始まりと出会い。

第1話 調子に乗る

 ガンと頭を打ち付けた。ベッドから落下でもしたのだろう。

 打ったところを抑えつつ、寝ぼけ眼を手でこする。周囲は薄暗い。どうやらまだ朝ではないようだ。

 まぶたを開き、両足で立ち上がる。


「どこだここ?」


 勝手知ったる部屋ではなかった。ベッドもパソコンもない。セットしたはずの目覚まし時計は何処へ行った。

 周囲を見回すと、人間がたくさんいた。20人ほどだろうか。老若男女は問わず、様々な人がいる。みんな暗い顔で蹲るばかりだ。

 何をしているのだろう。そういう疑問は出ても、口にしようとは思わない。

 世界に絶望したような表情の人たちに、『こんにちは!』と明るく声をかける勇気はなかった。俺は比較的コミュ障である。


 そんな彼らの両足にはロープが巻き付いている。走れないように、左右の足がひとつにまとめられていた。

 腕には黒ずんだ木の枷。服は人のものとは思えない。使い古した麻袋を再利用したような服だった。

 真っ先に浮かんできた印象は奴隷という言葉。


 ふと俺自身を確認してみると、腕は固定され足は縛られている。衣類もここの人たちとお揃いだった。

 もうひとつ気づいたことがある。目の高さが低いのだ。まるで子供のようだと感じた。この考えを後押しするように手も足も小さい。とても大人とは思えない体躯だった。


「わけがわからん」


 思考を放棄し、全てを後回しにしようと考え始めたころ、急に足元が揺れた。それはあまりにも急で堪えきれず、俺は顔面から床に倒れる。

 とっさに手を前にした結果、枷が口元に当たり、少し切った。


 周囲の人も、驚いて声を上げる。頭を抱えるように縮こまる人もいた。

 しかしまだ揺れは続く。更に大きく床が傾いた。この部屋全体がギリギリと軋む。もしかするとここが崩れるのではないか、そんな不安を感じるには十分なほどの音だった。


 ようやく揺れは安定する。しかし人々に根付いた恐怖はそのままだ。所々から助けを求める声が上がった。


 俺はというと、腕を固定する枷に注目していた。さっき転んだときに、壊してしまったようだ。腕に力を入れて遊んでいると、ぽろりと外れて落ちた。


 外がなにやら騒がしい。誰かが足を踏み鳴らしているようである。

 この部屋唯一のドアに注目した。そのドアが壊れんばかりの勢いで開け放たれる。


 現れたのは男だった。頬には傷、洗髪をしていないであろうボサボサ頭、無精髭は伸び放題だ。なんとも冴えない男である。

 それでも俺たちより、かなり上等な格好をしていた。なんとワインのような赤い色が入った服を着ている。

 ずるい。俺たちの服は汗が染みた黄色だというのに。

 腰には剣、帆の印が入った、革鎧姿だった。


 俺たちが奴隷なら、この男は奴隷商人か。さもなくば悪の運送屋ってところだろう。

 その姿に周囲の人は恐れおののく。


 しかし俺だけは違った。その姿格好に見覚えがあったのだ。

 何処で見た? 何処かで……そうだ思い出した。


 男は剣を強調するために揺らしてから、声を上げる。


「てめぇら! うるせぇぞ騒ぐんじゃねぇ。ぶっ殺されてぇか!」


 このセリフにも覚えがあった。間違いない。トリプレッツガーデンのプロローグだ。

 見覚えがあるわけだ。モニター越しだったが、実際に見ているのだから。

 次のセリフも覚えている。


「ったく、面倒事を押し付けやがって。なんで俺がこいつらの面倒を」


 ということは、ここはトリプレッツガーデンの世界……。

 そう思うと喜びがこみ上げてくる。口元を押さえても笑いが止まらない。客観的に見ると今の俺は奴隷だ。しかしこれ以上に喜ばしいことがあるだろうか。


 五感はどこまでも現実的だが、きっとこれは夢だろう。

 俺はベッドの中にいるはず。そこから船の中、それもゲームの世界に移動するなんて非現実的すぎる。ありえない。まずありえない。つまりここは夢の世界だ。そうに違いない。もし現実だったらどうしよう。


 夢であるという事実を最大限活用しよう。この世界でなら何をしても、誰にも迷惑はかからない。

 現実では人との会話すらままならないが夢ならば別だ。感情を抑える必要はあるまい。


「ハッハッハ!」

「おい、そこのガキ。なにがそんなに楽しい」


 ガキと呼ばれたのが自分だと、気づくまでに少しの時間を要した。どうやら本当に俺は子どものようである。目線が低く手足が小さかったのは、見間違いでなないようだ。


「これが喜ばずにいられるかぁ!」


 男は不気味に思ったようだ。特に追求はない。

 代わりに視線は下へいき、壊れた手枷に降り注ぐ。


「どうやって外した?」

「これ?」


 俺は悪びれずに答える。


「さっき揺れたときだよ。倒れた勢いで床にぶつけたんだ。次からはもっと丈夫な枷を使ったほうがいい」


 こんな会話はトリプレッツガーデンにはない。当然だ。そもそも手枷が壊れる描写自体が存在しないのだから。これはつまり自分の行動で世界を変えられるということ。試したいことが湧き上がる。


 トリプレッツガーデンでは、奴隷として船で運ばれる主人公は、海難事故で近くの砂浜に漂流する。そういう筋書きだった。

 つまりここは船の上。さっきの揺れは波のせいだ。


 放っておけば、ゲームと同じように事故に合うだろう。海の魔物に襲われて、船を木っ端微塵にされるのだ。


 今ならその未来を回避できる。俺は知っているのだ。この船がどの方角から襲われ、船員はどんな対処をするのかを。


 俺は男に指を向ける。


「君の名前は確か……」


 なんだっけ。モブキャラの名前なんていちいち覚えていない。かなり雑だと感じた記憶がある程度だ。

 雑な名前というと、コップ? ビスケット? エビ? イワシ? カミソリ? どれも違う気がする。駄目だ思い出せない。

 考えていると、ふと名案が思い浮かぶ。


 スキルを使って確認すればいいじゃないか。


 なぜそう思ったのかは、自分でもわからない。気がついたときには確信していたのだ。


 俺は何も疑わずにスキルを使用する。スキル【臨摸】。対象の情報を書き出したカードを生成するスキルだ。手元に青色のカードが現れる。

 カードには、名前、レベル、習得スキルが記された。いわゆる鑑定スキルというやつだ。さあ見てみよう。


―――――――――――――――――――――――――


 名前:グラスコ

(……記憶と全然違うじゃん。まあいい。この程度は誤差だ)


 レベル:50

(大したこと無いな)

 スキル:【博識】【自動回復】【遠視】【筋力上昇・小】

(レベルにしては悪くない)


―――――――――――――――――――――――――


 自動回復はすごい。200レベル相当になっても保持し続ける人がいるくらい有能なスキルだ。


「俺の名前が、なんだよ」

「そう怯えないでくれ。グラスコ君」

「なっ、なんで俺の名前を知っている?」

「俺は何でも知っていると言っただろう?」

「言ってないけど」


 そうだっけ。まあどうでもいい。


 グラスコは奴隷たちを纏めるために、ここへ来たのだろう。そのはずが俺に気圧されてばかりだった。厳つい顔の割に、意外と臆病なのかもしれない。

 わからなくもない。本来であれば世界の終わりのような顔をしているはずの子どもが、腕を組んで胸を張っているのだ。まるで幽霊を見たような気分なのだろう。


「まあグラスコ君の名前なんてどうでもいい。それよりも重要なことがある」

「どうでもよくはねぇよ。つーか君ってなんだよ。いくらなんでも調子に乗りすぎだろ」

「まあ聞いてくれ。実はこれから、この船は襲われる」

「なんだとっ!」


 やはり驚くか。俺は頷いてやった。


「驚くのも無理はない。君たちは襲われて初めて、自分たちの間違いに気づくのだからな」

「随分と嬉しそうに言うじゃねぇか。わかった。その話を信じるとしよう。しかしだ、その場合はおまえも巻き添えになるんだぞ?」

「安心してくれ。俺はバラバラになった船の残骸を抱きしめて、浜辺に流れ着く予定だ」

「んな予定立てる奴はいねぇよ。安心できる要素もねぇ」

「落ち着け。だからこうして話をしてるんじゃないか」

「そうかい。……で、おまえの言う俺たちの間違いってのはなんだ?」

「気になるか!」

「ああ。俺は昔から作り話が大好きなんだ」


 心から信じてはいない様子だった。子どもの戯言、それも奴隷の言葉である。信じられる方がどうかしている。

 グラスコの態度に、いちいち目くじらは立てまい。俺はこの船を救うため、できることをやるだけなのだ。


「では、しっかりよく聞けよ」

「しっかりよく、ね。いいから早く話せよ」

「君たちというかこの船は、チャトゥエ国の西海外に向かっているね」

「よく知ってるじゃないか。お勉強を頑張ったのか?」

「茶々はいらん。とにかく、その途中で海の魔物『ひび割れた水宝石クィヴェリア』の生息域に入ってしまうんだ」


 俺の言葉に周囲の奴隷たちが息を呑む。もし本当にそうなったら、全員が想像し戦慄したことだろう。

 ひび割れた水宝石クィヴェリアとは、教育を受けていない奴隷ですら知っている、海洋での恐怖の象徴ともいえる名だった。


「もしおまえの言う通りひび割れた水宝石クィヴェリアが出たとしたら?」

「ああ、もちろん。こんな船はバラバラだ」

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