翌日、レオとミーナは情報局が用意した車両で、アルトミラ最東端に駅に到着した。

「あれが、キルビレントの国境直近まで通じている駅だ」

 レオが眼前に捉えた建物をそう説明した。

 白を基調とした重厚な建物で、横広に広がった壁面には円柱が均等間隔で整然と並んでいる。特筆すべきなのは中央にある弧形の大きな屋根だろう。屋根の両端には小さな尖塔を模した装飾が施され、中央は巨大なガラス張りの窓となっている。そこに駅名と共に、二ヵ国の国旗が交差して掲げられていた。アルトミラとエルナトの共同出資で作られた、エルナトへの玄関口である。

 二人はこの駅からアルトミラを出国し、エルナトを縦断、キルビレントに向かう。

「大きいですね」

「この一帯には制空権が存在しないからな、必然的に大きくなる。駅の中には列車の切符販売所は勿論、国境検問所も併設されていて、乗降と出入国が同時にできる。駅から電車に乗れば、もうそこはエルナトっていうことだ。実際、エルナトは線路の国だ。国中に線路が張り巡らされて、列車に乗れば何処にでも行ける」

 緩衝地帯は空の運行ができない。国際機関である世界連盟によって禁止されている。

 二十五年前、二大国に挟まれたこの緩衝地帯は、二大国の大規模戦争によって焦土と化した。原因は二大国による激しい空爆である。三ヵ国の内、何処の国がどちら側についたとの情報が出回るや否や、その情報の虚偽に関わらず緩衝地帯は二大国に空爆された。二大国の戦争の余波をまともに食らった形だった。休戦協定は結ばれたが、未だに二大国の睨み合いは続いていることから、三ヵ国の安全の為もあって禁止措置は継続されている。よって、緩衝地帯に住む人々の足は、必然的に地上の物に限定されていた。

「エルナトで列車が普及しているのは、エルナトが中立だからですよね」

「ああ。エルナトの交通網が発展することは、二大国の利益にも直結するからな」

 結局この一帯は二大国を中心に回っている、とレオは皮肉る。

 エルナトは二大国間で休戦協定が結ばれてすぐ中立を宣言。二大国のいかなる行動にも干渉しないと通告した。多少の反発はあったものの、これを好機と捉えた二大国は、エルナトにこぞって融資し、線路は日に日に距離を伸ばした。互いの利益になると分かれば、敵対していても手を取り合うのが国家というものだ。故に、緩衝地帯の中で最も交通網が発展している国なのである。

 構内に入ると、広大なエントランスが出迎えた。外から見て弓なりだった天井は、吹き抜けとなっていて、ガラスの天井からは自然光が降り注ぎ、所々に植樹された観葉植物が青々とした葉を広げている。行き交う人々の表情も明るく、構内に反響するざわめきは活気に満ちていた。

 ミーナは淡々と歩みを進めながらも、天井を見上げて熱心に観察していた。その姿にレオは安堵を覚えた。思っていたよりも、感情はあるようだ。

「驚いてるようだね」

「はい。帝都にある中央駅と同程度の規模です。戦後二十五年ですが、二国もここまで復興したのですね」

 まるで見て来たかのような言い方に苦笑する。

 マルクト帝国の帝都ザイツィヒの中央駅は、レオも訪れた経験がある。開業百年を超える駅で、駅舎の殆どは戦争で焼失したが、焼け残ったステンドグラスを修復しつつ利用し、建て替えられた。近代建築に百年前の遺構が息づく駅だ。帝都中央駅には地下鉄も併設されているので、正確には帝国の方が大きいだろう。ただ、広々とした吹き抜けの天井は、ステンドグラスの輝きよりも慎ましやかで穏やかだ。帝都に負けずとも劣らずだと感じる。

「中央駅というからには、帝都には何度か行ったことがあるのか?」

「ええ、研究員と共にですが、そしてその出迎えは帝国軍人でした」

 それだけで全てを悟ったレオは、帝国に関して尋ねるをやめた。恐らく、研究の一貫として帝国軍に協力していたのだろう。

「二大大戦も知っているんだな」

「はい、必要な知識は全て研究所で学びました」

 必要な知識ね、とレオは瞳を細める。それは彼女に生活力として養わられた知識ではない、兵器として必要な知識なのだろう。

 構内で列車の切符確認と出国手続きを済ませ、続いて入国審査を受けた。旅券は情報局が用意した偽名と似せた顔写真を使った本物だ。笑顔で見送られエルナト入りを果たした。

 エルナト行きの乗降場は三つ設けられていた。各駅停車の車両が扉を開いており、人々が速足でそれぞれの向かって行く。

 二人の利用するエルナト東西横断の寝台列車は、乗降場の一番端に停車している。扉は開かれており、出発時刻まで待機しているようだ。二人はすぐに乗り込み、アルトミラ情報局が用意した一室に向った。

 部屋は広々としたデラックスサイズ。二人一部屋の個室だった。小さな机を挟んで向かい合わせに座席が並んでいる。座席は畳むと一人用のベットに変わり、もう一つのベットは二階に収納されている。二人同室なのは、ミーナの逃走の可能性も視野に入れた判断だった。

――懐柔する方が懐柔されるなよ

 本国から受けた忠告だ。無論、男女間の性別の意味合いも含まれている。しかし、十代半ばの小娘、しかもとんでもない荷物を抱えていると来ている。変な気など起ころう筈もない。ミーナも同室のことは気に留めていないようだった。

 それぞれ座席に着いた二人は、早速今後の手筈について話し合った。列車でキルビレント国境までは難なく移動できるが、キルビレント越境からそれ以後は問題が山積している。

「既に言ったが、政府軍はキルビレント国境に検問を敷いていて、正規に入国するのはほぼ不可能だ」

「不法入国しか方法がないと」

「ああ。だが、確実に渡る為にアルトミラ情報局が情報屋に連絡を取っている。越境後の足の確保も兼ねてな。後は独立戦線と接触も、現地に潜入している諜報員から手段を得る……しかし、成功体まで辿り着けるかは不明だ。いるかどうかも確実ではないというのに、接触は難しい。諜報員でも確証を掴めていないんだ。君が名乗れば成功体が出て来るとなれば話は別だがな」

 ミーナは首を小さく横に振る。

「例え私でも不用意に名乗れば糾弾されるか、最悪殺されるかと」

 穏やかではない単語にレオは眉を顰めた。

「殺される? 待ってくれ。俺は君と成功体との関係がいまいち掴めていないんだが、君達は仲間ではないのか?」

「残念ながら、仲間とは呼べません。同じ実験を受け、同じ場所で同じように学んだと言っても、私達は互いに干渉し合うような人間ではありませんでした。それは私と成功体だけではなく、成功体同士でも共通しています」

 だから単独なのか、と腑に落ちた。

 アルトミラに亡命した失敗作というミーナ、独立戦線にいるという成功体、某国の政治中枢の変化。いずれも同時多発的に起こっているだけで、連帯性の全くない一つの点だ。

 ミーナが亡命した当初、アルトミラ情報局は、彼女自身が帝国の差し金である可能性も鑑みてあえて時間を置いた。ミーナを匿った上で、情勢がどれ程変化するのかしないのか観察していたのだ。状況は動き出し、帝国も極秘裏に何かを探っているような素振りを見せる。帝国に取って都合の悪い物が不幸にも漏洩し、密かに回収を試みているような空気で、アルトミラは帝国の焦燥を気取った。

 このことから、アルトミラ情報局はミーナと帝国が繋がっている可能性は低いと考え、今回の件に踏み切れたという事情もある。

 ミーナは続ける。

「まず間違いなく、帝国は彼らの行方を追っています。彼らもそれを警戒している。だからこそ、上手く隠れているのでしょう。二ヵ月経った今でも情報が少ないのはそれです。そこに彼らの全てを知る私が現れば、まず私を不安因子として抹殺するでしょう」

 あいも変わらず、淡々と語るミーナを、レオは食い入るように見つめた。

 彼女らの受けた実験は、非人道的で社会的に許される筈もない残虐な実験だ。ミーナも、自身の受けた実験の醜さを理解しているだろう。恐らく成功体もそうだ。普通なら、実験を施された恨みと憎しみから団結していてもおかしくはない。しかし、同じ境遇にある者に抱く当然の親近感が、彼らにはないようだった。

 成功体各人も、失敗作であるミーナも、各々の意志だけで動いている。目的までは見えては来ないが、そこだけは断定してもいいかもしれない。

 しかし、とレオは心中で溜息をつく。成功体とミーナの関係性、ミーナの行動意図。レオは知らなかった。勿論、アルトミラ情報局が聞き漏らす訳がない。エルモンド・マクスがあえて伝えなかったのだ。いずれわかることだろうに、知らせなかったのは嫌がらせとしか思えない。しかも、今回の件に関しては、本国よりもアルトミラの方が立場が上である為に不満も言えない。

 けれど、ミーナが何故、身の危険もある成功体に自ら接触しようとしているのか。

「キルビレント到着は三日後でしたよね」

 ミーナが思い出したように尋ねた。

「ああ、そうだ」

「直近で独立戦線が次に攻撃を仕掛けそうな地域は分かりますか?」

「……内戦の最前線に行き、直接接触を試みるということか。正気か、と言いたいがな」

「成功体が戦力の要であるならば、それが最も確実かと」

 確かにその通りだ。それに、本国とアルトミラはミーナの存在をあまり公にしたくないと考えている。独立戦線を介さないで済むならば、それに越したことはないだろう。

「分かった、情報屋に聞いてみよう」

 となると、武装を厚くしなくてはならない。レオ達の今持っている荷物に武器は入っていない。エルナト入国を滞りなく行う為だ。

 キルビレント国境の情報屋に最低限の武装を用意してくれるよう話を通しているが、最前線に向かうならば心もとない。追加で用意しなければならないだろう。

 アルトミラそして本国、両国共に今回の任務ではミーナの意志を最大限考慮するように仰せつかっている。ミーナがこちらの手駒でいてくれる間は、出し惜しみせず出資する筈だ。

「確認なんだが、マクス長官から君は銃を扱えると聞いているが」

「ええ。知識同様、一通りのことは教えられています。心配はいりません」

 レオは微笑を零した。この少女が厳つい銃を手にしていても違和感がないように思えた。

「頼もしい限りだ」

「あなたは?」

「幸いにも、君より長く生きているからね。大概の物の扱いはできるよ」

 ミーナは変わらない無表情で頷いた。

 一通りの話を終え、レオは背を座席に預け、車窓に視線を流した。ようやく列車が動き出し、豪壮な駅が背景として流れていく。

 いずれにせよ、事態が動くのはキルビレントに着いてからだ。警戒は必要だが、レオにとってこの三日は半分休暇のようなもだろう。

 ふとミーナを見ると、ミーナも車窓をじっと見つめていた。水色の瞳は景色を見落とさないとでもするように、やや開かれていた。彼女は感情が薄いだけで、ない訳ではない。ただこれまでの生活で感情表現を必要とせず、忘れてしまっているのだろう。

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