アカドウェル国
第17話 町を囲う壁、パノラマの町
「俺の家はアカドウェルの王都、城下町にある。我が家には余分な客室があるから、そこを君の部屋にしよう」
その言葉から数日が経った頃、高くそびえる城壁が目に入るようになる。夜の暗がりの中でも、異様に黒い影を落とす城壁は、格別の存在感を示す。
高さはどれくらいだろう。10メートルはゆうに越えてそうだ。近づけば近づくほど首が上を向いていく。
どうすればこんな巨大な建造物を作れるのだろうか。巨大な建築物を見る度にそう考える。
町の正面と思われる巨大な門があった。頼りがいがある分厚い門構えは、ぴしゃりと閉じたまま微動だにしない。壁の中間と最上部には、見張り部屋と見張り台があり、そこで10人ほどの革鎧の兵士が灯を焚いていた。
薄ぼんやりとした赤い光が、街道と門とその周辺を照らしている。
俺たちは街道を外れた獣道で屈んでいた。決して見つからないように茂みの影に隠れている。吸血鬼が出たと騒ぎになると困るからだ。
「朝を待つのと忍び込むの、どっちがいい?」
ナバトさんは俺を試すように微笑んだ。
俺に選択権があるのなら……考え込む素振りを見せる。正直なところどちらでもよかった。
朝を待つのはリスクがある。俺が吸血鬼だからだ。ナバトさんから、種族特性を軽減する術をもらえば一応日光を耐えられるようになる。しかし吸血鬼である事実は変わらない。
道中で一度試している。その術をかけてもらった上で、日の下に出たらどうなるか。結果は肌が痛むだけで、死にはしなかった。
それでも間違いなく痛みはある。我慢できないことはないが、できれば無痛が好ましい。
では忍び込むのはどうだろう。こちらも間違いなくリスクがある。単純に不法行為だからだ。吸血鬼であろうとなかろうと、見つかれば捕まってしまう。
この国が犯罪者にどういった裁きを下すのかは知らないが、吸血鬼である俺の処遇は想像できる。軽犯罪も重犯罪もなく、日干しの刑だ。
しかし不法侵入には魅力があるのも間違いない。
まず兵士に見られなくて済む。部外者はどうしても目立ってしまうが、誰にも知られなければ噂にもならない。
「どちらも危険だけど、忍び込みましょう。痛みに耐えるより、緊張感を楽しむ方がいい」
「同感だ。早く帰りたいしな」
「それでどこから入るの? こういうときはやっぱり下水?」
「下水が外に出ていた時代なんてとうの昔に終わったろうが」
「そうなの?」
「そうだよ」
ナバトさんによると、上水と下水については、天界と魔界というふたつの世界が関わっているらしい。
トリプレッツガーデンでも、天界と魔界は存在していた。それぞれ天使と悪魔が住まう世界だ。
魔界ではよく狩りをしていた。苦悩の残滓という猛毒の大狼から牙のドロップを狙っていたが、結局見れていない。
この世界にも苦悩の残滓はいるのだろうか。いるならいつか戦ってみたい。
今の人間の水事情は、天界と魔界に依存しきっている。異界門を開き、上水は天界から引き、下水は魔界へ送っているそうだ。
ちなみに下水を引き取る話は、魔界側から持ちかけてきたらしい。ちなみに天界の水は澄んでいて美味いということだ。吸血鬼の俺には縁がないかもしれないが。
「下水がないなら、じゃあどこから入るのさ?」
「あれを越える」
ナバトさんが示したあれとは、町を囲う城壁だった。なるほど。羽虫が町を出入りする方法を用いるわけか。
「もっとこうワクワクする秘密の抜け道とかかないの?」
「残念だったな」
「ええ、本当に」
ナバトさんはとても楽しそうだった。その喜びを半分わけてくれないだろうか。
「じゃあ行くぞ」
ひょいと茂みを乗り越えて、ナバトさんは行く。家が近いからか、夜だというのにとても元気だ。羨ましい。
俺はナバトさんの後を追う。じっと壁の最上部を見上げながら、どうやって超えるのかと期待を巡らせた。
進行方向に違和感が出るまでに時間はかからない。俺とナバトさんの足の先は、巨大な門に向かっている。
「こっちって正門じゃないの? 近づきすぎると兵士に見つかるんじゃ」
「何もしなければそうなるな」
「何もしなければ?」
「そろそろ掛けておくか」
ナバトさんは歩きながら紋章術を行使する。描く印は、円に四角をはめ込んで、数文字連ねたものだ。その魔術が発動する。
すぅと正面にいたナバトさんが消失した。
「不可視化だ。光が多い昼間ならともかく、夜ならまず見えなくなる」
「透明化?」
ふとした違和感に従って、俺は手を目線まで上げてみる。しかし目には何も映らない。足元を見てみたが足も存在せず、胴も服も全てが綺麗に消えていた。
トリプレッツガーデンにこんな術は存在しなかった。
「これじゃあ、俺がナバトさんを見失っちゃうんだけど」
「じゃあ手でも繋ぐか?」
「それは勘弁……足音は消さないでよ」
俺は夜風の中から、ナバトさんの足音を捕まえる。もはや聞き慣れた音だ。一度捕まえてしまえば、意図的に消されない限り逃すことはない。
「ところでこの透明化って、見破られない? 俺ならこんな術があるって知った時点で対策を考えるけど。ここの人はそういうこと考えないの?」
「心配するな。既にあの兵士たちの能力は看破している」
「いつの間に」
茂みに隠れていた間だろうか。
「気配探知や隠蔽看破など、破る能力は存在するが、ここで警備している一般兵が持てるほど安価な能力でもない。警備するからこそ、持っておくべき能力だと思うけど」
「なら安心」
俺は透明化を楽しんでいた。兵士に見つからない程度に軽く小石を蹴飛ばす。するとひとりでに転がるのだ。不思議な現象を見ている気分になる。透明化しているので正確には見えないのだが。
門の下へとたどり着く。ナバトさんの足音が聞こえなくなり、俺も足を止めた。
「近くで見るとより大きく見える」
大きさだけで感動できるほど迫力があった。車が4台は並走できる幅に、3階建ての建物以上の高さ。こんな大きさが必要になるのだろうか。
門は二層になっていて、手前には鉄を網目状にした3枚を重ねた扉。その奥に木と金属で作られた、荘厳な扉がある。網目状の扉は引き戸のように城壁に格納できて、その奥の扉は外側に開くようだ。
「サキュネス、いるか?」
「透明なのでいませんよ」
「そうか。じゃあ見かけたら伝えてくれ。先に行ってると」
「伝言仰せつかりました」
門の横には、壁内に入れるドアがついている。空中に紋章術が浮かび上がったと思ったら、そのドアからガチャリと、まるで鍵が開いたような音がした。
「飛び越えるんじゃないの?」
「最後は飛ぶ」
ドアの向こう側は開けた部屋だった。質素な机と椅子が並んでいる。装飾類は一切ない。だから余計に広大に見える。
「広い」
「それだけこの壁が分厚いってことだ」
「でもこれだけ広い空間作ったら、厚くする意味半減しない?」
「する。でも必要なんだ。実はここには宿泊施設があるんだよ。びっくりだろう? 俺たちみたいに夜に帰ってきた人が、朝まで泊まれる施設がね。昔はそのまま外に置きっぱなしにしてたらしいけど、人が外にいると魔物が寄ってくるってんで、夜中に来る人を収納できるようにした。かといって町に入れるわけにもいかないからって話だ」
「へぇ。今も泊まっている人いるのかな?」
「どうかな。町で最も不人気な宿らしいから。気になるなら兵士に声をかけてみるといい」
そこから更に内側に入ると、階段だけの場所に出る。会話もせずに屋上を目指した。途中で兵士とすれ違いながらも、高さに相応しい長い階段を登りきる。
ドアが開かれ、外の空気が顔を打つ。
「ようこそ、アカドウェルへ」
俺は城門の上に立っていた。町を一望できる場所に。
夜ゆえに灯は少なく、人の気配もまばらである。
「すごいな」
一面に波模様の屋根が広がっていた。様々な様式、様々な形の建物が、道という血管に沿って並んでいる。古い建物、新しい建物、木造、石造り。まるで統一感がない。好き放題に建てられた家々が我が物顔で並んでいる。
右を見れば住宅街が広がり、左を見れば屋台のテントが並んでいる。奥には王城と、高くまで伸びる塔。その手前には円形に客席が並んだ競技場もあった。
アカドウェルという町はトリプレッツガーデンにも存在していた。世界で最も多くの種族を受け入れている国、その首都だ。様々な常識が入り乱れているからこそ、多くの問題や楽しみがあった。
モニター越しでも好きな街だったが、こうして肌身で感じるとより良い。なんというか……俺は胸に手を当てた。吸血鬼になってから、心臓は動いていない。それでも生きているような気がする。間違いなくこの世界で生きている。
本当にこの世界は現実なんだな。本当に現実として、この世界は実在するんだ。
「それで、ナバトさんの家は?」
「あっちだ」
「もしかして指さしてる? 透明なんだから、あっちって言われてもわからないんだけど」
「では行こうか。朝になる前に」
「無視するな」
ナバトさんは紋章術を使用する。その光は俺を取り囲み、一時的な能力上昇を与えてくれる。それは落下に対する耐性だった。
「さあ飛ぶぞ」
城壁の端に溜まっていた砂が飛び散った。ナバトさんが踏み切ったようだ。透明でわからないが、下に落ちたとみて間違いない。
俺も続いた。ナバトさんの紋章術で、落下に耐えられるくらいの能力は得ている。
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