予定通り三日後、エルナト最東端の駅に到着した。

 キルビレント国境を目の前に捉えた駅だが、駅舎は寂れており、キルビレント情勢もあってか乗降客数も少ない。また比較的温暖なアルトミラと異なり、キルビレントは乾燥地帯。延々と広がる荒野と、東端に広大な砂漠が横たわっている。あたり一面が砂っぽく、そよぐ熱風にも砂が混じっている。

 二人はまず駅前の商店街に行き、路地裏の小さな店に入った。小さな食事処のようで、カウンター席に客が二人いた。レオはカウンターの店主にコインを渡し、カウンターとテーブル席の間を通り過ぎ、店の奥の扉を開いた。肉の焼ける音と、かぐわしいスープの香りを嗅ぎながら、キッチンの脇を通り、更に奥の扉を進む。路地とも呼べない建物と建物の僅かな隙間に出る。外の空気わかすかに吸い込んだと思ったらすぐ向かいの建物の扉を開く。次も店のようで、カウンターだけがあるバーのようだ。棚に飾れた酒瓶とグラスが落ち着いた雰囲気の照明に溶け込んでいる。この店に客はいない。

 レオはおもむろにカウンターに腰かけると、ミーナも隣の席に着いた。店主はすぐやって来て一杯の水をレオの前に置いた。

「情報通りの組み合わせだね。少女と男。変な組み合わせだ」

 言いながら優し気な風貌の店主は、ミーナにもオレンジ色の果実ジュースを置いた。

「詮索はやめた方が良い」

 レオが低い声で店主の勘繰りを制すと、店主も心得ているのか「はいよ」と、あっさり返事をした。

 それが合図だったかのように、レオは封筒をカウンターに置き、店主が素早く二つ折りにされた紙と周辺地図にすり替えた。レオが渡した封筒は情報料、店主が差し出した紙は国境越えの方策だ。

「越境後の話だが、状況が変わった。こちらから直接独立戦線と接触を試みる。独立戦線の次の作戦地域と決行日は分かるか?」

 穏やかだった店主の空気が途端、張り詰める。

「本気かい?」

「ああ、勿論だ」

 店主は訝しげにしながらも、「今渡した地図を広げてくれ」と告げた。

 指示通り地図を開くと、地図には青で独立戦線、赤で政府軍の現状での支配領域が描かれていた。

「見ての通り、独立戦線は今の所キルビレント南部から中央部辺りを占拠している。これは必然的な構図で、元々独立戦線は南部のカムナガラ国境付近で立ち上がった組織だ。そこから徐々に中部に手を伸ばし、今に至る。逆に政府軍は、北部にある首都ブレックを中心に、守りを固めている」

 店主が地図を指し示しながら言った。南部の砂漠地帯は空白となっている。

「で、今最も戦闘が活発なのが、君たちがいるエルナトと国境を接した西部だ。独立戦線はキルビレント国境線を手に入れる為に全力を出している。なんせ、隣は緩衝地帯の中でも一番潤っている中立国のエルナトだからな。エルナト国境を僅かでも確保できれば独立戦線は更に勢いづく」

 エルナトが掲げた〝二大国のいかなる行動にも干渉しない〟は、今回の内戦でも生かされている。キルビレント政府が出す救援要請も中立国を理由に明確に拒否し、エルナトとキルビレントの国家間はあまり友好的とはいえない状況にまで陥っている。が、それはあくまで表向き、政府からの公式の救援に関してだ。個人のルートは開かれており、エルナト政府も黙認している。この男のような情報屋が成り立つのもエルナトだからこそだ。

 政府軍もその裏ルートを少なからず利用していると思われる。もし、エルナト国境が独立戦線に堕ちれば、政府軍に流通していた物がそっくりそのまま独立戦線側に渡るだろう。

「次の攻撃目標とされているのが、ダージの二つ隣街、アルーグだ。ここには政府軍基地もある。ここを取れば国境のダージまで取ったも同然という訳だ」

「タイミングが良かったと言うべきかな」

 レオの発言に、店主はニヤリと笑う。

「さて、それはどうだろうな。アルーグに手が伸ばされることは、政府軍も察している。国境の向こう側には兵隊さんがごろごろ集まってるってことだ。ダージの国境検問所もこれまではそれなりの金を積めば秘密裏に出入りできたが、今はそれすら無理だ。通れるのは政府軍側と判断されたごくごく一部の人間。独立戦線側の反乱分子だと判断されれば、その場で射殺。不法入国者も問答無用で殺される。法律や人権は二の次って訳さ。そんな中を政府軍側の地域から独立戦線に向おうなんて正気じゃないね。戦場に飛び込んで行くようなもんだ。どうせならここで待ってりゃ良いんだよ。独立戦線がダージまで手に入れることを信じてね」

 情報屋はまるで説得するように滔々と語った。レオは一度ミーナを見た。視線に気付いたミーナが、首を小さく左右に振る。時間が惜しいというのだろう。それに、独立戦線が全力を持ってアルーグに攻め入るというならば、そこに成功体が現れる可能性は極めて高い。

「俺達はどうしようもならない事案を抱えていてね、一刻も早く独立戦線と接触しなければならないんだ」

 店主は神妙な面持ちになると「……ま、俺が世話すんのはダージまでだからな」と明後日の方向に呟いた後続ける。

「決行日は四日後の明朝だ。しかし、分かると思うが、これはあくまで目安。場所も時間も状況によって前後する。あんたらの足だが、今日夜十時から日の出までの間、国境の街ダージの外れのガレージに部下を待機させている。地図のオレンジ色の地点だ。そこで車を受け取ってくれ。ただし、日の出までだ。日の出と同時に引き揚げるよう指示している。間に合わなかったら、自分で調達してくれよ」

「ありがとう、助かった。後、追加で銃を調達したい」

「おお、そういうのは良いね」

 店主は軽妙に承諾し、手元にあった電話を取った。

 二人は夜になってから再び国境沿いに向かった。国境沿いに沿って張り巡らされたフェンスの傍を、レオが先行しながら目的の地点に向って歩く。月の僅かな光を捕らえた金属製のフェンスが、濡れたように輝いている。厳しい日差しが照りつける昼間とは違い、少し肌寒い。しかし、装備を整えた二人には心地よいくらいだった。

 暗闇に紛れやすいよう、黒いシャツに黒のズボン、防弾ベスト。レオは主な装備は拳銃一挺に、肩に掛けたアサルトライフルだ。弾倉は二種類の物を合わせて五本。ミーナは拳銃二挺、弾倉は四本だ。期待通り、彼女はそれらを慣れた手つきで扱って見せた。

 街から少し離れた地点で人の気配はない。フェンスの向こう側も鬱蒼と茂った茶色い草原だ。幾ら国境警備を厚くしていても、国境全てを見張ることは物理的に不可能。越境だけなら造作もなかった。

「あの情報屋、信用できる人物なのですか?」

 不意にミーナが後ろから声を掛けた。レオも当初気に掛けていたことだ。あの情報屋に関しては、アルトミラ情報局が取り付けた人物だった。

「アルトミラ情報局御用達の情報屋だ。アルトミラもキルビレント情勢には強い危機感を持っているが、相手の裏にいるのが帝国だから迂闊うかつに手出しできない。だからと言って看過もできない。そこで彼のような人物を通じて密かに独立戦線の状況を把握し、必要があれば彼らを通じて支援もする」

 信用できるとは言わなかった。

 男の態度に嘘はないと、レオの経験からは判断できたが、この業界に信用などという言葉が存在しないことも知っている。たとえアルトミラ情報局が懇意にしていたとしても、裏切りは起こりうる。

「……独立戦線が立ち上がって二年と聞いていますが、やはりそのような事情があったのですね」

 質問に答えていないことをミーナは指摘しなかった。今の答えが全てだと察したのだろう。

「ああ。背後に帝国を従えた政府と、支援もなしに二年も戦い続けることは普通は不可能だからな」

 物量、組織力、規模、全てが遥かに政府軍の方が上回っている。それでも尚、独立戦線が生き長らえているのは、圧政に苦しむ一般市民の圧倒的な支持と、周辺国からの極秘裏に送られている支援の賜物と言える。

「あった」

 レオが目的の物を見つけてしゃがみ込む。鉄条網に開けられた人為的な穴だ。誤魔化されているがよく目を凝らせば、草を踏み固めて作られた細い道が見える。情報屋によれば、互いの国民がここから密入国しているらしい。

「行くぞ」

「ええ」

 二人は続けて、フェンスの裂けめをくぐった。周囲を背の高い雑草が取り囲む中、人が一人歩けるくらいの幅で踏み固められた道を進む。自生しているオリーブの木の間を通り抜け、暫くすると住居が見えて来た。

 キルビレント側の国境の街、ダージの住居だ。国境から遠ざかるにつれ、住居の壁は銃弾の痕跡が見られるようになり、足を進める程、痕跡は濃くなった。ここで何度か戦闘が行われて来た証拠だ。住人は逃げ出してしまったのか家に人の気配はなく、殆ど廃墟と化している。土がむき出しの道も修繕された形跡もなく、ガタガタの状態のまま息を殺しているかのように静かだ。

 開けた通りに差し掛かり、二人は足を止めた。通りに数名の軍人がうろついている。戦闘服と右腕の腕章から政府軍だと判別できた。

 レオ達は政府軍のいる通り避け、地道に目標地点に向かった。抜け道は昼間受け取った地図に記されており、既に頭の中に叩き込んでいた。家々の塀や壁を上手く利用しながら、二時間程歩き、ダージ郊外に近付いた。目的の場所は、ポツンと佇む地味なガレージだ。トタン屋根の安っぽい建物を、ささやかな街灯が照らし出している。電気は届いているようだ。

 二人は表から近付くことは避け、住居を遠回りし、街灯から逃れるようにして裏口に近付いた。合図である指定の回数だけ扉をノックし、開くのを待った。きっかり十秒を取って、小さな扉は開かれた。

 男の声で小さく「入れ」と促され、二人はガレージの中に足を踏み入れた。迎い入れたのは三人の男だった。一人は体格がよく、いかにも屈強そうだ。他の二人は警戒していたのだろう、肩にライフルを下げていた。

 ガレージはランタンの火でほんわりとした明るさに包まれていた。二台の車両がギリギリ入る広さで、今は一台の車両と、脇に置かれたプラスチック製のテーブル一台と椅子が三脚あり、テーブルにはトランプが広げられている。全体的に埃ぽっさがあり、頻繁に使われている倉庫ではないと分かった。

 リーダー格らしい体格の良い男が、レオとミーナの顔を見て、聞いていた通りだと言うように頷く。

「ようこそキルビレントへ」

 手を差し出され、レオは「ああ」とそれに応えた。

「話はオヤジから聞いている。早速だが、これがあんた達に用意した車の鍵だ。車両は念の為、近くの雑木林に隠している。ここで敵に囲まれたら洒落にならないからな。ガソリンは満タン。整備もしてあるからすぐに動くぞ」

 オヤジ、というのがエルナトのバーで接触した男だろう。

 レオが「ありがとう」と手を伸ばしたが、鍵がレオの指に渡る前に男はキーを引いた。

「受け渡す前に確認したいことがある」

「なんだ?」

「オヤジからは余計なことは聞くなと言われていたが、一つだけどうしても聞きたいことがある。あんた達は独立戦線に接触して、何をしようと言うんだ?」

 レオは小さな不快感を覚えた。彼らのような下っ端にいちいち説明している暇も義理もない。第一こういう質問は、どういう理由であれ、情報を生業にする彼らにとってタブーに等しい。

 レオは非難を口にしようとしたが、それより先にミーナが答えていた。

「詳しくは申し上げられませんし、味方とも断言できませんが、少なくとも敵ではありません。決して、敵には成り得えません。私が保証します」

 男達が驚いたように目を見張った。揃ってミーナに視線を向け、目の色を変える。

「独立戦線の不利にはならないのか」

「はい。大局的に見ても不利にはなりません」

 大局的に、だと。レオもミーナの顔に視線を向けた。しかし、彼女はいつものように泰然としている。

 男達は互いに顔を見合い頷き合う。

「分かった。すまない、無作法なのは分かっているが、俺たちはキルビレントの未来を見たいんだ。許してくれ」

 レオの方に向き直ったリーダー格の男が再び鍵を差し出した。そして、ようやくレオの手のひらに鍵が収まった時、外で銃声が鳴り響いた。

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