第一章 騒乱の萌芽

 夜二十時。暗がりの中、電話ボックスの中から頭に黒いハットを被り、ベージュのトレンチコートに身を包んだ男が現れた。その隙を逃さず、レオは電話ボックスに向った。

 通り過ぎるささやかな街灯の光が、レオの容姿を景色の中から浮き上がらせる。黒髪に渋い紺の瞳、手足は長く、容貌も整っている。身体には黒のジャケットと綿のパンツを身に着けている。長身痩躯だが、適度に筋肉がついており、鍛えられていることが伺える。

 レオはトレンチコートの男とすれ違い、電話ボックスに入った。この国、アルトミラにはあちこちに設置されている、至って一般的な公衆電話だ。

 コインを投入する素振りを見せながら、受話器を首と肩に挟む。でたらめにボタンを押し、釣り銭の排出口の裏側を指でなぞると、微かにある凹凸に爪を引っ掻け、張り付けられていた紙を剥がした。それを素早くポケットにねじ込めば、後は消化試合だ。電話口にだらだら喋りかける男を演じ、電話ボックスを後にする。振り返ることを最小限度に留めつつ、周りの気配を探り、尾行者がいないことを確認してから薄暗い路地に入った。

 手に入れた指先くらいの小さな紙を開くと、住所が記されていた。

 仲間との会合に指定される住所は必ず毎回異なっている。今回も初めて見る住所だったが、周辺地域の地図は頭の中に正確に記憶されており、目星はついた。

 レオは近くでタクシーで捕まえ、該当の住所へと向かった。

 住所の建物は、赤レンガで作られた三階建て。入口にあったポストを見ると、空き部屋が多いらしく、入居者のあるポストにも長らく使われていないのか、溢れんばかりの郵便物が刺さっている。レオは迷うことなく階段を上がり、二階にある一枚の扉の前で立ち止まった。ノックもなく、部屋に滑り込む。金属製の蝶番がぎりりと不快な音を立てたが、ポストを見る限り二階は無人だった。

 部屋に入ると奥の扉が半開きになっていて、そこから人工的な明かりが漏れていた。明かりを頼りに一室を進むと、ささやかなキッチンが誂えられているだけのシンプルな一室に突き当たった。そこに一人掛けのアームチェアが二脚、絶妙な間隔を空けて向かい合わせに設置されている。テーブルはない。

 一方のチェアには既に先ほどのトレンチコートの男が鎮座していた。

 レオは挨拶を交わすこともなく、向かいのチェアに腰を下ろす。相手の男はトレンチコートも脱がず、また黒いハットも被ったままで人相は見えない。しかし、彼が連絡員だということは知っている。

「例の件に関して、本国は引き続き君に監視を要請している」

 前振りもなく切り出した男に、レオも即座に答えた。

「同行しろと?」

「そうだ。同行し、彼女の実態を探ると同時に、共に他の成功体の詳細を探れ。あわよくば、接触。有益と判断すれば懐柔に移行しろ。成功体であれば誰でも構わない。とにかく確保が優先だ」

「分かった。一つ報告を上げたいんだが、彼女は我々が思っている以上に優秀だ。こちらの動きを読んでいる可能性がある。この状況を見越した上で、アルトミラに亡命したということだ」

「本国が動くことを期待してということか?」

「ああ、そうだ。確定ではないが、可能性は考えられる」

「十五の少女だぞ?」

「既に報告はしていると思うが、彼女は何か明確な理由があってアルトミラに亡命したように思えてならない。勿論、アルトミラに掲示した交換条件とは別にだ。でなければ、別れたばかりの仲間を探せとは言わない。彼女の立ち居振る舞いからも、何かを感じる。これは客観的な考察だ」

「分かった。お前が言うのなら、留意すべきだろう。本国に伝えておく。ただいずれにせよ、誰かが同行せねばならないのは変わらない。彼女を一人で他国にやる訳にも行かないからな。そしてこれに関してアルトミラは動かない。彼らは彼女ではなく、彼女との繋がりだけが欲しいだけだ。彼女自身はあまりにも目立ちすぎるし、帝国が隣国である以上、この国で匿い続けるにはリスクが大き過ぎる。そんな愚は犯す国ではないという上の判断だ」

「了解した」

「今後の連絡方法は追って通達する」

 会合は短くスピーディに終わった。建物を出たレオは、車を呼ぶことはせず、歩いて近くの駅を目指した。

 レオは某国の工作員という立場にある。現在の潜伏先、アルトミラ情報局に潜入し始めたのは二ヵ月前のことだった。と言ってもこの潜入、これまでとは根本から大きく異なっている。

 普通、潜入と言えば、自分の身分を隠しつつ、極秘に相手国の中枢に入り込み、こちらに有益な情報を盗み出す、というのが常だ。だが、今回は他ならないアルトミラ情報局からの要請で、他国の工作員であるレオが情報局に派遣された。他国の諜報機関に他国の工作員が派遣される。通常ならば考えられないことだが、これはレオが所属している本国とアルトミラとの間で高度な政治取引が成立したということに他ならない。

 取引の中心にあるのは、一人の少女――ミーナだ。

 彼女というあまりにも特殊過ぎる存在を持て余したアルトミラと、帝国の弱点を探り続けていた本国とで利害が一致したのだろう。恐らく、他にも何らかの駆け引きがあると推察されるが、いち工作員であるレオが関知できる範囲ではない。レオの目下の問題はミーナのことである。

 レオは着任の際に読んだ資料を諳んじられる。

『私はマルクト帝国アルプトラウム稀石研究所で行われていた人体実験の被検体です。ある条件と引き換えに帝国が行っていてた非人道的な研究の情報を、あなた方アルトミラ国に提供したいのですが』

 マルクト帝国領にあるアルトミラ領事館に、たった一人で現れたミーナの第一声だったと報告されている。

 彼女は自分が何者であるかを精細かつ躊躇なく紹介した上で、アルトミラに亡命することを望んだ。先日の聴取は彼女を亡命を承認するかどうか審査の為もあって行われた物だ。

 折しも、アルプトラウム稀石研究所で爆発事件があったとニュースを賑わせ始めた時だった。

 アルプトラウム稀石研究所は険しい山岳地帯の中にぽつんとある草原の中に建てられた研究施設だ。未だ謎の多い鉱物、稀石を専門的に研究している施設で、今現在分かっている稀石の特徴特質は、全てアルプトラウム研究所から発信された物だ。しかし、ほんの一ヵ月前、爆発事故が施設内部で起こる。研究所は爆発によって崩壊。上空から撮られた写真では、地面に大穴が開いているのが確認できる。

 史上稀にみる大規模な事故だった。原因は不明。また働いていた研究員は全員死亡。施設も復旧できる次元ではなく、穴を埋める工事が淡々と進んでいる。にも関わらず、成功体達は全員生き残っているのだという。何故か。それは爆発事件を起こした犯人が〝成功体〟だからだ、とミーナは証言した。

『成功体は、胸骨体から赤色骨髄を通し、全身の血液に稀粒子きりゅうしを流動させています。彼らはその物質により、莫大な力を得、意志一つで街を消し飛ばすことも可能です。今回の研究所崩壊も彼らの力によるものです。彼らは歩く兵器です。そしてその成功体は、既に野に放たれている。この状況が如何に危機的な物かお分かり頂けるでしょうか?』

 そう、ミーナは〝成功体〟には含まれない。彼女は自分のことを失敗作と呼び、〝六人の成功体〟とは別の存在だと位置づけた。

 ミーナの証言の全ては具体的且つ信憑性のあるものだったが、全てを信じた訳ではない。ただの少女ではないことは、初めて見た時から確信していたからだ。全てではないが、何処までが嘘かは分からないし、真実だったとしても、何か隠していることはある。〝六人の成功体〟というのも疑わしい。実際は十人かもしれないし、初めから存在していないのかもしれない。彼女は彼女自身を失敗作と言ったが、それを確かめる術も我々は持ち合わせていない。〝成功体〟というのも、彼女の言うような力を持っているのかどうか……。

 人体実験が行われたのは、彼女のレントゲン写真や傷跡から事実の可能性は高いが、真偽を判断するには情報が足りなかった。

 ただ、稀石研究所に子供達が集められていたというのは分かってきており、また帝国周辺地域各国できな臭い動きも広がっている。しかし、それがミーナの言う成功体による物なのかどうかは、分かっていない。

 謎が多過ぎるのだ。アルプトラウム稀石研究所自体も、世に出ている情報は極少。

 全てを突き止めるには時間が掛かるが、時間を掛けていられる程、悠長に構えてはいられない。事故以降、帝国が世界の裏通りで活発に動いている。もし、成功体の情報が本当ならば、彼らは成功体の行方を捜しているいるのかもしれない。

 そこでレオが所属する本国は、アルトミラは共同で駒を動かすことに決めた。

 ミーナが当初取りつけた条件――〝成功体〟と思しき存在の動きを掴めたならば、その情報をミーナに提供すること。そして、調査する権限をミーナに与えること。

 これを呑む決断を下したのだ。

 ミーナを動かせば恐らく何か掴める。同時に、帝国の動きも捉えることができるかもしれない。本国としてはあわよくば、世界の頂点に君臨している帝国をその座から引きずり下ろすのが狙いだろう。

 そして、この厄介な少女の厄介な旅行の同行に抜擢されたのが他ならないレオだ。

 レオがこの世界に入ったのは三年前。国軍での成績の優秀さが認められ、二十五で勧誘を受け、国家工作員となった。以降、工作員として重要人物の極秘護送や、逆賊の暗殺など任務をこなして来たが、今回はその中でも群を抜いて異質だ。

「面倒なことになりそうだな」

 レオは暗い空を見上げ、一人ごちた。

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