第22話 緊張途切れて朝を見る

 ムカデの初速は避けられるような生易しいものではなかった。まっすぐ首を狙った一撃。鋭い毒牙が左右に見える。


 後ろに下がったところでもう遅い。追いつかれている。前に出ても同じだ。

 右と左には既に毒牙があり、そちらに動いても噛まれに行くだけ。

 そこで下に避ける。足を折り、上体を反らせながら毒牙の下へと潜っていく。ついでにムカデの頭部を蹴り上げてやった。


 頭上を無数の節と足が通り抜けていく。虫特有の気持ち悪さと、細く鋭い足先への恐怖が混ざった。


 転がって、うねる胴の下から抜ける。立ち上がった頃には、ムカデの頭は再び俺に向いていた。蹴ってやったのだが、まるで効いていない。


 俺はひとつ息を吐く。さっきのは危なかった。大きな毒牙で、首を切断されていてもおかしくなかった。

 安堵と恐怖と強者に対する高揚感がグチャグチャで、もう何を思っているのか自分でもわからない。


 ムカデは体を這わせ、再び攻撃の姿勢を取ろうとする。そうさせてはいけない。さっき十分に理解した。


 俺のすぐ横にはムカデの胴がまだあった。こう体が長いと方向転換にも苦労しそうだ。

 すぐにムカデの胴に飛び乗って、それを道とした。頭に向かって走る。


 ムカデはそれを良しとせず、毒牙で応戦する。しかしそれは、先程と比べると圧倒的に遅い。ジャンプで躱せるほどだった。着地先はムカデの頭を選ぶ。


 俺は踵で押しつぶすようにムカデの頭に飛び乗った。すぐに屈み、頭のひとつ後ろにある節目に指を差し込み、爪を走らせる。

 何かが切れる音がして、体液がこぼれ出す。ムカデは暴れ、俺は耐えきれずに投げ出された。


 俺は洞窟の岩壁に背中を打ち付けられる。無理やり体を回して、しっかりと着地をした。


 ムカデの体液が、体の丸みに沿って足の付根に溜まり、雫となって落ちている。僅かに開いた蛇口のように、時間を掛け大きくなっていく雫があった。

 吸血鬼は血を好むが、虫の体液は別らしい。爪についた体液は、舐めずに払った。


 わかったこと。俺の爪はやつの体を引き裂ける。とはいえこの巨体を切断するには、爪の長さが足りない。繰り返せば徐々に傷を深くできるが、それをやってしまうと日が暮れそうだ。

 やつの殻は今の俺では壊せそうにない。頭を踏みつけてやったが、汚れただけで傷もなかった。


「足を引っこ抜けないかな?」


 力自体はムカデが上だ。バカ正直に足を引っ張っても無駄だろう。しかし足の根元に切れ目を入れれば可能性はある。可動部であれば柔らかいはずだ。

 問題は足の数が多すぎること。数本抜いたところで問題なく走る姿が目に浮かぶ。


「どうしたものかな」


 ムカデは連続で動けないようだ。主な武器は毒牙。一度空振ると、構え直すまで攻撃ができない。向こうの攻撃を誘い、対処してから行動をすると良いと思われる。

 かといって受け身に回りすぎるのもよくない。最初の一撃は凄まじく速かった。あれと同じ事を続けてやられたら、俺はそのうちミスをする。

 だから構えさせない。無理な攻撃をするしかない状況に追い込む。


 俺は岩壁から跳ねるようにして近づいた。後ろに回り込もうと走る。

 ムカデの頭が俺を追って動いた。すぐに頭上から毒牙が落ちてくる。

 虫はみんなこうなのだろうか。予兆なく高速で動き出す。俺は足を曲げなければ跳べないのに羨ましいものだ。

 とはいえ最初の一撃と比べると遅い。俺はくるりと、体を翻して避けた。


 このままムカデの後ろに回りたい。しかしその前にもう一度避けなければ。地面に落ちた毒牙が、足元から跳ねるようにして迫っていた。それを利用した。


 俺はムカデの頭に手をおいて飛び越える。くねくねした背を滑りつつ、体の節目に指を差し込んだ。今度こそより深くへ。


 しかしやはりムカデが身を捩り、投げ出されてしまうのだ。


 投げ出されたのは2回目だ。空中で体を捻って、しっかりと着地をする。


「強いな」


 巨大うさぎと比べてだが、このムカデは強かった。両名の攻撃手段に大差はないが、耐久性が段違いだ。ついでに血を吸っての体力回復も望めない。


 長期戦はしたくない。しかし短期決戦も実質的に不可能。このムカデとの戦いは、楽しい以外に利点がない。


「俺が逃げてみたら、こいつはどうするかな?」


 相手はドラゴンではない。大きさは異常だが、特異性がないムカデだ。ならば背を見せ逃げたとしてもある程度の時間は得られるはず。


 必死に追ってくるかな? その後のことは考えていないが、面白そうだ。


 すぐに実行した。全力疾走だ。後ろに細かい足音を聞きながら、必死に走り続けた。

 もしこのまま他の敵性生物と出くわしたら。袋小路に入ってしまったら。様々な不確定要素を思いながらも、足は動き続ける。


 ムカデは追ってきている。純粋な足の速さでは、ほぼ同速くらいだろうか。僅かに向こうが速そうだが大差ない。

 特に角での減速が痛かった。俺は曲がる際に足を緩めないといけなかったが、ムカデはそのままの速度を維持しながら曲がってみせた。


 圧を背中に感じたところで、限界だと受け入れて、走りながら振り向いた。

 振り向くとすぐ後ろに巨大な頭を見つける。これがにらめっこだったら、俺は今負けていた。


 表情はそのままで、左右に開く毒牙を蹴飛ばす。遠心力も使った全力の回し蹴りだったのだが、あまり効いていないようだ。ムカデは揺れた頭をすぐ正面に戻す。目が合った。


 ムカデは低い姿勢で迫る。今回は下に潜るのは不可能。上も難しい。ムカデの頭は若干上向いていて、俺が跳ぶのを待っているような雰囲気がある。


 俺は左に体を反らした。しかし行く手を阻むものがある。


「触覚?」


 ムカデの頭部から生えている太い紐状のものが、鞭のようにしなりながら俺の横腹を打った。


 触覚をぶつけられてもダメージはまるでない。しかし動きを遮られたことは問題だ。正面には毒牙。これに挟まれれば毒とか関係なく、物理的に体が壊される。これだけ大きな牙なら、俺の胴くらい容易に断ち切ってしまうだろう。


 すぐ横の触覚を鷲掴みした。それを手繰り寄せ、毒牙から距離を取る。なんとか噛みつこうと開く毒牙を蹴り上げた。


 ムカデは止まらない。俺を振り落とそうと頭を動かしつつ、走り続けていた。俺も触覚から離れられずにいる。変なタイミングで放すと、無数の足に踏まれてズタズタにされてしまう。


 全身に強い衝撃が走った。腹部が圧迫され、口から色々と飛び出そうになる。


 ああなるほど。背中の冷たい感覚で理解する。

 こいつ俺ごと壁に突っ込みやがった。俺の腹にムカデの頭が食い込んでいるのが見える。服に血が染み込んでいく。安物の服でよかった。どうやら腹が潰れてしまったらしい。


 ムカデは強い力で、俺を壁に押し付ける。更に出血量が増し、赤い泡が膨らんでいた。

 足は動く。感覚もある。でもこのままやられっぱなしだと、その先はわからない。

 今回は完全にやられた。心の中で賞賛を想う。


「でもこれじゃあ噛めないだろ?」


 死神の鎌にすら見える、巨大な毒牙に噛みつかれることと比べれば、今の状況はなんてことない。


 俺は爪を立てる。子供の細い指を、触覚の根本に押し込んだ。釘を打ち込むように深く深く、とにかく奥まで指先を進める。

 壁に押し付けようとする力が弱まったが、俺は全く手を抜かない。

 ムカデが暴れ狂うよりも早く、太い触覚を引き抜いた。


 虫に痛覚はあるのだろうか。ないと聞いた覚えがあるが、こいつはどうやら別のようだ。

 触覚を抜いた瞬間から、かつて無いほどのたうち回る。


 こちらは腹を潰され、向こうは触覚を失った。等価ではなくても、痛み分けにはなったかな。

 俺は薄くなった腹を擦る。吸血鬼じゃなければ、最低でも失神していただろう。

 走ったり大きく動くのは難しい。向こうは痛みが収まれば今で通りに動き始める。決着を付けるなら今しかない。


 一歩前に出した時だった。ムカデの体が、俺の足元に強く打ち付けられる。


「は?」


 俺が驚いたのは、足元が揺れたからではない。足元が傾いたからだ。

 おそらくかなり脆い状態だったのだろう。ムカデが暴れた衝撃により、洞窟が崩れ穴が開く。俺はその穴に飲まれた。どうしようもなかった。


 落ちて落ちて。そこで一度意識が途切れた。



 次に目を覚ましたとき、俺は川辺にいた。上にはちゃんと、落ちてきた穴がある。枕元にある瓦礫も、落盤が現実だと証明してくれた。

 ムカデの姿はどこにもない。とても静かだ。


 まあこれはひとまず置いておこう。それよりも気になるものが目に入る。俺の注意はそちらに吸い込まれた。


「これ植物か? こんな場所に?」


 決して日が届かない洞窟。川に沿って楕円に膨らんだ白い草が生えていた。多肉植物のように見えるが、川を囲んでいることを考えると違う気もする。


 どうやら落下時にその草を折ってしまったらしい。背中がその草で濡れている。


 折れた草を手に取る。それはこの場所で唯一、明りを灯しているように見えた。


 初めて見る草だった。現実にはもちろん。トリプレッツガーデンのゲーム内ですら見たことがない草だった。

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