第18話 我が家を得たり。しかし他には何もなし。
ナバトさんの家は、裕福とも貧乏とも言えない、一般的な家だった。住宅街に立ち並ぶ、似たような建物の一軒だ。ここが店を兼ねているとのことだが、看板すら出ていない。
黒いドアから入ってすぐには何もなかった。所謂ミニマリストかと予想しながら居間まで進むと、俺は考えを改める。
居間には全てが詰め込まれていた。食卓に書棚、何かの書類の山に衣装箪笥のようなもの。靴箱に食器棚。真ん中に端が破れたソファがあるのだが、その上に枕と毛布が置かれている。
まあとにかく乱雑だが、居間自体は掃除が行き届いていて綺麗だった。足の踏み場に困るようなこともない。道幅が狭いのは間違いないが、不意に変なものを踏む心配はしなくてよさそうだ。
「何この部屋?」
「便利だろう?」
「だらしないなと思ったよ」
「よく言われる」
「ああ、やっぱり」
「とにかく部屋に案内しよう。こっちだ」
こうして案内された部屋は、居間とは比べ物にならない広々とした部屋だった。
家具は必要最低限。淡い朱の絨毯の上に椅子ひとつ、机にスツール、タンスとベッド。以上だ。
「この部屋を使ってくれ」
窓を開けてみると正面に邪魔なものはない。風通しは良さそうだ。日当たりも良好だと思われる。吸血鬼なのでこの点はマイナスかもしれない。
「これ、かなりいい部屋じゃ。ナバトさんは使わないの?」
「居間で十分だよ。それ以上は必要ない」
窓枠を指でこする。その指を見てみても、汚れは付いていなかった。使っていない部屋を掃除するのだろうか。
「じゃあ俺は用事があるから、あとよろしく」
突然言われて振り向いた。ドアを閉めようとするナバトさんを見つける。
急いでドアの隙間に足を差し込んだ。足首が曲がってはいけない方向に曲がった気がするが痛みはない。さすが吸血鬼。痛みには鈍感だ。
「ちょっと、客人置いてどこに行く気だよ」
「それは違う。君は客ではない。今日からここの住人だ。じゃあしばらく外に出てるから」
ナバトさんは笑顔で手をふる。なんとなくその笑顔には威嚇が混じっているような気がした。
どうしても急ぎひとりで外に出たいらしい。ぱっと思いつく理由は女性だ。それなら俺が引き止めるのも悪い。気持ちもわかる。訳をきくのも野暮ってものだ。
とはいえ帰りの時間くらいなら訊いてもいいだろう。
「しばらくって、どれくらい? 俺はここのこと何もわからないから、せめて昼くらいには戻って欲しいんだけど」
「んーそうだね。3ヶ月程度かな?」
聞き間違いを疑う長さが飛び出した。
「今なんて?」
「ん? だから3ヶ月、ここを空けるよって」
待ってくれ。3ヶ月って何日だ。俺が知っているひと月と、この世界のひと月は、同じ日数だっけ。
トリプレッツガーデンでは、日付がリアルと連動していた。それと同じなら、3ヶ月は90日前後。
「まさか3ヶ月って、90日? もっと短かったりする?」
「100日は掛からないと思う」
「ついて来なけりゃよかった」
超特大のため息をした。ナバトさんは「幸せが逃げるぞ」なんて笑顔で言う。笑い話じゃないことくらい、少し考えればわかるだろうに。
今は夜。近所迷惑にならないよう声を落としながら、それでいて強く言い放つ。
「なんで吸血鬼をひとり置いて、そんなに家を空けられるんだ。近所で失血死する人が出たらどうするつもりだ」
自分の責任をナバトさんに押し付けているようで居心地が悪いが、吸血鬼を放置するのも無責任には違いない。
威嚇するように牙を剥いたが、まるで効かなかった。
「しないだろ?」
平然とそう言ってのけた。信用されてると喜ぶべきなのだろうか。
実際に俺は人の血を進んでまで吸いたくはない。吸血鬼らしくないが、それが偽り無い本心だ。だからこそ怒っているわけだ。
理由は単純で、不思議とナバトさんの血の匂いも嗅いでも、あまり美味しそうには思えない。門にいた兵士たちもそう。
これに人であった頃の倫理観が加わって、人の血に興味を持てずにいる。
だからといって、絶対に人の血を吸わないとは断言できない。
「約束はできない。吸血衝動がどんなものか、俺は知らんのよ」
「龍の血があるじゃないか」
「ちびちび飲んでも3ヶ月は保たない」
「知らないのか? 龍の血は腐らないんだぞ」
「量が足りないんだよ」
ナバトさんは腕を組んで唸る。名案を思いついたと顔を上げると清々しく、
「ではいざというとき動けないよう、手足を縛る枷を用意するというのは?」
と、名案を出してくれた。いやぁ素晴らしい考えだ。俺には全く思い浮かばなかった。
「却下で」
「一般的な枷だと強度に不安が残るか」
「そうじゃないけど、もうそれでいいや」
行かないという選択肢はありえないようだ。よほど大事な用件らしい。
俺もあまり我儘を言うのはよそう。体は子どもだが、精神的にはそれなりのつもりだ。自尊心のためにも、おもちゃをねだる子どもみたいに泣きわめきたくはない。
「いいですよ。こっちでなんとかします」
「さすが、サキュネス君。頼りになる」
「褒めるのが早いよ。俺には留守番すら荷が重いってのに」
俺の肩をポンポと叩く笑顔を、諦めたような心持ちで見つめた。
まあいいや。よくよく考えると、自由に動けるのは俺にとっても都合がいい。伸び伸びとやりたいことができる。
もう夜が深まりすぎていた。外に出ようにも程なくして太陽が出てしまうので、行動を起こすのは次の夜かそれ以降になる。今日はこの家でゆっくりと過ごすとしよう。
「そうだ。服くらいは用意しておこうか。今の汚らしい格好じゃ、家の中でも苦痛だろう?」
「それは確かに」
俺は未だに奴隷服だ。汚れて擦り切れ、とにかく酷い。これを見ていると穴だらけの雑巾を思い出す。
「子ども服は用意がない。買うしかないな。せっかくだから高価な物にしよう。どんな服が好みだ? 色は?」
「どうせすぐに汚すから安物でいいよ。3枚でセットのやつとか」
安物であっても贅沢な物言いだ。なにせ俺は無一文。ナバトさんにお金を出してもらわなければ、何も所有できない身である。お小遣いがある子どもが羨ましい。
「遠慮ならしなくていいぞ。今後ここを手伝ってもらえるなら、服程度の額ならすぐに集まる。仕事が入ればだけど」
「遠慮じゃないよ。高価なものを着ると落ち着かないんだ」
これは本当だ。俺は安物の服を好んで着ていた。綺麗で装飾がついた服は、視線を集めるようで落ち着かないのだ。凝ったデザインの服が安価で出ていたとしても、俺は無地のシャツを選ぶ。
「わかった。朝一で買ってこよう。ところで本当に安物でいいのか? 材質にこだわるだけでも」
「下の下でいいんだよ。もらえるだけでも俺は感謝するべきなんだから」
「わかったよ」
ナバトさんは笑顔で頷く。どうやら理解してくれたらしい。
「あーそうだ。伝えておかなきゃ」
何かを思い出して、ナバトさんの雰囲気がころっと変わる。
「今度はなに?」
「3日に1回くらい綺麗な女性が来るから。顔を合わせたら適当に挨拶しといて」
真顔で平然と言うが、それはちょっとおかしくないか?
「いやいやいや。俺吸血鬼なんだけど。バレたらどうするのよ。まじで」
「大丈夫。気のいい人だから仲良くなれるさ」
「心配してるのはそこじゃなくて、俺は吸血鬼なの。弱小の吸血鬼。土気色の肌はそのままだし、話をすれば牙も見られる。わかる?」
口に指を突っ込んで、端を引っ張る。鋭い牙を見せつけた。他の歯よりも明らかに長いこの牙を見れば、誰もが俺を吸血鬼だと認識する。
アカドウェル国が多くの種族に寛容なのは事実だが、吸血鬼は別だ。拘留で済めば運がいい。
「肝が据わってる人だ。吸血鬼だと気づかれても、せいぜい叫ばれるくらいじゃないか? 何をそんなに恐れる必要がある?」
「その叫び声で兵士が飛び込んできたら?」
「兵士よりその女性の方が気迫がある。乗り込んできても足蹴にして追い出すさ。以前にもあった。小型の魔物を連れ帰ったことがあるんだが、そのときにもね。『汚い足で入るんじゃない。誰が掃除をすると思ってる!』って兵士が追い出されたよ」
「魔物を連れ帰った? まあそれはいいとして、その魔物はどうしたのさ?」
「その日の内に兵士に突き出されたよ」
嬉々として語るナバトさんに苛立ちを覚える。
魔物は人どころか、この世界で暮らす全ての生物にとって敵だ。それを囲うなど、もはや国への反逆ではないのだろうか。
そんなことをしておきながら、今こうして自由に動き回っている。この国はナバトさんに甘すぎる。それとも裏で取引でもしているのだろうか。
とんでもない人の元に来てしまったのだと、今更ながら気がついた。
「きっとその魔物は今頃、成長して大きくなってるだろうね。あの世でさ」
俺も魔物と同じ道を辿らない保証はない。よくて実験動物。悪けりゃ罵詈雑言を浴びせられた後に苦痛にまみれての処刑だ。
俺がじっと睨むようにしていると、ナバトさんは今までの笑顔が冗談のように、冷たい目になった。
「言いたいことはわかるが、今回の用事にサキュネスは連れていけない。置いていくしかないんだ。理由を聞きたいか?」
「聞かせてくれるなら」
「魔界に行く」
「ああ、なるほど」
魔界はトリプレッツガーデンにもあった。天界と魔界、そのふたつの世界は、俺たちがいるこの世界に隣り合うよう存在している、もうひとつの世界だ。ちなみに精霊界と呼ばれる世界もある。
世界の行き来は容易で、ポータルをくぐるだけでいい。通行税も掛からず、とある簡単な条件さえ満たしていれば容易に行き来ができるのだ。
そのとある簡単な条件とは何か。トリプレッツガーデンではレベルが60を超えていることだった。
俺のレベルは1。無理に魔界へ行こうとすると、負荷に耐えきれず消滅してしまうだろう。
「外せない用事だってのはわかった。3ヶ月、3ヶ月だな?」
「それよりは掛からないとは思う。いきなり迷惑をかけて悪いな」
「全くだよ。でもまあ、いいんじゃないの? それだけ時間があれば、俺もやりたいことができる」
ナバトさんが長期外出するのなら、俺にも考えがある。レベル上げをするのだ。
この町の周辺で、戦えそうな相手を頭に浮かべる。俺は吸血鬼だから、なるべく日が入らないところがいい。
思い浮かべた草原や森、その他の場所に条件を当てはめてひとつずつ除外していく。そして最後まで残ったのは洞窟だった。
あそこで狩りをしよう。そう考えると、心が湧き立つ。まだ向かってすらいないのに楽しくなってきた。
俺は膨らむ思いを抑えきれていなかったらしい。気がつくとナバトさんの顔が怪訝なものに変わっていた。
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