わせて微笑んだ。

「斎藤宏介さん」

 私は落ち着いて響くように名前を呼んだ。

『なになに』

 斎藤宏介さんは可笑しそうに返事をした。

「草野正宗さんは、もしかしたら女の子のためにわざと”おっぱい”っていう曲をつくったのかもしれないって思うんです」

 私は照れながらもはっきりとした口調でそう言った。

『なんでそう思うの?』

 斎藤宏介さんは真面目な顔して訊いてきた。

「だって、おっぱいの話題になってから、あなたたちしあわせそう。平和がいっぱい」

 私がそう言うと、翔之介が吹き出した。斎藤宏介さんは一本取られた!みたいな顔をして私を見つめた。

『・・・え?田淵が詩?詩を書きたくなったの?このタイミングで?田淵わらかさないで。もう、おもしろいから、おれみんなまとめてふしぎのおっぱいののろいって言っちゃう。これじゃあ俺の相棒草野正宗さんって言いだしちゃう。俺草野正宗さんに先に謝っとこ。おまえらも一緒に詫び入れといて。「すんませんでした」。おい、誰かツッコミいれてよ』

「斎藤、『おっぱい』唄えって」

 野球部員が野次を飛ばした。皆、爆笑した。

『はいはい、そのうち、いつかね。いや、草野正宗さんだけで十分でしょ!』

 斎藤宏介さんは慌てた素振りで言った。

『弥生、俺、もう一回あっちの教室棟戻るね。俺のために一編の詩を詠んでね』

 斎藤宏介さんが言った。私は頷いた。


    ちっとも変っていないのだ

    もうどうでもいい

    と、おもうことがある

    男も

    恋も

    遠い日、図書室の窓際の席で

    そう思ったように

    さわらないで、とおもうことがある

    誰も何もあたしに近づいてほしくない

    遠い日、裏庭のシーソーのそばで

    そうおもったように


「もう一声!」

 野次が言った。

「では国語の教科書から」

 と私は言った。


    観覧車 まわれよまわれ 思い出は 君には一瞬、我には一生


『いいね。これ国語の教科書に載っていたものなんだって。一瞬も一生もできれば一緒がいいよね。俺はいつまでも君を想って、on the stage に立ち続けたい。頷いてくれてありがとう。詩と短歌を詠んでくれてありがとう。弥生。”すみれの花の砂糖づけ”の代わりに俺に何か欲しいもの言って』

 斎藤宏介さんが訊いた。

「べっこう飴かな?」

 私が答えた。

『べっこう飴?!』

 斎藤宏介さんの驚いた声が響いた。

「べっこう飴って福島のお祭りの」

 私は言った。

『いや、ふるさとのお祭りの、いや、俺、弥生には新しい思い出として、浴衣着てきてくれたら林檎飴プレゼントしてあげるね。弥生の浴衣の色は何色なの?』

 斎藤宏介さんが言った。

「紺がいい!」

 野次が飛んだ。

『え?ちょっと待って、こっちの教室、なんだか浴衣で揉めてるみたいだから、もう一編、詩の朗読いってみようか。妻ちゃん、よろしく!』

 斎藤宏介さんが言った。

 私は即興で詩を詠んだ。


    恋  


    私はあなたを眺めるこども

    あなたのその声に、だかれて

    私は小さくため息をついて

    部屋に籠って さなぎになる

    私が蝶になれるのは

    トワイライトゾーンに

    あなたの声を受話器越しに聴いたときだけ

    私は夢を羽ばたく蝶

    おやすみ、を合図にして


『素敵な詩をありがとう。じゃあ、浴衣の話しね』

 斎藤宏介さんが言った。

「今はね、なんというか和風の明るい黄色に、紫のリボンと蝶々の柄の」

 私は自分の手持ちの浴衣の話しをした。

『蝶々も紫なの?いや、色とりどりなのね、え?拾ってやれ?色とりどりのを?今の俺の色とりどりの発言で「あさきゆめみし」のテーマソングにジュディマリの「イロトリドリノセカイ」が加わったのね』

「”神のお気に召されるように”ってところが私たちに合ってる!」

「尚更、素敵!」

 女の子声の野次が飛んだ。

『蝶々の柄かあ。いいね、そのチョイス。待って、待って、それ透けない?』

 私は首を振った。

『ううんなの?どっち?しつこいか。うん、じゃない。それは買ってもらったものなの?自分で選んだの?え?自分で着れるの?練習しときなさい。その前に何でそれ選んだの?手を繋いでもらわなくてもはぐれないように明るい色をって?可愛いな。その浴衣買っちゃったのか。わかった。その話し女の子同士でした話しなのか。俺、手、繋いであげるから。うん、うん、って言っているね。文化祭でね。浴衣と制服どっちがいいかな。ねえ、藤くん。俺と一緒の時はね、紺の浴衣着ていいから。俺ね、蝶々っていいな。さなぎが蝶に変身する気がして。草野正宗さんもこんなこと考えて詩をかいているのかな。え?今こそおっぱい唄え?俺が一番好きな詩人は草野正宗さんです!これで勘弁して!』

 斎藤宏介さんの楽し気な声が響いた。











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