第25話 青い花が広がる昔の町

 鈴の音が鳴った。


 見たところ彼女の仲間の影はない。荷物はひとり分。他に人間の匂いはしない。代わりに生臭さを嗅ぐ。


 彼女は俺と見合わせると、すぐに左側にある穴へと目をやる。

 俺もすぐにそちらに意識を向けた。生臭さもそちらから流れてくる。


 毛玉のようにフワフワな見た目の何かがいた。体の後ろ半分を這わせながら近づいてくる。何枚もの毛布をかぶった犬が、前足だけで歩いているかのようだ。

 初めて見る。トリプレッツガーデンにもこんな生き物はいなかった。


「なんだあれ?」


 彼女は目を細める。しかしそれはまだ影の中にいて、人間の目では捉えきれない。


「何がいるの?」

「毛の塊」


 見たままを伝えると、彼女は顔をひきつらせて息を呑む。


「何色かわかる?」

「多分、茶色。赤に近い色だとは思う。間違っても青じゃない」


 こいつは一体なんだ? まともな生き物じゃないことはわかる。逆に言えばそれくらいしか理解できない。

 彼女には覚えがあるようだ。緊張した面持ちから、危険性がある生き物なのかもしれない。


「知ってるなら教えてくれ。あれはなんだ?」


 彼女は杖を構える。毛の塊に杖を向けながら、荷物がある方へと摺り足をする。


「不本意だけど、手を貸してもらえない?」

「信用してくれるのは光栄だしいいけど、教えてくれ。あれはなんだ?」


 彼女は杖を降ろさずに、腰だけを落として荷物を回収していく。鞄を背負い、その鞄に地面に置いていた明りを取り付けた。

 4つの明りが取り付けられた鞄は眩しいくらいに光る。


「逃げるよ」


 彼女はやはり、それがある方へ杖を向けている。


「逃げるのはいいけど。道がわからないんじゃなかったか? 闇雲に走るつもりか?」

「戦うよりは、ずっといいでしょ」


 彼女は俺への敵意を完全に失っている。それ以上に現れた毛玉ばかりに集中していた。


「勝てない相手なのか?」

「ええ。あれは魔物よ」


 魔物か。俄然興味が湧いてきた。というのも獣と比べて強い種が多いのだ。見たところ動きは鈍いが、強さはムカデよりも上のはず。


 トリプレッツガーデンでの魔物の定義は、この世界でも通用するのだろうか。


「一応確かめたいんだけど、魔物って魔王が生み出した生き物で合ってる?」

「それ以外にある?」

「念の為ね」


 ということは、魔王も存在するようだ。トリプレッツガーデンでも登場していた。生き物を生成することに心血を注ぐ、最強と呼ばれる魔法使いのひとりだ。


 彼の目的は、新しい形を創造することで、それ以外には無頓着だった。次から次へと魔物を創造し続け、失敗作を野に放ち続けている。

 その一体がこいつというわけか。


「魔物か。その割には弱そうだけど」

「魔物の中では弱いんじゃないの? でもこの洞窟で暮らす、他の動物とは比べ物にならないくらい強い」


 その言葉は現実味を帯びて聞こえた。まるで経験したかのように。


「戦ったことがあるのか? どうだった?」

「私が仲間とはぐれた原因。あんたもやってみればわかるんじゃない?」

「まあいずれな」


 生臭さが気になって、あまり近づきたいとは思えなかった。戦ってみたい気持ちはあるし、魔物の血にも興味はあるが、この臭さはきつい。生ゴミから抽出した香水でも使ってるのではなかろうか。

 遠距離武器があるならやれた。しかし俺の武器は爪だけだ。激臭に接近する必要がある。


 隣で構えられた杖が羨ましい。それがあれば、あれに触らずに戦える。俺も魔術師を目指してみようかな。いずれは何かしらの遠距離攻撃は必須だし、魔術を求めても面白いかもしれない。


 魔物は少しずつ前進している。そろそろ彼女の目にも映る頃だろうか。それは明りの中に入り、土色の体を晒した。


「あれの名前は?」

「知らない」

「じゃあ毛玉でいいか」


 毛玉は体を縦に伸ばす。その瞬間だった。今までのっそり動いていたそれは、急に動きを速くする。まるでナメクジがバッタに化けたかのようだった。彼女を狙っていた。


 杖の先端からマナ結晶が放たれる。それは見事、毛玉の中央に命中した。

 毛玉は動きに陰りを見せたが無傷。石をえぐるマナ結晶ですら、驚かせるだけで精一杯で、まるで効いていなかった。


「あの体毛で衝撃を和らげたのか?」


 遠距離戦は不利に傾きやすいのかもしれない。近づけば毛を避けて直接肌を狙える。でもあの匂いがなぁ。


 マナ結晶で動きを止めた毛玉は、何もなかったという状況を確認すると再び動き出す。


「逃げるよ」

「おい、ちょっと」


 彼女が走り出す。俺は仕方がなく、その背中を追いかけた。毛玉も追いかけてくる。速さは拮抗していた。


「この先がどうなっているかわかるのか?」


 息を荒げる彼女は、答えを返してはくれなかった。ただひたすら走るだけ。

 彼女は自分を、俺と同じく迷子だと言っていた。つまりこの洞窟の形を知らないのだろう。


 彼女は人間だ。俺と違い暗闇に順応する目を持たない。血の匂いも感じられない。何が潜むかわからない暗闇に突き進むのは危険だ。


「俺が先導する」


 何か言われる前に、俺はさっさと前に出た。


「急に何?」

「暗くて前が見えないんだろ。だから俺が先に行くって言ってるんだ。それだけだよ。俺の足が速すぎたら言ってくれ。何なら休憩も入れるから」

「よく、走りながらそんなに喋れる」

「はっはっは! 羨ましいだろう? 吸血鬼特典だ」


 毛玉はというと、まだ追って来る。とはいえ、距離は開き始めた。

 どうやら速く動ける時間は限られているようで、毛玉は急加速と停止を繰り返していた。


 逃げていると、俺は空気の動きを感じた。湿気が少なく澄んでいる。この風には覚えがある。夜風だ。


「もしかしたら、出口見つけたかも」


 しかし俺が洞窟に入ってから移動した距離を考えると、辻褄が合わない気がする。この先はどうあっても地下ではないだろうか。もしかすると吹き抜けの穴が、上空まで続いているだけかもしれない。


「正直期待できないけど、行ってみる?」


 俺は首だけで振り向き、彼女の判断を待つ。目が合ってから5秒くらいだろうか。彼女は小さく頷いた。


「了解」


 走る目的が、逃げるから外を見るに変わった瞬間だった。




 毛玉の姿はもはやない。さっき振り向いたときにはもう見えなかった。

 疾走する意味がなくなっても足を動かし続ける。その先にあるのは夜灯。完全な暗闇の洞窟とは違い、夜とはいえ外は明るかった。あくまで比較的という話だが。


 俺と彼女はついに足を止める。そこは洞窟の出口だった。ただし俺が使った入り口とは違う。全く別の場所にある、もうひとつの穴だった。


 谷間にある小さな亀裂から、体を横にして星灯りの下を通る。ここまでくれば、あの毛玉も追ってこれないだろう。まあだいぶ前から逃げ切っていたっぽいけど。


 洞窟から外に出ると、埃を被った彼女の髪が、僅かに輝く。


「ここ、もしかして」


 眼前に広がるのは滅びた町だった。3階から4階建ての建物が並んでいる。管理する人がいなくなり、色がくすみ、壁は崩れ、草は好きに生えて荒れ放題だった。

 ひどい惨状だが、これだけはわかる。昔ここに多くの人が住んで栄えていた。

 ここ数年のことじゃない。放棄されて数百年は経っている。物の劣化に詳しいわけではないが、数年や数十年じゃここまで荒廃しないだろう。


 足元に花が咲いていた。よく見ればその花は町野いたる所に広がっている。5枚の花弁の青い花だった。

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