第154話 百花の王 ②
『つぼみの記録を消した人は、男性。それも、学園卒業後に姿を消した』
吉川から話を聞いた次の日、雫石は頭の中で情報を整理していた。
『純のお母様も、卒業後にこの世界を離れている』
そして同じように、同時期にこの世界から姿を消した男性。
『それも、純と関わりがあると言ったら…』
授業の終わりを告げる鐘が鳴り、雫石ははっと意識を戻す。
こんなにも授業中に集中していなかったのは、人生で初めてだった。
しかし自分の手がしっかりとノートをとっているのを見て、安心する。
どうやら意識が上の空でも、ノートだけはちゃんとれる能力を持っているらしい。
「雫石」
名前を呼ばれて顔を上げると、同じクラスの晴がいる。
「つぼみの部屋に行く?」
「えぇ」
これから昼休みなので、昼食をとるためにもつぼみの部屋に行くつもりだ。
教科書とノートを机の中にしまった時、指にかさりと当たるものがあった。
それを机の中から出してみると、手紙のようだった。
男子生徒からよくラブレターを貰うので、またそんな感じの手紙かと思って封を開けた。
「!」
しかしその内容を読み、雫石は一瞬固まってしまった。
「雫石?どうしたの?」
晴がすぐそばにいたことを思い出し、雫石はいつもの微笑みを浮かべる。
「何でもないわ」
しかし晴は、眉を寄せて雫石が手に持っている手紙に視線を向ける。
「その手紙に、何か書いてあったの?」
「いいえ。告白の手紙だったみたいだわ」
「雫石」
周りの生徒に聞こえないように近付くと、晴は雫石の微笑みを見つめる。
「おれ、耳が良いんだ」
「えぇ。知っているわ」
「だから、その手紙を見てから雫石の心拍数が乱れたのが聞こえてるんだ」
少し驚き、雫石は目を開く。
「人が嘘をつく時は、心拍数が速くなるんだ」
晴は、雫石が持っている手紙を見る。
「その手紙が告白の手紙っていうのも、嘘だよね。何かあったんでしょう?」
心配そうな碧い瞳を見て、雫石は隠し通すのは難しいと判断した。
「…つぼみの部屋で話すわ」
あの場所だけが、安心して話ができる場所なのだ。
雫石と晴がつぼみの部屋に行くと、翔平と純がいた。
皐月と凪月はまだ来ていないらしい。
いつもの長椅子で寝転がっている純は雫石の姿を見ると、体を起こして雫石に近付く。
「何があったの」
その声に反応し、翔平もパソコンから顔を上げる。
そして雫石の表情から何かを感じ取ったのか、眉間にシワを寄せた。
『2人ともすごいな…』
晴は雫石が動揺した瞬間を聞いたから分かったが、2人は今の雫石を見て何かがあったと分かるらしい。
いつもの上品な微笑みを浮かべていた雫石は、純と翔平の姿を見て少しずつ笑みが消えていく。
「この手紙が、机の中に入っていたの」
雫石が3人に見せた手紙は、ラブレターとは言いがたい内容だった。
「何これ…」
手紙には紙いっぱいに、「愛している」と書かれていた。
文字の上には、血のような赤い模様がある。
狂気的な文面にゾッとしていると、純が手紙を裏返す。
「あんなに年上の男がいいのか。狭い部屋で2人で何をしていたのか。あんな男はやめておけ」
あまり声に出して読みたくない文面を、翔平が簡潔にまとめる。
「何のことか分かるか?」
「多分、吉川先生のことだと思うわ。昨日、進路相談にのってもらったの」
この手紙の差出人は、雫石が吉川と相談室に入ったところを見たのだろう。
吉川に声をかける前に感じた嫌な視線ももしかしたら、手紙の差出人だったのかもしれない。
「純。何か分かるか?」
手紙を観察していた純は、首を横に振る。
「血の跡はただの印刷。指紋は付いてないし、匂いもない。手紙に使われている紙はどこでも手に入るし、文章を印刷したインクもどこにでもあるもの」
「そんなに分かるんだ…」
見ただけでそこまで分かるのかと、晴は驚く。
まるで警察の鑑識のようである。
「こういう奴は、できるだけ早く見つけておきたいんだがな…」
「今までにも、こういうことはあったの?」
翔平は雫石の様子を見てから、口を開く。
「優希に好意を寄せる相手が、いつも正当な方法を使うわけじゃないからな」
雫石はその見た目もあり、異性から好意を寄せられることが多い。
その中には、強引な手に出る者もいる。
腕力は普通の女子と変わらない雫石では、男子に力では勝てない。
腕を掴まれれば振り払うことはできず、押し倒されれば逃げることはできない。
だから今までは、純と翔平がそういった男たちから雫石を守ってきた。
「手紙の差出人が分かるまでは、わたしか翔平と一緒に…」
「私はもう、純と翔平くんに守られるだけはやめるわ」
雫石の言葉に、純は少し驚いたように言葉を止める。
「皐月くんと凪月くんに作ってもらったグッズもあるもの。いつまでも、2人に守られているわけにはいかないわ」
雫石は、純の瞳を真っすぐ見つめ返す。
「体育祭の時に、私は言ったわ。純を安心させるには時間がかかるかもしれないけれど、私1人でもがんばるって」
そうやって決意してからも、何か危ないことがあるたびに純が守ってくれた。
このままでは、ダメなのだ。
「いつまでも純に頼っていては、私が成長できないの」
「………」
何も言わない純に代わり、翔平は口を開く。
「だが、何かあってからじゃ遅い。今回の相手はストーカー気質だから、本当に危ないぞ」
「分かっているわ」
雫石は、ぐっと唇に力を入れる。
「それでも、純の力は借りないわ」
そう言うと、雫石はつぼみの部屋を出ていってしまった。
追いかけようとした晴を、翔平が制する。
「悪い。今回は俺が話を聞きに行ってもいいか」
晴は少し迷ったが、翔平の方が知っていることも多いだろうと頷いた。
つぼみの部屋の扉が閉まり、部屋には晴と純の2人だけになる。
純の表情はいつもと変わらないように見えたが、どこか困惑しているようにも見えた。
『雫石の言葉に、嘘はなかったけど…』
それでも力強いのに、どこか震えた音だった。
『何が、雫石をそうさせてるんだろう』
雫石の心に、何か変化があったのだろう。
しかし晴には、それが何か分からない。
それがもどかしく感じた。
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