ぜんまいの魔法人形の視るものはかくも美しき

つぐい みこと

その目はそして開かれる

 ――貴方にいつか、素敵な出会いが訪れますように。

 

 誰かの声がした。優しい声、あたたかい声。……あれ? 優しいってなんだっけ? あたたかいってなんだっけ?

 

 ――もう行くわね。

 

 待って、行かないで。手を伸ばしたいのに、身体は少しも動かない。

 いやだ、いやだ、いやだ……! ボクを独りにしないで……!

 

 ――今までありがとう、さようなら。

 

 お願いだ、行かないで。ボクと一緒に居てよ!

 いやだ、こわい、寂しい、苦しい。

 あれ、わからない……あんなに今さっきまで感じていたはずなのに。

 わからなく、なっちゃった。

 

 

 

 そして光は閉ざされた。

 

 

 

 石畳の急な下り坂を、まるで滑り降りて来るかのような勢いで自転車と共にやって来る制服姿の女子生徒がいた。

 彼女の姿は夕刻の帰宅の途へつく学生たちの中において、極めて異質でそして誰よりもそのライトブラウンの瞳をきらきらと輝かせていた。

 操る自転車はまるで風のように、窓の中を駆け抜ける。

 一目散に彼女の向かった先は、こじんまりとしたアンティークショップだ。彼女の通う学校からは少し離れていたが、そんなことは些末なことだ。まるで宝箱のようなアンティークショップが、今彼女のお気に入りだった。

「おじいちゃん、こんにちわ!」

「今日も来てくれたのかい」

「もちろんだよ〜!」

「なら、今日は紅茶を用意したから飲んでいくかい?」

「やった! ありがとっ」

 扉を軋ませつつ押し開くと、彼女が“おじいちゃん”と慕うアンティークショップの主人の姿がある。彼らは実際の血縁関係こそなかったが、非常に呂横行な相互関係を築いていた。

 店先に座っていた老人はゆっくりと立ち上がると、嬉しそうに笑っている目の前の年若い友人に目を細める。ロマンスグレイ、その表現がぴったりと当てはまるような姿は、円熟味を感じさせつつ彼を実際の年齢よりも若々しく見せていた。何より、ぴんと伸びた背筋は目の前に立つ女子学生から見ても、若々しく魅力的に感じさせる姿を演出していて、言葉の通り紅茶を淹れる準備をはじめる。彼の後ろ姿すらも、絵になると感じずにはいられないほどだ。

 しかし彼女の目的は“おじいちゃん”だけではない。もちろん彼と言葉を交わすひと時も、この宝箱のように店に通いつめる理由のひとつではあったが、加えてもうひとつ理由があった。

 彼女は迷いひとつ見せず、店の奥へと踏み込んで行く。床板の軋む音が響くが、気にもかけていない様子で足取りひとつ変えずに進んだ先には人間のように思える何者かが、椅子に座り瞼を閉じていた。

 黒から毛先に向かうほど青く透き通った髪を持ち、瞼を閉じていても分かる端正な顔立ちは、美麗と評してもまた不足を覚えるほどだ。男性とも女性ともつかないその中性的な美しさに、彼女はただただ魅了される。

 老人曰く、それは古い時代から伝わる魔法人形とよばれるものだと言う。現存する魔法人形もほぼなく、魔法そのものも世界から失われて久しいとされる現代において、彼女の目の前に座る人形は極めて貴重な存在と言えた。

 しかし、彼女からしてみればそんな能書きなどは関係ない。毎日、ただこの人形と言われて瞼を閉じ、座り続けるだけの美しい存在に、一目だけでいいからこの目でと、狂おしいほどに求めているだけなのだ。

 そういう意味では、彼女はこの魔法人形に一目惚れをしたとも言える。そんなこんなで彼女は今、わき目もふらずにこのアンティークショップへ通い詰めているという訳だった。

「本当にその人形が好きだね」

 手許に二人分の紅茶の準備を整えた老人が、気がつけば彼女の後ろに姿を表している。その表情は穏やかで、落ち着いた笑みをたたえていた。

「うん。この人形がいつか目を開いたところが見てみたいなって……ほんとうに思うの」

「そうだね。それは、私も見てみたいと思うよ」

 年季の入った木製のテーブルの上に、紅茶の用意を淡々と整えながら、老人は年若い友人の言葉を静かに肯定する。

 そして

 そっと紅茶をすすめた。

「ありがと。いい香りだね」

 ふわりと香りが立ちのぼる。彼女はその香りを嗅覚で感じ、思わず感嘆の言葉を口にした。それほどまでにほどよく香り高く、上等さを醸し出すその紅茶は老人自慢の一品である。

 小さく微笑んでから、彼女はゆっくりとその口をカップにつけて紅茶を口にした。

「美味しい〜!」

「それは良かった」

 老人は思わず破顔する。彼女もまた幸せをその表情にいかんなく映して、満足していることを分かりやすく感じさせた。

「あなたも一緒に、このこうちゃを楽しめたらいいのにね」

 座ったまま、ぴくりとも動かない人形を見つめ語りかける彼女の表情は、先のものとは打って変わって物悲しさを窺わせる。老人は彼女の様子を黙って見守っていた。

 動き出してくれないかなぁ、とつぶやき老人に向かって彼女は寂しげに笑いかける。それに困った様子で笑い返し、老人は再び紅茶をすすめた。

 二人の側で端正な人形の瞼が、小さく震える。

 彼らはまだ、そのことを知らなかった。

 

 人形を囲み老人と制服を着た女子生徒がくつろいでいる。室内は少し薄暗さこそ感じるが、美しく整然と物の並べられたこの場所は、とあるアンティークショップの一画だ。すっかりのびのびとした様子で、老人の用意した紅茶と茶菓子を口にする彼女の表情は幸せそのものといった風で、そのあまりの分かり易さは老人にも強く満足を感じさせる物だった。

 カタン。その時、何かの落ちたような音が聞こえてくる。

「ん、物が落ちてしまったかな?」

 老人はゆっくりと立ち上がろうとするが、それを彼女が手で制した。

「私が見てくるよ」

 快活に笑ってから立ち上がると、彼女は音のした隣りの部屋へと向かう。

 さらに薄暗さを感じる部屋に、慣れた手つきで明かりを灯すと、ぐるりと一周あたりを確認した。

 すると足元に見覚えのない、小さな鍵のような物が落ちているのを彼女は発見する。すっかり馴染みの店となっているここの、棚にあるものの大概は承知しているつもりでいた。そうであるにも関わらず、その小さな鍵は全く持って見覚えも心当たりもない。

 彼女はその鍵を訝しげに見つめるが、おそるおそる手を伸ばして、それを手に取った。

「おじいちゃん、これ何〜?」

 もちろん見るからにただの鍵だ、危険はない。そのことをすぐに察した彼女は、早足でもといた部屋に戻りながら老人に問いかける。

「うん?」

 戻ってきた彼女の手に収められている鍵を見て、老人もまた首を傾げ疑問を抱く様子を見せた。どうやら心当たりはないらしく、老人の口から出る声は呻くようなものばかりだ。

「おじいちゃん?」

 予想外の老人の姿に、彼女はわかりやすい疑問の表情を浮かべながら首を傾げる。それもそのはずだ。彼ならば知っているだろう、そう信じて疑わなかったからである。

「これは、はじめて見るねぇ……」

 声色からも表情からも驚きと感嘆がありありと感じられて、老人の言葉にもその様子にも嘘がないことが、痛いほどに伝わってくる。

 そしてどこからやってきたのか、甚だ疑問しかないその小さな鍵の存在を二人してまじまじと見つめた。……見つめるばかりで、何かが解決することも変わることもないのだが。

 その小さな鍵は、店の雰囲気に似つかわしい独特にくすんだ金属のようなもので出来ている。小洒落た意匠のそれは見るからに“アンティーク”を連想させる様相だった。

「何の鍵……なのかな?」

 それは見た目通り、そして純粋な疑問である。彼女の言葉に老人は、視線を向けながら考え込んだ様子を見せた。

「ゼンマイ、かも知れないなぁ」

 彼女の想像とは少しばかり違った答えに、黙りこくることしか出来ない。

 しかし考えてみれば、ゼンマイ仕掛けのものはこの店も少なからずある。そのネジを回すためのものが落ちていても、全くおかしくはなかった。

「……ゼンマイの亡くなった物は、心当たりある?」

「そうだねぇ」

 老人は再び唸る。そして視線をゆっくりと、一つの場所へと向けた。

 それは件の人形の置かれた場所だった。

「これ、動くの?」

「この子は鑑賞するための人形ではないんだよ。動いているところは残念ながら、見たことはないがね」

 老人は茶目っ気を帯びた笑みを浮かべる。彼の言葉は彼女にとって驚き以外の何者でもなく、無論笑みを見せるような余裕もない。

 この人形は本当は動くものということを踏まえて改めて見つめるとそれは、見れば見るほどに人間そのもののように思えた。

 整った目鼻立ちからの端正な顔、しなやかな体躯、その全てが美しく、改めてその存在を感じるだけで感嘆の息が漏れる。

 老人は人形へと近づくと、背中の方へと回り込んだ。きっとここだ、という場所にあった小さな窪みは、例の鍵の大きさにぴったりで、彼女は今度は息を飲む。

「回してみるかい?」

 老人の言葉に、彼女は耳を疑った。店主は老人だ。その彼を差し置いてそんな大役を担うなど、おこがましいという言葉でもまだ不足している。

 それでも、老人はにこやかに笑って彼女に鍵を、確かに差し出してきているのだ。

 おずおずと気が引けながらも、彼女は鍵を受け取る。そうしないこともまた失礼では、などと妙に不安になったことも確かだが、それ以上に興味があった。

 からり。

 小さな音とともに、鍵はピタリと穴にはまる。それを彼女は確認し、そっとそっと回してみた。

 ぐるりと鍵が回転する。噛み合った全てが動かなくなって久しい人形に注がれた。

 そしてその瞳がパチリと開く。美しく輝く青緑の双眸は、彼女と老人を静かに見つめていた。

 

「うご……いた……?」

 彼女は目の前で起こった出来事に、ただただ驚いている。

 老人の方もさすがにここまでのことは予想していなかった様子で、目を見開くばかりだ。

「……誰だ」

 人形は静かにその口を開く。冷たい口調に、感情の色のない声色は、二人の背筋にぞわりと寒気を走らせた。

「私はこの店の主、彼女はお客だよ。君は、この店で引き取られて久しいモノ、のはずだが……もし良ければ君のことを教えてはくれないだろうか?」

 老人の慎重な言葉を受けて、人形は静かに動きを止める。どうやら思考しているようだった。

「かつて造られた魔法人形、ということ以外は何も覚えていないよ。リセットされているんじゃないかな」

 淡々とそう告げる姿は、やはり冷たく感情の色をまるで思わせない。

 彼女はただその様子をじっと見つめる。その眼差しはキラキラと輝いてまるで宝石のようだ。興味津々と言った様子の彼女を、人形の彼は光もかげるような無の瞳で見つめている。

 二人の姿はまさしく両極端。静と動、明と暗、陰と陽、これほど分かりやすい対極の姿はなかった。

「何」

 口を開いたのは人形の方だ。彼女の様子の意味が全く理解できなかったらしく、とてつもなく淡白な問いの言葉を向ける。

「私、嬉しいの!」

 最初に見せた驚きなどどこへやら、彼女は瞳をさらに輝かせながら人形の方へと歩み寄る。その様子は言葉に違わず喜びに満ち溢れていた。

「うれ、しい?」

「そうよ!」

 人形の問いかけに、彼女はやはり笑顔だから。

「あなたとお話をしてみたいなって、ずっとずっと思っていたから。とても嬉しい!」

「……嬉しい……」

 “嬉しい”という言葉を、人形は何度も噛み締める。

「ねぇ」

 再びその口をぎこちなく動かしながら、瞳を“嬉しい”という言葉を口にした人間へと、真っ直ぐまるで射抜くように向けた。

 しかし彼女はその視線を怯むことなく受け止め、かつ笑顔で言葉の続きを待っている。

「ボクに、ココロを教えて」 

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