第11話 炎の主と明るい夜

 洞窟でひたすら夜を待った。今は夕日が世界を赤く染めている。そろそろ夜だ。

 俺が砂浜で目覚めてから1日が経過した。吸血鬼になった影響か、眠気も空腹も一切ない。唯一のどの乾きだけは目立ってきたが、まだ理性を保てる程度だ。

 俺は立ち上がり軽く運動をしながら日没を待つ。すぐに夕日はなくなり、月と星が支配する世界になった。


 太陽が沈んだ方向を西だと仮定して、俺は行動を開始する。村がある方角に向かって急いだ。


 やはり吸血鬼の感覚は優秀だ。生き物匂い、正確には血の匂いを遠くからでも感じられる。スライムのように血を持たない敵は感知できないが、血が通っていれば人間でも魔物でも居場所がわかる。

 この能力で動物や魔物を避けて進めた。おそらくこちらに気づいたであろう魔物もいたが、距離がある内から見合いにできるため襲われる危険はない。


 そうして進んでいると、似た血の匂いをさせる集団を発見する。

 これは人間の血か? あまり美味しそうじゃない。食指が動かないなら、もっと近づいて確認しても問題なさそうだ。

 目視で村を確認するため、匂いの先へ急ぐ。木々の隙間を抜けると、広い空間に飛び出した。


 足首までの草が生え放題の草原だった。丘になっていて、天辺には木の柵が2列ほど並んでいる。

 久しぶりに見た人工物に頬を緩ませる。やはり村があるようだ。とはいえ柵の有無だけでは村の証明にはならない。

 直接この目で村を確認しようと、丘を回り込むようにして村に近づいた。


 俺は吸血鬼である。村に近づけば容赦なく殺されるはずだ。遠くから見るだけで留めるつもりでいる。


 感知系のスキルを持った村人がいたら危ないと思いながら、丘の周りを迂回しながらより高所を目指す。

 幸い誰にも見つからずに、村を見下ろせる位置まで移動できた。


 狭い土地にいくつもの木造建築が集合していた。小さな敷地に密集しているのは、森に住む魔物への対抗策だろう。日が落ちているから外出している人は少ないが、確かに人間が歩いている。


 やはり村だ。これで俺の居場所がはっきりする。俺の肩から力が抜けた。

 ようやくひとつ、思い通りになった気がする。ここからだ。俺はここからはじまる。


 レベル1でも戦える相手を頭の中に列挙する。その中でここから最も近い位置は――。


 思考が打ち切られる。巨大な影が村に接近していることに気づいたからだ。それはよろけながら、やっと空を飛んでいる状態だった。徐々に高度を落とし、村の側に落下する。


 程なく村では火が上がった。人の叫び声がこだまして鐘が鳴る。

 俺はそんな村をじっと見下ろす。目が離せなかった。心のどこかでいつか見るかもしれないと思っていた、一種の憧れが暴れている。


 ドラゴンだった。翼に怪我をしていて動きがぎこちないが間違いない。龍の血の匂いに好奇心をくすぐられた。

 少しぷっくりとした胴から、悪魔を思わせる両翼が生え、全身を堅牢な鱗で覆っている。足は前と後ろに2本ずつ。長い首の先には平べったい頭部が付いている。そこから炎が吹き出されると、家屋は燃料となり夜を照らした。


 ドラゴンは荒れていた。おそらく怪我のせいだろう。目につくもの全てを敵とみなし、暴力の限りを尽くす。


 村も応戦を開始した。何人かの戦士が飛び出すが、圧倒的な巨体や、炎の熱を前にすると手が出せず、程なくして戦線が崩壊した。


 人々はドラゴンに背を向けてひたすら逃げる。規律はなく各々が感情のままに走っていた。その一部がなんと俺へと向かってくる。このままだと鉢合わせるだろう。それでも俺は動かなかった。じっとドラゴンを見つめる。


 ドラゴンは変わらず暴れていた。家々を壊していく。そこにあるものを噛み砕き押しつぶす。


 ひとりの戦士が果敢に挑む。盾でなんとか炎を防ぎつつ、剣を突き立てる。しかしドラゴンの鱗は硬く、並の剣では歯が立たず、簡単に弾かれていた。


 勝てるはずがない。誰が見てもそう思う。それでも戦士は立ち向かう。俺は興味本位で観戦をした。

 じっと見ていると気づいた。戦士は何かを守っている。そう見えた。有利な立ち位置を選ばないのがその証だ。

 戦士が叫ぶように口を動かす。読唇術を持っていない俺では、内容まではわからない。


「あれは?」


 俺は目を凝らしてようやく見つけた。子どもがいる。その子は焼ける家屋の側で、恐怖に固まっていた。這うように逃げているが、牛歩のごとく進まない。

 そんな子ども背にして、戦士が立ちふさがる。そうか。命を掛けている理由はこれか。戦士はここまで届く気迫を見せているが、ドラゴンはどこ吹く風だ。


 あの戦士、見たところレベルは80相当ってところだろう。人の中では強い部類だと思われる。

 これは予想だが、レイドボスになるような一部超越した人間を除けば、レベル100手前が一般兵の上限だろう。つまり80は相当高い。

 しかしそれでも届かない。ドラゴンは最も劣った個体でもレベル120はある。単純な数字の差により、結果は見えていた。


 おそらく本人が一番、実力差をわかっている。勝ち目がないということも。それでも立ち向かわなければいけない。子どもが逃げられるように……。

 戦士はきっと、これに近い考えの元、ドラゴンと対峙しているのだろう。


 戦う両名のスキルを確認したい。正確な能力を測れれば、戦士があとどれくらい耐えられるのか推測できる。


 俺は【臨摸】を使おうとしてみるが。……やはり駄目か。アルハヴァジスに首元を噛まれたとき、全てのスキルが壊されてしまっている。

 今俺が持っているのは、吸血鬼の種族スキルくらいだろう。所謂、外れスキルでもいいから何かがほしい。


 戦士のスキルだけでも知りたい。残り体力がまるでわからないので、次の瞬間に死んでしまうのではと心配になる。このままだと――。

 俺はどうして心配なんかしているんだ?


 俺がここにいる理由は、村があるかの確認だけである。確認ができた時点で目的は達成した。村で何が起ころうと、俺には関係がない。ドラゴンが暴れ、村人全員を食い散らかそうと無関係なのだ。他人事でしかない。


 そう理解していながら、回れ右して逃げない俺がいる。どうしてだろうな。吸血鬼になったのに人間の心配をしている。我ながら変な吸血鬼だ。


 関わりたくないなぁ。ドラゴンは俺にとっても勝てない相手だ。レベルどころかスキルも全て失った状況では、向き合うだけで綱渡りを強要される。正直なところ、これ以上は近づきたくない。


 反して足は前に向かっていた。俺は大馬鹿者だ。わざわざ絶対に勝てない相手に向かっていくとは。愚か過ぎて言葉もない。


 逃げる村人とすれ違う。驚いた目で見つめてくれたが、俺は何も返さず村へと急いだ。

 木の柵に強引に足を掛けて跳び越し村へと入る。ここまでくると熱風で体が焼けるようだった。


「直前で死んだりしないでくれよ」


 願いながら戦士の元へと急ぐ。

 家屋の瓦礫を避けながら進むと、戦士の背中に出た。子どももまだ無事だ。大きな怪我もしていないようである。


 戦士の集中を欠かせてはいけないと、ドラゴンの動きに注視する。首を上げ、叫ぼうとしたときを見計らい声をかける。


「この子どもは俺が避難させる」


 戦士は一瞬振り向こうとしたが、すぐにドラゴンに目を戻す。ドラゴンは咆哮を響かせた。


「助かるよ」

「君も適当なところで逃げてくれ」

「ああ。もちろんそうする――っ」


 ドラゴンは叫び終えてすぐ、上げた首をそのまま叩き落とす。戦士はそれを盾で受けてしまった。

 凄まじい衝撃が盾から腕に。腕から肩へ、全身に響く。その衝撃は格下である戦士にはとても耐えられない一撃だった。

 盾が砕け、戦士の体が投げ出される。


「大丈夫か!」


 我ながら馬鹿な質問だった。大丈夫なわけがない。額や頬、体中の至るところから出血をしていた。血を嗅いで、俺の鼻孔がピクリと動く。


「ああ。大丈夫だ。それより早く避難を」


 そう言う戦士は満身創痍で、もはや立っているだけでやっとという風貌だ。これはもう長持ちしないな。放っておいたら、この戦士はすぐに殺される。盾がなくなった以上、炎を防ぐことすらままならない。


 この戦士は俺にとって他人だ。名前を知らないどころか、よくよく考えると顔を見たことすらない。知っているのは戦っている背中だけ。それなのに情が湧く。

 赤の他人のために、自分の命を危険にさらそうとしている自分に気がついた。これは俺の悪いところかもしれない。


 戦士が生きようが死のうが、俺の毎日に変化はないだろう。ここで前に出ても自分の寿命を縮めるだけだ。

 そんなことはわかっている。わかっているが、動く足が止まらない。


「大丈夫と言うなら、せめて体を左右に揺らすのをやめろ。その耳障りな荒れた息もだ。あと出血も止めろ。集中できない」


 俺は戦士を押しのけるようにしてドラゴンの前に躍り出る。こんなことをするなら、せめて勝算を見つけてからにしたいが、まあ今は時間がないので仕方がない。


 正面に立ってみると、ドラゴンの巨体に押しつぶされるような感覚に陥った。遠くから見るより、圧倒的にでかく感じる。ひび割れた水宝石クィヴェリアよりは小さいので、なんとか怯えずに済んでいるが。


「俺がやる。さっさとそこの子どもを担いで逃げろよ。その体で走るのは大変かもしれないけど、戦うよりは楽だろ?」

「君はっ!」


 手で追い払おうとしても、戦士はなかなか動かなかった。俺が吸血鬼だと気づいたのかもしれない。周囲は火で溢れていて、昼間のように明るいのだ。目や牙は隠せても、死んだような肌色は隠せない。まあバレる。

 本来であれば人を脅かす存在。それが血を吸うではなく、ここから離れろと言うのだ。信じられないと言いたげに固まっていた。


「いいから行けよ」

「……ありがとう」


 冷ややかな視線を感じる。戦士には化物と化物が闘うように見えているのかもしれない。

 まあなんでもいい。さっさと子どもを抱えて離れてくれ。


「ああそうだ。念の為、剣貸してくれない? 返せないと思うけど」

「わかった」


 戦士はその場に剣を突き刺すと、それ以上の言葉はなく子どもを抱えて行ってしまった。武運を祈る言葉すらなかった。吸血鬼なら死んでも構わないと思われていたのだろう。少し淋しいけど泣かない。ドラゴンを前にした興奮が勝るから。


 俺の口元は笑っていた。

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