第151話 意地 ④
燕に作戦を伝えると顔を真っ赤にさせて動揺していたので、赤いボールが跳ねているようだった。
かなり渋っていたが、父親の性格はよく分かっているのか、最終的には了承してくれた。
そして当日、話し合いの場として用意された料亭の離れには緊迫した空気が流れていた。
『まぁ、こうなるよな』
紅苑組の組長と組員は息子の将来の嫁かもしれない子に会いに来たつもりが、縹組が勢ぞろいしていたので最初から険悪モードだった。
大きな和室の広間の中は、すでに抗争一歩手前の空気である。
こうなることを予想して乱闘が起きた時のために広い庭がある場所にしてみたのだが、建物は壊さないでいてくれると助かる。
『もし壊された時は、修繕費をどっちに請求するべきか…』
翔平は目の前の任侠映画のような光景を前にして、そんなことを考えた。
広間の中で唯一落ち着いているのは縹組の組長だけだった。
さすがに貫禄があり、上座から広間の光景を眺めている。
「縹組の奴らが、何しに来たんだ!」
「てめーらこそどんな面下げて来てんだ!」
「あぁ?やんのかコラァ!」
「やるっていうのか!」
と、主に若い組員同士が威嚇し合っている。
「ねぇ、僕ら完全に部外者だよね」
「帰っちゃだめかなぁ」
皐月と凪月は怖さを通り越して、逆に落ち着いてきたらしい。
目が死んでいる。
「理事長の指令だから、最後まで見届けないと」
「それに、見ていて面白いから最後まで見ていましょうよ」
「雫石…どこを見てそう思ったの」
今にも広間に血が飛んでもおかしくないような雰囲気なのに、面白いと言える雫石が少し怖い。
「和也!なんでなんも話してくれねーんだよ!」
「うるせーな!ほっとけ」
「理由を聞かせろってずっと言ってんじゃん」
「俺が言わねぇ理由が分かんねぇのか」
「分かんねーって。だから言えよ!」
「誰が言うか!」
燕と森和也も言い合いをしているが、平行線のようだ。
抗争一歩手前状態の広間の中で一番険悪な雰囲気なのは、やはり紅苑与高と森智だった。
どちらも年齢は40代中ごろのようで、目つきが鋭く迫力がある。
「よぉ紅苑。どの面下げて来てんだよ」
「それはこっちのセリフだな。俺はお前のことなんざ見たくもねぇ」
「なら帰りやがれ、ここは俺たちが先に来てんだ。鳥親子は帰んな」
「なんだと…?俺はともかく、息子のことを馬鹿にされて帰れるわけがねぇだろ」
「てめぇの息子のせいで、俺の息子は迷惑してんだよ」
「それは俺の息子の方だ。しつけがなってねぇんじゃねぇか?」
「なんだと?」
さすがに翔平も帰りたくなってきたところに、低くドスの聞いた声が広間に響いた。
「てめぇら。馬鹿みたいに鳴くことしかできねぇのか」
縹組の組長の声に、広間がしんと静まる。
「引きな。両方ともだ」
縹組の人間が渋々引き、紅苑組も組長に促されて引いていく。
「縹組の組長さん。どうやらあんたが俺たちをここに呼び出したようだが、一体何の用ですか」
縹組の組長の方がかなり年上のためか、紅苑組の組長は一応丁寧な物腰である。
「そんなもんおめぇらが一番分かってるだろ。紅苑。森」
名指しされた2人は険しい表情をしている。
しかしどうやら、どちらも引くつもりはないらしい。
「てめぇらの問題で互いの組を引っかき回しやがって。組員が迷惑被ってるのが分かんねぇのか」
「親父。俺はこいつを許すつもりはありません」
「縹の組長さん。不本意だが、そこは同意見です。俺も許すつもりはありません」
縹組の組長は、1つの目でぎろりと2人を睨む。
「てめぇら、あの時のことは互いの組員のせいだと分かってるんだろ。分かってねぇとは言わせねぇぜ。たとえそれが惚れた女のことだとしても、昔の話だ。いい加減意地を張り合うのはやめちまいな。うちと紅苑の対立関係を作ったのはおめぇらだ。後始末くらいちゃんとつけてもらおうか」
そこまで言われても、2人は互いに睨み合うだけでどちらも口を開こうとしない。
「…男ってのは面倒くせぇ生き物だな。まったく」
縹組の組長が呆れてため息をついた時、広間の障子が開いた。
そこには純が立っている。
純の姿を見た縹組組長は、ほっとしたように表情を和らげる。
「いいタイミングだ、嬢ちゃん。万事問題ないかい?」
「問題ないです。不機嫌なようですけど」
「そ、そうか…」
さっきまで威厳たっぷりだった組長は、それを聞いて何故か動揺している。
「どうぞ」
純は廊下の方に振り返ると、そう言って促す。
部屋に入って来たのは、40代くらいの女性だった。
肩につかないくらいの真っすぐな黒髪に、涼やかな一重の落ち着いた印象の人だった。
しかし部屋の中を見渡すと、その面影もなくなるほど鋭い目に変わる。
「
「涼子なのか…?」
紅苑与高と森智は、女性を見て幽霊を見たかのように驚いている。
「そうです。あなたたちがよく知る涼子です。まったく、どうして私がこんなところに来ないといけないんですか。あなたたちのくだらない喧嘩に呼び出されたこちらの身にもなってください」
ぎろりと冷たい視線で睨まれた2人は、子供のように項垂れている。
「その理由が私にあることは分かっています。だから来たくもないのに来てあげたんです。私がここまでしているのに、和解しないとは言わせませんよ」
「だが…」
「お前はあの時のせいでいなくなったんだろ?」
涼子という女性は嫌そう息を吐く。
「あんな組員2人にちょっかいかけられたくらいでいなくなるほど、私は弱くありません。あの人たちには遠慮なく股を蹴り上げてあげました」
「「………」」
その場にいる男全員が何とも言えない顔になる。
「私がいなくなったのは、ヤクザの世界に嫌気がさしたからです。義理だ人情だと言ってくだらないプライドをぶつけ合って、家族も顧みない人ばかりですから」
涼子は冷たい目で上座を見るも、すぐに視線を戻す。
「とにかく、どうでもいい意地の張り合いはここでやめると誓ってください。もう呼び出されるのは御免ですので。今。すぐに。早く!」
鬼のような目でかなりきつく睨まれた2人は、さっきまでの強気はどこにいったのか小さくなっている。
「…悪かった。与高」
「…俺もすまなかった。智」
涼子はそれを見てため息をついている。
そしてここに長居はしたくないのか、さっさと帰ろうとする。
その背中に、縹組の組員が焦って声をかける。
「お嬢!久しぶりに会ったんですから、親父と話してってくれませんか…」
「お嬢、少しだけでも…」
「20年以上、ずっと気にかけてたんすよ?」
涼子は必死になっている組員たちを一度見るも、そのまま立ち去ってしまった。
縹組組長は困ったように力なく笑っている。
「お嬢ってことは、あの人が組長の娘か?」
「そう」
「死んだんじゃなかたったのか?」
「死んだとは言ってない。いなくなったって言った」
「お前な…わざと分かりづらく言うなよ」
「お父様方の喧嘩は解決したみたいだけど、燕くんたちの喧嘩はどうなるのかしら」
雫石が心配そうに見る先には、まだ険悪ムードのままの2人がいる。
純はいまだに呆然としている組員たちの中を気にすることなく歩いていくと、2人の前で止まった。
「今日、この赤髪がここに来た理由を知ってる?」
「?」
「好きな女子を妊娠させたから」
「「!?」」
部屋中の視線が純に集まる。
特に縹組の人間は、何事かと驚いている。
その中で森和也はふるふると震えながら立ち上がると、燕を拳で殴った。
燕の体は、勢いよく後ろに吹っ飛ぶ。
「お前、何してんだよ!」
森和也は怒っているのに、泣きそうな顔だった。
「嘘だけど」
「…は?」
またもや部屋中の視線が純に集まる。
少し遅れてその言葉の意味に気付き、全員が首を傾げる。
『…まだ気が収まってなかったのか』
性格の悪い作戦をとったことで今回の鬱憤を晴らしたのかと思っていたが、まだやり足りなかったらしい。
わざわざ幼馴染に燕を殴らせるとは、相変わらず優しくない。
「…どういうことだ…?」
困惑している森和也に、純はとどめを刺す。
「そこの赤髪は、あんたの好きな女子を妊娠させてないってこと」
「「!」」
そこで、森和也と燕の両方の顔が真っ赤に染まる。
「好きな人が同じになったくらいで喧嘩しないで。迷惑。どんだけ親に似てんの」
似てると言われた親2人は、気まずそうに視線をそらしている。
その光景に、皐月は疲れたようにため息をつく。
「僕らは今回、あの人たちの恋愛事に巻き込まれたってこと?」
「そうらしいな」
「親子揃って友達と同じ人を好きになるなんて、すごいね」
「皆さん、巻き込まれてしまって大変そうだけれど…」
衝撃の事実を受け、組員たちはポカンとしている。
長年続いていた組同士の敵対関係は片思いがこじれたもので、その息子も同じだとは思わなかったのだろう。
大勢のヤクザに爆弾を投下してきた純は、何事もなかったかのように戻ってきた。
「帰ろう」
そう言って、部屋を出ていく。
どうやら、ここの後片付けをするつもりはないらしい。
つぼみもこれ以上面倒事に巻き込まれるのは御免なので、純に続いてその場を後にした。
「一応、理事長の指令は果たせたかな…?」
「敵対関係はなくなりそうだから大丈夫だろ」
誤解は解けたようだし、敵対する理由はなくなった。
抗争が起きることもないだろう。
「そういえばお前、縹組の組長に何を渡してたんだ?」
「孫の写真」
「孫?」
「さっきの涼子って人に一人娘がいるんだけど、娘に嫌われて会いに行けないから盗撮した写真あげてる」
「盗撮かよ」
「孫と会いたければ、娘と仲直りすればいいのに」
「それができていれば、親子関係で誰も苦労しないだろ」
親子だからこそ、一度仲違いをしてしまうと仲直りしづらい。
「ヤクザは不器用」
「確かにな」
今回のことを想えば、みんな不器用で、意地を張ってしまったことで状況が悪化してしまっていた。
もう少し互いに素直になっていれば、ここまで大事にはならなかっただろう。
「で、なんで縹組に取り次ぐのをあんなに嫌がっていたんだ?」
純の表情が固まり、少し俯く。
「…シロにばれるから。絶対怒られる」
どうやら、ヤクザと知り合いであることをシロに隠していたらしい。
「でも、理事長は知っていたんじゃないか?」
「おばあちゃんは知ってても怒らない」
「それもどうかと思うが…」
普通は孫がヤクザと知り合いだったら心配してやめさせるだろうが、理事長は普通ではないのだ。
そんな話をしている翔平と純の後ろを歩きながら、晴は今回のことを思い返す。
「同じ人を好きになるって、すごいよね」
「高田姉妹も、同じ人を好きだったよね」
皐月は、海で出会った姉妹のことを思い出す。
姉は両想いだったが、妹は片思いのまま終わってしまった。
「どちらかとは想い合うこともあれば、どちらも失恋する場合もあるんだろうね」
皐月にはあまりピンとこない話だ。
自分とそっくりの顔をしたもう1人は、さっきから何も言わずに前を見ている。
「凪月。ちゃんと前を見て歩かないと、転ぶよ」
「ちゃんと前見てるけど…?」
「そう?」
「何言ってるの、皐月」
「勘違いだったみたい」
『…ほんとに、勘違いだったらいいんだけどね…』
双子である凪月のことは、皐月が一番よく知っている。
だから、その視線の意味に気付いてしまう。
『まいったなぁ…』
青い空を仰いで、皐月は珍しくため息をついた。
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