第19話 冒険者の一団とうつむく俺

 ナバトさんが魔界へと旅立ってから半日が経った。時刻に直すと、19時から20時を回った辺りだと思われる。世界は夜が支配している。

 俺はそれまで書棚を弄ったり、家中の散策をして時間を潰した。学術書と思われる本から雑誌まで目を通したが、有用な情報は何ひとつ得られていない。なぜなら文字が読めなかったからだ。

 理解できるのは絵くらいなもの。装丁や紙質から、何について記された本なのか想像するくらいはできたが、推測を確かめる方法はなかった。


 ナバトさんが来ると言っていた女性は、今日は来ていない。3日毎に来るような話だった。今日はその日ではなかった、それだけだろう。


 俺は新しい服に袖を通し、外出の用意を進める。龍の血をひと雫ぺろりと舐めて、襟を正す。

 ナバトさんが用意してくれたコートを羽織る。粗い布地に歪んだ縫製だ。注文通り安物で間違いない。

 それでも今まで着ていた布切れよりは遥かに上等だ。比べるまでもない。少なくとも今着ている服は、人が着るためのもので間違いない。これで十分。満足だ。


 姿見はないので、直接目で見て確かめる。めくれているところはないか。真っ直ぐ着ているかどうか。夜闇に紛れていくつもりなので、人に見られる想定はしていない。それでもついつい、身だしなみを整える。


「よし、行くか」


 我が身と龍の血入りの水筒のみでドアを開ける。夜風が涼しい。どこかから夕食の臭いがした。肉と油の臭いだ。


 鼻を塞ぐように、鼻の下に指を置いた。以前ならばよだれを流していたであろう臭いは、今の俺にとっては好ましくない。吸血鬼になってからは、血の匂い以外で食欲が動かなくなった。それどころか不快ですらある。


「まあいいや。行こう」


 ドアを後ろ手に閉めてから、フードを被る。顔を見られないよう俯きながら小走りで急いだ。


 巡回する兵士とすれ違う。視線を感じたがそれ以上はなかった。

 おそらく俺が大人の背丈なら呼び止められていただろう。コートを羽織り、フードを被って、顔を見せようとしないなんて、怪しくて怪しくてたまらない。


 幸い何事もなく、城壁へと近づいていく。ちょうど門が目に入ったとき、とある一団を同時に見つけた。

 既に半分が閉められた門の影から現れる。完全に武装した5人の集団だ。


 先頭は黒鎧の男。身長ほどの大剣の柄に兜を乗せて、短い赤髪を逆立てている。

 その斜め後方に眠たそうにあくびをする女。背中に弓を、腰に2本の剣を履いている。

 全身を外套で隠す、長髪の男がひとり。細身と思われるが外套には膨らみがある。何かを隠しているらしいが、それが何かはわからない。

 最後尾を並んで歩くのは、青い宝石がはめ込まれた杖を持つ男と、籠手以外が軽装で、大きな荷物を背負う獣人の女だ。


 ハリボテではない。完全武装だ。さすがにこれだけ武装して、芸人ということはない。血なまぐさい生業をしているのは一目瞭然だろう。


 よく見てみると全員に泥汚れが目立つ。血の匂いもする。相手が動物か魔物か、はたまた人間かは知らないが、刃を振るい、戦って帰ってきたところだ。


 装いに統一感が見られないので、この国の兵士ではない。同時に傭兵とも考えにくい。

 おそらくだが奴らは冒険者だ。アカドウェルの首都には確か3つほど冒険者組合があったはずだ。そのうちのひとつに所属しているのだろう。


 強いな。俺は彼らを見てそう感じた。どんな戦い方をするのだろう。利き腕はどっちだ? 装備の多くには魔術が込められているようだが、どんな効果なのだろう。

 知りたい。気になる。戦っている姿を見てみたい。

 溢れそうな思いは、心の奥に閉じ込める。今彼らと関わっても良いことはない。俺はただの通行人を装いながら歩いた。


 門に近づくと、自然とその一団との距離が狭まっていく。血の匂いに舌鼓を打ちたい気持ちを抑えながら、下だけを見て道の端を歩いた。


 鎧がこすれる音が大きくなっていく。ガシャリ、ガシャリと。

 俺は緊張していた。もし吸血鬼だと露見したらと考えてしまったのだ。いいや、それだけじゃない。一歩進むごとに迫ってくる重圧感。強者だけが出せる雰囲気。これがどうしようもなく楽しい。


 フードの中でにやけながら、一団の方向へと目をやった。足元だけはよく見える。

 5人分の足を流し見しつつすれ違う。何事もなく一団と背中を向けあったときだった。


「おい、そこのガキ。下向いてるおまえだ」


 ぴたりと俺の足が止まった。今この道を歩いているのは、俺と冒険者と思われる5人だけ。呼び止められているのは間違いなく俺だった。

 少しずつ振り向く。顔だけは見られないよう首の角度はそのままだ。


「なんですか?」


 首を上げていないから確かなことはわからないが、その声は黒鎧の男だ。


「顔を見せろ」


 たったその一言が、俺を震え上がらせる。


「どうしてですか?」

「いいから」


 有無を言わせず、ただ従えと圧力を掛けてくる。もし従わなければどうなるか。考えるだけでも恐ろしい。

 それでも見せられない。吸血鬼まるだしの顔を見せられるはずがない。


「嫌です」

「なぜだ?」

「酷い傷があるから」


 これで乗り切れるか? 冒険者であれば、火傷や裂傷といった傷も見慣れているだろう。ちょっとした傷程度、なんてことないと考えていないよう祈る。


 もし彼らに鑑定系のスキルがあれば、俺が習得しているスキルは覗かれている頃だろう。

 俺は全てのスキルを失っている。持っているのは自動的に習得できる種族スキルだけだ。

 吸血鬼が持てるスキルはふたつ。【夜の眷属】と、吸血鬼になる前の種族スキルだ。俺の場合は、人間の種族スキルだろうか。


 もし【夜の眷属】を見られたらその時点で俺が吸血鬼だとバレる。長居しすぎればその分リスクが増えていくのだが、走って逃げるのも得策だとは思えない。


「いいから行こう。今日はもう疲れたよ」


 そういう声に内心頷く。見えている足元だけでは誰の声かはわからない。

 しばらくは誰も声を出さなかった。周囲からの生活音がやけに大きい。


「そうか」


 黒鎧の男はたったそれだけ、冷たく言い放つと、

「気をつけて行けよ?」

 と、続けた。


「はい。ありがとうございます」


 俺は既に下げている頭を更に下げ、それを会釈とした。すぐに早足で立ち去る。振り向きたい思いがあったが、目が合うと怖いのでやめた。


 遠ざかる鎧の音を聞いて、ようやく安堵する。

 彼らは冒険者。武装から察するに、化け物狩りが本業である。吸血鬼も門外漢ということはないだろう。なんとか切り抜けられてよかった。


 どんどん急ぐ足が速くなっていく。鎧の音はもはや聞き取れないところまで離れた。


「こうして油断したところで、急に横から飛び出してきたりね」


 角から出るとき、慎重に動いてみたが、心配は杞憂だった。


 俺はそのまま町から出る。子どもという小さな体を利用して、影から影に移動する。

 門を守る兵士は、俺よりもレベルが高い。しかし種族の問題で、夜目が効くのは俺の方だ。物陰に隠れる俺の姿は、兵士の目ではとても見えない。あくびをする兵士の姿は、俺にはよく見える。


 門番の交代が近いのだろう。気が抜けた兵士は、物音を立ててやると簡単に気を引けた。その隙に門から滑るようにして外に出る。


 町から出た後は簡単だ。走って逃げるだけでいい。


「そこの君! 止まりなさい」


 門の上にある見張り部屋から声が掛かるが無視して急いだ。

 追いかけてくるのは声だけで、兵士は来なかった。

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