第23話 地底に広がる鈴の音

 白い草への興味は、ひとまず置いておくことにする。現状把握が優先だ。


 ここはどこだろう。

 わかっているのは俺は上から落ちてきたことだけ。ここと地上の位置関係も正直なところ曖昧だ。


 とりあえず立ち上がろう。砂が広がっていて足を取られたが、立つだけなら苦もなくできた。


 腰に手を当て、軽く運動をする。

 高い位置から落下したのだが、怪我どころか痛みすらない。体調は絶好調。巨大うさぎの血を残さず飲み干したのが効いているのか、ほとんどの傷が回復していた。そう回復していたのだ。


 ムカデに潰された腹もきれいになっている。服に染みた血だけが名残だ。


 スライムに食われた左腕の回復も進んでいた。失われていた肘下が、手首まで戻っている。もうしばらくすれば、手と指も取り戻せそうだ。


 嬉しい反面、心配もする。意識が飛んでいた時間はどれくらいだろう。傷の治り具合から、短時間とは思えない。

 俺が倒れていたところに触れてみる。特に暖かさは感じない。まあ吸血鬼は体温が低いし、体温の移り方で判断するのは初めから無理があった。


「考えても仕方がないか」


 水筒にある龍の血をひとくちやってから、俺は移動を開始した。すぐ横にある川を遡っていく。

 目的地は元いた場所だ。ムカデと戦っていた上の空間への道があるかはわからないが探してみよう。


 ここはゆるやかな上り坂で、道幅は広い。川のせせらぎと足音だけで静かだ。血の匂いも感じられない。


 すぐ横には川がある。顔でも洗ってみようかな。吸血鬼は水が苦手だが、手に掬うくらいなら問題はない。

 ちなみに対岸に渡るのは不可能だ。体が強張って動かなくなる。吸血鬼は流水が駄目だというが、本当だったようだ。


 川岸に座り込み、手を水底に沈める。お椀にした手に水を張り、そこに顔を浸した。まだ左手がない片手なので、目元だけで限界だった。それでも十分。冷たくて心地いい。

 手の中で水が濁りきる。川に戻すと、汚れが川下に向かって広がった。


 水気を拭き取るものはない。手は払うだけ。顔は気化を待てばいい。


 再び歩みを進めようとする。しかし足が止まった。血の匂いがしたからだ。


 これは人間か?


 川に流れてくる匂い。手や顔を洗ったか。汲んだだけか。もしかすると排泄かもしれない。……そんなので顔を洗ったのなら悲劇という他ないな。

 人の匂いがするのは確実だった。薄っすらと、本当にかすかな血の匂い。この川上にいる。


 ここにはいくつもの分かれ道があった。俺はその全てを無視して、ひたすら川に沿って進むことを決める。

 人間が洞窟で迷うリスクは、吸血鬼よりもずっと大きいはずだ。そんな人間がこの洞窟にいる。地図を持っているかもしれない。

 そういえば上で戦っていたムカデにも、人の痕跡が見られたっけ。


 ずっと川に沿って進んだ。その間は何にも襲われず平穏そのものだった。

 川も岩の隙間に消えたりせず、広い空間で流れてくれている。おかげでとても追いやすい。


 それにしてもこの洞窟の広さには驚く。進んでも進んでも、まだまだ先がある。上にも回廊が通っていると思うと果てしない。もしかすると更に下もあるかもしれない。


 進んでいくと薄っすらと明りが見えてくる。洞窟を住処としている生き物が光を必要とするとは思えないので、外からやってきた者、人だと考えて間違いないだろう。

 匂いを嗅いでみると、やはり人だ。


 ゆっくりと近づく。こちらは吸血鬼。人からすれば、巨大なムカデと同じ化け物でしかない。警戒されているだろうし、相対せば即戦闘だろう。


 時間を掛けてゆっくりと行く。匂いの数はひとつ。

 どうやら俺にとって都合がいい状態らしい。なにせ、相手はひとりなのだから。

 たったひとりで気を張り続けるのは無理だ。どこかで破綻する。必ず疲れで意識が飛ぶ時が来る。眠ったところに近づき、地図を探したい。


 まずはその人の状況を確認しよう。

 足元に気をつけ、息も止め、ジリジリ迫る。明りの強さに比例して、俺の足が遅くなっていく。


 この明りは魔術だろうか。ここは洞窟だ。焚き火は、おそらくない。小さなランタンなら可能性はありそうだが、それにしては大きな明りだ。


 ゆっくり、じっくり、慎重に進む。決して見つからないように。

 体を小さくして影に隠れ、首を伸ばして覗き込んだ。


 少し開けた場所。四方に張った筒状の明りの中心で、その人はうつらうつらと船を漕いでいた。黒く汚れた乳白色の外套で身を隠し、ぺたりと地面に座り込んでいる。


 年齢は10台だろう。今の俺よりは大人っぽいが、まだまだ子ども。甘い匂いをさせる女の子だった。


 何故こんな場所にひとりで? 疑問が湧くが、よくよく考えると俺もこんな場所にひとりでいる。


 俺はもう少し近づこうと、軽く尻を持ち上げる。一歩進んだそのとき、優しい鈴の音が鳴った。洞窟に反響する。


「誰!」


 彼女は眠気を吹き飛ばして立ち上がる。

 あらら。さっそく見つかった。


 そう決めつけるのは早計だ。俺と同じタイミングで彼女に襲撃をしかけようとした獣がいるのかもしれない。


 俺は何もせず、洞窟の影に身を寄せる。


「隠れても無駄! 居るのはわかってるんだから」


 彼女は杖を持っていた。その先が瞬くと、マナの塊が飛んでくる。石のように硬いマナの結晶は、俺の足元に落ちた。岩の地面に、拳が入る程度の穴が空く。


 なるほど。魔術か。いいね。とてもいい。


 どうやら誤射ではなさそうだ。見つかったのは俺である。続いて放たれた2発目がそれを証明してくれた。岩の地面にふたつめの穴が空く。


 しかし、どうして鈴が鳴ったのだろう。そもそも鈴はどこにある? 引っかかるような糸はなし。仕掛けは見当たらない。とすると、思い当たるのは結界系の魔術かな? そんな術を使って鈴の音を鳴らすだけってのも変な話だが。


 試しに周囲を手で探ってみた。すると再び鈴の音が鳴る。3発目のマナ結晶が放たれた。


 このままだといつか俺の体に穴ができる。ひとまず逃げるとするか。

 どうやらまだ俺の姿は見られていない。一度退いてしばらくしてから戻ってこよう。

 そうするべきだと思うのだが、心惹かれるものがあり逃げ足が芳しくない。


 彼女の息遣いが聞こえる。浅くて速い。緊張しているようだ。一手間違えれば命を失うこの場で、緊張しない方がおかしい。


「出てきなさい!」


 やーだよ。

 でも心が揺らぐ。彼女はずっと気を張っていたに違いない。この洞窟にいる限りこれからもだ。

 俺がここから逃げたら、彼女はどうする? 安心して眠れるか? そんなわけがない。正体不明の何かがいる場所で、意識を手放すなんて無謀だ。恐ろしくてできるはずがない。それでも眠気は襲ってくるはずだ。


 顔を出したら、彼女は安心できるかな?


 そもそも俺にはここの結界を破る術がない。通れば鈴が鳴り、接近は確実に気づかれる。彼女が寝ている間に地図を探すのは不可能だ。

 ここで逃げる利点はないのかもしれない。


「いつまで隠れているつもり?」


 大声を出しすぎると、他の獣が寄ってくるんじゃないかな。そんなことを考えながら、射出されるマナ結晶に恐怖する。


「わかった。わかったから、その杖を下ろしてくれ」


 自分に呆れる。気がつけば声を出していた。


 俺が吸血鬼だという事実は、知られてはいけない。アカドウェルの町でやったように、フードを目深にかぶる。


 何も持っていない両手を晒して立ち上がる。といっても、左手はないので、見せたのは右手だけだ。

 前へ足を進めた。鈴の音がしても構わずに進んだ。

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