第4話 彼と私の日常。

「とてもおいしかったです。ご馳走様でした」

 彼は、そういうと母にペコリとお辞儀をしました。

「いいえ、どういたしまして」

 母もそれに対して、にっこり笑ってみせました。

「おい、そろそろ風呂に入ったらどうだ。もう遅いぞ」

 私は、母の後片付けを手伝いながらも、目では彼を追っていました。

父の言葉もそのときは、よく聞こえていませんでした。

「兄貴、風呂入ろうよ」

「風呂ですか?」

「そうか、入ったことないもんな。それじゃ、俺と入ろうよ。教えてやるから」

「ハイ、お願いします」

 私は、そこまで聞いて、初めて何を言っているのか理解しました。

「ちょっと、待ちなさい。いきなり、お風呂って……」

「なんだよ。それじゃ、姉ちゃんがいっしょに入ってやれば」

「バ、バカなこと言わないでよ」

 私は、ますます顔が赤くなりました。

「令子さん、風呂に入りますか?」

「イヤ、それは、ちょっと…… 私は、いっしょはダメなの」

 もう、それしか言葉が見つかりませんでした。

「ハイハイ、それじゃ、兄貴、行こうか。姉ちゃんは、

入ってくれないんだって」

 弟は、彼の手を引いて浴室に行きました。

私は、何度も深呼吸を繰り返して、気持ちを落ち着けます。

いくらなんでも、いきなり彼とお風呂になんて入れるわけがありません。

 私がドキドキしているのに、父も母も私を見てくすくす笑っている

ばかりでした。

「あ、あの、私は、彼とは、そんなんじゃないし、お父さんたちが思ってる

ようなこともしてないからね」

 私は、へんな言い訳を口走っていました。

「わかってるわよ。令子を信じているから大丈夫よ」

 母の言うことに、父は、笑っていました。

浴室からは、弟と彼の声が聞こえてきました。なんとなく賑やかな声がします。

いくら男同士だからと言っても、ちょっと心配になってきたので、

ドア越しに話しかけてみました。

「ちょっと、何をしてんの? もう少し静かに入って」 

別に怒っているわけではないけど、いきなり仲良くなっている弟がちょっとだけ羨ましかっただけです。

「ハイハイ、もう出るよ」

 弟の声がお風呂場から聞こえました。

「まったく、何してるのかしら」

 私は、そう言って、ダイニングに戻ると片づけを終えた母が言いました。

「気になるのかい?」

「別に、そういうわけじゃないわよ」

 私は、ちょっとふて腐れ気味に言いました。

「まったく、嫁入り前の娘が、風呂場を覗くとは、言語道断だぞ」

「覗いてないわよ!」

 私は、父の一言にさらにムキになって言い返しました。

「あがったよ。兄貴の着替えとかあるの?」

 弟がバスタオルを腰に巻いて出てきます。

「ちょっと待って。今はないから、あんたの一晩貸してあげて」

 母は、そういって着替えを取りに行きます。

そして、着替えを持ってお風呂場に向かいました。

「姉ちゃん、風呂あいたよ」

「わかってるわよ」

「なに、怒ってるの? オレ、なんか悪いこといった」

「言ってないわよ」

 私は、そういって、弟に言いました。

「何を怒ってるの? やっぱり、オレが兄貴と風呂に入ったこと」

「違うわよ」

「兄貴、結構、いい体してたぜ」

 そういって、弟は着替えに二階に上がっていきました。

「もう、なに言ってんのよ」

 なぜか自分でもわからないけど、機嫌が悪くなっていきました。

そこに、彼が浴室から着替えて出てきました。

「地球のお風呂って、とても気持ちがいいんですね」

「熱くなかった? 今、お水をあげるからね」

 そういって、母は、冷蔵庫から水を取り出して彼に上げました。

「ありがとうございます。いただきます」

 そういうと、彼は、冷たい水をおいしそうに飲みました。

なんだか、みんなで彼をちやほやしている感じで、私は、ちょっと

もやもやしたものを感じてました。

「ほら、アンタも早く入ってきなさい」

「ハイハイ」

 私は、母に言われて、浴室に行きました。

「あの、令子さんは、何か怒ってるんですか?」

「そうじゃないのよ。光ちゃんが裕司と仲良くしてるから、

やきもち焼いてるだけよ」

「気にしなくていいから。あいつは、ときどき訳もなくふくれるからな」

 私は、父と母の話が聞こえてきて、思わず言い返そうとしたけど、

そこはグッと我慢しました。

熱いお湯に体を沈めて、息を吐くと少し落ち着いてきました。

明日は、彼にもっと優しくしてあげようと思い直したのです。


 そして、翌朝、私は目が覚めると部屋を出て階段を下りて、

ダイニングに行きます。

いつもならそのまま席に座るのに、この日からは、まずは洗面所で顔を洗って、

乱れた髪を直して、顔を鏡で確認してから行くようになりました。

 すると、トイレから出てきた弟が言いました。

「珍しいじゃん。朝から化粧してんの? そんなことしたって、姉ちゃんの顔は

変わらないって」

「バカ、そんなんじゃないわよ」

「やっぱり、兄貴を気にしてんじゃん」

「違うってば……」

 私は、鏡越しにそういって、笑っている弟を睨み付けてやりました。

ダイニング付くと、すでに父と彼が座っていました。

ついで、弟と私が席に座ると、母が食事をテーブルに置きました。

「令子さん、おはようございます」

「お、おはよう……」

 私は、朝から彼の挨拶にちょっとドキドキしながら返しました。

パジャマ姿を彼に見られて、ちょっと恥ずかしかったのです。

明日から、毎朝、彼と朝食を食べることを考えると、やっぱり、ちゃんと

着替えてからの方がいいかなと思ったりもしました。

「朝からたくさん食べないと、体に悪いからね」

「ハイ、いただきます」

 彼はそういうと、弟が食べるのを見ながら真似して食べ始めました。

「光一くんは、今日は、どうするんだね?」

「ハイ、宇宙船をもう一度、探しに行ってみます」

「そうか。無理するなよ」

「そうよ。時間はかかるかもしれないけど、慌てないでね。

あっ、そうだ。それじゃ、お弁当を作ってあげるわね」

 母は、そういって、なぜか朝から楽しそうでした。

「なにをふくれてるの? 姉ちゃん、朝から機嫌悪そうじゃん」

「別に……」

 私は、そういって、ご飯を口に頬張ります。

「令子さんは、今日は、どうするんですか?」

「会社よ、会社。私は、仕事があるのよ」

「そうですか。がんばってください」

 彼は、笑顔でそう言いました。何で、朝から、そんなに優しそうな顔を

するのかもし、ここに家族がいなかったら、きっと、うれしすぎて

倒れていたかもしれません。

彼の顔を見て、その声を聞くと、油断すると胸がドキドキして卒倒しそうです。

それをこらえて、冷静な振りをするのが、精一杯でした。

 朝食を終えて、スーツに着替えると、私と弟は、家を出て行きます。

「いってらっしゃい」

 母に見送られて私たちは、玄関を開けました。

「令子さん、裕司くん、気をつけてくださいね」

 こともあろうか、彼に見送られるなんて、こんなうれしいことが、

これから毎朝あるのかと思うと会社に行きたくなくなりました。

「兄貴もがんばってな」

 弟は、手を振って、走っていきます。

私も振り返って、軽く手を振りました。でも、その顔は、きっと引きつって

いたかもしれません。私は、ため息を着いて駅まで向かいました。


 勤務先について、自分の机に座ると、書類のチェックから始まります。

山と積まれた書類を見て、また、ため息が漏れました。

「朝から、ため息なんて、縁起が悪いぞ」

 同僚で友だちの夕子が声をかけてきました。

「どうしたのよ? なんかあったの」

「別にないけど」

「でも、顔には、何かあったって書いてあるわよ」

「ウソッ……」

 私は、思わず自分の顔を両手で触ります。

「なにを慌ててんのよ。後で、じっくり話を聞いてあげるから」

 夕子は、そういって、向かいの自分の席に着くと、パソコンを

立ち上げました。

仕事中も、彼のことばかり考えていました。宇宙船を探しに行くと言ってたけど

見つかったのか、それが心配でした。

 昼休みになって、いつもの定食屋に夕子と行くと、早速聞いてきました。

「んで、何があったの?」

「別にないって」

「そんなわけないでしょ。いつもの令子らしくないもの。

もしかして、男が出来たの?」

「えっ…… まさか」

 私は、自分でもビックリするくらい、声が裏返っていました。

周りのお客さんたちもこちらを振り返っていました。

「あっ、イヤ、そうじゃないから」

 私は、周りの視線を感じながら、今度は、小声で否定しました。

でも、夕子は、ニヤニヤしながら私を見つめています。

「図星だな。どんな男なの? あたしにも紹介してよ」

「だから、そんなんじゃないんだってば」

「彼氏じゃないなら、なんなのよ? その年で、ボーイフレンドとか

なしだからね」

「違うんだって。彼は、ただの……」

 私は、思わず言いそうになって、焦って口を閉じました。

「彼ですか。彼とは、どんな彼なのかね?」

「だから、彼とかじゃなくて……」

「男友達ですか? それとも、セフレ……」

「そんなわけないでしょ。もう……」

 私は、そういって、から揚げを口に放り込みました。

それでも、夕子はしつこく聞いてきました。だからといって、正直に

言うわけにもいきません。ナントカ、昼休みは誤魔化しながら、済ませました。

 こっちは、冷や汗ものです。つい、口を滑らせてしまいそうになって、

焦ります。どうにか午後の業務も終わって、今日は定時で帰れそうです。

「令子、飲みにいくわよ」

 いきなり夕子が私を誘ってきました。お酒で口を割らせようという

魂胆が丸見えです。

だけど、今日だけは、行くわけにいきません。絶対、断ります。

「悪いけど、今夜は、用事があって……」

「いいから、いいから。さぁ、行くわよ。今夜は、吐くまで、返さないからね」

「あのね、だから、今夜は、ダメなんだって」

「たったら、その理由を聞かせてもらおうじゃない」

「今日は、早く帰らないといけなくて……」

「どうして?」

「あの、だから、その……」

 すでにしどろもどろになっている私を、笑って見下ろす夕子の目を

見る事が出来ませんでした。

「よろしい。その理由もちゃんと聞いてあげるから。事情徴収だから

覚悟しなさい」

 私の話も聞かずに、腕を掴まれて、そのままいつもの居酒屋に

連行されました。

「さて、話を聞かせてもらおうじゃないの」

 ビールで乾杯をすると、早速、本題です。

「で、何があったのよ? 正直に白状しなさい」

「あのね、なんでもないの。ホントよ、ホント」

「その目は、ウソをついている目だわ」

 夕子は、目をギラつかせて前のめりに私を顔を見つめます。

私は、圧倒されて、椅子ごと後ろに引きました。

「やっぱり、男ね。私にないしょで男を作ろうなんて、アンタは何を

してんのよ」

「だから、別に男の人なんていないし、彼もいないから」

「ウソね。正直に言えば、信用してあげる」

 そういって、夕子はビールをグイっと飲み干して、お代わりを頼みました。

「だから、ホントにホントなの。信じてよ」

 いくらお酒に酔ったとしても、彼のことは、言うわけにはいきません。

今夜ばかりは、お酒に飲まれないように、注意しました。

「飲みがたらないわよ。もっと、飲みなさい」

 私は、ビールを蒼って、焼き鳥を食べます。

「あたしは、アンタの友だちでしょ。何でも言い合える仲だと思ったのに」

 そう言って、夕子は泣くまねをします。ウソ泣きをしてまで、

私の口を割らせたいのが丸分かりです。

だけど、私だって、こればかりは言うわけにはいきません。

「もちろん、夕子は私の親友よ。だから、ウソは言ってないの。信じてよ」

 夕子には悪いけど、今言ったことは、大嘘です。

私には、夢中の彼がいます。しかも、宇宙人で、いっしょに住んでいるんです。

その一言が、口まで出掛かりました。それが言えたら、どんなに楽かと

思います。夕子なら、秘密にしてくれると思います。

信じてないわけではありません。

だけど、このことだけは、家族だけの秘密なのです。夕子に心で謝りました。

「よし。そこまで言うなら、令子を信じましょう。その代わり、もし、男が

出来たら、一番先にあたしに言うのよ」

「言う言う、絶対言うから」

 そこを強調しました。そして、ジョッキに残ったビールを一気に

飲み干します。それからは、夕子の彼氏の愚痴というか、のろけ話が

続きました。私は、聞き役に徹して、頷くことしかできませんでした。

夕子の話を聞きながら、宇宙人の彼は、どんな人なのか考えます。

実際に、わたしは、彼のことをいまだに何ひとつ知らないのです。

 考え方とか性格とか、何も聞いていないのです。

もちろん、私のことも彼には、ちゃんと話していません。

こんな事で、もし、付き合うようになったら、果たしてうまく

付き合えるのだろうか……

 ただでさえ、地球人の私と宇宙人の彼との間には、

常識では考えられないようなことが多いはずです。

それを乗り越えられることが出来るか、ちょっと自信がなくなりました。

「あっ、もう帰らなきゃ」

 店内の時計を見ると、すでに夜の10時を回ってました。

「夕子も帰るよ」

 私は、強引に会計を済ませて、夕子とお店を出て、駅に向かいました。

二人ともお酒には強い方なので、足取りはちゃんとしています。

二人で改札を通り、お互いに反対方向の電車に乗ります。

「ちゃんと帰るのよ」

 と私の問いかけに、夕子は笑ってこう言ったのです。

「彼氏にもよろしくね」

 まさか、酔った勢いで、彼のことを言ったのか……

イヤイヤ、それは言ってないでしょ。急いで記憶を辿りました。

 ホームに入ってくる電車に飛び乗って、家に帰りました。

電車の中で、口は滑ってないことを再確認して、次に宇宙船は見つかったのか、そればかりが心配でした。

 駅を降りて、ウチまで歩く、いつもの道でも、今夜はなぜかいつもより

早足でした。酔っているとはいえ、記憶もちゃんとあるし、足取りも悪くない。

とにかく、早く帰って、彼に聞かなきゃとそればかり気にしていました。

 公園を通って、交差点に差し掛かったときです。

私は、歩行者側の信号が青になっていることを確認して、足を踏み出します。

その時、車のライトが私を照らしました。一瞬のことで、目がくらんで、

その場に倒れこみました。車に引かれる。早く逃げなきゃ。

そう思っても、酔っているせいで立ち上がることが出来ません。

夜なので、周り人もいません。助けを呼ぼうとしても声も出ない状態でした。

 ここで死ぬなんて…… こんなことなら、彼にもっと優しくすれば

よかったと後悔の涙が頬を伝います。

車がどんどん近づいてきます。ライトに照らされて目も開けられません。

「もう、大丈夫ですよ」

 彼のいつもの優しい声が聞こえました。

「危なかったですね。迎えに来なかったら、ホントに死んでましたよ」

 私は、最後に彼の声を聞きながら抱かれて死ねることに、ちょっと感動すら

覚えました。そして、ホントにそのまま気を失ってしまったのです。


「うわっ!」

 私は、顔に冷たい水を感じて目が覚めて声を上げました。

「ちゃんとしなさい」

「構わんから、もう一度、水をぶっ掛けてやれ」

「姉ちゃん、しっかりしろよ」

「令子さん、大丈夫ですか」

 私は、なにがなんだかわかりません。頭の中は、大パニックでした。

顔を水浸しにしながら目を開けると、そこには、父と母、弟に彼の顔を

見えました。何でみんながいるのかわかりませんでした。

私は、車にひかれて死んだはずです。

ここは、天国なのか…… まさか地獄じゃないはずです。

「アンタって子は、もう、どうしてちゃんと帰れないの。光ちゃんが迎えに

行ってくれたからよかったのよ」

「いいから、顔を洗ってきなさい」

 父と母に言われても私は、床に座ったきり動けません。

「まったく、世話が焼けるなぁ」

 弟が私を無理やり立たせて、洗面所に連れて行かれました。

そして、水で顔を洗われて、タオルで顔を拭きます。

「少しは、スッキリした」

「ここは……」

「ウチに決まってるだろ。兄貴が助けてくれたんだよ。それも覚えてないの?」

「だって、私は、車に……」

「だから、その寸前に、兄貴が助けて、ウチまで運んでくれたんだよ」

「ウソ…… それじゃ、ここって天国じゃないの?」

「当たり前じゃん。しっかりしなよ。兄貴の前でみっともないだろ」

「私は、死んでないのね」

「しっかりしろよ。なに言ってんだよ、姉ちゃん」

 私は、フラフラしながらダイニングに行きました。

「まったく、いい年して、みっともない」

「着替えてらっしゃい」

 父と母に言われて、階段を上がります。でも、思わず踏み外しそうに

なりました。

「危ないですよ」

 彼が私を支えてくれました。

「あ、ありがとう」

「みんな心配してたんですよ」

「うん」

 私は、そういって、自分の部屋に入ると、急いで着替えました。

見ると、髪は濡れているし、化粧は落ちているし、着ている服も

汚れていました。着替えを済ませて部屋を出ると、彼が待ってくれていました。

 そして、彼は、手を取って、階段をゆっくり下りていきます。

席に座ると、母が水を一杯くれました。

「まったく、呆れてものが言えん。お前は、社会人なんだぞ」

「光ちゃんに助けてもらったのは、これで二度目よ。ありがとうくらい

言いなさい」

「姉ちゃん、みっともなさ過ぎ。兄貴には、もったいない彼女だぜ」

 言われ放題でした。でも、私は、何ひとつ言い返すことが出来ません。

「あの、ごめんなさい。それと、ありがとう」

 私は、下を向いたまま、しょぼくれて小さな声で言うのが精一杯でした。

「いいから、もう寝なさい。明日は、土曜日でお休みでしょ。

お説教は、明日、みっちりするからね」

「ハイ、おやすみなさい」

 私は、それしか言葉が出ませんでした。

「階段気をつけてください」

 彼は、二階に上がる私の体を支えてくれました。

「光一くん、甘やかさんでくれ。少しは懲りなきゃ、令子はわからんのだ」

 それでも彼は、私が階段から落ちないように、支えてくれます。

「もう、いいから。大丈夫だから平気よ」

「ハイ、それじゃ、おやすみなさい。それと、宇宙船は、

見つかりませんでした」

 彼の言葉を聞きながら、自分の部屋に入りました。

ベッドに倒れこむと、涙が溢れて止まりませんでした。

こんな格好を見られて、ホントに死んだほうがよかったと思いました。

 でも、その時、最後に言った彼の一言を思い出しました。

確か、宇宙船は見つかりませんでしたといった。

そうか、見つからなかったのか……

私は、ホッとするのと残念の気持ちとが入り混じった感情のまま、

いつの間にか寝てしまっていました。


 翌朝、起きると昨夜の事が思い浮かびます。

どんな顔をしてみんなに会えばいいのか、合わす顔がないとはこのことです。

しかも、彼にこんな醜態を見せて、嫌いになったらどうしようと思うと、

下に降りられません。

「姉ちゃん、起きてんだろ。下りて来いよ。風呂も沸いてるから、

入ってきなよ」

 弟がドアをノックして言いました。

「わかった。今行く」

 私は、そう返事しました。でも、鏡に映った自分の姿に、

我ながら呆れました。昨日の服を着たまま寝ていたのです。

濡れたまま寝たので、服はしわだらけ。

髪は、ぐしょぐしょ。顔は、浮腫んで目は充血。女として最低でした。

 私は、急いで着替えて、階段をみんなにみられないように、

浴室に飛び込みました。シャワーを浴びて、体と髪を洗って、

温かいお湯に体ごと浸かるとどうやって、謝ろうか、そんなことばかり

考えていました。

 お風呂から上がって、洗面所で髪を乾かして、せめてクリームだけでも

と顔に塗ってから、ダイニングに行きました。

 父は黙って新聞を広げて読んでいるし、弟と彼は、朝ご飯を食べています。

「令子さん、おはようございます」

 彼は、朝からさわやかな笑顔と優しい声で、私を迎えてくれました。

「お、おはよう……」

 私は、蚊の鳴くような声で言いました。

「令子、おはようの前に、みんなに言うこと他にあるでしょ」

 母が、私の分の朝食をテーブルに置きながら言いました。

「あの、昨日は、ごめんなさい」

 私は、深々と頭を下げて言いました。

「謝るなら、父さんたちじゃなくて、光一くんのほうだろ」

 父は、新聞をガサガサと音を立てながらたたむと、テーブルにおいて、

お茶を一口飲みました。

「あの、ホントに、昨日は、ごめんなさい。それと、助けてくれて、

ありがとう」

 私は、彼のほうを向いて、頭を下げました。

「いいんですよ。令子さんが助かって、ホントによかったです」

 またしても彼は、私に優しくしてくれます。

「お腹空いたでしょ。食べちゃいなさい」

 母に言われて、温かいご飯と味噌汁、焼き鮭に卵焼きという、定番の朝ご飯をかみ締めて食べました。

私が食べているときに、彼が昨日の事を話し始めました。

彼によると、確かに歩行者側の信号は青だったこと。車は、スピードの

出しすぎでブレーキが間に合わなかったこと。

事故もなく、交差点を少し過ぎたところで急停車して、運転手にも

怪我はなかった。

 肝心の私は、車のライトに目が眩んで、酔っていたせいもあり、

その場に立ち竦んでいたこと。

そして、崩れるように道路の真ん中に倒れこんだこと。

そこに、心配して迎えにきた彼に発見されて

私を抱き上げ、助けたこと。これが、真相でした。

 私は、そのまま気を失って、彼に抱かれたまま自宅に帰ったと

いうことでした。それからのことは、薄ぼんやりでも、記憶が蘇ってきました。

「まったく、姉ちゃんも心配かけんなよな」

 弟が、ポツリと言いました。

「母さんなんて、死んだとおもって、大変だったんだぞ」

「えっ、そうなの?」

 私は、食事をしている母を見ました。

「当たり前じゃない。グッタリしたあんたを抱えて帰ってきた光ちゃんを

見て、腰が抜けたわよ」

「ごめん……」

 私は、また、俯きます。

「飲むのはかまわんが、飲みすぎには注意しなさい。体のことをもっと

大事にするように」

「ハイ」

 私は、父に言われて、素直に言いました。

「そうそう、アンタは今日休みでしょ。だったら、光ちゃんの服とか

日用品の買い物に付き合って上げなさい」

「えっ、私が……」

「他に誰がいるのよ。お父さんは、土曜日でもお仕事だし、裕司は大学でしょ。母さんは、教室があるから」

「そうだな。ついでに、昨日、助けてもらったお詫びに、昼飯でも

ご馳走してやりなさい」

 父までがそう言いました。

「私が、その……」

「アレ? 姉ちゃん、断る権利ないけど。アンだけ世話になっておいて、

付き合ってやんないんだ」

 弟までが、言い出します。

「そんなことないです。ちゃんとお世話します」

 私は、そういって、彼を見ると、うれしそうに笑っていました。

「令子さん、よろしくお願いします」

 彼は、明るく言って、しっかりお辞儀をしました。

そんなことしないで。私のほうこそ、世話になりっ放しだし、

お礼を言うのはこっちだし……

「よし、それじゃ、父さんは仕事の時間だから、後は頼んだぞ」

「俺も学校行かなきゃ」

 父と弟は、席を立つと、母は後片付けを始めます。

「アンタも、早く着替えてらっしゃい。光ちゃんを待たせちゃダメよ」

 母に言われて、私は、自分の部屋に戻ると、クローゼットから服を

いくつも出してどれを着て行こうか、鏡の前で自分と相談しました。

「これでいいか」

 私は、Tシャツにカーディガンを羽織って、ジーパンを履いて、部屋を出ます。

すると、学校に行く弟が部屋から出てきて、こう言ったのです。

「なにそれ?」

「なにって、どっかおかしい?」

「おかしいに決まってるじゃん。初めての兄貴とデートだろ。

ジーパンなんてありえないでしょ」

「えっ、デ、デ、デート……」

「まったく、姉ちゃんは、鈍いんだから。それじゃ、母さんと兄貴で

買い物に行ってもいいのかよ?」

「それは、ダメ」

「だったら、もうちょっと、女らしく、デート的な雰囲気の服を着ていけよ。

兄貴に恥をかかせんなよな」

 そういって、弟は、階段を駆け下りると玄関を勢いよく開けて、

出て行きました。そうか。これは、デートだったのか。

しかも、二人きりで出かけるのは、これが初めてかも。

それなら、弟の言うように、もっとおしゃれな服を着ていこう。

 私は、そう思って、部屋に戻ると、もう一度クローゼットの中から

服を引っ張り出しました。

だけど、そこで、現実を思い知ることになります。

「私、おしゃれな服って、持ってない……」

 彼氏いない歴5年の私は、男性とデートなど一度もしたことがない。

なので、おしゃれな女の子らしい服を買ったことがない。なので持ってない。

それじゃ、何を着ていけばいいのか、正直言って、わからなくなりました。

「令子、なにしてん。早くしなさい」

 階段の下から母の声が聞こえます。

そうは言っても、どれを着ていけばいいのか、検討もつきません。

女子力がまったくない自分に、我ながら呆れました。

「まったく、いつまでも光ちゃんを待たせないの」

 なかなか降りてこない私を待ちきれなくて、母が部屋に入ってきました。

「なにを散らかしてるの?」

 散乱している服を見て、母が目を見開いて驚いています。

「どうしよう。着て行く服がないよ」

「まったく、アンタって子は…… ホントにしょうがないわね」

 母は、呆れながらも床に散らばった服を整理しながら、選んでくれました。

「これとこれ。上着は、これでいいんじゃない。スカートは、これで

いいでしょ」

 こんなときに頼りになるのは、やっぱり母親です。

言うとおりに着替え直して鏡を見ると、少しはましになりました。

 クリーム色の膝下までのスカート。ピンクのTシャツ、白いブラウス。

薄手のカーディガン。

「お母さん、ありがとう」

 私は、母にそういって、部屋を出て行こうとすると、母が止めました。

「ちょっと待ちなさい。その顔で行く気? 少しは化粧をしなさい。アンタも

大人なんだから」

 母は、そういって、机に置いたままのポーチを開けます。

「アンタ、これしかないの? お母さんでも、もっと持ってるわよ。化粧道具の

一つも満足にないなんて」

 母は、大きく諦めたため息をもらすと、私の顔をグイッと両手で挟みます。

「光ちゃん。悪いけど、もうちょっと待ってて。あんたも、ちょっと

待ってなさい」

 そういうと、母は、急いで階段を下りながら言いました。

すぐに戻ってきた母の手には、かなり大きめの化粧ポーチがありました。

「母さんの貸してあげるから、こっち向きなさい」

 私は、言われるとおり顔を母に向けると、母が私の顔に化粧を

施してくれました。ファンデーションを塗って、軽く頬紅をはたいて、

アイシャドーまで入れてくれました。

そして、いろいろある中から、薄いピンクの口紅を塗ってくれました。

さらに、耳には、イヤリングをつけてくれます。

「今時の若い子は、ネイルだなんだやってるのに、アンタの指はちっとも

若くないわね」

 母は、そう言いながら、透明のマニキュアを塗ってくれました。

私は、仕事に追われて、彼氏を作る暇もありません。

なので、ファッションにも感心がありませんでした。

「これでいいでしょ。少しは、肌の手入れもしなさいよ。

ハイ、いってらっしゃい」

 そういって、私を送り出してくれました。

肩から提げるポーチまで貸してくれて、仲には、ハンカチとティッシュ、

携帯電話とお財布など入れてくれました。

「それから、これは、光ちゃんの服とか日用品を書いたメモよ。

母さんのカードで買いなさい」

「あ、ありがとう」

 私は、母のカードを両手で受け取りました。

「それから、これはお小遣い。アンタも少しは、女らしい服の

一着くらい買ってきなさい」

「お母さん、ありがとう」

「無駄遣いしないようにね。お昼は、アンタのお金でご馳走してあげるのよ」

「ハイ、わかりました」

 私は、もう一度、鏡で自分の姿を確認してから、階段を下りました。

「お待たせ。それじゃ、行きましょうか」

 私は、勤めて明るく彼に言いました。

「れ、令子さん……」

「えっ? どうしたの。なんかヘン……」

「きれいです。とっても、きれいです」

 彼は、キラキラ輝く目で、私を見て言いました。

今、なんて言ったの? 私の聞き間違いじゃなければ、私のことをきれいって

言ったわよね。

「すごく美人です。こんなに美しい人は、見たことありません」

 今度は、私のことを美人て言った。もしかして、それって、幻聴なのか……

「令子さん、とっても素敵です」

「ハイハイ、それはいいから、早く言ってきなさい」

 私たちは、母に追い出されるように、玄関から出て行きました。

二人で並んで歩いているときも、彼は上から私を見下ろしてばかりで、

前を見て歩いていません。

「あの、前を見て歩かないと危ないですよ」

「そうですね。すみません。つい、令子さんに見とれてしまいました」

 また、幻聴が聞こえたようです。私に見惚れる男子っているのでしょうか……

「それで、どこに行きますか?」

 彼の一言で、夢から覚めました。今日は、これから、私がリード

しなきゃいけないのです。宇宙人の彼に、この町のことなど、

いろいろ教えてあげないといけない立場です。

デートなんて浮かれている場合ではありません。

 すると、彼が不意に、私の手を握ってきたのです。

「えっ!」

 私は、ビックリして、思わず声を上げてしまいました。

そして、彼を見上げると、彼は笑顔のまま言いました。

「裕司くんが教えてくれました。好きな人と歩くときは、手を繋ぐって」

 もし、今、彼と手を繋いでいなかったら、このまま溶けて

いたかもしれません。そんな衝撃的な言葉を、こんな私に言うなんて、

夢としか思えません。

でも、彼の握る手のぬくもりが、これは、現実なんだと感じます。

「イヤですか? ぼくと手を繋ぐのは、イヤですか」

 私は、頭が千切れるくらい、左右に振って言いました。

「そんなことないよ。私もうれしいから」

「よかった」

 彼は、明るく言うと、手を繋いだままゆっくり歩き始めました。

私は、数秒前の記憶を思い起こします。好きな人と歩くときは、手を繋ぐ。

今、私は、彼と手を繋いでいます。ということは、彼は、私のことが

好きということです。

ウソッ!! こんな私を好きなんて、絶対ウソに決まってる。

昨夜は、酔っ払って、無様な姿を見せたしボサボサ頭とか、

スッピンの顔を見ているのに、熊を見て腰を抜かしておしっこを

漏らしそうになったり家族にいつも怒られてばかりの私を好きなんて、

そんなのありえるわけがない。

「あの、どこに行くんですか?」

 不意に声をかけられて、またしても、一人妄想の世界から、

現実世界に戻りました。

「えっと、駅前のショッピングセンターだよ」

「それなら、もう、着いてますけど」

 見ると、すでに駅の前まで来ていました。

私は、今までどこを見て歩いていたんだろう……

「とにかく、中に入りましょう」

 私は、極力冷静になって、彼を促しました。案内の表示をみながら、

ポーチの中からメモを出してみます。

「えーと、男性用の服売り場に行って、シャツとズボンと下着か…… 

えっ、下着?」

 私の声が裏返ったので、彼のほうがビックリしました。

「イヤ、なんでもないから。えーと、紳士服売り場は、五階ね」

 私はそういって、握ったままの手を離してエレベーターのボタンを

押しました。離しちゃまずかったかなと思って彼を見ると、

彼は、握っていたその掌を見つめていました。

 その姿を見て、私も思わず、握られていた手に視線を落としてしまいました。

五階について、まずは、服を選びます。

「どんな服が好き?」

 彼は、溢れんばかりの洋服を見渡しながら、考え込んでいます。

「ぼくには、よくわかりません。令子さんが選んでください」

 そう言われても、私は、服のセンスはまったく自信がない。

まして、男性の服なんてわかるわけがない。

こんなことなら、やっぱり、母か弟でも連れて来ればよかったかもと

少し後悔しました。

「こんなのはどうですか?」

 と、彼が、手にして前に当てたのは、真っ赤なTシャツでした。

「それは、余り似合わないと思うな」

 彼は、背が高いので、正直言って、何を着ても似合うと思う。

顔だってイケメンだし、実際に、ここに来てからすれ違う女性は、みんな一度は彼に視線を送っていました。それだけ、目立つということです。

それなのに、その隣にいる私は、どんな風に見られているんだろうか。

「あのさ、店員さんに聞いてみようか」

 私がそう言うと、彼は、反対にこう言いました。

「ぼくは、令子さんに選んで欲しいです。令子さんが選んだ服が着たいです」

 ホントにこれは、現実なのか、誰かに聴いて回りたい気分になりました。

彼の一言一言が、こんなに心に突き刺さるなんて、きっと私は、宇宙一の

幸せ者に違いありません。顔がどんどん火照ってくるのがわかりました。

心臓は、彼に聞こえているかもしれないくらい大きな音を立てています。

「そ、それじゃ、こっちなんか、どうかな?」

 私は、引きつった顔で、しかも、言葉もしっかり言えていません。

「ハイ、それじゃ、これがいいです」

 彼は、またしても飛びっきりの笑顔で私に微笑みかけます。

軽い眩暈を覚えながら、足に力を入れて、倒れないように踏ん張りました。

 TシャツやYシャツなどを何着か色違いやデザイン違いで購入して、

今度は、ジーパンやスラックスなども買いました。

彼は、背が高い分、足も長いので、サイズがなくて大変でした。

 試着室で着替えた姿を見るたびに、私は、スーパーモデルを見ている

雰囲気になりました。

実際、周りにいる女性の店員たちが、私たちのほうを見ているのがわかります。

「次は、何を買うんですか?」

「えーと、次は、下着。いや、あの、その……」

「なんですか?」

「あのね。えっと、インナーって言うのかな……」

「インナーってなんですか?」

「だから、それは、みればわかるから」

 私は、冷や汗を書きながらナントカ説明して、男性の下着売り場に

向かいます。とは言っても、私は、男性用の下着なんて買ったことは

ありません。父や弟のものは、母が買ってくるし、彼氏いない歴五年の

私にとって、もっとも縁のない場所です。

 ほとんど初めて来るといってもいい売り場に着ました。

見ると、昔ながらの白いブリーフなどは、どこにもありません。

柄パンやデカパンなどもないのです。私の目の前には、女性用の下着かと

思うようなカラフルで、おしゃれなデザインの下着がずらっと並んでいました。

 これが、今時の男子の下着なのかと、感心しました。

「これなんかどうですか?」

 彼に言われて、ハッと気がつくと、手にしていたのは、黒いボクサーパンツで何か文字が書かれています。

しかも、前のあの部分が、盛り上がっていて、なんとなくエッチな

感じがしました。

「そういうんじゃなくて、もっと、普通のがいいよ」

 私は、目を逸らして言いました。

ただでさえ、心臓がドキドキしているのに、男性用に下着に囲まれて、

心ここにあらずとはこのことです。

「やっぱり、令子さんが選んでください」

「イヤ、それは、ちょっと……」

 男性の下着を女性が選ぶって、どういうことか、それくらいは私にも

わかります。高齢者や子供の下着とは、意味が違います。

「でも、ぼくには、どれを選んだらいいかわかりません」

 言われて見れば、確かにその通りです。彼は、宇宙人で、そもそも服など

着ていないのです。だからといって、裸というわけではありません。

なので、服を着るという習慣がないだけなのです。

「それじゃ、こんな感じは、どうかな?」

 私が選んだのは、いたってシンプルなデザインのグレーの

ボクサーパンツでした。

「ハイ、それでいいです」

 彼は、私を信じきっているのか、素直に返事をします。

「それじゃ、試着してきます」

 そういって、その下着を手にして、試着室を探しています。

「あの、あのね。それは、試着しなくていいの」

「でも、サイズがわからないと……」

「下着は、試着しちゃダメなの」

「さっきは、試着したけど、これはダメなんですか?」

「そうなの。だから、ここに書いてあるサイズを参考にするのよ」

 すると、彼は、下着を裏返して、何かを見ています。

私は、胸がドキドキするのを抑えられませんでした。

もし、ここに試着室があったら、彼は、何の疑いもなく下着を履くでしょう。

その姿を見せられたら、きっと卒倒して、倒れてしまうでしょう。

 結局、彼は、LLサイズのボクサーパンツを数枚購入しました。

これで、とりあえず、ホッとしました。もう一度、ポーチの中から

メモを見ます。

「次は、靴か。靴売り場は、三階ね」

 私は、彼を促すと、自然に彼が手を握ってきました。

これで二度目なので、今度は、ビックリして声を出したりはしません。

その代わりに、心臓が破裂するくらい、動いていました。

 私は、笑顔で彼を見上げると、目が合ってしまって、顔が赤くなって

きました。顔を隠したくても、片手は彼にしっかり握られているので、

隠すことは出来ません。 早く三階に着きたくて、少し早足になります。


なんとか無事に紳士靴売り場に着きました。

 下着売り場ほどではないにしても、男性用の靴売り場なんて、

来たことがありません。でも、靴なら、私でも何とかなりそうでした。

「どんなのがいいかな?」

 と、私が言っても、彼は、また同じことを言います。

「令子さんが選んだのを履きます」

 さすがに三度目になれば、気持ちも落ち着いてきます。

私は、青と黒のスニーカーと、カジュアルな革靴に、普段用のサンダルも

買いました。

「後は、日用品ね」

 私は、そう言って、今度は、一階に戻ります。

「令子さん、お腹は空きませんか?」

 私は、ハッとして、時計を見ると、すっかりお昼を過ぎています。

自分が夢中になりすぎて、周りが見えていなかったのです。

「ごめんなさい。それじゃ、休憩しながら、お昼ご飯でも食べましょう」

 私は、思い直して、屋上のレストランコーナーに行きました。

「どれが食べたい? どれもおいしそうだけど」

「玲子さんは、どれがいいですか?」

「そうね。久しぶりに、中華とか、イタリアンもいいかな」

「これは、なんですか?」

 彼が指したのは、お好み焼きでした。

「それもいいわね。食べたことないでしょ」

「ハイ、ありません」

「それじゃ、お好み焼きを食べましょう」

 私は、そういって、そのお店に入りました。

もちろん、彼は、初めてなので、私が上手に焼いてあげます。

少しは、料理が出来るのを見てもらわないと、女子力が下がる一方です。

もっとも、お好み焼きが、料理のうちにはいるかといえば、疑問だけど。

「この鉄板で焼くのよ。熱いから、触っちゃダメよ」

 私は、偉そうに説明しています。こんなのドヤ顔で説明されても、

迷惑なはずです。それでも彼は、真剣に私の説明を聞いていました。

 お好み焼きの具材が入ったカップが運ばれてきました。

私は、いちいち説明しながら焼いていきます。

「まずは、油を引いて。これをよくかき回して」

 私がやるのを見ながら、彼は真似してカップをかき回しています。

そして、大きな鉄板の上に、具材を流して焼きます。

「すごい音ですね」

「少し待つのよ。焼けてから、ひっくり返すのよ」

 彼は、初めて見るお好み焼きに、興味津々と言う感じでした。

「もういいかな」

 私は、こてで軽く焼き加減を確認してから、思い切り小手を差し込んで、

勢いよく裏返します。ジューっと、焼けるおいしそうな音がしました。

彼は、子供のように、目をキラキラしてお好み焼きが焼けるのを見ています。

そんな純粋な彼を見ているだけど、飲んだくれて迷惑かけた私の心が

洗われていくようでした。

 そして、ソースを塗って、青海苔にマヨネーズをかけて、小手で

切り分けて出来上がりです。

ソースの香ばしいにおいが、刺激的で、とてもおいしそうです。

「さあ、召し上がれ」

 私は、彼のお皿に取り分けてあげました。

「とてもおいしそうですね」

「熱いから、気をつけてね。あなたは、熱いの苦手でしょ」

「大丈夫です。別に、体が溶けるわけじゃありませんから」

 確かに、噴火した溶岩から町を守るために、体を溶かしただけに、

説得力があります。

「アチチ…… ハフハフ」

 彼は、それでもおいしそうに食べてました。

私は、その様子を見ているだけで、心が癒されました。

「とても、とてもおいしいです。お好み焼きは、令子さんの次に

好きになりました」

 思わず、食べかけた箸が止まりました。

私の次にってことは、私が一番てこと……

でも、私の次がお好み焼きってのは、どうなのか……

 ちょっと複雑な気持ちにはなったけど、彼のうれしそうな顔を見ていると、

そんなことは、どうでもよくなっていきます。

 結局、お好み焼きを三枚も食べて、すっかり満腹になりました。

会計を済ませて、お店の外に出ると、彼が荷物を持って待っています。

「ご馳走様でした。とてもおいしかったです」

「ちょっと食べ過ぎちゃったかしら?」

「大丈夫です。おいしかったから」

 彼は、そういって、笑いました。

その後、彼専用のコップや箸、歯ブラシ、靴下などなど、購入しました。

  

 彼のものばかりをたくさん買ったので、荷物が多くなりました。

それでも、彼は、嫌な顔をしないで、持ってくれました。

「次は、何を買いますか?」

 彼が言うので、ポーチの中のメモを確認します。

「そうか、私の服か……」

 母からもらったお金で、少しはおしゃれな服を買ってこないといけません。

とは言っても、すでに買った物で手が一杯です。

私の服は、また、次にしようと思っていると、聞き覚えのある声がしました。

「やっぱり、まだいた。こんなこったろうと思ったよ」

 そこにいたのは、弟でした。

「何で、アンタがいるのよ」

「母さんが、心配して様子を見て来いって、メールしてきたの。

思ったとおりだったね」

 母は、どこまでも私のことをお見通しのようです。

「んで、何を買ったの?」

 弟は、彼の手から荷物をいちいち見て行きます。

「まあ、いいんじゃない。それじゃ、これは、俺がウチまで運んでやるから、

後は二人で楽しんでね」

 そういうと、弟は、荷物を両手一杯に持って、行ってしまいました。

私も彼も呆気に取られて、後を追うことも出来ませんでした。

「あの、いいんですか……」

「いいんじゃない。荷物がなくて楽になったし」

 私は、明るく言いました。でも、弟には、感謝しました。

「今度は、私の服を買うから、あなたが撰んでくれる?」

「ぼくがですか?」

「そうよ。さっきは、あなたの服を私が撰んだんだから、今度は、あなたが

撰んでね」

 私は、今日一番の笑顔で言いました。

「ハイ、任せてください」

 彼は、胸を張って、そういったのです。とは言うものの、彼は宇宙人なので、果たして服のセンスはあるのか

限りなく不安になりました。しかも、女性用なので、どんな服を撰ぶのか、

心配でした。婦人服売り場に着くと、まずは、目に付くのは、

スカートやブラウスなどです。

「地球の女性は、こんな服を着るんですね。だけど、どれもきれいですね」

 彼は、感心しきっていました。

「でも、どれを着ても、令子さんには似合うと思います」

 またしても、彼は、私を褒めてくれます。こうなったら、何でも彼が

選んだ物を着てあげようと固く心に誓いました。単純だなと自分でも思うけど、心に素直になるほうがいいと思います。

 彼は、いろいろと売り場を見て歩き、真面目な顔で撰んでいました。

実際、彼がどんな服を撰ぶのか、楽しみでもありました。

 そして、彼が選んだのは、今流行のフレアスカートにベージュのパンツ。

可愛らしいシャツにひだの着いた短めのジャケット、ハーフサイズのコートなど

以外にまともな服のセンスをしていて、安心しました。

 私は、どれも素敵なので、うれしくなって自然に顔がほころびました。

その後、会計を済ませると、買ったものを持ってくれました。 

「それは、自分のものだから、私が持ちますよ」

「ダメです。それは、ぼくの役目です」

 彼は、きっぱり言いました。

でも、両手に荷物を持っていると、手を繋げないことに、少し残念そうでした。

私は、思い切って、手ではなく、腕を組んであげました。

「令子さん…… ぼくは、とてもうれしいです」

 彼は、すごく喜んで私を笑いかけました。

「どういたしまして」

 私も笑顔で返します。

ホントは、どこかでお茶を飲んで休憩してから帰ろうと思ったけど、

せっかく組んだ腕を離すのが惜しくなって、そのままウチまで帰ることに

しました。でも、なるべくこの腕を離したくないのでも、

ゆっくり帰ることにしました。

 歩きながらも彼は、いろいろ話をしてくれました。

「今日は、うれしいことばかりで、楽しい一日です」

「私もよ」

「令子さん、ぼくは、あなたが好きです」

 えっ…… えーっ! 今なんて言ったの? 聞き間違いじゃなければ、

わたしのことを好きって言ったわよね。

しかも、今。歩いているときに。もしかしたら、夢かとおもって、

もう一度聞きたくなりました。

「令子さんは、ぼくのことをどう思いますか?」

「えっ、イヤ、あの……」

「やっぱり、ぼくは、嫌いですか?」

「イヤイヤ、そんなことないです。私も好きですよ」

「ホントですか?」

「でもさ、今、言わなくてもいいんじゃない。みんな見てるし……」

 周りには、すれ違う人がこっちを見ています。少し冷静にならないと

いけません。でも、これが、落ち着いていられる場合ですか。

たった今、告白されたのに、落ち着いていられますか。

彼は、ゆっくり歩きながら、言いました。

「迷惑だったら、ごめんなさい」

「そんなことないから。全然、迷惑じゃないから」

 私は、慌てて否定しました。でも、ちゃんと伝える前に、

自宅についてしまったのです。

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