第4話 さくら ①


桜が舞い散っていた。

それは、ずっと見ていたい美しい景色だった。


桜の木の下に、1人の少女が立っている。

その瞳は何も映っていないかのようにがらんどうで、人形の瞳のようだった。

虚ろで、恐ろしささえ感じる。なのに、目を逸らすことができない。

その姿に心を奪われたのだろうか、自分はその子に近付いた。


『ねぇ』

『ねぇ、なんて名前?』

『おれは龍谷翔平っていうんだ』

『きみは?』

『きみの名前をおしえてよ』



『随分と昔のことを思い出すな…』


視界の隅に桜が見えたせいだろう。

あの頃と変わらず、春になると学園には美しい桜が咲き誇る。


『あれから、11年か…』


1人かかってきたのを余裕でかわす。


「くそっ」


『あの時話しかけなければ、今の関係はなかっただろうな』


滑り込んできたのを軽く飛んでどんどん進む。


「止めろー!」


『あの後、どうしたんだったかな』


今度は2人いっぺんに来たのでフェイントをかけてかわしていく。


「もう無理だ!」


『名前、教えてもらったんだっけ?』


「ゴール!!」



ちなみに、今はサッカー部の練習試合中である。

サッカーと全く関係ないことを考えながら余裕でゴールを決めたのは、翔平だった。


「龍谷くーん!」

「さすがだわ!運動部さえ歯牙にかけない抜群の運動神経!」

「かっこいいわ~」


フィールドの外の観客から女子の黄色い声が飛ぶ。


『モヤモヤするな』


「龍谷さん。さすがです」

「あんなにクールにゴールを決めるなんて。格好いいです」

「龍谷さんがうちの部活に来てくれて、本当に良かったです」

「ん?あぁ」


いつの間にか試合が終わっている。

クールで冷静沈着と思われがちな翔平だが、鉄仮面のまま全く違うことを考えていることも多い。


「このまま、サッカー部にいてはいただけないんですか…」


翔平は運動神経が良く、大抵のスポーツは誰にも負けることはない。だから昔から運動部から勧誘を受けることが多かった。

しかし、今まで部活に所属したことはない。


ガタイのいい男たちから捨てられた子犬のような目でこっちを見てくる。正直全然嬉しくない。


「悪いな。1つの部をひいきにすることになるから」

「そうですか…」


本当の理由は別にあるのだが、他人に教える気はない。


このまま子犬の目を向けられるのは気持ちが悪いので、さっさとその場から退散した。




「――――!」

「?」


サッカー場からつぼみの塔へ戻る途中、道場のある方から何か気になる悲鳴が聞こえた。


すぐに向かってみると、道場の中でバタバタと人が倒れている。

剣道部のようで、皆防具を着ている。


大丈夫かと駆け寄ろうとした時、唯一立っていた人物が目に入って翔平の背中にぞわりと悪寒が走った。


防具で顔は見えないが、体は小さい。

しかし体から放たれている化け物のような強い気が、強者であることを存分に示していた。


その人物が面を脱ぐと、翔平は固くなっていた体の力を抜いた。

面から薄茶色の瞳が現れる。


「…なんだ。純か」

「何?」

「それはこっちのセリフだ。何だ、この状況は」


床には恐らく剣道部の部員である者たちが死屍累々ししるいるいで転がっている。


「何って、打ち込み稽古頼まれたからやっただけ」

「…手加減しただろうな」

「言われなかった」


ということは、純はほぼ全力で剣道部員を打ちのめしたらしい。よく見ると何本か折れた竹刀も見える。

翔平は額を手で押さえた。


「お前が手加減しないと怪我人が出る。言われなくても手加減くらいしろ」

「怪我はさせてない」


純にそう言われて倒れている部員を見てみると、ほとんど意識はないようだが確かに大きな怪我はしていないようだった。


「面倒くさかった」


純はやっと終わったとばかりに防具を脱いでいる。


「もう終わっていいのか?」

「これ以上続けられないでしょ」

「まぁ、確かにな…」


意識不明者多数ともなれば、続行は難しいだろう。


あらゆることを面倒くさがる性格の純のことなので、今回は早く帰るために容赦なく打ち込んで終わらざるを得ない状況を作ったのだろう。

ただその相手となった剣道部員は可哀想である。


翔平は心の中で剣道部に手を合わせた。すぐに医務室から人を呼ぶことも忘れなかった。




今回の理事長の指令は、部活派遣だった。

つぼみ全員が各部活に振り分けられ、新入生勧誘の目的で1週間その部活を手伝うというものである。


静華学園には様々な部活があり、乗馬や華道など、基本的に紳士淑女に求められる教養的部分が大きい。

しかしその中でも全国クラスのレベルの高い部活は結構あり、金持ちの子息令嬢にしては真面目に部活に取り組んでいる者も多い。

部活は学園の中において、学業以外でその才能を発揮できる場所だからだろう。

実力主義の静華学園において、その才能を開花させないということは弱者を表すのだ。


ちなみにつぼみの活動と部活を兼任することもできるが、全員部活には所属していない。

他のメンバーの理由は知らないが、目の前の人物の理由は「面倒だから」だろう。


今回の部活派遣も純にとってはかなり面倒なことのようで、汗一つかいていない様子でいつものように面倒くさそうにしている。


『そういえば…』


手拭いからはらりとこぼれた灰色がかった薄茶色の髪を見て、翔平は桜色の景色を思い出した。


「なぁ」

「何」

「俺がお前に初めて会った時、名前を聞いたよな」


純は薄茶色の瞳をちらりと翔平に向ける。


「あの時お前、何て言ったんだっけ」


さきほどからモヤモヤしていたことを聞いてみる。


純はそのまま少しの間翔平をじっと見た後、視線を戻した。


「さぁ」

『純なら覚えてるはずなんだが…』


教えてくれないということは、自分で思い出せということらしい。


何だったかなぁと、剣道部員が倒れた人の山を前にして考え込む翔平だった。




「部活連から抗議文?」


次の日の放課後だった。

今日の部活派遣の活動を終えてつぼみの部屋に戻ってきたメンバーは、雫石の持つ1通の手紙に視線を集めた。


「今日の昼間に届いていたものよ」

「今回の部活派遣に関わることか?」

「いいえ。それが…」

雫石は眉を寄せて手紙の内容を読み上げる。


「吹奏楽部部長であった前川を、部活連に報告もなく辞めさせるというのはいかがなものか。部長の任命と退任は部活連が管理するものである。これは、つぼみの権限超過ではないのか」


「…要約するとこんな感じかしら」


抗議文の内容を聞いて、翔平はため息をついた。


「いつかは来るかと思っていたが、思っていたよりも速かったな」


部活連とは、正式名称は静華学園部活動連合会である。

静華学園の部活をまとめている組織であり、部活に所属している生徒で構成されている。つぼみとは違い権限はそこまでないものの、運動系や文化系など多岐にわたる部活をまとめ上げ、風紀を守っている。


「何で部活連が抗議してくるの?」


晴は高等部からの入学のため、部活連が何故今回のことで抗議してくるのかいまいちぴんとこないらしい。


「抗議文にある通り、部活の部長の任命と退任は部活連が管理する。だがそれは形式的なもので、実際はそれぞれの部活が決めていることがほとんどだ」

「じゃあ問題ないんじゃない?今回はあの前川って部長が悪かったんだし、部長を辞めさせたかったのは部員全員同じ気持ちだったんでしょ?」

「そうだよ。入学式ボイコットした人に部長やってる資格なんてないでしょ」


皐月と凪月のもっともな指摘に、翔平は頷く。


「そうなんだが、そう簡単にいかないこともあってな」

「「どういうこと?」」


双子は揃って首を傾げる。


「代々のつぼみは何で部活動に参加しないと思う?」

「あー…なるほどね」

「そういうことかー」


双子はそれだけで分かったらしく、どことなく面倒くさそうにしている。


「あの…ごめん。どういうことかな?」


まだ分かっていない様子の晴に、雫石が優しく微笑む。


「つぼみが部活動に所属してはいけないという決まりはないのよ。実際に、少ないけれど部活動と兼任していたつぼみはいたわ。でも、ほとんどの生徒がつぼみになったら部活を辞めるか、そもそも部活に所属していないの。それはね、つぼみである生徒が部活動に所属してしまったら、パワーバランスが崩れるからなの」

「パワーバランス?」


「例えば、運動神経の良い翔平くんがテニス部に所属したとするでしょう?そうしたらきっと、翔平くんはテニス部でエースになって、全国でも指折りの選手になるわ。翔平くんはそのくらい運動神経抜群なの」


たとえ話で名前を上げられた翔平は、黙って雫石の話を聞いていた。

全部本当のことだから、何も言えないのである。


「だけれど、他の部活からしたらその状況っておもしろくないの。もし翔平くんがテニス部ではなくて空手部に入部していたら、全国で栄光を手にするのは空手部になっていたでしょうから。それは翔平くんに限った話ではなくて、みんなそう。つまりね、つぼみになれるほど優秀な生徒がどこかの部活に所属していると、他の部活がその生徒を自分の部活に入部させようとして何かしら揉め事が起きてしまうのよ。つぼみに選ばれるということは、いくつもの才能が秀でているという証でもあるから。つぼみではなくても、それを自覚している生徒は部活動を控えていることが多いわ」

「そっか…優秀過ぎる生徒がどこかの部活に所属していると、他の部活は面白くないんだね」

「そうなの。そしてその話が前提にあったうえで、つぼみと部活連ってあまり仲が良くないのよね…」


雫石が少し苦笑いしている隣で、双子が頷いている。


「あっちが勝手によく思ってないんだよね。こっちは変に揉め事を起こさないように部活に所属しないようにしてるのに、それを部活連を下に見てるからつぼみは部活をやらないんだって思われがちなんだよね」

「まぁ、自分たちよりできる人がわざと部活に入らないっていうのは嫌味に見えても仕方ないけどねー」

「それを考えると、理事長はよくおれたちに部活派遣なんて指令を出したね」


今の話を聞いていると、つぼみが部活派遣で部活動しているというのは部活連に喧嘩を売っているような気もする。


「よく思われていないからといって敬遠するわけにはいかないからな。だが、抗議文を見る限り今回の部活派遣は部活連側を刺激したようだな。部活連側は、吹奏楽部部長の件でのこちらの正統性はちゃんと分かってるはずだ。ただ、その件を引き合いに出してつぼみに文句が言いたいだけだろう」

「なるほど…」


双子が面倒くさそうな顔をする理由が分かった晴である。


「まぁ、それだけ部活連側でつぼみへの不満が溜まっているんだろうな」

「そのようね。…あら、抗議文の他にもう1枚文書が入っているわ」


雫石がもう1通取り出して読み上げようとすると、その微笑みが心なしか固まった。


「どうした?」

「まだ抗議文入ってた?」

「いえ、それが…」


雫石が困惑の表情を浮かべながら、その手紙を他のメンバーに見せる。


そこには、こう書かれていた。


「今代のつぼみがつぼみとして相応しいかどうか、我々部活連が見極めさせてもらいたい。その方法として、部活連はつぼみに決闘を挑む。部活連会長」



今まで会話に参加すらしていなかった純の眉間に、深いシワが寄った。

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