第3話 彼は、正義の味方?

 彼は、地面に降り立つと、私を優しく降ろしてくれました。

私は、地面に自分の足で立つと、今までふわふわしていた感じから、

力が入らず、体がふらつきました。

「大丈夫ですか?」

 彼は、そう言って、私を支えるようにして、空いていたベンチに

座らせてくれました。

私が顔を上げると、そこには、能面のような銀色の顔ではなく、

元の彼の優しそうな顔が目に入りました。

「あの……」

 私が何か言いかけると、彼は横に座って言いました。

「ハイ、人間の姿になりました」

 もちろん、私には、いつ戻ったのか、気がつきません。

今まで空を飛んでいたので、ぐしゃぐしゃになった髪を直しながら、

周りを見ると遊んでいる子供たちが目に入りました。

「落ち着いたら、あなたのうちに行きましょう」

 そういうと、彼は、はしゃいでいる子供たちを微笑みながら見ていました。

私は、そんな彼の横顔を見ながら、子供が好きなのかなと思いました。

 でも、今は、そのことを考えている場合ではありません。

宇宙人である彼を、どうやって家族に紹介するかです。

私は、一呼吸すると、立ち上がって、言いました。

「行きましょう。私のウチに」

「ハイ」

 彼も元気よくそう言って、歩く私の後ろについてきました。

我が家は、公園から歩いて二分とかかりません。

 公園を抜けるとすぐに家が見えてきます。

「あなたも見覚えあるでしょ」

 私は、彼を見上げて言いました。よく見ると、彼は、すごく背が高く、

私でも見上げるほどです。

私の身長が百七十センチあるので、女子の中でも高い方です。

学生時代は、バスケットボールをやっていて、それなりに活躍できたのは、

この身長のおかげでした。

 そんな私より、高い彼は、きっと百八十センチ以上はあるでしょう。

昼間の明るいときに、並んで歩いたのは、初めてなので、

少しドキッとしました。

「いつも夜だったので、よく覚えていません」

 彼は、困ったような顔で言いました。

「しょうがないわよ。暗かったし、あなたも疲れていたんだもん」

 私は、そう言って、彼を慰めたつもりでした。

「ハイ、着きました。どう、私のウチは?」

 まるで、自分が立てたかのように、自慢の我が家を紹介しました。

「素敵な家ですね。あなたの家族の皆さんの暖かい気持ちが伝わります」

「アラ、やだ…… そんなんじゃないんだけど」

 まさか、そんな褒め方をされるとは思わなかったので、照れてしまいます。

「ただいま」

 私は、玄関の戸を開けて、声をかけました。

「アラ、早かったわね。会社の皆さんと、ピクニックに行ったんじゃないの?」

 母がそう言って、出迎えてくれました。

「あぁ…… それは、ちょっと、いろいろあって」

「まぁ、いいけど、そちらは、どなたなの?」

 私の後ろに立っている、背の高い彼を見て、母は言いました。

「お父さんと裕司もいる?」

「いるわよ」

「それじゃ、みんなに紹介するわ。あの時の彼よ」

 私は、それこそ、一番のドヤ顔で彼を紹介しました。


 ダイニングに入ると、父と弟がテレビを見ていました。

「アレ? もう帰ってきたの。早かったじゃん」

 弟が私をみて言いました。でも、私は、その弟の言葉を無視して

こう言いました。

「紹介するわね。あの時の彼よ」

 私は、彼をグッと前に出しました。

「えっ!」

「えーっ……」

 父と弟が同時に驚きました。

「初めまして。その節は、皆さんには、大変お世話になりました。

ありがとうございました」

 そういって、彼は、ぺこりと頭を下げました。

「あ、いや、その…… 立っているのもなんだから、そこに座ったらどうだね」

 父も突然のことに、困惑していました。それでも、彼に座るように

言うのだからやはり年の功です。

「すみません。失礼します」

 そう言って、椅子に座りました。私は、当然のように、彼の隣に座ります。

父も体を向き直して、彼の正面に座ります。弟が父の隣に座ろうとすると

こう言いました。

「そこは、母さんが座るんだから、お前はそこで立ってろ」

「えーっ、そりゃないよ」

 弟はそう言うと、自分の部屋から机にある椅子を持ってきて、空いている席に勝手に座りました。

「母さん、お客さんなんだから、お茶くらい出しなさい」

「ハイハイ、すぐに用意しますから、ちょっと待っていてくださいね」

 母は、そう言って、お茶の用意をします。その間、なんとなく沈黙の

空気に覆われて何からどう話したらいいのか、私にもわかりませんでした。

すると、父が一つ咳払いすると、話のきっかけを作ります。

「まず、体は大丈夫なのかね?」

「ハイ、皆さんのおかげで、よくなりました」

 と、彼が言いました。

「それで、ウチの令子とは、どこで会ったのかね?」

 その言葉に、私から話をはじめることにしました。

「ピクニックに行った時、山で見かけて、ウチまで連れてきたの」

「この人も、ピクニックしてたの?」

 弟が口を挟みます。

「してるわけないでしょ。そうじゃなくて…… えーと、何してたんだっけ?」

 私も、彼がアソコで何をしていたのか、聞くのを忘れていました。

「ハイ、おいしいお茶ですよ。召し上がれ」

 母は、そう言って、彼の前にお茶を出しました。

「あのさ、お母さん。たぶん、この人には、お茶より水のがいいと思う」

「何を言ってるのよアンタは、お客様に水を出すなんて……」

「いえ、ぼくは、水のがいいんです」

「なんで? お茶嫌いなの?」

「熱いのは、苦手で……」

 彼は、申し訳なさそうに言いました。

「あの時に飲ませてくれた水が、とてもおいしくて」

 母は、それならと冷蔵庫から、あの時に出した、水のペットボトルを

出します。

「これね」

「ハイ、これです」

 これは、それを受け取ると、早速、おいしそうに飲み始めました。

「お水をそんなにおいしそうに飲む人は、初めて見たわ」

 母は、そんな彼を見て、感心してました。

「それより、キミの事が聞きたいんだが」

 父が話を戻します。私は、どこから説明したらいいのか、

必死で考えていました。もちろん、すでに手遅れには違いないけど……

 すると、彼が口を開きました。

「黙って出て行って、すみませんでした」

「それはもういいんだ。どうやって、出て行ったのか聞いてるんだ」

 彼は、少し考えてから、思い切った口調で言いました。

「体を溶かして、ドアの隙間から出て行きました」

「ハァ? アンタ、なに言ってんの」

 すかさず弟が突っ込みを入れます。

「そうですよね。やはり、信用してはくれませんよね」

 彼は、少し淋しそうな顔をして言いました。

「冗談も休み休み言いなさい。こんなときに、ウソは関心せんね。

私は、別に怒ってるわけではない」

 父は、そう言って腕を組みました。でも、顔は、まったく笑っていません。

「あのね、お父さん。お母さんも裕司も、ビックリしないでね。

この人、宇宙人なの」

「何を言ってんの。姉ちゃんまで、ふざけんなよ」

「お前は、自分で何を言ってるのか、わかっているのか」

 思い切った私の言葉に、父と弟が笑ったり、怒ったりしています。

当然の反応だと思います。その間、彼も驚いたように、私のほうを見ています。

「大丈夫。今度は、私があなたを守るから」

 私は、彼にそう言って、今日の出来事を話しました。

ピクニックに行ったときに、偶然彼を見かけたこと、熊に襲われそうに

なったときに、助けてくれたこと宇宙人だと告白されて、空を飛んで

帰ってきたこと、私は、必死にみんなを説得するように熱く語りました。

 父も母も、口をポカンと開けたまま、私の話を聞いています。

弟も口を挟む隙もない感じで、黙ったまま彼を見ていました。

「だから、信じられないと思うけど、ホントなのよ」

 私は、最後に強い口調で言いました。興奮していたのか、

息が切れそうでした。

「信じられんなぁ……」

「私も、そんなの信じられないわ」

 父と母は、そう言って、唸ってしまいました。

「だったら、証拠を見せろよ。自分が宇宙人だっていう、証拠だよ」

 弟は、彼に向かって、言いました。

「そうよ。見せて上げてよ。あの時のあなたのホントの姿を」

 私は、彼に言いました。しかし、彼は、首を横に振ります。

「どうして? 私には、見せてくれたじゃない。お父さんたちにも見せて上げてよ」

「あの時は、それしか方法がなかったんです」

「でも、変身しないと、お父さんたちは、信用しないよ」

「いや…… でも……」

「ねぇ、安心して。私を信用したように、私の家族も信用して。あなたのことは、絶対に誰にも言わない」

 私は、彼を説得するように話しかけました。

「お父さん、お母さん、裕司も、彼のことは、秘密にして。お願い」

 私は、両手を合わせて頭を下げました。

「どうする、母さん」

「どうするって言われても……」

「俺は、証拠を見なきゃ、信用しないね」

 私は、どうやって家族を説得したらいいのか、わからないままただ頭を下げるしかありませんでした。

「わかりました。お見せします。だから、泣かないで下さい」

 彼は、そう言って、頭を下げて哀願している私の体を起こすと、

頬に伝う涙を指で掬ってくれました。

私は、泣いていたのです。それなのに、私は気がつきませんでした。

なのに、彼は、それを知っていたのです。私は、その優しさにまた、

泣きそうになりました。

 彼は、椅子から立ち上がり、少し後ろに下がると、私に見せてくれたときの

ように、両手を顔の前にかざし、ゆっくり降ろしていくと、頭からゆっくりと

変身していきました。

「うそぉ!」

「あ、あなた……」

「こ、これは……」

 家族三人は、私のときと同じように、余りに突然のことに言葉もが出ません。 

彼は、すぐにもとの人間の姿に戻ると、後ろに振り向きました。

そして、ゆっくり玄関の方に歩いて行きます。

「どこに行くの?」

 私が声をかけると彼は、小さな声で言いました。

「正体を見せるのは、違反なので、皆さんに迷惑がかかるから、出て行きます」

 そういって、玄関まで行く彼を、私は後を追って止めました。

「待ってよ。まだ、何も話をしてないじゃない。大丈夫だから。私を信用して」

「でも……」

 彼は、今にも出て行きそうです。

「待ちなさい。とにかく、こっちに座りなさい」

「そうよ。出て行くのは、いつでも出来るでしょ」

「俺は、信用したから」

 三人は、出て行こうとする彼を玄関まで追いかけてきてくれました。

「ねぇ、戻って話をしよう。みんな、わかってくれるから」

 彼は、黙って頷くと、私に手を引かれて、ダイニングに戻りました。

そして、地球人の家族四人と宇宙人一人の彼を含めた五人が、

改めて顔を合わせます。


 しばらく沈黙があると、やはり父が話のきっかけを作りました。

「まずは、キミにお礼を言わないといかんな。娘を助けてくれてありがとう」

 父は、そういって、頭を下げました。

「あなたは、娘の命の恩人なのよ。ホントにありがとうございました」

 母もそう言って、深々と頭を下げてくれました。

「ほら、アンタもお礼を言いなさい」

 母に叱れて弟も同じように言いました。

「姉ちゃんを助けてくれて、ありがとう」

 なんか照れたような感じがしたのは、若いからなのかもしれません。

「まったく、お前は、人様に迷惑ばかりかけて、彼がいなかったら、

どうなっていたと思ってるんだ」

 今度は、私が父に怒られました。

「だって、あの時は、突然だったから……」

「ホントにアンタって子は、心配ばかりかけるんだから」

 言い訳をすると、母にまで叱られました。

「とにかく、キミのおかげで、娘は助かったんだ。よかったな」

 父は、ホッとしたような顔で言いました。

「でさ、どうやって、熊を倒したの? ウルトラマンみたいに、

スペシュウム光線とかでやっつけたの」

 弟が彼に笑いながら言いました。

「そんなことはしませんよ。熊の目を見ただけです」

「それだけ?」

「ハイ、それだけです」

「宇宙人だから、もっとすごいこと出来ると思ったよ」

 弟は、彼をからかうように言いました。

「なるほど、キミが宇宙人というのは、信用しよう。だから鍵を開けずに

出て行ったのもわかった」

 父が深い息を吐くように言いました。

「しかし、何も言わずに出て行くのは、関心せんな」

「ハイ、その点は、すみませんでした」

 彼は、素直に謝りました。そして、こう続けました。

「あの時、私は、酷く疲れていました。地球に着たばかりで、

どうすることも出来なくて……」

 そこまで言うと、弟が口を挟みます。

「あのさ、順番に話してくれよ。父さんと母さんにもわかるように、

話さないと、わかんないからさ」

「それは、どういう意味だ」

「オレとか姉ちゃんみたいに、頭が柔らかくないって言ってんの」

「ちょっと裕司、あんたは、少し静かにして」

 父と母が、怒り出すより先に、私が話を遮りました。

そして、彼は、ゆっくり話し始めました。それは、私も初めて聞く話でした。


 あの夜、彼が初めてウチに来たときのことでした。

宇宙船で地球に飛来したとき、成層圏に入る直前、大気圏の熱で宇宙船の

一部が故障して地球に墜落したこと。その宇宙船が、奥多摩のどこかに

埋まっているということ。それを探しに、奥多摩に来た事も話してくれました。

 墜落の途中で、宇宙船から脱出して、無事だったが、なれない地球環境と

引力などの関係で、すっかりエネルギーを使い果たして、どこをどう歩いたのかわからないまま力尽きて、ウチの前で倒れたことも初めて聞きました。

 自分を助けてくれたウチの家族に、お礼を言わずに出て行ったのは、

自分が宇宙人だとバレたと思って、逃げ出してしまったらしいです。

そのことは、後で、後悔していることも素直に話してくれました。

 何とか、自力で宇宙船を探さないと思って、アチコチ探し回ったいたことも

知りました。

「アンタって、地球は、初めてなの?」

「ハイ、そうです」

 弟の質問に、あっさり答えました。

「でもさ、言葉も話せるし、顔も体も日本人そっくりじゃん」

「その星の文化や言語、風習は、あらかじめ勉強します。この姿は、

この星の生物をモデルにしました」

「それにしちゃ、イケメンだし、カッコいいよな」

 弟は、違うところで感心してました。

そして、二度目に我が家に来たときの話は、私自身も信じられない話でした。

 あの日の前日は、巨大な台風が東京を直撃した夜です。

その台風が突然消えたときの謎が、解けた瞬間でもあります。

 彼が地球に来た目的は、地球という星を調査することでした。

それと、もう一つは、その星に住む生物を守ることでもありました。

「それじゃ、やっぱり、宇宙人の侵略とか、怪獣から平和を守るって

ウルトラマンじゃん」

「それとは、違いますね。ぼくは、そこまでの能力はありませんよ」

 彼は、そう言って、否定すると、話を進めました。

「地球人を守ると言っても、侵略とかではなく、自然災害から守ると

いうことです」

 今の地球は、この時代になっても、人間同士の紛争が世界のどこかで

起きています。悲しいことに、人間同士で殺しあっているのです。

 しかし、それは、その星の生物の話であって、他人である彼は、

誰の味方でもなく仲裁に入ったりすることはないそうです。

虚しいけど、見ていることしか出来ないのです。

 でも、それとは関係なく、その星の生物に対する危害には全力で

立ち向かうのが彼の使命でもあるとのこと。

それが、自然災害で、特に日本という国は、台風や噴火など、最近は特に多く

そのたびに、人命が損なわれています。彼は、災害から私たちを

守ってくれたのです。

「どうやって、台風を消したの?」

 弟が興味津々で聞きました。それは、私も聞きたかったことです。

「一言で言えば、台風を食べました」

「た、食べた…… 台風を?」

 弟も私も驚きを隠せませんでした。父と母などは、もう言葉出てきません。

「食べたというか、吸い込んだというか、そんな感じです」

 彼は、なんでもないとばかりに、笑って言いました。

でも、そんな軽くいえる話ではありません。

「あんなの食えるの?」

「そうするしか方法が思いつかなかっただけです」

 彼は、あの台風を体内に吸収したのです。だから、突然、台風が

消えたのです。あの夜、テレビで見た、赤い光は、彼の目だったのかも

しれません。

 そして三度目の夜のときの話しに続きます。それは、突然噴火した火山の

ことでした。そのとき、彼は、自分の体で熱い溶岩を冷やしたのです。

だから、あの時、黒くなった溶岩から、白い湯気が上がったのです。

父が言っていた、水蒸気というのは、正解だったのです。

「火傷しないの?」

「それはしませんが、体は半分溶けちゃいました」

 彼は、あっさり言いました。そんなに笑っていえる話じゃないと思います。

だけど、そのおかげで、付近の住民に被害はほとんどありませんでした。

もし、彼がいなかったら、町全体が溶岩に飲み込まれて、どれだけの人が

死んだかわかりません。

「溶けたって、それから、どうしたの?」

「他にいくあてもなくて、気がついたら、このウチの前で倒れていたんです」

「それじゃ、熊本から歩いてきたの?」

「川に流されてきました。おかげで、このウチまでこられました」

 彼は、また、明るく笑って言いました。

そして、彼は、こうも言いました。その星の生物同士の争いには、関わらないが

まったく違う力でその星の生物に危害が及ぶときは、命をかけても守らなければならないとそのときは真面目な顔で言いました。

でも、それじゃ、ウルトラマンと変わらないじゃないかと私は、思いました。

「だから、あの時、私を熊から助けてくれたのね」

「そうです。でも、まさか、ぼくを助けてくれた人だったとは、

思わなかったけど」

 そう言って、彼は、照れたように笑いました。

「まったく、信じられない話ばかりだ。夢でも見ているのかと思う」

 父は、ため息混じりに言いました。

「しかし、これは、現実のようだからな。私も信じることにしよう」

「ありがとうございます」

 彼は、そう言って、お辞儀をしました。

「いいのよ、そんなことしなくても。あなたは、令子だけじゃなくて、

日本人を助けてくれたんだから」

 母は、そういって、彼を慰めてくれました。

「そうだな。偉そうな事を言うが、日本人を代表して、お礼申し上げる。

ありがとう」

 父は、そういって、深々と頭を下げました。

「何してんの。父さんは、総理大臣じゃないだろ。日本人を代表って、笑える」

「バカもん。誰も言わないから、せめて、父さんたちだけでも、感謝しないと、罰が当たるだろ」

「その通りよ。アンタも感謝しなさい」

 父と母に言われて、弟は、軽く頭を下げました。

「それよりさ、あんたの名前はなんていうの? ナントカ星人とか言うの」

 弟の言葉に、私はハッとしました。私も、彼の名前を聞いてない。

「名前ですか? 自分を識別するという意味の名前なら、ありません」

「ないの?」

 聞いた弟の声が裏返りました。

「それじゃ、あなたの星では、あなたのことをなんて呼んでいるの?」

「番号で呼んでます」

 母の質問に、彼はそう言いました。

「正確には、惑星調査員643号です」

 私は、耳を疑いました。今、なんていったのか、つい聞き返しました。

彼は、もう一度、同じことを言います。

私だけでなく、三人も彼の言葉に、耳がついていきませんでした。


 もう、何を聞いても驚かなくなりました。

そんな静まり返った空気を破ったのは、やはり弟でした。

「それじゃ、名前はないんだ」

「まぁ、そうですね」

 彼は、あっさりと言いました。

「あなたのお父さんとお母さんは?」

「皆さんのような、両親はいません。ぼくは、水から生まれたのです」

 母の質問に、またしても彼は、驚くことを言いました。

そんなに軽く答えるような話じゃありません。水から生まれたなんて、

想像もつきません。

「ぼくの星は、水の星です。なので、その星の住人は、みんな水というか、

水滴から生まれます」

 もはや、キャパを超えて、理解不能状態でした。

「それで、キミは、どこに住んでいるんだね」

 話を変えようと、父が彼に聞きました。それにも、彼は、あっさり

こう言ったのです。

「ありません」

「ないの? それじゃ、どこで寝てるの?」

 当たり前のことを弟が聞きます。

「どこと聞かれても、答えようがありません」

「それって、ホームレスってことじゃん」

「それは……」

 彼は、答えに詰まって、黙ってしまいました。

「ぼくは、墜落した宇宙船を探し出さないといけません」

「でも、どこに落ちたのか、わからないんでしょ」

「ハイ。でも、あなたと会ったあの山のどこかにはあるはずです」

 彼は、私を向いて言いました。

「手がかりとかあるの?」

「いえ……」

 彼は、小さな声で言うと、下を向いてしまいました。

「それでさ、その宇宙船を探し出したら、どうするの? 地球を侵略でもするの」

 弟がおもしろそうに言いました。

「そんなことはしません。まずは、星に連絡して、一度帰還します」

「そうか。宇宙船がないと、星に帰れないもんな」

「それは、困ったわね」

 弟の話に、母も同情した感じで言いました。

「よし。それなら、その宇宙船とやらが見つかるまで、ウチにいなさい」

 と、父が突然言い出したのです。

「ちょ、ちょっと待ってよ。何を言ってんのよ?」

 私が言いかけると、母がそれを遮りました。

「そうね。それがいいわね。丁度、一部屋開いているものね」

「あのね、そういう問題じゃ……」

「いいじゃん。俺は、賛成だな」

 弟まで、何を言い出すんだと、私は、開いた口が塞がりませんでした。

「令子、裕司、宇宙船を探す手伝いをしなさい」

 父は、言うに事をかいて、なんてことを言い出すのかと、開いた口が

塞がりません。

「いいね。宇宙船を探すなんて、おもしろそうじゃん。

俺、がんばって手伝うから」

 弟は、そう言うと楽しそうに笑いました。

「それなら、あなたの名前を考えないといけないわね。まさか、番号で

呼ぶわけにはいかないでしょ」

 母も、何を言ってるのか、すでにウチに住むことを前提に言い出しました。

「そうだなぁ…… 宇宙人らしい名前がいいな」

 父が本気で考え出しました。

私は、なんて能天気な家族なんだろうと、ほとほと愛想が着きました。

でも、ここは、私がしっかり言って、止めないといけません。

「ちょっと、あのね、まだ、このうちに住むなんて、彼は言ってないのよ」

 私は、早口で言いました。すると、父は、彼に向かってこう言ったのです。

「キミは、このウチに住むのは、イヤかね?」

「そういうことは…… だけど、ご迷惑ではないかと思います」

「イヤイヤ、迷惑なんてことはない。キミ一人くらい、住まわせることは、

何も問題ない」

「そうよ。ウチの娘の命の恩人なのよ。遠慮しないで、いつまでもいて

いいのよ」

「そうそう、俺も家族が増えるのは、いいと思うよ」

 私は、一気に爆発しました。

「あのさ、どこの世界に、宇宙人を下宿させるウチがあるのよ。

いい加減にしてよ」

 私は、思わず立ち上がって、強い口調で言ってしまってから、

彼を見て後悔しました。

「それじゃ、お前は、自分の命の恩人を、追い出すというのか?」

「あんたをそんな薄情な娘に育てた覚えはありませんよ」

「そうだよ。宇宙人がどうとかって、それって人種差別じゃん」

 何で、私がそんなに責められるの? 私は、当然のことを言ったのに……

だけど、確かに、私は、彼に命を助けられたのも事実です。

 それに、自分の星に帰れなくて困っている人を見捨てるなんて出来ません。

「ごめんなさい」

 私は、少し落ち着いた声で、彼に言いました。

「いいんですよ。ぼくは、地球人ではないんだから」

 彼は、そう言うと、立ち上がって、玄関に向かって歩き出しました。

「どこにいくの?」

 私が言うと、彼は、明るい声で言いました。

「宇宙船を探しにいきます。ここには、もう、きません。安心してください」

 どこまでも優しい声でした。

「待ちなさい。こんな夜に行っても、見つかるわけがないだろ。

明日になってからでも遅くないだろ」

「そうよ。せめて一晩くらい、泊まっていってもいいじゃない」

「そうだよ。てゆーかさ、そんなにウチが嫌いなの?」

 三人は、彼を追いかけて、そう言いました。

「いえ、この家は、とても温かくて、大好きです。でも……」

「ちょっと、アンタも何か言いなさいよ」

 母が一人ダイニングで座ったままの私に言いました。

私は、一人ぼっちで地球にいる、彼を追い出そうとしている、

悪い地球人でした。

「姉ちゃん。なにしてんだよ」

 弟は、私の腕を掴むと、玄関に引きずって行きます。

「あの、ごめんなさい。私は…… ホントは……」

「いいんですよ。あなたは、私にとても優しくしてくれました。

あなたのこと、忘れません」

 そういって、玄関を開ける彼に、私は、反射的にその腕を掴んでいました。

「行かないでよ。行っちゃダメ。せっかく、会えたのに。

何で、一人で行っちゃうのよ」

 私は、彼の背中に抱きついて、そう叫んでいました。

もう、私は、止まりませんでした。次から次と言葉が口から出てきました。

「私だって、あなたのこと忘れないわ。もう、忘れられないもの。

だから、ここにいて」

 私は、いつの間にか泣いていました。なぜだか、涙が止まりませんでした。

彼は、ゆっくり振り向くと、また優しい笑顔で私を見下ろすと言いました。

「わかりました。本当にいてもいいんですか?」

「当たり前でしょ。あなたは、私だけじゃないわ。地球の人たちを助けたのよ。みんなのヒーローなのよ」

 彼は、いつも変わらない笑顔でした。

「ほらほら、そんなとこでいつまでもいないで、中に上がりなさい」

 母は、そう言って、開けられた玄関の戸を閉めると、

しっかり鍵をかけました。

「姉ちゃんも、なに泣いてんだよ。みっともないなぁ」

「バカ! 泣いてないわよ」

 私は、そう言って、自分の涙を指で拭いました。

「よし、それじゃ、今日から、家族の一員になったキミに、乾杯しよう。

母さん、ビールだ、ビール」

「ハイハイ、わかってますよ」

 父は、明るく言うと、彼を部屋に戻すように促しました。

彼は、照れくさそうに席に座りました。

「乾杯の前に、キミの名前を考えなきゃな」

「それじゃさ、宇宙らしい名前がいいな」

 弟が早速調子に乗り始めました。

「銀河流星なんてどうかな?」

「マンガじゃないんだぞ。もっといいのないのか?」

「それじゃ、星空隼人とか……」

「まったく、お前は、センスがないな」

「ちょっと、人の名前を勝手に考えてないで、この人にも聞いてみなきゃ

わからないじゃない」

 なんだか、彼の名前を考えることに、三人とも楽しそうでした。

でも、彼本人は、どう思っているのだろう……

「あなたは、どんな名前がいいの?」

「そう言われても、名前というのはないので……」

 彼は、困った顔をします。そんな顔はしないで。

私は、貴方のやさしい笑顔が見たいのに……

「それなら、もっと、簡単な方がいいな」

「だったら、下の名前だけでいいじゃん」

 しばし、父と弟は、考えて込み始めます。私はといえば、この二人が

どんなことを言い出すのかヒヤヒヤでした。

すると、思いついたように、父が言いました。

「コウイチというのは、どうだ? 漢字で書くと、光に一で、光一」

「それいいね。宇宙らしいもんな。どう? 光一って……」

「ハイ、とても素敵な名前ですね。気に入りました」

 彼は、飛び切りの笑顔で言いました。

イヤ、そんな簡単に自分の名前を決めちゃっていいのか…… ダメでしょ。

「ちょ、ちょっと待ってよ。いきなり、そんなこと決めちゃっていいの? 

あなたもそれでいいの」

「ハイ、皆さんがぼくのために考えてくれた名前だから、問題ありません」

 ウチの家族も家族だけど、彼も彼だと思いました。そんな簡単なことじゃないと思うのは、私だけなのか?

それなのに、父も母も弟も、早速、光一くんと呼んで、彼も笑っていました。

「それじゃ、今日から、キミは、光一くんだ」

「ハイ。よろしくお願いします」

 あっさり承諾した彼を見て、口を挟むことも出来なくなりました。

「んでさ、光一さんて、いくつなの?」

「いくつというのは……?」

「年のこと。何歳なの。見たとこ、ウチの姉ちゃんより少し年上みたい

だけど……」

「地球人で言う、年齢ということですね。それなら、番号のとおり、643歳です」

「ハァ!」

 またしても、常識外れな一言を、さらっと言う彼に、家族一同、唖然として

顔を見合わせます。

「そんなに年を取ってるの……」

 母が驚いています。当然でしょう。私だって、初めて年齢を聞いて、

口が塞がりません。

「どう見ても、二十歳ちょっとくらいだけど……」

 弟がビックリして目を点にしていました。

「その姿と顔は、どうやったんだ? 誰かモデルでもいるのかね」

「いいえ。ぼくが地球に来た時、見た人間の姿をたくさん見て、

考えて作りました」

「それじゃ、今のキミは、まったくの想像でしかないのかね」

「そうです。おかしいですか?」

「全然、おかしくないって。むしろ、イケメンだし」

 そう言って、弟は、笑いました。

「しかしなぁ、どう見ても、二十歳は過ぎていることにしないと、

仕事を見つけるときに大変だぞ」

「それじゃ、姉ちゃんが、二十八歳だから、二十九歳ってことで

いいんじゃない」

「ちょっと、あたしを基準にしないでよ」

「それじゃ、姉ちゃんより年下のがいいの?」

「そう言う事じゃなくて……」

 なんとなく、歯切れが悪い答えになってしまいました。

「そうね。一つ年上の彼氏のが、いいんじゃないかしら」

 母もそう言って、笑っていました。

「お母さん、何を言ってるのよ」

「それじゃ、この人が…… じゃなくて、光一さんが、三十五歳とかのが

いいの?」

「それは……」

「どう見ても、三十代には見えないでしょ。むしろ、アンタより

若そうじゃない」

「もう、お母さんてば……」

 妥協するわけではないけど、自分より年下というのは、弟だけで十分です。

「それじゃ、オレより年上だから、お兄さんだよな。

これから、兄貴って呼んでもいい?」

「いいですよ」

「やった! 俺、前から兄貴が欲しかったんだ。姉ちゃんより、兄貴のが

頼りになるしさ」

「ちょっと、アンタなに言ってんのよ」

 私は、弟を睨み付けました。年上の姉をなんだと思ってるのか、

弟を引っ叩きたくなりました。

「まぁまぁ、いいじゃないか。これで、キミは、私たち家族の一員だ」

「ありがとうございます。ぼくは、皆さんに会えて、本当にうれしいです」

 彼は、そう言って、何度も頭を下げました。

「もう、他人行儀みたいなことはなしよ」

 母は、そう言って、明るく笑いました。

「これから、よろしくお願いします」

 彼は、私のほうを向いて、そう言いました。でも、私は、そんなことを

言われてもすぐには答えられませんでした。

「ほら、光一くんがそう言ってるのに、お前も挨拶くらいせんか」

「い、いえ、こちらこそ、よろしくお願いします」

 私は、父に言われて、やっと、挨拶しました。

「ところで、あなたのお名前はなんていうんですか?」

 彼が突然私に言いました。

「えっ?」

「姉ちゃん。命まで助けてもらって、いっしょに空まで飛んで、

名前言ってないの?」

「アンタって子は…… ホントに、もう、アンタも社会人の大人なのに、

何をやってんのよ」

「こら、ちゃんと、自分の名前くらい言わんか。それと、助けてもらった

御礼はしたのか?」

 確かに、私は、彼に自分の名前は言ってませんでした。

それは、私が悪いのは言うまでもありません。でも、言うタイミングが

なかったのも確かです。家族から叱られて、心の底から反省しました。

「あの、私は、令子と言います。名前を言わなくてごめんなさい」

「いえいえ、それは、お互い様です。令子さんですか。素敵な名前ですね」

 彼に名前を初めて呼んでもらって、顔が赤くなるのが自分でもわかりました。

しかも、素敵な名前だなんて…… そんなこと言われたのも初めてです。

「何、赤くなってんだよ」

 弟にからかわれて、私は、きっと睨み付けました。

「姉ちゃん、顔に出過ぎだって。イケメンの彼氏に名前を呼ばれたら、

照れるよなぁ」

「裕司!」

 私は、思わず立ち上がって、弟を怒鳴りつけました。

でも、弟は、ニヤニヤしているだけでした。

「二人は、とても仲がいいんですね」

 彼は、そんな私たちのやり取りを見て、微笑んでいます。

私は、思いっきり否定したかったけど、弟と彼がにこやかに笑っている姿を

見て、言う気も失せました。

「そうそう、みんなに一言言っておく」

 父は、改まった口調で言いました。

「光一くんが宇宙人であることは、絶対にないしょだ。我々家族だけの

秘密だからな。もちろん光一くんもだ」

「ハイ、わかりました」

「母さんは、隣近所にペラペラ話すなよ」

「わかってるわよ」

「特に裕司は、大学の友だちなんかにしゃべるなよ」

「ちぇっ、みんなに自慢したかったのになぁ……」

「バカもん。そんなことしたら、大変なことになるのがわからんのか」

「わかってるって。言わないよ」

「それと、令子も会社の人や友だちにも言うんじゃないぞ」

「わかってるわよ。第一、そんなこと言えるわけないじゃない」

「よし、それならいい。これは、家族全員の約束だからな」

 父は、真面目な顔をして言いました。

「母さん、何してんだ。ビールだビール」

「ハイハイ、話に夢中で忘れてました」

「オレも腹減ったよ」

「ちょっと待ってなさい。令子も座ってないで、手伝って」

 私は、赤くなったり、青くなったり、頭の中が今日一日のことと、

たった今聞いた彼の話でパンクして、オーバーヒートして頭の先から

煙が出そうでした。

「姉ちゃん、彼女らしく、いいとこ見せなきゃ、兄貴に振られるぜ」

「あんたは、黙ってなさい」

 私は、弟を叱り付けて席を立つと、母の隣に立ちました。

「あんたは、料理が下手なんだから、ビールとコップを出して、

テーブルにお皿を並べなさい」

 母に言われて私は、言われるままに動きました。

テーブルにビールを出して、コップを二つ置きました。その時、私は、

ちょっとした疑問が浮かびました。

父が、彼のグラスにビールを注いでいるのを見て、反射的に

こう言っていました。

「ちょっとストップ。あなた、お酒飲めるの?」

 すると、ビールを持った父の手が止まりました。

「光一くんは、飲めないのかね?」

「いえ、そうじゃありません。ビールという飲み物を知らないだけです」

「キミの星では、こういう飲み物はないのかね?」

「ハイ、飲み物も食べ物も水しかありません」

「それじゃ、お酒なんか飲んで大丈夫なの? 酔っ払ったりしないの?」

「さぁ、飲んだことないから、わかりません」

「だったら、ちょっと飲んでみなさい」

「それじゃ、いただきます」

「やめたほうがいいんじゃない? 酔って、暴れたりしたら大変よ」

 私は、そういって飲むのを止めました。でも、彼は、注がれたビールを

少し眺めると、一気に飲み干しました。

「どう?」

 家族全員の視線が彼に集まります。

「おいしい飲み物ですね。なんか、喉がシュワシュワします」

 彼は、そう言って、笑っていました。

「そうか。光一くんは、イケる口だね。遠慮しないで、飲みなさい」

 そう言うと、父と彼は、ビールを楽しそうに飲み始めました。

「無理しないでね。飲みすぎると、明日が大変だから」

「ハイ、わかりました」

 彼は、私の注意に素直に応じました。

その間に母の料理がテーブル一杯に並びました。

「さぁ、遠慮なく食べてね。あなたの口に合わないかも知れないけど、

たくさん食べてね」

「ハイ、いただきます。だけど、これは、なんていう食べ物ですか?」

 彼は、地球の食べ物は見たことがありません。水しか知らないのです。

水以外の物を食べたり飲んだりして、大丈夫なのか、心配でした。

「これは、から揚げって言うのよ。おいしいから食べてみて」

「では、いただきます」

 そういうと、彼は、手でから揚げを掴もうとしました。

「待って! 手じゃ熱いから、火傷しちゃうわよ。箸を使って、食べるのよ」

 私は、そう言って、自分の箸を見せて、から揚げをはさんで一口食べて

見せます。

「なるほど。やってみます」

 彼は、私の箸の使い方を真似して指で摘んで見せます。

「難しいですね。地球人は、手先が器用とは聞いていたけど、

令子さんは特に器用なんですね」

 彼は、難しいながらも、から揚げを摘んで一口食べました。

私は、彼に箸の使い方で褒められて、一瞬にして体が熱くなりました。

根が単純なのです。

「おいしい! 初めて食べました。水しか知らなかったので、これは、本当に

おいしい食べ物です」

 彼は、そう言うと、不器用ながらも箸を使って、から揚げを一つ、

二つと食べ始めます。

「アラ、うれしいわ。こっちも食べてみて。これは、肉じゃがって言うのよ」

「ハイ、いただきます」

 彼に褒められて、母もうれしそうでした。

「これは、なかなか掴めないですね」

 彼は、大きなジャガイモを掴もうと苦戦してます。

「そういう時は、こうするの」

 弟は、そういうと、箸でジャガイモをさして、自分の皿に置いて

そのまま齧りました。

「こら、行儀が悪いぞ」

 父に叱られても、笑っている弟でした。

彼は、弟の食べ方を見て、同じようにします。

「これは、温かくて柔らかくて、優しい味ですね」

 母は、ますますうれしそうに喜んでいます。

それからというもの、他にもサラダや冷奴などをテーブルにこれでもかと

いうくらい並べます。彼は、言われるままに、いろいろと食べていました。

 その間にも、父に進められて、ビールを飲んでいます。

「令子さんは、毎日、こんなにおいしい食事を食べているんですね。

素敵な家族に囲まれて、ぼくは、羨ましいです」

 私だけでなく、他の家族も、彼の言葉に、うれしそうに笑っていました。

しかも、素敵な家族だなんて、そんなこと言われたのも生まれて初めてなので、なんだか照れくさい感じがしました。

「お母さんは、とても料理が上手なんですね」

「それほどでもないわよ。でも、光一さんにそう言ってくれると、

とってもうれしいわ」

 母もまんざらではない様子です。

「兄貴ばっかりじゃなくて、オレにもメシをくれよ」

 弟は、彼の食べる勢いに押されて、抗議します。

「ハイハイ、アンタもたまには、母さんの作ったものを、おいしいって

言ってみたら」

 母は、そう言いながら、ご飯と味噌汁を弟に作ります。

「それは、なんですか?」

「そうか、兄貴は、ご飯を食べるの初めてなんだよな。

よし、俺が教えてやるよ」

「こら、何を偉そうにしてんだ。そういうことは、令子に任せておきなさい」

「えっ…… あたし?」

 驚いている私に母が優しく言いました。

「当たり前じゃない。あんたが教えてあげなくて、誰が教えるのよ。

あなたの彼氏でしょ」

「イヤ、まだ、彼氏とかじゃないし……」

 すでに母親公認にされている彼を横目で見ながら、それでも悪い気持ちに

はなりませんでした。

「ほら、あんたも食べなさい。今夜は、お酒はダメよ」

 母は、そういって、私の前にも、ご飯と味噌汁を置いてくれました。

「これは、日本人の主食で、ご飯ていうの。今食べてるから揚げとか、

おかずといっしょに食べるのよ」

 私は、そういって、ご飯を箸で少し救って口に入れます。

そして、から揚げを少し齧って見せます。

彼は、私が食べているのを見ながら、真似していました。

「これは、とてもおいしいですね。白いご飯だけでも、甘くていくらでも食べられます」

「それはよかったわ。おかわりしてね」

 母は、うれしそうに笑ってます。私がこんなに楽しそうにしている母を

見たのは、久しぶりかもしれません。

「味噌汁は、飲めるかしら? 熱いからゆっくりね。無理しなくていいから」

 私は、味噌汁の入ったお椀を手にして、息を吹きかけて冷ましてから、

一口飲んでみせます。

「これは、熱いですね。地球には、熱い水があると聞いていたけど、

ビックリです。でも、おいしいです」

 彼は、息をフーフーしながら、少しずつ啜っていました。

そんな彼を父は、とてもゆったりしながら見ていました。

その点、弟は、ガツガツとご飯をかき込みながら、味噌汁をズズっと

啜ってます。

「ちょっと、裕司ったら。もう少し、静かに食べなさいよ。

光一さんが真似したらどうするのよ」

 私は、そういって、弟に注意してから、彼を初めて名前で呼んだことに

気がつきました。

「初めて、ぼくを呼んでくれましたね。もう一度、呼んでくれますか?」

「えっ…… あっ、イヤ、その……」

 私は、顔から火が出るくらい、真っ赤になりました。

「兄貴、姉ちゃんて、恥ずかしがり屋だから、照れてんだよ」

 私は、そんな弟の方を向いて、目で睨み付けてやりました。

でも、その顔がとても火照っているのことに気がついて、慌てて下を

向きました。

 その後も楽しい夕食の時間が続きました。こんなに賑やかなのは、

久しぶりだったと思います。

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