第3話 出ずる日 ③
入学式当日。
期待に胸を膨らませ、新しい制服に身を包んだ新入生たちが学園の門をくぐる。
そんな爽やかな朝の中、つぼみの部屋は驚きと動揺に包まれていた。
「「吹奏楽部がドタキャン!?」」
机を叩かんばかりに双子が立ち上がり、その声が広い部屋に響く。
「えぇ。予定の時間になっても1人も集まらないし、楽器も1つもないの」
困ったように雫石が頬に手をあてる。憂いをおびた姿さえ美しい。
「何を考えているんだ…。いや、それより今日どうするかだな。音楽なしで式をもたせるのは厳しい」
毎年入学式には式の内容に合わせて優美な音楽で新入生を迎える。
音楽がないと式が味気ないものになってしまう。
何か方法がないか必死に考えるが、なかなか良い案が思いつかない。
「録音してある曲じゃだめかな?」
皐月が不安そうに提案する。
曲は違っても、演奏を録音したものが残っているはずだ。
「式の進行によってテンポも変わるからな…生演奏じゃないと難しい」
「えぇー…どうしよう」
「今からどこかに依頼するわけにもいかないし…」
5人が行き詰まっていると、隣の部屋から純が出てきて晴の前に立つ。
今日も深紅の制服を着ていない。
「はい、これ」
純の手にはホコリの被った黒いカバンがあった。
「え?何?」
晴が戸惑いながらも受け取ってみると、そこには美しいヴァイオリンが納まっていた。
「ストラディバリウス!?どうしてこんなところに…」
「隣の部屋にあった。得意でしょ」
その言葉にはっとして顔を上げるも、純はすでに目の前にはいなかった。
「雫石、ピアノいけるよね。ピアノは持ち出せてないからそのまま置いてある」
少し驚きながらも、純の言葉の意味を理解したのかぐっと拳を握る。
「えぇ。頑張るわ」
「だが、デュオでどうにかなるのか?」
元々吹奏楽部による演奏の予定だったのだ。2人だけの演奏というのは心もとない。
「ヴァイオリンとピアノ足りなかったんだよね。ちょうどいい」
「「?」」
晴たちには純が何を言っているのか全く分からないが、翔平だけは何かに気付いているのか、不機嫌そうに純を見ている。
「お前…」
「時間ないから話はあと」
「…分かった。あとでちゃんと説明しろよ」
眉間にシワを寄せ、不機嫌そうにため息をつく。
何が何やら分からない不安な心持ちながらも覚悟を決め、波乱の入学式が行われる大講堂へ向かった。
あぁ、今日は楽しみだ。
大嫌いなあいつらの失態を見ることができるのだから。
私より上位にいる人間などあり得ない。
ムカつくあいつらなど打つ手がなくなって恥をかけばいい!
「あはははっ楽しみだ!」
「何が?」
「んなっ!!」
背後から突然聞こえた声に驚いて振り返ると、そこにいたのは昨日の無表情な女子生徒だった。
「犯人は現場に戻ってくるってよく言うけど、馬鹿なの」
ここは大講堂の横、窓から中の様子がよく見える場所だった。
「な、何を言っているんだ君は!」
「今日の吹奏楽部ボイコット、あなたがやったんでしょ」
建物の陰に立っているため表情はよく見えないが、深緑の制服。ただの普通の生徒だ。
「ふっ何のことだか…私はつぼみのことが心配になってここにいるだけだ。感謝してほしいくらいだね」
「ふーん。だってさ」
「?」
女子が後ろを振り向くと、その後ろの建物の陰から吹奏楽部の副部長を筆頭に部員が数名現れる。
「私たちに嘘を言ったんですね、部長」
「今日は演奏はないっておっしゃいましたよね」
「楽器も1つも無くなっているんですけど」
「どういうことですか?」
部員の視線が鋭く自分に刺さっているのが分かる。
「き、君たち何でここに…」
「わたしが呼んだ」
さも当たり前のことのように言ってのける女子は、昨日のようにポケットに手を突っ込みながら面倒くさそうに壁に寄りかかっている。
それが、無性に気に障った。
「で、証言はとれたわけだけどどうする?」
「くっ…」
『このままではまずい…』
このままでは、部員にも学園にも味方がいなくなってしまう。
頭を必死に回転させ、このムカつく女子を言い負かせる言葉を考える。
「そうだな…いや、私はあなた方に今日演奏をすると言った覚えはないな。そちらが私たちに頼むのを忘れたのだろう。憶測でものを言うのは止めてもらおう!」
『どうだ!昨日言ったことなどこの女子と、顔だけが取り柄のつぼみの2人にしか聞いていない。証拠などないようなものだ』
「面倒くさいな」
「――だろう。他の部員も知ってる?そうだ。何を当たり前のことを言っているんだ。無礼だぞ、君。じゃあせっかくだから明日絶対演奏するってここで言ってもらえる?何なんだ!馬鹿にしているのか?明日絶対に演奏する!」
「って昨日言ったよね」
そう言ってポケットから出した手にあるのは、ボイスレコーダーだった。
「ボイスレコーダーだと…?いつの間に…いや、そもそも何故あの時そんなものを持って…」
「ちなみに今のやり取りも録音してるから。ご愁傷様」
自分を見る部員の目がだんだん冷たくなっていく。
相変わらずやる気がないのに自分を言い負かした女子は壁に寄りかかったままだ。
自分を馬鹿にして見下しているように見える。
『くそっ!私より下の人間のくせに…』
後ろをちらりと見ると、突き当り。左右は建物。
『女子1人と部員が数人いるだけだ!強行突破して親に言って揉み消してもらおう!』
地面を蹴り全速力で走り、壁に寄りかかっている女子と壁の間を抜け出そうとする。
『いける!』
ヒュッと風の音がしたと思うと、いつの間にか女子の左の拳が顔の正面ギリギリにあった。あと数センチで鼻に届きそうだ。
反射的に止まっていなければ、鼻と眼鏡が無事では済まなかった。
「来なくても大丈夫だったのに」
拳をそのままに何故か自分の背後に話しかけている。
恐る恐る後ろを振り返ろうとすると、自分の右耳スレスレに人の脚があった。
「どうせこんな状況だと思ったよ」
眉間にシワを寄せつつ遠慮なく人の頭を蹴ろうとしているのは、翔平だった。
「説明不足なんだよ。相変わらず」
「時間なかったから」
「どうせ昨日のうちに分かってたんだろ。じゃなきゃ外部の楽団を用意する真似なんてできない。式は無事滞りなく進んでる」
「そう」
「先にちゃんと言えよ」
「どこから来た?」
「窓。話をそらすな」
「な、何なんだ!この女子は!私を追い詰めるなど何者なんだ!それに!私がお前たちに負けるなんてあり得ない!お前たちの何が凄いというのだ。何がつぼみだ。全員顔で選ばれただけの能無しじゃ――」
「そんなことありません!」
前川の言葉を遮ったのは、副部長の女子生徒だった。
部長がボイコットしたことに怒っているのか、今の言葉に怒ったのかは分からないが、肩を怒らせている。
「皆さん部長より優秀な方ばかりです。ひどいことを言わないでください」
「では何が凄いというのだ!」
「まず!」
怒っている勢いでキッと鋭い目で見られた翔平は、一体何事かと思わず目をパチパチさせた。
「菊の龍谷翔平さんは、世界にも幅広い分野で進出している龍谷グループ社長の御曹司であり、学生ながら次期社長として社交界でも顔の広い方です。学業の成績が優秀なのはもちろん、運動部でさえ敵わない高い運動神経を持ち、そのクールな面差しから女性人気が高いですがそれを鼻にかけることなくいつも
「……」
目の前で褒められた形となった翔平としては、ここは居づらくて仕方がない。
しかしそんなことはお構いなく、副部長のつぼみ語りは続くようだった。
「次に!桔梗の周防晴さんですが、ハリウッドで活躍される映画監督と世界的女優をご両親に持ち、ご本人もそこら辺のモデルでは敵わない美貌をお持ちなのは言うまでもありません。ただそれだけではなく、周防さんは誰にでも優しくしてくださって、家の家格など気にせず、その人それぞれを見てくださるのです。高等部からの入学でつぼみになるのは難しいことですが、それを可能にしただけの努力をされたのです。でなければつぼみには選ばれません」
つぼみの選出規準は厳しい。家柄、成績、容姿、人柄などの様々な条件をクリアし、そのうえで称号に相応しいか考えられる。
創立者たちの花を背負うに足りないと判断されれば、つぼみには選ばれないのだ。
「男性ばかりではないです。牡丹の称号は例年その称号に負けないくらいの美貌をお持ちの方がよく選ばれますが、学園一の美少女と名高い優希雫石さんが選ばれたこと、同じ女性として納得するしかありません。それに優希さんは初等部入学以来学年トップの成績を維持し続けるだけでなく、ご実家の日本舞踊優希流での実力も高いと聞きます。つぼみに選ばれない方がおかしいです」
「蒼葉兄弟については私から!」
副部長の隣にいた部員が勇ましげに手を挙げる。
「1つの称号に2人が選ばれるという史上初の事態でしたが、あの蒼葉兄弟なら納得です。そっくりな容姿に、試験では毎回2人で同じ点数をとってしまうという奇跡さえ起こしてしまうお2人。明るく、いつも楽しげでもちろんその容姿も人目を惹くものです。そしてご実家は誰もが知る大手電機メーカーのAOBAです」
「……」
部長の前川は突然始まった部員によるつぼみ紹介にぽかんとしているようだった。
それは翔平も分からなくもなかった。自分たちのことを話されているはずなのだが、説明の仕方がだんだん熱くなって自分のことを言われているはずなのに別人のことのように感じてしまう。
「百合の方は…」
やっと最後の人物紹介が始まるかと思ったが、副部長はそこまで言って言葉を止めた。本人を前にして言いづらいらしい。
「百合の方は……不思議な方ですよね」
「……」
今までのつぼみのメンバーの説明との落差が激しすぎる。
説明している本人も自覚があるのか、気まずそうにしている。
「いえ、でも初等部入学時から成績を落とされたこともなく――」
「そんなことはもうどうでもいい!」
前川が焦れたように叫ぶ。
「何故私がボイコットをすると事前に分かったのだ!」
「それは俺も聞きたい」
翔平にちらりと視線を向けられ、純はため息をつきながら前川の鼻を殴ろうとしていた手を下げた。
翔平も脚を下げると、前川はやっと落ち着いて息ができるようになっている。
「吹奏楽部の部室に行く途中、何回も襲われた」
「あぁ、俺らも襲われたな」
「その犯人の中に、こいつがいた」
「!」
「それは俺たちが気に食わなくてやったのかもしれないが、それだけじゃ分からないだろ」
「部室を覗いた時、どこにも楽器がなかった。講堂にもなかったから、入学式に演奏する気ないんだなって思って」
「ボイスレコーダーは何で持ってたんだ?」
「何かある時のために持ち歩いてる」
「そうか…」
純の想定する何かある時がどんな時なのかは分からないが、今回は役に立ったというところだろう。
「何なんだ!い、一体何者なんだこの女は!」
2人の真ん中でまだ興奮している前川を見て、翔平は小さくため息をついて憐れみの目を向けた。まだ気付いていないらしい。
「昨日こいつはいなかったうえ、普通の制服のままだからな。気付かなかったのには同情するが、つぼみのメンバーの名前は発表されてるだろ」
「昨日…いなかった…」
その言葉で、やっと自分の鼻と眼鏡を潰そうとした女子の正体に気付く。
「百合の…櫻純、か…?理事長の孫の…」
薄茶色の瞳は興味なさそうにしていて、その表情は変わらない。
「こいつの顔を知らなかったってことは高等部からの入学か?名前は有名だが、こいつは人前にあまり出てこないからな。だが、わざわざつぼみの中でも理事長の孫にドタキャンしたのがバレて残念だったな」
この学園では、理事長が絶対的な存在である。
そして静華学園理事長といえば、各界に多大な影響力を持つ人物だ。
その理事長が背後にいるからこそつぼみは大きな権限を持ち、学園をまとめることができるのだ。
ボイコットがばれても、親に揉み消してもらえばいいと思っていた。
しかし、ばれた相手はつぼみであり、理事長の孫。
前川は自分の置かれた立場に恐怖で青ざめ、腰が抜けてその場に座り込んだ。
「吹奏楽部部長は退部かー。次の部長は副部長の子みたいだね」
昨日の入学式は無事終了し、純から事の顛末を聞いた皐月たちはやっと息をつくことができていた。
「僕らに迷惑かけて入学式に影響したんだから、もっと重い罰でもいいんじゃない?」
凪月は不満そうだ。
晴と雫石は初見で演奏するだけではなく初対面の楽団と演奏を合わせるはめになった。それでも問題なく終えた二人は凄かった。
「今回のことで学園には居づらくなるから、十分なんじゃないかな。それに、他の部員には罰則がなくて良かった」
「確かに、そうだね」
「部長だけで済んだのは良かったねー」
「関係がないのに罰則を受けるのは、可哀想だから」
晴はずっと使われていなかったであろうバイオリンで演奏することになって大変だっただろうに、吹奏楽部の部員を気遣うほど優しい。
「そうそう、晴の演奏すっごく良かったよー」
「バイオリン得意だったんだね。新入生が入学式そっちのけで晴を見てぽ~っとなってたよ」
「…ありがとう。優希さんのピアノがあったからうまくいったんだ」
「確かに雫石も上手だったねー」
「…でも、一番びっくりしたのは純だよね」
3人は、昨日のことを思い出す。
吹奏楽部のボイコットを事前に察知し、外部の楽団を用意していた周到さ。
部長の思惑を阻止し、本人に自供させ揺るがない証拠を理事長に提出した。
自分たちは誰一人、今回のことに気付いていなかった。
それに気付きたった1人で解決してしまった純は、つぼみに選ばれた自分たちでさえ及ばない存在のような気がする。
しかし、それがどれ程のものなのかはまだ分からなかった。
それはきっと、深海のように底の見えないようなものの気がした。
翔平と純はつぼみの塔の屋根の上にいた。
風は心地よく、青空はどこまでも広く終わりがない。
「お前、ヴァイオリンとピアノの演奏者が足りなかったっていうのは嘘だろ。あれだけ完璧に楽団を用意しておいてそんなミスをするわけがない」
「まぁ」
「何を企んでいるんだ?」
「さぁ」
「……」
どうやら教える気が無さそうなので諦める。
こういう時の純から情報を聞き出そうとするのは至難の業なのだ。
純は眩しそうに空に手を伸ばしている。
「しばらくは、何もないといいがな」
「無理じゃない」
「まぁ、そうだろうな」
単なる希望だったらしく、翔平はため息をついている。
「これからこんなことがどんどん増える」
この学園にいる生徒のほとんどは将来人の上に立ち、人を動かす側の人間だ。
そのせいか、プライドが高く人を蹴落とそうとする人間が多い。
もちろんそんな人間ばかりではないが、ここで弱者になるということは否定されているのと同じことなのだ。
向上心のない者は上に上がることはできない。
醜い心や卑怯な方法さえ、勝者となれば正当化される世界。
それが、この静華学園である。
『面倒くさい』
「今、面倒くさいと思っただろ」
「…思ってない」
「嘘だな。何年の付き合いだと思ってる」
「11年」
「そういう答えは求めてない」
翔平の眉間にシワが寄る。
いつものことだ。そのうちシワがとれなくなりそうだ。年をとるごとに眉間のシワが谷のように深くなっている。
その原因の大半が自分にあるということには、純は気付いていない。
「純と翔平くん、上にいるわよね?お茶が入ったわよ」
下から雫石の声が聞える。
「優希が来たか。降りるぞ」
「私もそこに行きたいわ。ちょっと待っていてね」
「「え」」
何か今、耳を疑うような衝撃発言が聞こえた気がする。
「雫石、危ないから」
「無理に登ろうとするな。怪我するぞ」
2人で慌てて下を見ると、今にもバルコニーの柵に足をかけるところだった。
「えー?」
「今降りるから」
雫石が不満そうに頬を膨らませ、一応足を下げる。
見た目のわりに行動的なので、いつもひやひやする。
雫石の傍らに純と翔平が身軽に降り立つ。
「もう、いつか登るからね」
「止めてくれ…」
翔平が呆れて頭を押さえた時、チリーンと鈴が鳴った。
全員、恐る恐る指令箱を見る。
「「嘘でしょ…」」
初めて全員の心が一致した瞬間だった。
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