第13話 炎は荒れる

ドラゴンに飛びつかれる。太く長い首を強引にくねらせて、少しばかり煙が上がる牙ですり潰そうと大口を開けた。

 こうして正面からみてみると、思っていたよりもずっと速い。ズームしたかのように、一気に距離を詰めてきた。

 熱気を帯びた口臭が顔中に叩きつけられる。


 地面に刺さる、剣の柄を手に取る。それを軸に横へ跳ぶ。

 勢い余ったドラゴンがすぐ横を通り過ぎていく。っと尻尾には注意しなきゃな。予想通り鞭のように振るうそれを縄跳びにしてやった。


 わかっていたことだが、低位といってもやはりドラゴンだ。突進に巻き込まれた家屋が砂山のように崩れていく。


「ったく、散らかしすぎだっての」


 もし今のを受けていたら恐ろしい。あっという間に体がバラバラだな。


 俺の目的は時間稼ぎ。戦士が退避できる時間をつくること。ちらりと後ろに目をやって、火がない逃げ道を探す。

 そうしている間にドラゴンが振り向く。口を半開きにして顎を引いて――まずいな。火を吐くつもりだ。夜に閃光が満ちる。


 燃え盛る家屋の隙間に飛び込んで躱す。すぐ背後を火炎が行進した。

 周囲には煙が蔓延し、視界がなければ吸う空気もない。吸血鬼でなければ危ないものを吸って、すっと意識を失っていたことだろう。


 灰が雪のように舞う。炎が止んだ後には、戦士から借りた剣だけが、黒ずんで残っていた。


 熱気だけで体力が奪われてしまいそうだ。まだ炎の残り香がある表側は避け、家屋の裏から回るようにしてドラゴンとの再会を目論む。


 戦士はうまく逃げているだろうか。怪我を負っているので、そう速くは動けないはずだ。血の匂いを追えればよかったが、煙と熱気で鼻が馬鹿になっていて難しい。


 ひょいとドラゴンの側面へ躍り出ると、向こうも俺に気づいて首を曲げた。牙の隙間からはまだ僅かに炎が漏れている。唸声で揺れていた。


「思い通りにいかないからって、そう怒るな。シワが増えるぞ」


 思い通りにいかないのはこちらも同じである。ドラゴンの足止めが、俺が買って出た役割だ。本来であればもっと余裕を持って防戦をしたい。これは内緒だが、実は死なないように立ち回るだけで一杯一杯だった。


 ドラゴンは予想よりも動きが速く、炎も躊躇せずに撃ってくる。さっきはなんとか建物の影に飛び込んで助かったが、もし空から狙い撃ちされたらと思うと気が気でない。翼に怪我があって助かった。


 再びドラゴンが首を引っ込める。さっきも見た炎を吐く姿勢だ。

 そう何度もやられると困る。逃げ場がなくなってしまうではないか。かといって止める方法もない。


「仕方がない」


 おそらくだが、ドラゴンは炎を吐きながら息はできない。前を見ながら後ろは見えないし、歩きながら飛ぶのも不可能だろう。

 では炎を吐きながら踏ん張っている足で攻撃できるだろうか。


 さっき炎を吐いたとき、ドラゴンはずっと首を真っ直ぐにしていた。首を曲げたら俺を追えたのにそうしなかった。癖か身体構造的な理由かはわからない。

 次に火を吐くときも同じだろう。標的が逃げてもずっと正面に火を吐き続ける。そうであってほしい。


 身を屈めてドラゴンへと詰める。吸血鬼の身体能力に加えて【肉体強化】のスキルが残っているので、思っていたよりはあっさりと距離が縮まった。

 それでもまだ距離はある。炎が壁となって迫ってきた。それでも俺は止まらない。


 炎が吐き出された瞬間に身を捩り、炎の下へ滑り込む。耳の端が黒く焦げる程度で抑え、ドラゴンの顎下に潜り、後ろ側へと抜けていく。


 どうやら炎を吐きながらでも、足は自由に動かせるらしい。踏ん張っているという考えは間違いだったようだ。前足の爪が、空気ごと俺を切り裂こうと迫る。

 これはドラゴンの視界の外での出来事だ。爪は確かに俺を狙っているが、的外れの位置を掻くだけ。簡単に避けられる程度の攻撃だけだった。斜め後ろに来てしまえば、関節の向き的に攻撃はできない。


「やっぱり大したことないや。レベル差以外に怖いところがない」


 俺はすでに後ろ側に抜けたというのに、ドラゴンは未だに炎を吐き続けている。どういった原理で火が出てくるのかはわからないが、吐ききらないといけない仕組みなのかもしれない。

 最も恐ろしい攻撃が炎だと思っていた。しかし真逆だったようだ。延々と炎を吐き続けてくれるなら、これ以上の時間稼ぎはない。


 俺は爪を突き立てる。吸血鬼になってから鋭く細くなったそれは、もはや紛うことなき凶器だった。真っ直ぐ伸ばし、揃えた指が、ドラゴンの鱗と衝突する。


 被害を被ったのはこちらであった。鱗に傷を入れるどころか、こちらの爪が割れた。

 震えるような痛みが指先に残る。生した苔を剥がすだけで精一杯だ。青みがかった本当の鱗の色が、爪がこすった部分だけ露出している。やっぱり傷を追わせようなんて無謀すぎたか。


 弱いと断言したが、能力差が桁違いというのもまた事実だ。もしこの戦いが賭け事になったなら、ドラゴンの勝利に大金が集まることだろう。俺だってドラゴンに賭ける。というか差がありすぎて賭けにならない。

 吸血鬼は長命であるという特徴を活かし、寿命勝ちをしようにも、同じく長命なドラゴンが相手では意味がない。

 そもそも朝が来ただけで焼け死ぬ吸血鬼は、そこらの短命な虫よりも先に、命儚く散っていくだろう。


 ドラゴンの首元にある傷に触れられないかと手をのばす。そこから流れる血を舐めれば、龍の力を一端でも得られたのではないかと考えてのことだ。この試みは失敗する。


 ちょっと手を伸ばすとそれだけで、ドラゴンは強烈な拒否反応を見せる。体を振ると、後ろ足だけで立ち上がってみせた。炎を吐き終え、代わりに白い息を漏らしている。

 ただでさえ巨体のドラゴンが、上体を起こすとより大きく見える。その迫力に身震いをさせられた。


 周囲が業火で満ちていても汗はかかないし、声を出すとき以外は息をする必要もない。それが吸血鬼だと思っていたが、震えは出るようだ。


 呑気なことを思っていると、上から爪を落とされる。ひょいと後ろに跳ねるだけで爪は簡単に躱せたが、砂が混じった余波はもろに食らう。

 視界が塞がるほどではないが、見づらくなったのは間違いない。

 薄く目を細めると、砂埃の向こう側に影を確認できる。ドラゴンは後ろ足で跳び、爪を持ち上げる。


 俺は踵を軸に、体を直角に回転させ、ほぼ倒れたような姿勢で飛び退いた。首筋が爪が起こした風で冷える。なんとか避けられたが、すんでのところだった。無理やり跳んだこともあり、俺は無事に地面に転がる。

 吸血鬼ゆえの身体能力に、【肉体強化】のスキルがあって回避がギリギリか。どちらかが欠けていたらと思うと――っと尻尾!


 ドラゴンは爪で空を切った後、勢いのまま体を回していた。尻尾が振られたのはその最中だ。起き上がった俺を狙っている。


 正面から受け止めるのと、命を諦めるはありえないとして、――掠ってくれるなよ。


 尻尾は跳び越す以外の選択肢がなかった。俺はドラゴンの尻を蹴飛ばし、より高くへと跳び上がる。苔生した鱗は滑りやすく、思っていたよりは上がらなかったが、それでも尻尾が掠らない高度を確保できた。


 さて次だ。ドラゴンは首をこちらに向けると、再び爪を持ち上げる。それも距離を作って対処するが……。


「次は火か」


 距離を取った途端にこれだ。左右に物陰はなく、再びドラゴンに詰め寄るのもすぐには難しい。


 このドラゴンが弱いという評価を正す気はないが、やはり無被弾が必須では辛い。

 回避に向いたスキルなしで、自分よりも速い格上を相手にしているのだ。苦戦しないはずがない。

 っと忘れてた。炎が来るんだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る