好奇の目は彼女をみる
ココロを教えて、そう願いを口にした人形は相も変わらず眉一つ動かない無表情だが、この言葉が切実なものなのだということは如実に伝わった。
実際、目の前で相対している彼女がそれをありありを感じていて、具体的な言葉では言い表せないような焦燥感のようなものが人形からヒシヒシと伝わってくる。
しばらくその場で二人は見つめあっていたが、口火を切ったのは人形だった。
「お前のナマエ、教えてよ」
その言葉に、彼女も老人もハッとする。そうだ、関わろうにも名前を知らなければお近づきにもなれやしないのだ。
彼女は自身の失念に吹き出し、しばらく笑いころげた。箸がころがっても笑う、などとはよく言ったものだが、今の彼女は正しくそれである。
「ごめん、あなたのいう通りだわ。私はミサ、よろしくね」
ミサはにこりと微笑んで、人形たる彼に挨拶のための手を差し出した。
人形はその意図を図りかねていて、まじまじとミサの差し出した手を見つめるばかりだったが、恐る恐るその手を取って真っ直ぐと彼女の目を見る。
「ボクはルイ。確かそう呼ばれていた」
「誰に?」
「……忘れた」
少し前に記憶の欠落のことを口にしていたはずの人形は、自身をその断片からルイと名乗った。彼はその他のことについては現状、思い出せるものはないらしく、すぐにまただんまりを決め込む。
それでもミサは少なからず進展した状況に対して、嬉しそうに破顔した。それを見つめる老人もまた、どこか満足げだ。
「お前たちの顔の意味がわからない」
ルイは純粋に理解できないという風に、人形とは思えないようなしかめっ面を見せる。存外、人間的な様子を見せる彼に対してミサはまたその瞳を輝かせた。それがまたルイがしかめっ面にさせるという、側から見るには悪循環としか言いようのない状況だがミサはそれを期待の眼差しで見つめる。
ルイとミサは対極であり、そして絶望的に噛み合っていない。それは老人の目から見ても、おそらく他の誰の目から見ても明白だ。こんなにもあり得ないことが起こり得るのか、と思えてくるほどの状況だが老人はひとつも口を開かなかった。
ついにはミサが盛大に吹き出して笑い始めてしまうものだから、状況は好転することどころか険悪になっていく一方だ。
「笑ってばかりでは、話が進まないよ?」
そう口を挟んだのは、今まで口をすっかり噤んでいた老人だった。どうしようもないほどの状況の中、老人ははっきりとそして凛とした声で言葉を紡ぎ、たった一言でこの場の雰囲気を一変させてしまう。
「そうね、うん。おじいちゃんの言う通りだわ」
老人の言葉をミサは素直に受け入れた。ルイの方は相変わらずのしかめっ面で、どうやら不服であるらしい。だが、それでも苦言を紡がないあたりに、老人の言葉は理にかなっているとは思っている様子だった。
「心を教えて、と言っていたけれど……」
「言葉の通りだよ」
ミサの言葉を遮るように、ルイは冷たく言い放つ。今までの豊かな表情が嘘のように無機質な表情を浮かべる彼は、それでも人間にしか見えない。その姿は関節部分以外は人間のようであったし、ゼンマイを巻いてからの彼は自身の意思で動き、自身の意思で言葉を発しているのだ。
「人形に心はない。けれど、知ることは出来る」
「そうだね。きっとルイ、あなたを作った人は優しくて愛情深い人だったんでしょうね」
ミサの言葉を受けて、ルイはまるで弾かれたかのように彼女を見つめる。ほんの少し前までの険悪さが嘘のように、純粋な興味のみで満たされた瞳がミサを捉えてはなさい。
その姿からは彼が人ではないなどとは想像もできず、当然ながら当事者であるミサとそれを見守る老人ですらにわかには信じ難いことたもった。
「決めた」
そして脈絡などひとつもなく、唐突に人形は言葉を紡ぐ。
「ボクは、お前について行く」
どうしたことだろうか。ルイは突然にそう言い放ってミサの隣に立つ。どうやら本気らしかった。
「えっとぉ……どうしよう、おじいちゃん?」
「そうだね、これは……」
分かりやすく困惑するミサに老人もまた困った様子で眉を下げる。ルイだけが何かを期待しているようなキラキラとした瞳でそこに在った。
「突然知らない人連れて帰ったら、さすがにまずいし……」
「何がいけない?」
口を挟むルイは先までの不服さすら感じさせるような様子など、既に忘れ去ってしまったかのように純粋かつあっけらかんとしてすら見える。そこがまたミサたちの感覚との間に分かりやすく温度差を与えていた。もちろんルイはそのような状況を承知しているはずもなく“空気が読めていない”と言う状況に陥っていた。
「ひとまずは私と話をしましょうか、彼女を困らせてはいけない」
老人はルイと目線を合わせ、穏やかに微笑む。しかし老人からは言葉や態度とは裏腹に、逆らえない圧迫感のようなものを感じさせた。ルイにとってもそれは例外ではなく、口を開かずただ押し黙っていることが何よりの証拠だ。
「またここに遊びにくるから、その時に……ね?」
ミサは必死に宥めるような言葉を紡ぐ。しばらくルイは不服そうな表情を浮かべていたが、渋々彼女の言葉に頷いてみせた。
「絶対だ。ココロを教えるって、約束だからな」
「うん、わかった」
二人の会話が落ち着いたことに安堵しながら、老人は窓の外を見遣る。すっかり太陽の光が失われた街に、人工の光が灯り始めていた。
「そろそろ。もうすっかり遅くなってしまいました」
「そうだね、真っ暗になってるし」
老人の言葉を受けて、ミサは荷物を手に取り帰り支度を整える。学生の持つための指定鞄は、控えめに存在を主張していて恐らく中にはたくさんの荷物が収められているのだろう膨らみ具合が、取り分け主張を加速させた。
「……じゃあ、またね二人とも」
学生の本分たる勉学に勤しむためなのか、はたまたそのポーズをするためだけなのか、それすらも分かりはしない荷物を肩に下げてミサは笑う。
そんなミサの姿を人形はつぶさに見つめていた。きっと彼女は、彼の忘れてしまったものを教えてくれる――そんな気がしてならなかったのだ。
きっと、そのはずだとルイは確信していた。
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