第2話 船員と会話をする

 ひび割れた水宝石クィヴェリアとはクジラのような巨大な魔物だ。


 全身は透き通った皮で覆われている。これを素材に防具を作ればいい感じに透けた装備になるとして、一時期だがゲーム内で流行った。

 その皮の内側には、放射状の模様が規則的に入った皮膚が確認できる。薄くきれいな水色の皮膚だ。この色が水宝石という名前の由来である。


 名前に宝石を冠しているが、綺麗な生き物だとはとても言えない。非常に凶暴で残忍だ。生き物を殺すために攻撃をする習性が尤もなところだろう。

 そんな魔物と出会ってしまったらどうなるか。プロローグでは主人公以外は、船員も奴隷も例外なく殺されてしまった。食われたのではない。殺されたのだ。


 グラスコは呆れたように息を吐く。


「近くに生息域はあるけどな、迂回してるに決まってんだろうが」

「もちろんそうするだろう。しかしできないんだ。ふたつの偶然が重なってしまってね」

「ここまできたんだ。聞いてやるよ」

「ひとつめの偶然は、航路がずれていることだ」

「んな馬鹿な。俺たちが何年海で生きてきたと思ってる」

「間違えるという意味ではない。いつもと違うという意味だ。君たち急いでいるだろう? いつもより強気な航路を取っていないか? それ自体は構わないんだ。俺も君たちの経験を疑うつもりはない」

「よく観察してるじゃないか。確かに慣れた航路じゃない。だがそれだけで虎の尾を踏むようなポカをすると思うか?」

「ここでもうひとつの偶然が生きてくる。それはな丁度今、ひび割れた水宝石クィヴェリアが移動をしているということだ」

「なんだと」


 ようやく真剣な表情になったか。もしかしたら思い当たる節があるのかもしれない。実際に兆候が出ている。


 船が揺れる。立っていた俺は足元を救われてすっ転び、グラスコはドア枠に頭を打ち付けた。

 転けて打った肩が痛む。ちょっと腫れているかもしれない。


「あー痛い。ところで今日の海は元気だな。外は荒れているのかい?」

「絶好の航海日和。雲ひとつ無い晴天だよ。風も穏やか。甲板で日向ぼっこでもしてたいね」

「素晴らしい話だね。でも、ここで問題です。今の波はどこから来たのでしょうか」

ひび割れた水宝石クィヴェリアが起こしているって言いたいわけだ。移動しているという根拠は?」

「俺の経験だ」


 グラスコは真顔を見せると、すぐに吹き出して笑い声を上げる。


「くっくっく。ガキが経験とのたまうか。笑い話としてはこの上ないな。だが、おまえがそこらへんのガキより賢いのはわかったよ。俺の甥っ子は野猿と違わないってのにな」

「甥がいるのか。きっとグラスコ君とよく似てるのだろうな」

「ああ間違いない。親を泣かせるところとかな。将来は有名な馬鹿になるだろうよ」


 なんだろうな。グラスコとの間に友情が芽生え始めている気がする。毎日過疎ゲーに打ち込んで、フレンドリストすら真っ白だった。俺に友達だなんて冗談のようだ。

 さすがは夢と言ったところだろう。何故か知らないがうまくいく。

 グラスコからはこちらを疑ったり小馬鹿にするような態度が消えていた。真剣な表情で、汚い頭を掻きむしる。


「ああっ、クソッ。おまえの話が笑い話で終わりゃあよかったが、あり得ると思っちまった。実際にたまにあるんだよ。数年に一回程度だが、生息域から離れた場所に出ることが」

「押しつぶされて海の藻屑となりたいなら好きにすればいい。俺は船の残骸を見つけて漂流するよ」

「それも結局死ぬだろうが」

「これが意外とそうでもないんだ」


 そもそもここは夢の世界だ。死んだとしても目を覚ますだけだろう。そういう意味でも、命がけは成立しない。ゲームと同じ、死んでも次があるのだ。ずっと沖を漂流することになっても問題にはならない。


「君が自分の足で地面を踏みたいなら、できる限りの協力はしよう」

「ガキになにができる。今の話が事実だったらどうしようもないだろ」


 グラスコに言われてようやく気づく。俺の目はきっとまんまるになっていることだろう。

 今俺が体験しているのは、トリプレッツガーデンのプロローグである。つまり俺のレベルは――。

 スキル【臨摸】を発動し、自分の情報が記されたカードを取る。


―――――――――――――――――――――――――


 レベル:1

 スキル:【臨摸】【アンプリファイア】【魂を食らう器】

     【熱耐性・小】【視覚強化・小】【肉体強化・小】【勇気・小】


―――――――――――――――――――――――――


 自分のスキルを見て首を傾げた。なんだろう。このスキル群には違和感がある。

 初期はスキル欄がほぼ真っ白だったはずだ。それなのに沢山スキルを持っている。だからだろうか。変だ。何かが変。多すぎる? それとも逆に足りない?

 考えても仕方がない。所詮は夢でしかないのだから。不条理なこともあるだろう。


 気を取り直して行きましょう。知らないスキルがあったのでそれに目をやる。【アンプリファイア】というスキルだ。

 何々……。効果は『全ての攻撃威力+20%』というもの。これちょっと強くない? 

 発動条件が書いていないし、きっと無条件だ。それで2割増加とか、初期のレベリングからレイドボスまでずっと使える。高い攻撃力が邪魔になるようなら、あえて弱い武器を持てばいい。


 と、一見すると強いことしか書いていないが、俺は騙されない。【アンプリファイア】は等級に難がある。高レベルになったら捨てた方が安定しそうだ。低レベルの内は間違いなく強い。


 この【魂を食らう器】も初めて見た。『魂を吸収し、器を広げる』という効果らしい。説明を見てもよくわからない。謎のスキルだった。

 魂とは、魂のことだろう。死ぬと抜けていくアレだ。それを吸収して器を広げる? 敵を倒すとスキルが強化されていくのかもしれない。わからん。まあそのうちわかるだろう。


 わかりきっていたがレベルは1だった。圧倒的に数字が足りなさすぎる。ひび割れた水宝石クィヴェリアとは戦いにもならなさそうだ。向こうは最低でも140レベルは超えている。


 戦って勝つのは不可能だった。どうやら船の大破は避けられそうにない。残念だが皆んな纏めて海の藻屑となろう。――いや、待てよ。


「なにか思いついたのか?」

 グラスコを見上げる。

「思いついたというか、なんとか逃げる程度なら、もしかするかもしれない」

「そうか。だが、魔物が来ると決まったわけでもないけどな」


 グラスコは部屋を見回す。俺以外はおとなしいもので、誰もグラスコに迷惑は掛けていない。「さて」と前置きを入れてから俺に壁際まで下がるよう手で示す。


「長話しすぎたな。船長にどやされちまう。そろそろ戻るけど……どうすりゃいいんだ。おまえの手枷がなぁ」


 俺の足はまだロープで縛られているが、手枷は壊れてしまっている。グラスコがそれについて頭を悩ませた。


「このままでいいか。海の上じゃ、どうせ逃げられやしない。俺は戻る。いいか、全員おとなしくしていろよ」


 グラスコは睨みを利かせ、ひとりひとり順番に丁寧に威嚇をしていた。

 しかし俺との会話により、グラスコの恐怖像は剥がれ落ちてしまっている。奴隷たちの多くは、睨まれたにも関わらず平然としていた。

 それに対し不満そうに口元を歪める。悪かった。俺のせいだよ。だからそう睨むな。


 グラスコは部屋を出て、後ろ手にドアを閉めようとする。そこに声を投げかけた。


「俺の助けはいらないのか?」

「そもそも魔物が出ると決まったわけじゃねぇ。到着までに期限があっから進路変更はできねぇし、本当に出くわしちまったら俺たちにできることなんかありゃしねぇよ」

「水宝石は南側から来るから、逃げるなら北側がいいとだけ言っておく。まあ困ったら呼んでくれ。それまではおとなしくしているよ」


 返答はない。進路変更は無理だと言っていたし、無駄な忠告だったのだろう。


「さてと」


 ドアが閉まってすぐ、俺は自分の足を縛るロープを外そうと試みた。おとなしくするとは言ったが、自由を諦めるとは言っていない。


 プロローグでは、海に投げ出されたときにこのロープが切れる。船に積まれている武器がばら撒かれ、そのときに運良く刃がこすれるのだ。

 そうなるとわかっていても、切れるなら先に切るべきだろう。幸いにも壊れた手枷という道具がある。グラスコに回収されなくて助かった。


 しゃがみ込み、左右の足を広げる。足の間でピンと張ったロープに、手枷の金具を押し当てた。後は簡単。のこぎりのようにしてガリガリ削っていく。なかなか切れず腕が痺れを訴えるが、無視して続けた。

 するとロープは徐々に細くなり、最後はあっけなく断ち切れる。勢い余った金具が、カツンと床板に傷をつけた。


 他の奴隷のロープも切った方が良いだろうか。両足が満足に動かないと、泳ぐ場面になったときに苦労する。

 希望者を募るが、みな気が進まないようだった。きっとグラスコに気を使っているのだろう。それでも後々を考えるなら、無理やりでも切っておきたい。

 近場の奴隷に、足をこちらに投げ出すよう指示を出す。

 船が更に大きく揺れたのはその直後だった。

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