第12話 弱者の余裕と強者の余裕

「さてと。どうしようかなぁ」


 ドラゴンは俺をターゲットとして認識しているようで、顔を見つめれば目が合った。怒りを孕んだ視線が俺を貫く。

 怖いから睨まないでほしい。怒りを向けられる覚えがないんだけど。俺がやったことは、ドラゴンと戦いっていた戦士を逃したくらいだ。


「逃したことを怒ってるなら悪かったよ。できれば穏便に話し合いで済ませたいんだけど……話通じてる?」


 まあ、通じるわけがないな。高位のドラゴンなら違うんだけど。


「逃げたら追いかけてくるよな?」


 速さはドラゴンが上だろう。背中を見せれば背中を齧られるだけだ。超うまく振り払えるとしても、するべきではないだろう。目標が戦士に戻れば、俺がここに来た意味がなくなる。


「勝てないのは目に見えているし、やっぱり時間稼ぎだな」


 見たところ、このドラゴンは低位の個体だ。龍というよりは、その劣化版である亜龍に近い。

 鱗は汚れて苔むして、所々に寄生虫まで付いている。はっきり言って汚らしい見た目だった。元の鱗の色がわからないほどだ。


 トリプレッツガーデンでは特に強力なドラゴンというと、皇龍と呼ばれる7体の古代竜や、ブラックナンバーズと呼ばれる12体の黒竜がいる。

 目の前の個体はそれらとは比べものにならないくらい弱い。はっきり言って別種だ。寄生虫すら払えないとは、龍種の面汚しもいいところだろう。


 戦士との戦いでも、尻尾を振り炎を吐き出すだけの、単純な攻撃だけだった。おそらく特殊な攻撃は持っていない。

 これがゲームなら図体がでかいだけの雑魚に分類されている。おそらくこいつの為に対策を練る人はいないだろう。それくらい弱い。どうしようもないくらい弱い。適正レベルであればだが。

 俺のレベルは1。ドラゴンのレベルは120付近だと思われる。


「きっついなぁ。でもこいつならなんとかできる」


 動きが単純で、特異性もない。巨体ゆえに小回りがきかず、ついでに翼に手傷を負っている。


 攻撃を一発でももらってしまったら俺の体はグチャグチャだが、そんなヘマをするつもりはない。

 ただ炎だけは怖い。遠くから見ていた限り、火炎は遠くまで届く。俺の体は火に耐えられるようにはできていない。



 少しでも差を縮めるため、俺は悪いとは思いつつも、戦士の血が落ちたところで腰を曲げる。まだ温もりが残る血に手を沈め、土ごと指の間に染み込ませる。指先から落ちようとする雫を見て楽しみ、嗅いで楽しんでから舌で舐めた。

 アルハヴァジスを除いたら初めて、他者の血が喉を通る。どれだけ美味いものかと期待したが――。


「土の味が酷いな」


 次があるなら地面に落ちる前に舐め取りたいものだ。

 手から土を払い落とし、ドラゴンへ目を戻す。


「吸血鬼になってから体の調子がいいんだ。俺の左腕がないことに加えて、おまえが強者だとしても、そう簡単にいくとは思うなよ?」


 血の魔法。俺にはまだ扱いきれないが、吸血鬼である以上素質はある。血を摂取したことで、その一部が花開く。


 俺は体に起こった異変を自覚する。あの戦士が持っていた【肉体強化・大】のスキルを、血を介して獲得する。

 使える時間は僅かな上に、スキル効果にも弱体化が入っている。おそらく数分も保たないだろう。効果量は【肉体強化・小】にすら届いていない。

 それでも何も持たない俺からすると、天から垂れる蜘蛛の糸のようにありがたい。


 周囲は大火事だ。まるで昼間のように明るいが、私は元気です。


 ドラゴンは一歩ずつ、時間をかけて距離を詰めてくる。焦れったいやつだ。一気にぶつかってくればいいものを。――その場合はせっかちだと文句をつけるけど。


 遠くからではわからなかったが、ドラゴンの傷は翼だけではなかった。下から見て気づいたが、胸元や首元の鱗が一部ない。まるで溶かされたかのように肉がくぼんでいて、そこからの出血が腹辺りの鱗に溜まっていた。


 一部例外を除いて、ドラゴンには【自動回復】がある。こいつも持っているはずだ。それがあるのに未だに治らない傷がある。

 おそらく相当深い傷だったのだろう。今は首元の周辺にしか残っていないが、もっと広い傷だったに違いない。

 首全体に広がるほどの、溶かされたような傷跡。痛みが想像できてしまうくらい酷い。これを見ると怒り狂うのも仕方がない気がする。

 とはいえ、八つ当たりされる側としてはたまったものではない。


 ドラゴンが鼻息を荒げると、俺の肩がビクリと浮いた。

 命が危機に晒されているからだろうか。感覚が麻痺してくる。今も一歩間違えれば死ぬ状況だが、同時にあくびをしたい気分でもある。


「こうやって睨み合って過ごすのも悪くないんだけどさ、朝でもないのに眠くなるから、始めるならさっさと始めない?」


 ちなみに吸血鬼には睡眠は必要ない。トリプレッツガーデンの吸血鬼はそうだった。俺も吸血鬼になってから一睡もしていない。それでもこの通り元気だ。


 ドラゴンから目を離さないよう後退しつつ、戦士が置いていった剣を手に取る。


 それは何の効果もない普通の剣だった。おそらく鋳造で作られたものだ。悪くいえば濫造品ではないかと推測する。


 鉄の塊はずっしり重かった。血を舐めてスキルを得ていなければ、力不足で落としていただろう。

 今の俺は子どもの体で、相応に体重も軽い。剣を振ったら体が振り回されかねない状態だ。――命がけの場ですることではないと結論づける。

 扱えそうもないし邪魔になって仕方がないと、俺は剣を地面へ突き刺した。


 それが合図になる。ドラゴンが吠えた。

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