劇的な犯罪:2-1 流れ着いた屍

<幕間>

 さて、エピソードが一つ終わりましたところで、背景説明の追加をば。

 この度の物語の舞台は、1-1の前説で述べたような時代に準えられる、古の中華風の世界。ただし異分子も混じっているという、まことにご都合主義な設定がされていますことを、前もってお含み置きください。

 具体的に明示しますと――

「中世中華風の別世界に、かつて現代日本人Aが意図せず転移させられやって来た。このときAは所持していた『中国人の死体観察学』(宋慈 著/徳田隆 訳/西丸與一 監修 雄山閣)を置き忘れ、そのまま元の世界に帰る。『中国人の死体観察学』は別世界において翻訳&コピーされ、やがて検屍や犯罪捜査の手本とされるようになる。さらに海賊版として出回って庶民にも徐々に徐々に浸透していく。

 なお書物については、そこそこましな紙がそこそこ安価で作られる、印刷技術もそれなりに。

 また、指紋の犯罪捜査利用に関しては、明治時代のある出来事に端を発する史実の通りとし、この別世界の時代には一顧だにされていない」

 ――そんな世界が舞台となります。


             ~           ~


「マー・ズールイさんですよね? セキ・ジョンリからリュウ・ホァユウ及びマー・ズールイ宛に伝言です。近くのシュウメイ川の第三橋のこちら側で、死体が上がった。急ぎ、駆け付けるようにとのことです」

 マー・ズールイは表門をくぐる直前に呼び止められ、言伝を預かった。相手の若者――少年と呼んでも差し支えのない――とは初対面だったが、捕吏の研修中であることは腕章で分かる。

「承知しました。なるべく速やかに向かいます」

 赤の割り符を受け取り、代わりに青の割り符を渡す。

 伝令の若者は受け取った割り符を懐にしっかり仕舞い、きびすを返して去って行った。きびきびした動きが若さの証のようだった。

 マー・ズールイも駆け足になる。今聞いたことを頭の中で繰り返しながら、職場である医院に急いだ。

 薄緑色をした屋根の平屋に入り、右手に並ぶ部屋の二つ目の扉の前に立つ。

「ホァユウ師匠、在室でしょうか? 助手のマーです。今し方、捕吏のセキ・ジョンリさんからの言伝が。川で死体が」

「分かった。すぐ仕度して出発する。マー・ズールイ、君も一緒に来なさい」

 扉が横滑りして開く。この医院の掃除婦をしている若い娘が飛び出してきた。作業着のまま、勝手に休憩していたのか、それともあるいは。

「……師匠。まさか手を出してはいませんよね、さっきの娘に」

「何の躊躇もなく、思ったことをそのまま聞ける君の性質、私は好みだよ。時間の節約になってよい」

 ホァユウはいつものように、死体を扱う法医学の専門家としてはやや華美な、鮮やかな青の衣服を纏っている。その袖口をきつく留め直すのは、死体発見の現場に臨むまえの儀式のようなもの。無論、袖が開いたままだと、仕事が若干やりにくいというのもある。

「答になっていませんけどっ」

「何もしてないよ。あの娘は、恋人を悦ばせる手法を私に聞きに来ただけだ」

「悦ばせる手法?」

「ほら、君も準備するのだマー・ズールイ。節約した時間が元の木阿弥になる」

 言われたマー・ズールイは、器具及び薬品を持ち運びできるよう効率よくまとめた小箱の中身を注視し、遺漏のないことを確かめると蓋を閉じた。

「大丈夫です。それで、悦ばせる手法とは何についてです?」

「向かいながら話そう」

 部屋を出たリュウ・ホァユウに、マー・ズールイも続き、鍵を掛ける。

「具体的な場所は」

「あっと、第三橋のこちら側の麓らしいです。シュウメイなのは言うまでもありませんよね」

「シュウメイ河ね。あそこなら徒歩で充分だな」

 一層の早足になった師匠に、マー・ズールイは遅れぬように心掛けた。そこへ唐突に、最前の話題の続きが始まる。

「悦ばせる方法とはもちろん、女と男の交わりに関する話だよ。金銭さえ用意できるのなら我が妹を通じて、薬を用立てられるんだが、あいにくとそんな金はないと」

 ホァユウの妹はリュウ・ナーといって、マー・ズールイと同い年だ。薬師を目指して勉強中であるが、知識だけならもう充分身に付いていると聞く。

「ナーさんにそのようなことを頼むのはどうかと思います」

「だから、先方に金がないから頼みやしないよ。ねえ、マー・ズールイ。君がナーに少なからず好意を抱いているのは承知しているが、論理的に話すようにしてくれたまえ」

「べ、別にナーさんに自分がどのような感情を抱いているかは、無関係で」

「関係がないというのであれば、何故、我が妹にそのようなことを頼むのは問題がある、みたいな物言いをしたんだい?」

「それは、やっぱり……年頃の女性にふさわしいかふさわしくないかで分けるなら……」

「おっと、ここまでだ。見えてきた。朝っぱらから、野次馬が早くも集まっているようだよ、ほら」

 ホァユウの言葉の通り、ちらと視界に入ってきた第三橋の上には幾人かがいて、真下を覗き込んでいる。いや、視線の先は若干、下流へと向いているか。

 続いて、川岸へと続く緩やかな坂が目に入ったが、そこにも野次馬がちらほらと。要所要所に屈強な男が立って番をしているので、現場が荒らされている訳ではないが、このあとの検死作業を大勢の目がある中でやり遂げるのは、精神的に結構辛い。マー・ズールイ自身がと言うよりも、死者の置かれる状況を考えると気が重くなる。

「――おお、思った以上に早かったですな」

 振り返ったセキ・ジョンリの険しい表情が、ふっと緩む。ホァユウの姿を目に留め、まずは一安心といった風情だ。

「今朝は付いたばかりで、まだ何も着手していなかった。なので、動きやすかっただけですよ」

 師の返事に続き、マー・ズールイは黙って目だけで返礼しておく。

「早速だが、視てもらいましょう」

 背は平均並みだが、胸板の厚いセキ・ジョンリは頑丈そうな肉体を揺らして、川縁へと降りていく。以前はホァユウのような験屍使に対して粗野な物言いが目立つ男だったのだが、いくつかの事件で解決を見る内に、今ではすっかり信を置いたようである。

 さて、くだんの遺体はすでに視界に捉えられており、亡くなったのは女性と分かっていた。近付くにつれて生前はなかなかの美人だったのではないかと感じるようになった。

「彼女はさほど水に浸かってはいなかったようだね」

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