アルトミラ国家情報局は、世界屈指の諜報機関と言われている。

 そもそもアルトミラは、二大国であるマルクト帝国、カムナガラ公国に挟まれた、所謂緩衝地帯に存在する小国だ。二大国の覇権戦争が起こる度に、何度となく国民と国土を焼かれた。また領土も小さく、人口も少ない。国力もそれに比例しており、資源と言えば国の西部が海に接していることと、戦争で焼け残った観光資源ぐらいだった。

 だからこそ、彼らは彼らしか持ち得ない武器を探し続けた。二大国に挟まれた位置にあっても、大国に飲み込まれず、独立国家としての権威を保てるような。辿り着いたのが諜報力だった。不遇な土地にあることと、過去の戦争で多く民を亡くしたことで、アルトミラの人々は類まれな愛国心を抱いている。情報局に勤める人間も、身体の根幹に気高い愛国心を宿しており、国を守る為ならばどんな屈辱も苦渋も耐えて来た。

 彼らが世界屈指と称えられる所以はそこにある。

 アルトミラ情報局が成って二十年。情報戦で肩を並べられるのはもはや二大国しかなく、今ではその二大国すらアルトミラ情報局に協力を仰ぐケースも度々起こっていた。特に現長官に代替わりしてからは、特にその色が強くなっている。

「君の上層部からは君が同行する方向で動いていると聞いているんだが、それで良いんだな?」

 初老の男は机上の書類から顔を上げると、射殺しそうな眼光を湛えてレオを見た。

 アルトミラ情報局本部長官室。仰々しい名前とは裏腹に、執務デスク、応接セットなど至ってシンプルな調度品で満たされた広い部屋だが、部屋の主がいると全てが威圧感を放っているように感じる。

 アルトミラ情報局現長官――エルモンド・マクス。

 アルトミラ情報局の中でも最も剛腕と世界中に名を馳せ、同時に恐れられているのが、レオが今現在真正面で向かい合っている男だ。

「はい、私も本国からそのように指示を受けました」

 レオは伸ばしきった背筋に、更に一本筋を通したまま硬い表情で答えた。

 この男に名を呼ばれたことはなかった。レオ・レグルスという偽名を呼ぶ気がないのと、他国の工作員であるレオに神経を遣うだけ無駄だと考えているのだろう。

 マクスは元々アルトミラ国軍出身で最終階級は中佐だ。国軍から情報局にスカウトされたらしいが、その経歴だけでも彼の優秀さを物語っているだろう。頭髪は六十という年齢にふさわしく真っ白に染まっているが、体つきは年齢を感じさせない程分厚く、何より特徴的なのは目だった。何者も見通しているかのように鋭く、何者も見ていないかのように深い。雑輩なら彼の前に座らせただけで震え上がる筈だ。

「厄介な任務だな。謎の多い少女と国外まで同行。それに伴う雑務の処理。一人で動いている方がよほど楽だろうに」

「全くそのとおりですが、任務ですので」

 気安く同情されたことに戸惑いを覚えつつ、笑みを浮かべて返した。単なる日常会話かもしれないが、場数が違い過ぎて一つ答えることにも慎重を要する。そもそも二人の間には国家の隔たりもある。

「成功体の実態は掴めていないが、我々は成功体に関しては関与しない。ただ、ミーナの身柄は我々が持つということを忘れないでくれ。彼女を手放したつもりはない」

「承知しております」

 アルトミラは〝成功体〟に関しては国力に余ると、静観する意向だ。獲得には動かない。しかし、〝成功体〟は兎も角、ミーナとの繋がりは断ちたくないらしい。故に、情報提供という形で関与はする。これは、彼女の身に何か起きればただでは済まさないという圧力でもある。

「こちらが新たに掴んだ情報は、君の仲間か、こちらの諜報員から受け渡す。一部だが、こちらが懇意せにしている情報屋にも協力を仰いでいる」

「ありがとうございます。こちらからも、居場所は逐一報告させて頂きます」

「そうして貰わなくては困る。彼女は元々、我々の国に亡命を求め駆け込んで来た少女だからな」

 亡命者の人権は亡命先が保護し、安全な生活を保証する。これが亡命を受け入れるという責任でもある。ミーナはアルトミラに亡命し、アルトミラがそれを受け入れたということが、この条件が成立していることになる。

 アルトミラがミーナを国として興味を持っているのは確実だ。しかし、十五の少女の無茶な要求――つまり、自分の行動に国を使えという要求を受け入れ、この件に他国を巻き込んだのは何故なのか。

 国力がないとはいえ、自慢の情報網を駆使すれば他国の力を借りずともミーナの要求を叶えることもできだだろう。なのに、非公式とはいえ、こちらに情報を開示し、まるで餌のように本国をおびき出した。マルクトが絡んでいるならば、こちらは出てこざる負えない。

 利害の一致を隠れ蓑に、別の思惑を持っているだろう。協力関係にあると言っても、油断はできない。

 話が終わると、マクスはおもむろに電話に手を伸ばし、内線をかけた。

「彼女を連れて来てくれ」

 ミーナの身柄は彼女の要望通り、亡命という形でマルクト帝国領アルトミラ領事館から極秘裏にアルトミラ国内に移された。以降、アルトミラ情報局の管理下に置かれ、今現在情報局本部にある厳重に管理された部屋で生活していた。安全面を考慮してと、彼女を確実に確保しておく為だ。生活に自由はないに等しいが、彼女は気に留めていないと聞いている。

 程なくして、ノックの音が室内に響いた。

「失礼します。お連れしました」

 部下の声にマクスが短く「入れ」と促した。扉が開き、ミーナだけが部屋に通される。

 執務デスクから応接ソファに移動したマクスに倣い、レオもマクスの後ろに場所を移動し、ミーナの動きを注視する。相変わらずの無表情だな、と最初の感想を持った。

 美しい仮面のように固まった表情筋。瞬きがなければ人形と見間違いかねない程、白い肌に大きい水色の瞳。また背筋は伸び、歩く仕草にも隙がなく、足音もない。その辺の人間よりよほど諜報員としての才能がある。

 年齢に関しては、彼女の推定と実際は多少の誤差はあるかもしれないと言ったので当初は判然としなかったが、その後に受けた医療機関での検診結果でほぼ実年齢で間違いないと結果が出た。これで十五歳。いったいどういう境遇に身を置けばこんな少女が出来上がるのだろう。それとも幼い頃の記憶を失くしてしまっているからなのか。

「呼び出してすまないな。兎も角、座ってくれ」

 ミーナはマクスの背後に立っているレオを一瞥した後、ソファに腰を落ちつけた。エルモンドは手を組み、身を乗り出すと早速本題にかかった。

「長らく待たせたが、君の条件を呑む準備が整った」

 ミーナは成程、というように一度頷いた。

「成功体に関して、既に情報を掴んでいたということですね」

「君の言う〝成功体〟かどうかは我々は判断しかねるが、各地で奇妙なことが起こっているのは事実だ。その中でも、最も顕著なのが……キルビレントだ」

「キルビレント」

 国名を確かめるように繰り返しミーナに、マクスは書類を差し出した。既にレオも目を通している書類だ。

 見出しには〝キルビレント独立戦線の動き〟と書かれており、人物を写した不鮮明な写真が添えられている。格好から察するに、少年兵のようだが顔には口布を巻き、首元もスカーフで覆われている為、人相はまったくわからない。

 ミーナは写真を暫く眺めた後、書類の一枚目にざっと目を通すと、双眸を細めていた。

 二大国に挟まれたこの緩衝地帯には、三ヵ国が連なっている。この国、西のアルトミラに、中央のエルナト、東のキルビレントだ。アルトミラは三ヵ国の中で唯一、海と接している国家で、東に向かうほど内陸部になり、キルビレントの端には広大な砂漠地帯が広がっている。

 三ヵ国とも、地政学上非常に難しい位置にあるが、ここ十数年のアルトミラとエルナトは情勢は安定しており、目立った争い事はなかった。だが、キルビレントは違う。

 目立った資源もなく、国力もないキルビレントは、帝国に南のカムナガラ侵攻の橋頭堡きょうとうほとして価値を見出され、帝国に実質的に支配されつつあった。政治は汚職が蔓延り、国民は帝国の企業によって安い賃金で重労働を課せられていた。だが二年前から、政府の方針に反発した市民が立ち上がり、有志で武装組織を結成。政府軍との内戦状態に陥っている。

 マクスが見せた書類には、内戦の発端となった組織〝独立戦線〟に、ある人物が加わったことをきっかけに独立戦線が攻勢に転じているとまとめられている。そのある人物こそが、写真の少年兵だ。

「この情報の信頼度は?」

 ミーナは顔を上げるとマクスに尋ねた。

「キルビレントの首都ブレックで、稀粒子きりゅうしの発現が見られたそうだ。稀粒子の発現――空気中に飛散している粒子が独りでに発光する現象……だったな?」

 ミーナの瞳が僅かに見開かれるのを、レオはつぶさに見ていた。

「ええ、そうです」

「では間違いない。目撃者によると空気が光り出したように見えたそうだ。もちろん、その原因がその少年兵にあると分かった訳ではない。ただ、ブレックに潜伏している部下からも、君がいう所の〝成功体〟らしき人物を見たとの報告を受けている。君と同じ年頃で、見た目に関わらず酷く冷静な少年だったようだ」

 稀粒子の発現――ミーナが言った成功体の唯一の明確な痕跡である。

 稀石を体内に宿した成功体は、稀石に内包されている稀粒子を体内に宿している。稀粒子はかつてこの世界で魔術が大成を極めていた頃、魔術の元となった物質だ。稀粒子は互いに共鳴し合う性質を持っており、共鳴現象が起こった際に発光する。これを稀粒子の発現と呼ぶ。

 稀粒子が魔術の元となっていたことは既に一般化している歴史だが、稀粒子に共鳴し合う性質があることは、ミーナから伝え聞いたことだった。まだアルプトラウム研究所に関わっていた人間しか知らない研究結果だろう。

 マクスの報告にも、ミーナは淡々としていた。

「発現があったのならば、成功体の可能性は極めて高いでしょう。少年、という年齢も合致します。しかし、この写真では人物の特定は不可能ですし、不確定要素も多すぎます。稀粒子の発現が本当にあったとしても、成功体がただ一時的に停留しただけかもしれません。他にはありますか?」

「幾つかあるが、それが君の言う成功体の手による物なのかどうなのか、まだ判断は付けられない。ただ、先程も言ったように奇妙な現象が周辺で起こっている。弱国だったのが、政権でも変わったかのように政治運営が上手くなったり、反政府ゲリラが攻勢に出たりな。最も有力な情報はキルビレント以外にはない」

 他にも動きはあるが、言い切ることで情報量を少なくしている。選択肢を絞らせ、余計な動きをさせない為だ。

 ミーナはマクスを見つめたまま動きを止めた。マクスも同じようにミーナを睨んだまま視線を固定した。キルビレントに行け、と言外の意図を確認し合っているようだった。

 暫くの沈黙が続いたのち、ミーナが頷く。

「分かりました。キルビレントへ向かいましょう。いずれにせよ、私が行かねば確証は掴めませんし、行ってみる価値はあると考えます」

「よし。では、君がキルビレントに向えるようバックアップしよう。ただ、情報は常に共有させて欲しい。なので、君の同行者として後ろの彼を付ける」

 ミーナは驚いたふうに目を見開いたあと、レオを一瞥し率直に「監視ですか」と尋ねた。

「そう捉えられても仕方がない。ただ、彼は我々との連絡役でもあり、君の護衛役でもある。君の身の安全も考慮してだと考えてくれ」

 ミーナはもう一度レオに視線を向けると、上から下まで値踏みするように身体を見る。

 レオは顔に張り付けている笑みを深めた。足手まといにならないか、こちらを検分している。これが任務である以上、円滑なコミュニケーションを取れるよう努力はしておくべきだろうか。

 レオは自ら歩み寄り、ミーナに手を差し出した。

「何度か顔は合わせているが改めて名乗ろう。アルトミラ情報局諜報員のレオ・レグルスだ。これからよろしく」

 ミーナは一拍置いた後、手を重ね「こちらこそよろしくお願いします」とレオの区群青の瞳を食い入るように見つめた。

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