異世界転移少女の看護日記
ひぐらし ちまよったか
第1話
異世界転移者の少女。この不思議な世界へやってきてから、一年と少し。現在は王立治療院で働いている。
院長は高位の治療師で、薬師のエルフ女性。やさしい。
王国は永らく平和が続き、穏やかな国土は実り豊かだ。多くの国民から敬愛されている国王は、見事な統治をしている。
第一王子と、お目付け役兼、護衛隊長の老騎士。
王子は典型的なキラキラ王子。素直で、やさしい性格をしている。
二人は年齢を越えた、深い友情と信頼で結ばれていた。
近郊の村へ、魔獣退治に出掛けていた王子と護衛隊。
王子の危機にその身を挺して救った隊長だったが、深手を負ってしまい、危険な状態で治療院に運ばれて来た。
普通の治療では効果がないほどの重傷であったため、王子は自前の『ハイポーション』を使用する事を決断する。
そのポーションは隊長の孫娘で、王子の婚約者でもあるお姫様が遠い異国へ出向き、購入してきた貴重品だった。
ポーションの使用を、痛みに苦しみながらも頑として断る隊長を、諌め制して、治療を強行する王子。
慎重に運ばれてきたポーションは半球状の白い器に収めてある。
鮮やかで太い帯状のアクセントが、器の側面に赤々と、ぐるり描かれていた。
――どこかで見たような……?
ゆらりと湯気を立ち上がらせる器の中身は……。
かぐわしい香りを放つ褐色の薬湯。
ふっくらとしたキツネ色の四角い物体。
ひも状の物には、つるりとした光沢がある。
綿毛のような、謎の黄色い玉。
半月の形に薄くスライスされた、緋色の皮を持つ不思議な材料……。
この世界では見た事の無いものばかりであったが、少女は知っていた。
――『赤いきつね』じゃん!
この世界の最高治療薬『ハイポーション』は、『赤いきつね』だった。
思わず少女は、院長に質問する。
「普通のポーションと、あまりにも違いすぎますが……ハイポーションって、いったいどんな薬品なんですか?」
「ああ、かなり特殊な薬といえる……貴重な素材をふんだんに使用して、入念に作られるものだと聞いている」
院長も少し興奮しているようだ。
「専門の薬師が、年に数える程度しか作成できない」
――きつねうどんが……。
「どこで手に入れることが出来るのでしょう?」
「西の港から外洋を二十日……神聖な島国『ニッポーヌ』で限られた業者『コンブィニ』だけが扱っている……非常に高価だ」
――お姫様、ニッポンのコンビニで買ってきたんだ……。
「さあ、王子……これを」
院長は『ハイポーション』を、丁重に差し出す。
あまりにも貴重な品なので、王子自らが投薬するらしい。
「――冷めないうちに」
「ありがとう、院長……じい、クスリが来たぞ。これを食してくれ」
「……若……申し訳なく……まことに申し訳なく……」
「いいのだ、じい……私は、じいが居ないとダメなのだよ」
「……若……」
キラキラ王子が老騎士に、少しずつ、きつねうどんを食べさせる。
じつに美しい光景だった。
隊長のケガの回復には目を見張るものがあった。
数日のうちに体力を完全に取り戻し、万全の状態で笑顔の退院を果たした……だが
――その数週間後……今度は王子が、護衛隊員たちに運ばれてきてしまった。
隊員のほとんどが傷つき、ボロボロの状態である。
魔獣の大群に遭遇してしまったらしい。
王子はすでに意識を失った危篤状態だ。
護衛隊長は大きく動揺し、
「若っ!……目を開けて下さい。若っ!」
と、半狂乱に叫んでいる。
「院長! ハイポーションを……ワシに使ったのと同じポーションを!」
「――残念ですが、王子のハイポーションは隊長に使ったものだけです……それに、今の状態の王子では、たとえハイポーションが有ったとしても……」
そう、最高治療薬『ハイポーション』にも限界がある。重度の危篤状態……今の王子のように意識すらない重症患者を救うことは出来ない。
「そんな……ただ見ているだけなのですか!?」
隊長の叫びは悲痛だ。
「姫に……顔向けが出来ん……」頭を抱えて悔しがる。
院長は無言で固くこぶしを握り、小さく震えながら俯いていた。
明るくにこやかで、イザという時に頼りになる……大好きな院長の、こんな姿を見るのはつらい。
――院長……。
少女が院長に、声をかけようかどうか迷っていた時
「院長っ!!」
治療院の若手職員が、血相を変えて飛び込んできた。
「王宮から!……国王から許可を頂きましたっ!!」
「そうか!!」
職員を見定めた院長が、顔を紅潮させながら指示を出す。
「早急に準備を! 君は急いで保管庫へ! くれぐれも慎重に運んでくるように!!」
さっきまで、あれほど気落ちしていた院長の、あまりの変化に
「院長、どういうことですか?」
「王宮が、王家の薬品庫を開けることを許可したんだ。国王が決断したんだよ!」
院長は鼻息荒く両手を広げて見せた。
「エリクサーが使える!」
神薬『エリクサー』
少女もその薬品の噂は聞いていた。
古来よりエルフ族に伝わる秘薬。
すべての状態異常を神秘の力でたちどころに治療し、完治してしまう。
まさに神の魔法薬……神薬である。
――本当に有るなんて……。
――ん?
――ハイポーションが『赤いきつね』だったし……。
少し、嫌な予感がする……。
「――お持ちしました!」
若手職員が、捧げるようにして美しい箱を運んできた。
漆塗りの、螺鈿細工で細かく装飾された二十センチ角ほどの箱だ。
横机に慎重に下ろし、銀糸で編みこまれた蓋を解く。
黒漆の造りだが、その中は、神秘の大気がひかり輝いているようだ。
いつの間にか、白革の手袋をした院長が、両手を差し入れて『エリクサー』を取り出す。
少女の不安を裏切り、それは真っ赤な宝石を削り出して作られた、手のひらに乗るほどの、美しい小瓶であった。
――よかった……普通の薬瓶だ。
「皆さん、これがわが王国の国宝、エリクサーです」
「これが伝説の……」
「なんと美しい……」
「これでもう安心だ……」
感嘆と安堵のため息が治療室にあふれる。
悲しみに歪んでいた隊長の顔にも、希望の表情が戻った。
――隊長よかったね……お孫さんと気まずくならないね。
「院長、さっそく若を治療してやって下さい!」
待ちきれない様子の隊長に
「――まぁ、少しお待ちください」
若手職員に指示を出す。
「準備は整っているな? 持って来てくれ」
「はい、院長」
ふたたび治療室を出る職員を見届け
「エリクサーは、このままでは効果を発揮しません」
と、周囲に告げる。
「ポーション成分と併せて使用することで、絶大な効能をみせるものなのです」
院長は続ける。
「――つまりエリクサーとは、治癒薬ポーションの薬効を爆発的に向上させる……ポーションのためのスキルアップポーションなのです」
「えっと……それは、つまり?」
「主役の魅力を完全に引き出す……いや、実力以上の力を共に導き出す、名わき役といったところです」
「お待たせしました」
若手がみたび、治療室に登場する。
「――ポーションをお持ちしました」
その手には……白地のどんぶりに鮮やかな緑色の太い帯が……。
――お前かーっ!?
「い、院長……あのポーションは……?」
少女が恐る恐るたずねると
「――あれも王家の薬品庫に収められていた宝物のひとつ。『ハイポーション』の効能をさらに高めた、究極の治療薬『ハイパーハイポーション』である!」
「ハイパーハイポーション!」
それは紛れもなく……。
――『緑のたぬき』……。
ポーションを受け取った院長は、治療を再開する。
「この究極の治療薬にエリクサーを合わせます。」
金銀宝石で美しく装飾された、真紅の薬瓶の蓋を取る。
「ほんの一振りでよいのです……」
神薬『エリクサー』を一振り……。
……ぱらり……
オレンジ色の粉末が治療薬に降りかかる。
――七味唐辛子っ!!
エリクサーがハイパーハイポーションと合わさった次の瞬間
湯気を燻らせ、かき揚げの香りを漂わせていたポーションは突然輝き始め、幾筋もの七色のまばゆい光線がどんぶりから飛び出した。
「う……これは」
治療室内は眼も開けられないほどの光に満たされていく。
あまりの眩しさに皆がみな、顔を手で覆っていた。
光は勢いをとどめる気配すらない。
――爆発する!
少女が悲鳴を上げようとした、その時。
「……う……」
奇跡は起きた。
重篤だった王子が、意識を取り戻したのだ。
「……こ、ここは……私はいったい……?」
どんぶり光線が徐々に収まり、そこには何と、以前と変わらないキラキラ王子が、治療台の上で目を瞬かせていた。
あれほどの重傷が跡形もなく、むしろ以前よりも輝いている感じすらある。
少女がふと周りを見渡せば、付き添っていた護衛隊の隊員たちも、ボロボロだったはずなのにキレイに回復していた。
美しいエルフの院長も、美貌が何割かアップしているように見える。
この治療室にいて、光に包まれた者たちは皆、奇跡の恩恵にあずかったらしい。
あまりの出来事に隊長は、喜ぶことも忘れて目を見張っていた。
今、王子は、検査入院をしている。すっかり完治しているらしいが、何しろ王国史上はじめて『エリクサーの奇跡』を体験してしまったのだ。しっかり検体として努めてもらおう。
そして少女は考える。
――あれは、本当に『赤いきつね』と『緑のたぬき』だったのかなぁ?
やはり、見た目が同じだけで、似て非なる、全く違う物だったのか?
それとも、少女が元いた世界の品物が、何らかの形で(少女がこの世界へ運ばれてきたように)現れたものなのだろうか?
元の世界ではただの食品だったが、この世界の住人達には、奇跡をもたらすミラクルポーションになる、ということなのか?
答えは……解からない。
確かめようのない事だった。
そのために海をこえて、遠い異国へ行く筈もない。
そもそも
――どっちも貴重品なんだよねぇ……。
そんな高価な品物、とてもじゃないが手に入るわけがなかった。
――久しぶりに……チョットだけ食べてみたかったなぁ……。
そんな感傷と共に、少女は今日も、大好きな院長の元へと小走りに駆けていった。
―― 了。
異世界転移少女の看護日記 ひぐらし ちまよったか @ZOOJON
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