第155話 百花の王 ③
「優希」
背後からかけられた低い声に、雫石はゆっくりと振り返る。
そこには、心配そうにしている翔平がいた。
「純と何かあったのか?」
「…そういうわけではないの」
翔平に促され、雫石は中庭の隅にあるベンチに座る。
今は昼休みなので、周りに人気はない。
「ごめんなさい。あんなに感情的になるつもりではなかったの」
「それはいい」
確かに普段の雫石からしたら珍しい姿だったが、だからこそ本音を言っているのだと分かった。
「何かあったのか?」
「…翔平くんは、どうして純が私たちの友人になったと思う?」
翔平は雫石の問いの意味が分からず、困惑した。
そんな翔平の様子に、雫石は少し笑みをこぼす。
「純は、目的もなしに行動はしないわ。よく知っているでしょう?」
「俺たちと友人になったことに、純には何か目的があったということか?」
雫石は少し遠くを眺めながら、頷く。
「純は、どうしてずっと2位だったのかしら」
「1位は目立つからだろ?」
「それなら、3位でも4位でもいいはずよ。ずっと同じ順位を取り続ける必要もないわ」
それに、と雫石は少し悲しげに呟く。
「純は興味のない相手の前には、姿を見せないわ。それなのに、私の前には姿を見せていた」
雫石は初等部の時から、純の姿をよく見ていた。
ずっと2位だったこともあり、純のことがずっと気になっていた。
「俺たちと友人になることで、あいつに何の利益があるんだ?」
「翔平くんのご両親と私のお母様は、純のお母様の知り合いよ。理由の1つとしては、十分だわ」
「両親の知り合いと繋がりを持つために、俺たちと友人になったのか?」
「可能性は高いわ。他にも、目的はあると思うけれど」
それが何かは分からない。
でも純のことを理解するたびに、その考えに信憑性が増していくのだ。
「私を守っているのも、目的があるのかもしれないわ」
純は利益なしに、簡単には人を助けない。
「だから、純の手を借りたくないのか?」
雫石は首を横に振る。
「純にどんな目的があったとしても、私は純のことを大切な友人だと思っているわ」
それは、雫石の中で揺るがない事実だ。
「けれど…友人だからこそ、いつまでも守ってもらうのは嫌なの」
純とは、対等な存在でいたいのだ。
「純は、いつまでも私の側にいてくれるわけではないわ。いつまでも、私を守ってくれるわけでもないの。自分の身くらいは、自分で守れるようになりたいの」
「それは分からなくもないが…」
それでも翔平は、雫石の身の安全の方が心配になる。
「翔平くん。私、将来は海外に行きたいの」
「留学するのか?」
「留学もするけれど、海外で働きたいの」
「家を出るのか」
雫石は頷く。
「私は、世界を知りたいの」
それが、雫石の将来の夢だった。
昔読んだ本の主人公のように、広い世界を見て回りたい。
「いろんな場所に行って、できればそこにいる人の助けになりたいの」
それがどんな名前の職業になるのか、雫石にはまだ分からない。
それでもその夢に近付くために、できることはするつもりだ。
「まずは日本のことをよく知るためにも、大学は国内にするつもりよ」
雫石の知る世界は狭すぎる。
自分が住む国のことも、もっと知らなければいけない。
大学在学中に、医師免許か弁護士の資格のどちらかは取得するつもりだ。
そうすれば、活動の幅も広がる。
「…知らなかったな」
「今初めて言ったもの」
驚いている翔平に、雫石は小さく微笑む。
「私の夢のためにも、守られているばかりではいられないの」
海外を旅するようになるには、自分の身も守れるようにならなければいけない。
いつまでも、純が駆けつけてくれるわけではないのだ。
「翔平くん。周りには誰もいないかしら」
翔平は周囲の気配を探り、誰もいないことを確認して頷く。
「28年前のつぼみのことについて、吉川先生に聞きに行ったの」
「そうか…静華学園の卒業生だったな」
「吉川先生はつぼみではなかったから、つぼみの記録が消えていたことは知らなかったみたい。けれど、記録を消した人物には心当たりがあったみたいなの」
「それが誰なのか、聞けたのか?」
雫石は頷く。
「私の推測が当たっていれば…記録を消したつぼみは、純のお父様よ」
「純の父親が?」
驚きの事実に、翔平は少し混乱する。
「純の父親はつぼみだったのか?」
「その可能性が高いわ」
「だが、純の父親に関しては父さんは何も言っていなかったが…」
「だからこそ、そこに重要な何かが隠されていると思うわ」
純の母親は、理事長の娘として有名だった。
しかし純の父親に関しては、誰も知らない。
顔も名前も出生も、その人となりさえ。
28年前の記録が消されているのと同じように。
「何か理由があって、自分に関する記録を消したのだと思うわ」
その後姿を消したのだとしたら、そこに関係しているのかもしれない。
しかし記録は消せても、人の記憶は消せない。
「つぼみだったなら、誰か覚えているだろうな」
翔平は28年前のつぼみについて知っていそうな人物を頭の中に思い浮かべる。
しかしどんな秘密が隠されているのかも分からないのに、信頼できない人物に聞くことはできない。
『そういえば…』
今度会う予定の人物を思い出した時、その人物と会うきっかけとなった件を思い出す。
『もしかしたら…』
「純の父親に関しては、俺も情報を集めてみる」
「あてがあるのね?」
「あぁ」
翔平は一つ頷くと、雫石に視線を戻す。
「純に守られたくないということは、俺にも守られたくないということか?」
「えぇ。ごめんなさい」
微笑みながら謝られ、翔平はため息をつく。
「何か考えはあるのか?」
何も策がないのであれば、翔平は引かないつもりだった。
雫石の意思は尊重したいが、身の安全が第一だからだ。
しかし雫石は、優等生の笑みを浮かべて頷いた。
「もちろん、あるわ」
今回の件を知った皐月と凪月も雫石を心配していたが、雫石は譲らなかった。
説得に行った翔平が説得し返されてしまったので、雫石を説得できる人間はもういないのだ。
『純は、どう思ってるんだろう』
晴は、つぼみの部屋での純の姿を思い出す。
あの日以来、純は雫石に近付いていない。
つぼみの部屋でも話しかけることはなく、雫石も自分から歩み寄ることはない。
喧嘩をしたわけではないのだが、似たような空気が2人の間に漂っていた。
『守られるだけの自分を許さない、か』
雫石が純を拒絶する理由は、翔平から聞いた。
一応考えはあるらしいから、見守るしかないと言っていた。
『本当に、それでいいのかな』
力で及ばなくても、女子が男子に対抗できる方法はあるだろう。
皐月と凪月が作った防犯グッズもある。
学園内では人目もあるし、1人にさえならければ安全と言える。
『それでも、100%じゃない』
危険というのは、何があるか分からない。
『それに…』
あの日以来、晴の胸の中はモヤモヤとしている。
雫石の考えは分かるし尊重したいが、どこか納得できない自分がいる。
『雫石に、何かあったら…』
どこにいても何をしても、そのことが頭から離れない。
いったい自分はどうしたのだろうと、また思考が回っていく。
そんなことを考えながら、教室に入った。
教室を見渡すと、そこに雫石の姿はなかった。
もうすぐ授業が始まる時間だというのに。
机の上には教科書やノートが用意されているのに、雫石はどこにもいない。
その光景に、何か嫌な予感がよぎった。
授業の開始を告げる鐘が鳴る中、晴は教室を出た。
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