第7話 夜が来る

 ここはどこだろう。俺は波打ち際の砂浜に横たわっていた。体を起き上がらせる。

 周囲にはだだっ広い砂浜が広がるだけだった。夕焼けで赤く色づいている。


 たしか俺は……。

 記憶をたぐるとひび割れた水宝石クィヴェリアを思い出す。そうだった。やつを黙らせて、その後に波に飲まれ、それから……。


 頭が痛い。クラクラする。頭を押さえて歯を食いしばった。

 突然の吐き気に襲われて、胃の内容物を全て吐き出す。口の中から溢れたのは、海水と細かいゴミだった。

 唇から滴る海水を見下ろす。砂浜にできた小さな水たまりは、夕日を受けて銀色に輝いた。


 ここは俺の部屋ではない。俺の部屋はこんなに風通しはよくないし、海と面してもいない。足元は砂ではなくて絨毯のはずだ。どうやらまだ夢の中にいるらしい。


 実に生意気な夢だ。頭は痛いし視界がぼやけている。水を吸った服が貼り付いて、風が吹くと寒い。こんなに不愉快で現実的な夢は初めてだ。

 トリプレッツガーデンの世界に入り込んだようなこの夢を、はじめは心から歓迎した。今では少し辟易している。単純に疲れてしまった。


 体が冷えて震える。腹が減って仕方がない。とりあえず食べられる物でも探すとしよう。


 この砂浜は避暑地でもなければ港でもない。人工物はひとかけらもない、自然あふれる場所だった。

 こういう場所は怖い。危険な肉食生物が出る。トリプレッツガーデンの世界なら魔物も警戒しなければいけない。


 海を背に歩くと、すぐのところに森が広がっていた。砂漠地帯じゃなくてよかった。植物があるなら水や食料の確保も不可能じゃない。

 夕日が沈めば夜になる。認めたくないが変えようがない現実だ。つまりもうすぐ夜になる。

 そうなる前に腹を満たせるものを見つけたい。でなければ朝まで砂浜で膝を抱えながら、腹の虫とお喋りすることになる。そんなのは御免だ。


 ここがトリプレッツガーデンの世界なら……。

 ゲームで採集できた食料を思い出す。木の実やきのこ、動物の肉や卵など、森で採れる食料は多い。

 狙うなら木の実だ。他は生で食べると食中毒が怖い。


 森はすでに暗かった。人間の目では足元の凹凸すら見抜けない。

 怪しい鳥の羽音が広がる。木の隙間からの風が、氷のように冷たく感じられた。

 これではまるで心霊スポットだ。違いは幽霊ではなく血肉を食らう獣が出るということくらい。足元に薄い霧が立ち込めても俺は驚かないだろう。


 こんな森に踏み入るのは下策だ。あっという間に襲われて骨に変えられる。砂浜で夜を明かすべきだ。砂浜は視界が通るし、夜になっても月と星で明るい。魔物に襲われてもすぐに気付ける。完璧だ。とは言いづらかった。


「海を背にしたら逃げ場ないな」


 魔物から逃げる手段がなかった。そもそも出会った時点で終わりだ。どんな魔物が相手でもレベル1の子どもじゃ、足の速さで勝てるはずがない。腕っぷしでは勝負にすらならないだろう。


「まじでどうしよう」


 物資はない。野営の知識もない。体力もない。こんな状態の子どもが、野生で生きてけるわけがない。八方塞がりだった。

 何か策があるはずだと、考えて考えて考えて。


「まあ……どうせ夢なんだし野垂れ死んでもいいか」


 出た結論がこれだった。

 探索する体力はなく、不慮の事態に陥った際の対応力もない。

 持ち物は奴隷らしい服だけ。せめて靴だけでもあれば、海岸線を歩いて様子を見るくらいしていたかもしれない。

 野垂れ死ぬ他にできることがあるとすれば、体力の温存だけだ。


 俺は海岸からすぐの木の側に蹲る。風よけを得るためだ。両膝を抱えると、少し暖かくなった。こうすれば体力の消耗も最低限で済むだろう。

 夕時が終わり、夜の帳が下りる。


「それにしても、星綺麗だなあ」


 他にすることもないので空を見上げていた。群青色の空で点が輝いている。周囲には木以上に高いものはない。少し木陰から出てみれば、視界全てが星で埋め尽くされた。


 白い星に赤い星、青い星も見つけた。指で空をトリミングし星座を作る。

 こんな遊び、いつもの俺ならくだらないと一蹴していたであろう。それが不思議と嵌まり込む。無理がある星座を作り出しては、ひとりでクスクスとした。


「これで食い物があれば最高だったんだけどな。いっそのこと雑草でも食むか?」


 周囲にある雑草は、空腹でも勘弁願いたい青臭さがあった。


「しかし困ったな。本当によく星が見える。これって本当に周囲になにもない証明じゃないの?」


 都会では星は見えない。周囲の光が強すぎるからだ。

 逆に言えば周囲の光がなければ、星がよく見えるということになる。


 トリプレッツガーデンの世界にある街は、街中を魔術による灯で照らしている。前時代的な村もあるが、日が落ちてすぐに消灯するところは皆無だ。

 要するに、近辺には大きな都市がない。


「わかってたけどさ、やっぱり俺死んだわ」


 幸運の女神が実在して、俺を贔屓してくれるなら話は別だ。運良く冒険者の一団と出くわすかもしれない。

 もし近くに冒険者がいるとしたら、野営をしているはず。


 俺はその場で立ち上がり、一周ぐるりと回り確認する。焚き火の煙はなしと。火を起こさない野営をしている可能性はあるが望み薄だろう。

 残念だが仕方がない。命を諦めるとしよう。


 腹が鳴った。空腹はわかってるから、いちいち叫ばないでほしい。

 五感から得られる感覚は、どれも現実さながらだ。空腹もそうだが、肌寒さも耐え難くなってくる。遠くで鳥が鳴いた。コウモリのような小型生物が一斉に飛び立つ。


 独り言をやめて口を閉ざすと、俺の孤独が強調された。心細さを感じ始める。

 答える相手がいなくてもいい。声を出すようにしよう。


「夜は長いな」


 ――。


「ええ、そうですね」


 その声は俺の真正面からだった。

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