第152話 意地 ⑤
「やっぱり嬢ちゃんの言った通りになっちまったか…」
屋敷の縁側に1人座り、昔よく遊んでいた庭を眺める。
会えただけでも奇跡に近いのだ。
関係を変えられるかもしれないというのは、望み過ぎたのかもしれない。
それでも、もしかしたらとは思わずにいられなかった。
「死ぬまでには会って話してぇもんだ」
「じゃあ、自分から会いに来たらどうですか」
「!」
突然聞こえた声に驚いて振り返ると、さっき見たばかりの自分の娘が立っていた。
「涼子…」
「あなたのために来たんじゃありません。私を呼びに来た女の子が、会った方がいいと言うから…」
「嬢ちゃんが…?」
「親が死んでから後悔するのは遅い、意地を張らない方がいいって…。あなたを許したわけじゃありません」
「…あぁ、分かってる」
自分は組のことしか考えられず、妻と娘にかまってやれなかった。
妻は先立ち、娘は家を出て行き、自分は1人になった。
「すまねぇ…」
「だから、どうしてあなたも意地を張り続けるんですか!」
「?」
「会いたいなら、会いに来ればいいでしょう。話したいなら、話したいと言えばいいでしょう。孫に会いたいなら、そう言って会いに来ればいいでしょう」
「だが…お前が許してくれるとは…」
「だから!どうしてそこで止まるんですか。私が許していないと分かっているなら、どうして謝りに来ないんですか。どうして私が絶対に許さないと思うんですか」
涼子は、深く息を吐く。
久しぶりに見る父の顔は、記憶の中よりもだいぶ老いていた。
「私も…意地を張っていました。自分から出て行った以上、自分から会いには行けないと。でもあの女の子に言われて…与高と智に言っている言葉が、全部自分に返ってきて…私も意地を張っていたのだと気付きました」
目が熱くなって、視界がぼやける。
「意地を張り合っている人たちが嫌いだったのに、私も同じだった」
親が死んだら会いたくても会いにいけないと言う静かな瞳から、逃げられなかった。
そしていつの間にか、父親がいつ死んでもおかしくない年齢になっていることに気付いた。
「涼子…」
出て行った時は娘の顔だったのに、今は母親の顔になっている。
それだけ年月が過ぎていた。
「俺もつまらねぇ意地を張っちまった。すまねぇ」
雫が落ちる娘の手に、自分の手を重ねる。
自分の手はこんなに細く、節くれだっていただろうかと思った。
「もっと会って話をしたい。この家にもたまには帰ってきてくれると嬉しい。お前の旦那にも会ってみたい。孫を抱いてみたい。俺が死んだら、葬式に来てほしい」
「縁起でもないことを言わないでください」
娘の目は怒っている。
昔から、こんな目をさせてばかりだった。
「…最後の以外は、いいです。長い間、1人にさせてごめんなさい…お父さん」
「あぁ。大丈夫だ。これからやり直せばいいんだ。もう一度、家族をやろう」
娘は肩を震わせて泣いている。
自分の右目からも、涙が落ちていった。
「親父…」
「お嬢…」
ふと視線を上げると、古株の組員たちがぎゅうぎゅう詰めになって廊下の隅からこちらを見ていた。
今の会話を隠れて聞いていたらしい。
みんな涙を流しながら、親子の再会を喜んでいる。
組員たちには長年自分たち親子のことで心配をかけていたから、和解を見て感極まったのだろう。
「おめぇら。長い間迷惑をかけたな」
「とんでもないです」
「親父、良かったですね」
「お嬢、俺らもお嬢の娘に会いたいっす」
「その怖い見た目なんとかしたらね」
「スキンヘッドはダメですか」
「ダメ」
「サングラスは…」
「外して」
「入れ墨は…」
「隠して」
「服はどんなの着ればいいですかね」
「あーもう!私が選んだのを着ておいて!」
その光景は、何十年も前の姿が戻ってきたようだった。
涼子は文句を言いながらも組員の世話をし、組員は涼子を慕って尊敬していた。
また家族をやれる。
これだけ嬉しいことはない。
「おめぇら。俺の孫を泣かしたら出入り禁止な」
えぇーという声があがる。
涼子は父親に振り返った。
「あなたが一番怖いんですからね!」
その言葉にはさすがにひるむ。
孫に泣かれたくはない。
組員たちはドッと笑い、涼子も怒りながら笑っている。
『あぁ、これが俺の家族だ』
久しぶりに揃った家族は、とても愛おしかった。
「待たせたな」
「いいや。こちらこそ、感動の再会を邪魔したかね」
奥の客間に招かれた客人は、珍しいほど賑わっている屋敷の気配に笑顔を見せる。
「いや、いいさ。今は他の奴らと喋ってるからな」
古株の組員たちは久しぶりに会う涼子と話したいことがたくさんあるらしく、涼子も久々の実家を見て回りたいだろう。
「家族仲が良いのはいいことだ」
「嬢ちゃんのおかげさ」
長い白髭を撫でている小柄な老人は、嬉しそうに笑う。
「儂の弟子はすごいだろう」
「もう勝てないくせに、よく言う」
「勝てなくても、弟子は弟子だからの」
ほっほっと笑うと、少しだけ目を細める。
「あの子も、変わった。縹組に貸しを作るためとはいえ、家族仲をとり持つことは今までになかった」
「そうだな。出会った頃は、よくできた人形なんじゃねぇかと何度も思ったよ」
義一は8年ほど前に路上で命を狙われ、通りすがりの純に助けてもらった。
大の男たちを次々と倒す姿は、今でも忘れない。
表情は無く、ほとんど口もきかなかった。
ヤクザを怖がる様子もなく、礼を言うために家を招いてみれば素直についてくるし、変わった子供だと思った。
「あの出会いも、偶然なんかじゃなかったんだろうな」
「あの子は、そういう子だからの」
ヤクザの組長を助けることで、貸しを作ることが目的だったのだろう。
裏社会に通ずるヤクザに、頼みたいことがあったのだ。
「あんたが来たということは、進展ありかい」
「よくない方に」
老人は懐に手を入れると、あるものを畳の上に置く。
それは、この日本では持つことすら許されないものだった。
義一はそれを手に持ってよく観察する。
「日本のヤクザが持つやつじゃねぇな」
「やはりそうか」
「誰が持っていた?」
「あの子を狙う人間の中に、これを持っていた奴がいた」
義一の表情が強張る。
「嬢ちゃんの考えは当たっていたということか」
「あれだけ警察と癒着しておいて、裏社会に繋がりがないというのもおかしいからの」
「どうりで、日本のヤクザを調べても何も出てこねぇわけだ」
義一は、見慣れないそれを畳に置く。
「裏にいるのは、海外マフィアか」
2人の間に置かれているのは、拳銃だった。
「これでまた、あの子の道が進んでしまった」
「手を貸しておいて、今さらだろう」
義一は、目の前の老人に目を向ける。
「あんたにとってはその方が、気が済むんじゃないのかい?」
老人の目は長い眉に覆われ、鼻から下は白い髭で隠れている。
そのせいで、素顔はほとんど見えない。
「自分を追い出した男に、復讐ができるだろう」
「儂にその気はない」
「それなら何故、嬢ちゃんに手を貸してるんだ?」
「…最初は、気付かなかったんじゃ」
老人は、悲しげに眉を下げる。
「あの子が笑うようになった頃、やっと気付いた。何故今まで気付かなかったのか不思議なほど、よく似ていたのに」
理知的な目元も、少し冷たさを感じる口元も。
明らかな血の繋がりが目に見えて分かるほど、似ていたのに。
「嬢ちゃんとあいつじゃ、生き方が違う。生き方が違えば、顔も違う」
「…そうじゃな」
「だが…」
義一は、深紅の制服に身を包んだ姿を思い出す。
「今日も思ったが…嬢ちゃんは年々、父親に似てきているな」
少し微笑んだ時の目元。
振り返った時のふとした表情。
見る人が見れば、すぐに血縁だと気付くほど似てきている。
「元々よく似ていたと聞くし、戻っているだけなのだろうな」
「それがまた、あの子の未来を阻まなければよいのだが…」
「老いた爺でも、できることはあるだろう」
義一はにやりと笑う。
「嬢ちゃんにはまた借りができちまったからな。返さなきゃならねぇ」
老人も、ふぅと息をつく。
「今さら、身を引くことはできん。あの子は、儂の弟子じゃからな」
それに、と老人は畳に置かれている拳銃に視線を向ける。
「久遠の名を持つ者として、最後まで見届ける義務があろうよ」
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