第16話 名はサキュネス

 聞いた限りでは酷い店のようだ。店をひとりで切り盛りしているにも関わらず、客が皆無で時間が余りっぱなし。そんな店主は店をほっぽってここに居る。まさかここに店の門を構えているとは思えない。


 酷い惨状に思えるが、満足している様子である。まあ本人が納得しているなら、それ以上はない。

 しかし誘うならもっと魅力的に装飾してほしいものだ。実物よりも数割増しで見せるのは基本ではないか。……もしかして装飾してこれなのか? だとしたら少し興味が湧く。怖いもの見たさというやつだ。


 男は俺の足を投げてよこす。ぼとりと地面に落ちて血が跳ねた。その足は何も履いていない、何にも巻かれていない素足だ。


「私は君を気に入っているよ。それは嘘じゃない。吸血鬼でありながら、なんの利もない人助けをした。そんな吸血鬼は他に知らない」

「利はあったよ。ドラゴンと戦えた。ありゃ一種のロマンだからな、夢がひとつ叶った」

「しかし勝てるはずがない戦いだった。君もそれはよく理解していたはずだ。だからこそ、私が介入したときに礼を言った。ドラゴンと戦い死ぬのが目的だったら、ありがとうなんて言葉は出てきやしないさ」

「それは……そうかもしれないけど」

「私が知る吸血鬼とは、人を襲うだけの獣だよ。今まで何体かと会っているが、こうやって会話ができるやつはいなかった。言葉は交わせてもね、その直後には必ず戦いが待っている。奴らにとって我々は食料でしかないんだ。対等な目線がありえない」


 俺はアルハヴァジスを思い出す。俺を吸血鬼に変えた、世界最強の吸血鬼だ。

 あいつと言葉を交わしたが、思い出してみれば会話にはなっていなかった。アルハヴァジスにとって前菜でしかなかったのだろう。俺の血を啜るのが絶対条件で、それまでの過程を楽しむ。そのためだけの会話。


 男の言葉を否定できない。母数があまりにも少なすぎるが、確かに吸血鬼は人を下に見ている。


 それでもなんとか、男の言葉を否定してやりたい。ふと我に返る。

 心のどこかで反発したがっている自分に気がついた。どうしてそう思うのだろう。俺が吸血鬼になったからか? 別の種を無意識の内に敵として認定している? 違う。そうじゃない。


 俺はさっきまで夢中だったドラゴンをどうでもいいと思っていることに気がついた。

 何故どうでもいいのか。死んでしまったからだ。もう敵たりえない。俺が最弱のレベル1であっても、このドラゴンに負けることはない。もう二度と動かないからだ。

 それと同じだ。俺がこの男に反発したがる理由も。

 さっきの紋章術、とても綺麗だった。強かった。俺ではまるで刃が立たなかったドラゴンの首を、紙切れのように斬り落とした。あれには見惚れてしまった。


 ようやくわかった。俺はこの男と戦ってみたいんだ。


 馬鹿みたいな自分がおかしくて仕方がない。ひとりでクスクス笑っていると、男は言葉を失っていた。

 ズタボロの様子で何を思うか。分不相応な思いにも程がある。ドラゴンよりも強い男に、死に体で挑んで何になる。

 やっぱり結論はひとつだ。強くなろう。必ずこの男に追いつく。


 俺は落ちている足を拾った。それを切断面に押しつける。人間であればこんなことをしても足は戻らない。しかし俺は吸血鬼だ。回復能力は人ではない。

 足には龍の血が付着していた。それが傷口を通して入ったのか、全身から力が湧いてくる。


 ドラゴンには【自動回復】がある。劣化品ではあるが、そのスキルが俺の中で芽生えた。


 目を閉じると血の流れを感じる。体中にめぐる管を通い、全身に行き渡る。足の切断面へと差し掛かると、そこから血が落ちる。こぼれる。あふれて飛び散る。それでも血を回し続ける。徐々に血の動きがハッキリとわかるようになってきた。


 これが血の魔法というやつか。血液を自分で動かしているような感覚だ。全能感というには弱いが、悪くない優越感がある。

 しばらく続けていると、離れていた足へと血が通ったのがわかった。目を開けると、足に感覚が戻っていることに気がついた。


「なんでそれでくっつくんだか。相変わらず吸血鬼は滅茶苦茶だ。その回復力が羨ましいね」


 足を持ち上げてみる。成功。指を動かしてみる。成功。どうやら治ってしまったらしい。傷跡は残っているが、時間とともに薄くなっていくのだろう。


 治ったばかりで無茶はしたくない。俺はゆっくりと立ち上がる。

 立てば少しは話やすくなるかと思ったが、子どもの体ゆえに見おろされる現実は変わらなかった。


 ドラゴンの首の断面に手の甲を押し当てる。当然だが手は赤く汚れた。俺はそれをゆっくりと舐め取る。

 この調子で血を採れば、失った腕も再生しないかな? しゃぶりつくのもどうかと思い、手を器にして口まで運ぶ。

 もはや拭ききれないほど、口元を赤く汚してから息をつく。


「ひとつ条件がある」


 男は興味深いと首をかしげる。


「条件? なんの?」

「さっき誘ってくれたじゃないか。便利屋をやってるんだろう?」


 ああ、確かに。と男は頷いた。


「でも命を助けてあげたのに、条件まで付けるのか?」

「俺が好き好んでドラゴンの前に出たのと同じように、おまえも好き好んで俺を助けたんだ。そこには恩も何もない。俺は恩を感じてるけど、そっちがそれを盾にするのはずるい」

「ふぅむ。それは、そうかもね。わかったよ。条件って?」


 口に残っていた龍の血を飲み込む。

 俺の体は強張っていた。ある種の敵意を伝えようとしているのだ。その思いは既に伝わっているようで男は目を細める。

 ドラゴンの炎に晒されても汗ひとつかかなかった頬に雫が溜まった。


「俺と戦ってくれ」

「その状態で?」


 精一杯の一言は、実にあっさりと返された。こちらの緊張の糸も解けていく。


「なわけあるか。未来の話だ。俺は必ず強くなる。そうなったら戦ってくれ」

「それは力試し? 殺し合い?」

「命の恩人を殺したくはないよ」

「わかった。いいだろう。その代わりと言っては何だが、血の魔法について研究に協力してくれ」

「研究って、何をするの?」

「特別なことはしない。どの程度まで精密に血を操れるのかとか、連続使用できるのはどれくらいの時間かとかだ。苦痛を与えるつもりは全くないよ。薬剤の投与や体の分解等は、他の吸血鬼を捕まえればできるからね。友好的な吸血鬼をそんな扱いにするのはもったいない」

「それやるとき、俺がいない日でお願いしますね」


 俺と男はドラゴンの死体をそのままにして移動することにした。満足いくまで龍の血を頬張り、ついでに男は水筒の中身を血に変えて持たせてくれた。


「もう臭いだろうから返してくれなくていいぞ」


 ということなので、この水筒はもう俺のものだ。


 今は夜。吸血鬼が歩くにはこれ以上がない澄んだ空だ。


「そうだ忘れていた」

「何を?」

「名前だ。お互いに知らぬ者同士だろう?」


 男は前を歩いていたが、首だけで振り向いて言った。


「ストフェウス・ナバトアシアだ。わかればどう呼んでくれても構わないよ」


 俺は口をつぐむ。なんて名乗るべきかわからなかったからだ。

 この世界に来る前、毎日のようにゲームをしていた男の名前を使うか? 俺にとってはあの名が本名だった。


 しかしあの名前はかなり浮く気がする。この世界で俺が知った名は、『グラスコ』『スーデス』『アルハヴァジス』この3つだ。それに『ストフェウス』が加わる。これらが標準なら普通に名乗ると間違いなく目立つ。

 目立つのはよくない。吸血鬼になった今では尚更だ。

 それに俺は自分の名前が好きじゃなかった。捨てることに躊躇はない。


 新しい自分の名前を考える。自分がこれから使っていく名前。ペットやゲームキャラクターにつける名とはわけが違う。すぐに思いつきはしないが、ずっと黙っているのも不自然だ。

 何か名案はないか? 何か……。 


「スギナ」


 つい足元にある雑草が杉菜に見えて声に出す。


「スギナ? それが名前か?」

「いいや、待って違う。もっといいの考えるから」

「考える?」

「名前がないんだよ。というより捨てた」

「捨てたか。……事情がなければ、みすぼらしい格好でこんな場所を歩きはしないか」


 そういえば俺は奴隷の格好のままだった。いいや、それより酷い。土汚れに拭えない血の匂い、空いた穴はもう塞がらない。

 こんな格好で人前には出たくない。たとえ二度と会わない人だとしてもだ。


「しかしそうなると新しい名前が必要だな。そうだなさっきの『スギナ』から考えるか」

「え? 考えるってあんたが?」

「嫌なら自分で考えればいい。まだまだ先は長い。案はいくらでも出るだろう。その中から気に入ったものを拾うだけだ」


 そういうことならと、俺も自分の名前を考える。

 名前か。スギナを使う? そうだな……。スギ、ギナ、スナ。


「スギネア」

「そんな名前でいいのか?」

「考え直す」


 ドラゴンと戦い疲弊していたはずの俺の体は軽快に動いていた。龍の血をがぶ飲みしたのが効いているのかもしれない。もしくは単純に今が楽しいのか。楽しいときは疲れを忘れるというアレだ。


 真夜中だというのに野営もせずに行軍する。眠くないのかと訊いてみたら「なら昼に歩くか? 俺は構わないけど」と訊き返された。


 ちなみに紋章術には、種族特性を弱体化させる術がある。それを使えば、吸血鬼でも昼間に出歩けるようになる。

 しかしこの術は完璧ではない。あくまで弱体化であり無効にはできないのだ。日に焼き殺されることはなくなるが、苦手の克服までには至らない。


 ストフェウス・ナバトアシア。俺は彼をナバトさんと呼ぶことにした。彼が俺をどう呼ぶかは、まだ決まっていない。


「名前、俺の名前ねぇ。何でもよくはないんだけど……サキュネス。ンー微妙」

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