2-2 腹の膨れ
手首を取り、肌触りを確かめる仕種をしつつ、ホァユウ。
「そうですか。全身が多少むくんで見えるが」
ジョンリの述べた通り、顔は若干腫れぼったくなっている。と言っても、細面で切れ長の目をしていたことは、充分に見て取れた。化粧がほとんど落ちているのは、水にさらされていた影響が大きいに違いない。それでも唇の紅は比較的残っている。くっきりした赤が印象的だ。ただし、いかに艶っぽくとも死体は死体であり、色香は感じないものだなとズールイは思った。
それから、非常に特徴的かつそこから派生する矛盾点について師がまだ何も言わないので、ズールイは水を向けた。
「腹部の膨らみはどう解釈しましょう?」
マー・ズールイは習い覚えた事例を思い浮かべ、どれが当てはまるかを先ほどから考えていた。
この死者、身体付きも顔立ちに倣って細い方だが、お腹だけが膨らんでいる。妊婦だとすれば、着物の着こなしがきついように見えた。溺れる際に水をたらふく飲んだか? だが、それなら少し動かしただけでも水が口から溢れていいはず。実際にはそんな痕跡はないようだし、ジョンリからもそのような証言は出ていない。死後の経過時間によっては瓦斯が溜まった可能性もある、と思っていたけれども、ホァユウ師匠の見立てた通り、水に浸かっていた時間が短いのであれば、この仮説もないとせざるを得ない。
「確かに、身体付きに比べれば、いささか異様に膨らんでいる」
師たるリュウ・ホァユウにはそう事実を述べただけで、特段、答を示そうとはしなかった。腹部の膨らみ以上に気になることがあるようだ。不満を覚えながらも、じっと見るズールイ。
するとその視線を感じ取ったか、ホァユウが振り向くことなくぽつりと言った。
「やけに肌が赤っぽい。――そう思わないか」
ホァユウの指摘の通り、遺体の肌は血色らしき赤が鮮やかに浮かんでいる。寝間着らしき衣服を身に付けたまま、まだ解いていないため、露出している肌でしか分からないけど――とズールイが感じていると、ホァユウはセキ・ジョンリに「そこに立たれると陰になるので、移動願います」と柔らかに命じる。
「あいや、こりゃ失敬」
古参の捕吏で検屍の仕方は知らないまでも、見慣れている。その割に気の利かないことをしてしまったジョンリは、恥ずかしそうに頭を掻きながらその場を退いた。ホァユウは特に返事せず、遺体の服を脱がしに掛かる。マー・ズールイも手伝った。水を吸った帯紐を解くのには多少手こずったものの、それ以外は手早くかつ丁寧に脱衣させることに成功した。
「やはり全身に赤が出ている。この感じは、苦杏仁(青酸系の毒)を摂取した際に出る症状に似ているが」
口元を覆いながら、鼻をくんと鳴らすホァユウ。部下に命じて周囲にできる限り幕を張らせていたジョンリは、先のホァユウの言葉を聞き咎めたらしく、「えっと、溺死じゃないんで?」と意外そうに呟いた。
「いや、この目を見るに……溢血点が出ているから、窒息した疑いは濃いんだけど」
死者のまぶたは閉じられている。二指でこじ開け、眼球を一瞥するとまたすぐに戻すホァユウ。二の腕で顎を拭う仕種を経て、思案投げ首に言った。
「もう少し待ってくれますか。香りがね、合点が行かない」
師の言葉に、ズールイも鼻を利かせてみた。そして思わず、「あ」と声を漏らす。
「杏子の匂いがしてない……みたいです」
「杏子の匂いではなく、杏子を思わせる匂いだよ」
ホァユウから注意が飛ぶ。そう細かいこと言わなくてもと、ちょっぴりむくれるズールイ。彼の頭上、ひょいと首を突き出したジョンリは「私ゃ元々、苦杏仁が効いたときに出る匂いを感じられない質なんで、何も言えませんが……」と恐る恐るといった具合に割って入ってきた。
「その匂いがしないのであれば、死因はやっぱり溺死であって、苦杏仁ではないのでは」
「うん……しかしこの赤い肌を説明するには……溺死でもなく苦杏仁による毒死でもない死に方をしたこの女性を、何者かが川に放り込んだのかもしれない」
しゃべりながら立ち上がったホァユウ。服をすっかり脱がせた遺体を見下ろし、ズールイにご遺体の足を開くように言った。
「他の死に方というと?」
「代表的なところでは、不燃瓦斯の中毒かなあ。しかし、死んだのと肌が赤くなったのとは異なる原因が秘められている可能性も考えなくちゃあいけないので、簡単には結論を下せな……うん?」
亡くなった女性の股間や太ももを視ていたホァユウが、眉間にしわを寄せた。
死者が生前、情交を持つか、あるいは無理矢理姦されるかした痕跡の有無を調べるため、遺体の股を視るのは捜査の常道である。が、ズールイには遺体の何が、師匠の眉間にしわを刻ませたのかがすぐには見当付かなかった。
「ズールイ、ちょっとした力仕事になるが大丈夫かな」
「え? は、はい、何でしょう」
「ご遺体の腰を持って、尻穴がよく見えるようにしてくれ」
「え」
「難しければ、ジョンリさんに手伝ってもらおう。くれぐれも慎重に頼む」
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