第15話 謝意 疑念 勧誘
「ところで、助けに入ったつもりなんだけど、よかったかな?」
「こちらとしては礼を言いたいくらいだよ」
とは言うが、ドラゴンはまだ止まったままで生きている。男が術を解けば、俺は食べられてしまうだろう。
とりあえずドラゴンの正面からは離れたい。なんとかして移動を考えたが、片手と片足だけでは這うだけで精一杯だった。
上体だけは起こし、会話をする姿勢を整える。
助けてもらっておいて疑うのは失礼だが、俺はこの男を信用できなかった。こちらは吸血鬼。向こうは人間だ。本来であれば争うのが常である。
「ありがとう。あんたが居なければ俺は今頃、こいつの口の中か、腹の中か」
「礼には及ばない。私が勝手にやったことだからね。君と同じように」
「同じように?」
「見ていたよ。君が飛び込むところから。ここの村人を助けてくれてありがとう。同じ種族の者として礼を言う」
「同じ言葉を返してやろうか? 礼には及ばないってさ」
それに俺にとっても人が一方的に殺されるのは、見ていて気分がいいものじゃない。
「本当は私が介入しようと思ったんだけど、君に先を越されて観戦に回った。面白いと思って見ていたよ」
「それならもっと早く助けてくれても良かったのに。たとえば足が飛ばされる前とか。まあこれは贅沢だな。助けてくれたことに違いはない」
「邪魔するのも悪いしね。望んで戦っているようだったから。それにさっさと介入したらもったいない。今みたいな戦いはそう見られないから」
もったいないか。俺は男の気持ちがなんとなく理解できてしまい、嫌になって目をそらす。
俺としてもドラゴンとの戦いは悪くなかった。特に血を舐めたときは最高だった。あの高揚を思い出すと、今でも体が震える。
男はドラゴンに向き直る。
「とりあえず、こいつは殺しておくか」
それだけ言うと、再び指で印を描く。
「黒鉄の風」
ほんの一瞬だけギラリと輝く刃が見えた。それがドラゴンの首を切り落とす。たったそれだけだった。
ドラゴンは顎を開いたまま地に落ちる。もはや微動だにしない、ただの肉塊に成り果てていた。
滑らかな切り口から血飛沫が上がり、勢いが次第に収まっていく。俺は『もったいない』と思いながら赤い噴水を見つめていた。
「よし終わり。これで落ち着いて話ができるってもんだ」
周囲に血しぶきが舞う中で、平然と言ってのける。男には血の一滴も掛からない。何かしらの防御壁が働いているようだ。
俺の足から零れた血とドラゴンの血が、ひとつの大きな血溜まりになる。求めていた龍の血が、手を伸ばせば届くところまで流れてきたわけだ。
指先で触れ、赤くなった指先を嗅ぐ。頭がスッと晴れるような心地よい香りがした。
舐めてしまいたい。しかしやりづらい。
すぐそこで男が楽しげに、俺を見下ろしている。
「ところで、左腕はどうしたんだ? 初めからなかったようだが」
「スライムに食われた」
「それは災難だったな」
この状況で血を飲むには勇気がいる。もう吸血鬼だということは知られているだろう。血に飛び付いても驚かれはしないだろうが、あまりいい顔はされない気がする。
「どうして俺を助けてくれたんだ?」
「なんだ? お礼だけじゃなくて文句も言いたいのか?」
「そうじゃなくて、俺が吸血鬼だってこと、とっくに知っているだろう? どうして人間が吸血鬼を助ける?」
「私としては、人を助ける吸血鬼の方が希少なんだけど。もったいぶっても意味ないし、本当のことを教えてやろう」
男はナイフを取り出しす。そのナイフで何をするのかと思えば、ドラゴンに近寄ると、鱗の間に差し込んだ。持ち手を捻ると、簡単に鱗を引っ剥がす。
鱗に貼り付く苔を削ぎ落とし、雲の隙間から覗く満月にかざして色を確認していた。
「こりゃぁ使い物になりそうもないな。持ち帰る手間に見合いそうもない。ドラゴンは貴重なんだが、それでもこれは酷すぎる。荷台があればまた違うんだけど」
もはやどうでもいいと鱗を投げ捨てると、ナイフを仕舞い、俺に目を戻す。
「君を勧誘しにきた」
そういう男の背景には、月が輝いている。
「は? 勧誘?」
「そう怪訝そうな顔しないで本気だよ。私はちょっとした……んー、便利屋っていうのかな? 便利屋とはちょっと違うんだけど、似たような店を開いていてね、ぜひともそこで力を奮ってほしい」
なんだこの怪しすぎる勧誘は。嘘や冗談としか思えない。しかし男の真っ直ぐ透き通った目には本気だと書いてあるような気がする。
何処から訊けばいいのか判断つかず、俺は汚れた手で頭を掻く。
「その店ってどこにあるんだよ。山の上か? 谷の下か? それとも町の中? だとしたらありえない。吸血鬼が人の町に出たらどうなるかくらいわかるだろう?」
「燃え尽きるだろうな」
「そのとおりだよ。昼間に出歩けばね」
そういう話ではない。
吸血鬼は血が通った生き物全てを、食料として考える。当然人間だって例外じゃない。人間だからという、ただそれだけの理由で殺し食らう吸血鬼を、人々が忌避しないわけがないのだ。
もし町中で吸血鬼だと露見したらどうなるのか、火を見るよりも明らかだ。討伐隊が編成され、全力で殺しに来るはずだ。そうしなければ正気を疑う。
「ところで君は手足を再生させないのか? 吸血鬼は回復能力が高いから、すぐに戻せると思うのだが」
「高位の吸血鬼ならそうなんじゃない? 俺は成り立ての弱小でね」
「でもここにはこれだけ血があるんだ」
男は溢れるほどの龍の血を示す。
「いくら力が弱くても、ドラゴン1体分の血があれば何かはできそうだけど」
「へぇ、吸血鬼について詳しいんだ」
「いいや、そうでもない。知りたいとは思うんだけど、サンプルの入手が絶望的でね」
「入手が絶望的?」
冗談であってほしい。サンプルがないから吸血鬼について詳しくないと聞こえた気がする。それはつまり、サンプルがあれば詳しくなれたと言い換えられないだろうか。
「もしかして、さっきの勧誘って俺が吸血鬼だから?」
「包み隠さず言うとそうだね。私は趣味で魔法や魔術を研究している。伝えた通り私は紋章術士だけど、知識だけなら天使術や精霊術にも明るい。他の分野でもある程度の知識は保有しているつもりだ」
男は足元に構わず、血の中を歩いた。千切れた俺の足を拾い上げ、興味深い目で見つめる。
俺の足をどうするつもりだ? その足はもはや俺の元を離れた肉塊でしかないが、変態的な行為に移るのであれば、たとえ恩人であっても反撃もやむを得ない。
「今までもこれからも、より広く手を伸ばしたいと考えて入るんだが、現実的に研究が難しいものがあってね。そのひとつが血の魔法ってわけだ」
「つまり吸血鬼の血がほしいってわけだ。……さっきは店で力を奮えと聞いたんですけどね」
「うちは閑古鳥が鳴いている。私ひとりでも暇なのだから、人手が増えたらどうなることか。趣味の話をするくらいの時間はあるさ」
「趣味の前にその店をなんとかしたらどうです? 従業員だけ増やしても意味ないと思うけど」
「いやあ立ち上げから失敗してね。旗を上げるどころか真っ逆さま。地中に埋もれて出られなくなった。それが逆に心地よくてね。意外と土の中も悪くない」
男は反省するでもなく、それこそが素晴らしいと言うように笑ってみせた。
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