第153話 百花の王 ①


二学期が始まってすぐのある日、雫石は珍しく授業を休んでつぼみの部屋にいた。


つぼみの部屋にある、過去の卒業生の記録を調べるためだった。

今日は純が学校を休んでいるので、調べるなら今日だと思ったのだ。


『28年前の記録は、相変わらず散逸しているわね』


卒業生名簿やつぼみの記録、卒業アルバムなど、本来残っているべきものが消えているのだ。


『まるで、何かを隠しているかのよう』


28年前の全ての記録が消えているわけではなく、ところどころ消えているというのも誰かの意図を感じる。

雫石は28年前の卒業生名簿を、ペラペラとめくる。


『有名人ばかりだわ』


静華学園の卒業生ともなれば、大企業の社長や名家の当主ばかりである。

純の母親について何か知っているかもしれないが、雫石が簡単に聞きに行ける相手ではない。


雫石は、そこから前後2年分の卒業生名簿にも目を通す。

高等部で同じ校舎に通っていれば、学年は離れていても何か知っているかもしれない。


『けれど…』


雫石は名簿に目を通しながら、以前からある疑問を考える。


『純のお母様は当時、VERT社長の一人娘。私のお母様のお話からしても、静華学園に通っていたのは間違いないわ』


その後、理由は分からないがこの世界を離れたのだろう。

小雪から聞いた「もう会えない」と言っていた母の言葉は、互いの住む環境が変わってしまったからだと推測できる。


『これらの記録を消したのが28年前のつぼみだとすれば、純のお母様がつぼみのメンバーだった可能性が高いけれど…何故記録を消す必要があるのかしら』


自分が静華学園に所属していたことを知られたくなかったのだろうか。

しかし翠紫織しおりという名前は、理事長の娘として人に知られている名前だ。

ここまで徹底して記録を消す必要性を感じない。


『もしかして…』


1つの可能性を考えていた時、名簿を見ていた目が1人の名前で止まる。

その名前に、雫石は笑みを浮かべた。




雫石はつぼみの部屋を出ると、休み時間で人が多い廊下を目的の人物を探しながら進む。


『?』


ふと違和感を感じて振り返ると、多くの生徒が雫石を見ている。

その多くは男子生徒だが、それはいつも通りだ。

しかしその視線の中に、何か嫌な感じがした。


『気のせいかしら…』


こういうことは珍しくはないので、雫石はいったん気にしないことにした。


多くの生徒をぞろぞろと引き連れるようにして、廊下を歩いて行く。

そして廊下の先にその人物を見つけて、雫石はいつもの微笑みを浮かべたまま近付いた。


吉川よしかわ先生。少し、よろしいですか?」


雫石が声をかけたのは、数学の吉川教師だった。


「………」


振り返った吉川は、声をかけてきたのがつぼみと分かって眉間にシワを寄せている。

もしかしたら春の一件で、つぼみのことがさらに嫌いになったのかもしれない。


雫石は表情を変えずに、そのまま話を進めた。


「進路のことで、ご相談に乗っていただきたいのですが…」

「進路相談なら、他の教師にあたれ」

「吉川先生に聞いていただきたいのです」


吉川はため息をつくと、周りを見渡す。

そこには、雫石と吉川のやり取りを見守っている多くの生徒がいる。

その生徒たちを見て、吉川はもう一度ため息をついた。


「相談室で聞こう」

「ありがとうございます」


相談室は生徒が教師に進路相談や勉強の相談に乗ってもらう場所で、個室になっている。



吉川と共に相談室に入ると、机に向かいあって座る。


「それで、何の話だ」


最初から雫石の話を嘘と決めつけている吉川に、雫石は微笑む。


「進路相談というのは、嘘ではありません」

「では、私でなければダメな理由はなんだ?」

「吉川先生は、静華学園卒業後にご実家を出られていますよね」

「それが何だ」

「どうして、名字も変えられたのですか?」


吉川は少し険しい表情で雫石を見る。


「家を出たいのか?」

「将来的には、そうするつもりです」

「理由は?」

「私の夢は、そこにいては叶わないからです。もし優希ゆうきの名前が私の道を阻む時が来たら、この名前を捨てることも1つの選択肢と考えました」

「………」


吉川は腕を組むと、真剣な目をしている雫石を見つめ返す。


「私は実家に嫌気が差したから家を出たし、名前を変えた。そうでないのなら、実家とは縁を持っておいた方がいい」


ただ、と続ける。


「家や家族というものは、子供の将来を阻むものであってはいけない。自分の足を引っ張るのなら、縁を切るのも1つの方法だろう」


雫石は吉川がここまで真剣に答えてくれると思っていなかったので、少し驚いた。


「ありがとうございます。参考にさせていただきます」


そして話は終わったとばかりに立ち上がった吉川を、手で制する。


「もう1つ、お聞きしたいことがあります」


嫌な予感がした吉川はさっさと部屋を出ようとしたが、雫石はそれを防ぐように扉の前に立つ。


「吉川先生が静華学園の高等部の1年生だった時、2つ上のつぼみについて何か覚えていますか?」

「…覚えていないな」


吉川の表情が少し動いたことを、雫石は見逃さなかった。


「つぼみの部屋を調べていましたら、28年前のものだけ記録が消えていました」

「記録が…?」


それは知らなかったのか、吉川は驚いている。


「当時のつぼみが、意図的に消したものだと思います」


吉川は少し考え込むように視線を落としている。

吉川はつぼみではなかったが、2つ上のつぼみのことは覚えているはずだ。


「消えていた記録は、卒業名簿と卒業アルバム、つぼみの活動記録などです」


名前も顔も、行動記録も、全て消していった。


「まるで、これから雲隠れするかのようですよね」


雫石のその言葉に、吉川はハッと反応する。

その反応に、雫石は自分の推測が確信に変わっていくのを感じる。


「吉川先生の2つ上のつぼみの中に、学園を卒業した後に姿を消した方がいらっしゃいますよね」

「…知らんな」

「静華学園に所属していて、当時のつぼみを知らないというのは無理があります」


雫石が言うことはもっともだと分かっているのだろう。

吉川は苦虫を噛み潰したような顔をしている。


「私は、その方について知りたいのです。純に関わることですから」

「あの男のことには首を突っ込ない方がいい」


雫石は狙っていた答えが出たことに、少し高揚する。


「つぼみの記録を消したのは、男性なのですね」

「!」


吉川は、しまったというように顔を歪めている。

雫石はつぼみの記録を消した人物について、わざと性別が分からないように話していた。

もしかしたら、つぼみの記録を消したのは純の母親ではないと思っていたからだ。


「純に関わると言っても何も否定なさらないということは、その方も純と関わりのある方ですね」

「………」


吉川は疲れたように椅子に座ると、深くため息をつく。


「だから嫌いなんだ。つぼみと話すのは」


断られないようにわざと人前で話しかける計算高さや、当たり前のように会話に罠を入れる周到さが、子供らしくない。


「申し訳ありません」


情報を手に入れるためとはいえ吉川を嵌めたのは確かなので、雫石は頭を下げる。


「謝罪はいらんが、これ以上言えることはない。私はまだ、この職を離れるつもりはないのでな」


これ以上は何も得られないだろうと、雫石はもう一度頭を下げて部屋を出ようとする。


扉のノブに触れた時、ふと思い立って吉川に振り返った。


「吉川先生は、どうしてつぼみがお嫌いなのですか?」

「………」


吉川は、疲れた目を窓の外に向ける。


「気に食わないからだ」

「つぼみの存在が、ですか?」

「つぼみの制度が気に食わない」


学生時代は、ただつぼみに憧れを持っていた。

しかし大人になるにつれ、つぼみに嫌悪感を持つようになった。


「未来ある子供に花の名前を与え、学園のために大人以上に酷使する。いつかは枯れる花の名前など、与えて何になる」


実力主義と言えば聞こえはいいが、静華学園は完全なる格差社会だ。

弱い者は淘汰され、強い者だけが生き残る。

教育の場ではない。


「吉川先生は、お優しいですね」


視線を戻すと、少女のような微笑みが見える。


「私たちつぼみは、1年間だけの役割です。学園のために、1年かけて華々しく咲くことを求められたつぼみです」


学園の顔であり、生徒の憧れであることで静華学園というものを支える。

絶対的な象徴は、人の心を集めるからだ。


「蕾が花開けば後は散るだけですが、次代に実を残すことができます」


後輩に意思を継ぐことも、つぼみの役割だ。


「先生。つぼみは、1年だけ生きる花です。役割を終えた時、私たちに与えられた称号の花は枯れたと言ってもいいでしょう」


ですが、と雫石は静かに続ける。


「それが、私たち自身が枯れたことにはなりません」


静華学園を卒業した後も、未来は開けている。

高等部3年の1年間は、人生において通過点に過ぎない。


「ですから、私たちは大丈夫です。心配していただいて、ありがとうございます」


雫石は丁寧に頭を下げると、にっこりと笑ってから部屋を出た。

その後ろ姿を見送ってから、吉川は息を吐く。


学生時代も、教師になってからも。

いろんなつぼみを見てきた。

途中でつぼみの称号をはく奪された者や、卒業後に道を間違えた者もいた。

しかし、その多くは卒業後も社会で活躍していることを知っている。


「花は枯れども、己は枯れずか」


当たり前のことなのかもしれない。

しかし自分が静華学園に長くいるためか、気付かなかったことだった。


「…まぁ、悪くはない」


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