第9話 ナイトライト 前編

 席に戻るとすぐ、普通クラスの女生徒が声を掛けてきた。制服をきちんと着ているので野良ではない。リボンは紺色。同じ2年生だ。その女生徒から、聖書の先生が呼んでいるから一緒に来て欲しいと言われた。私は席を離れるのに自分の荷物が心配で、山口くんに相談したら、持って行った方がいいよ、と言われたので、荷物を持ってその女生徒に従った。

「あなたは野良じゃないね」

 私はなるべく優しく響くようにその女生徒に話しかけた。するとその女生徒は立ち止まり、左手で私の右手を取った。

「手を繋いでいていい?」

 とその女生徒は訊いてきた。

「もちろんいいよ。私はあなたの味方になれるよ。どうしたの?」

 と私は穏やかな口調で訊いた。

「誰の女か言いたくないの」

 と彼女は言った。私は彼女を傷つけずに守る言葉はないかとしばらく考えた。繋がれたその手をぎゅっと握り返した。しばらくそうしたあと私は思い出したように、

「まず名前、名前を覚える」

 と私が呟くと、彼女は

「美園」

 と呟き返した。私は、美園、ね、と彼女の名前をなぞるように呟いた。小さく深呼吸して、ちょっと勇気を出して

「所属は?」

 と私が言うと、彼女は少し悲し気に首を横に振った。私はその様子を見て頷くと、もう一度適切な言葉を探した。そして、しばらく間を置いて、はっと閃いた。

「”乙女の祈り”にしよう!」

 と私は明るく響くように慎重に声を出した。彼女は首をかしげたが、心なしか顔が綻んでいるように見えた。彼女はおそらくバージンの誓いを守り切れていないのだ。だから私に対して遠慮がちに振る舞うのだ。でも制服を綺麗にきちんと着ていて、私と仲良くしたい素振りを見せてくれた。”乙女の祈り”、これは、制服を綺麗にきちんと着こなす私たちを表す、新しい誓いの言葉だ。

 私はちょっと待ってね、と言って、彼女の手を離して、鞄の中にいくつかあるシュシュの中から、紺色のリボンの付いたものを取り出して、彼女の左手首に付けた。

「これ、”乙女の祈り”の証」

 と私は言った。彼女は手首のシュシュに視線を落としたあと、私の顔を見て恥ずかしそうに微笑んだ。

 そして、私たちはもう一度手を繋ぎ直し、職員室へ向かった。

 聖書の先生の所へ行くと、高木くんと斎藤宏介さんが並んで立っていた。私は斎藤宏介さんにネクタイを貸した張本人として呼び出されたのだった。斎藤宏介さんはブレザーも着ていた。翔之介が貸したそうだ。

 海野先生が心配そうにこちらを見ている。

 高木くんが、斎藤宏介さんの訪問をきっかけにして、暗黙の了解となっていた放送室の秘密を公にし、今日を体育祭と文化祭の予行練習の日にしたいと申し出ていた。それを荻野くんと斎藤宏介さん、ふたりがかりで、聖書の先生を説得しているところだった。私も加わって三つ巴でお願いしようとのことで私も加勢することになった。

 聖書の先生は、現役エースピッチャーと学校一の模範生である、体育祭実行委員長の頼みとあっては、・・・面白いから聞き入れてみよう、と話しを合わせてくれた。ただし、理事長には自分たちから話しをつけるようにとの条件付きで。

 聖書の先生の計らいで、今日は授業が全クラス全日自習となった。

 理事長とは、お昼休みにセミナーハウスで落ち合うことになった。理事長とは、実は野球部のOBらしい。野球部員にも知らない人がいるらしかった。

 今日のことは野球部全員が周知の事実で、野良に荒らされる前に行事と放送を制圧しようと、野球部皆で前々から仕組んでいたことだった。毎年、体育祭や文化祭等のイベントの時の野良たちの素行の悪さには手を焼いていたので、それを上回る騒ぎをチームプレイの精神で発揮しようとのことだった。私が体育祭の実行委員長になったことで、特に野球部の朝練班が張り切って仕切っている。

 高木くんと斎藤宏介さんは放送室に向かった。放送室は職員室のある棟の3階にあって、外階段やグランドを見渡せる窓があった。

 私は美園と一緒に、翔之介が待つ外階段へ向かった。

 翔之介は私の姿を見つけるとほっとした顔をした。教室に居るとスピーカフォンの餌食になるかもしれないから俺と外階段に居て欲しいと言われ、私は頷いた。

 私は美園と並んですわった。

 予鈴が鳴った。

『全校生徒諸君』

 校内放送が始まった。共学になって以来、初の放送。斎藤宏介さんの声。私は思わずその声を聞いて、左腕にはめられた腕時計を押さえた。

『ご機嫌いかがかな。俺の名前は斎藤宏介』

「その時計どうしたの?」

 翔之介が訊いた。

「斎藤宏介さんがはめてくれたの」

 私は手短に答えた。

『知らないとは言わせないぞ』

 翔之介は、斎藤宏介さんの腕時計を私の腕から外すと自分の腕にはめた。

『今日は秘密基地団を代表して放送室をハイジャックしにきたぞ』

 そして代わりに自分の腕時計を私の左腕にはめた。私は思わず可笑しくなった。翔之介は小さくひとつ深呼吸をした。

『では早速高木くん一声』

 斎藤宏介さんの声は滑らかに弾んだ。促されて、荻野くんの声がした。

『本日は聖書の先生のお墨付きで、全日全クラス自習とし、体育祭と文化祭の予行練習をする日とします。野良の野郎どもは我々野球部、特に朝練班の指示に従ってください。リョータは朝練班頼っていいから。野良のバンギャルどもは、どうすんの斎藤』

『藤くん出番です!』

 斎藤宏介さんがひときわ大きな声で煽った。教室棟がもの凄い勢いで騒がしく震えた。

『すまねえ』

 藤原さんの恥ずかしそうな声が響いた。その一言で、さらに教室棟が騒がしく震えた。

 私と美園と翔之介は顔を見合わせて、微笑んだ。

 今日はどんな一日になるんだろう。

 



 

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