第3話 暗くなる前に
修也にはデリカシーにかけるとがあることは知っていた。とっさに修也は口を開く。
「え?病院へ??どこか悪いんですか?」
「いえいえ、わたしたちじゃなく息子がね…」
え?息子さん? 車の後部座席に座ってるのは女性では??
奥さんは言葉をつづけた。
「あの病院でお世話になってるんですよ。もう、かれこれ5年かね。月に一回はこうして夫婦で面会に行くんだけど、いつ退院できるかもわからないんです。」
奥さんの目が少しうるんだように見えた。
あたしの見間違いだったのだろうか…後部座席の人は女性だったはず…
そんな疑問も修也がすぐ解決してくれた。
「3人で面会に行くんですか?もうおひとり乗られているようですが。」
「あー、あの方はね、1つ目のダムの駐車場で乗せてあげたんですよ。なにやら家に帰るらしく歩いていたものでねえ。こんな距離を歩くなんて夜中になっちゃうでしょ?」
そういうと、夫婦は後部座席の女性に目をやった。女性はじっとうつむいたままで、顔がはっきりとは見えない。
「じゃ、僕たちはこれで失礼して温泉に向かうとしますね。」
ようやく修也も何かの様子がおかしいことに気づいたらしい。
「おお、そうか。この先、ダムを渡って左に曲がると温泉地に着くはずだよ。道が狭いから気を付けていきなさい。」
「若いからってスピード出しすぎちゃダメですよ。」
「はい、ありがとうございます。息子さん早く良くなるといいですね。」
わたしも軽く会釈をし、車に戻ろうとした。
ガチャ…
その時、夫婦の車の後部座席が開いた。そして、ゆっくりと女性が車から降りてきた。目は伏せたまま、かなりやつれているよう見える。どこか悪いのだろうか…
あたしたちも足を止めその様子をうかがった。女性は風の音にもかきけされそうな小さな声でたった一言だけつぶやいた。
「ここで…」
「ん?ここでっておじょうさん。ここはダムの上ですよ。」
そう言って、奥さんが女性に近づこうとした。その時、女性が急に赤い橋のほうを指さした。
「あっちの道が。家」
「あ、そうだったのね。なんでもう少し早く行ってくれなかったのよ。」
奥さんの言葉に続いて旦那さんが口を開いた。
「はよ乗りなさい。送っていくから。」
ここであたしのいやな予感が的中した。そう、虫が現れたのだ…修也虫…
「お二人は病院に急いだ方がいいんじゃないですか?もうすぐ夕方ですし、早いとこ息子さんに会いにいってあげてくださいよ。代わりに僕たちが送りますから。」
そう言うと修也は女性の方に目をうつした。さすがに遠慮するでしょ…あたしの予感はことごとく外れた。女性は無言のままわたしたちの車に向かい、後部座席を開けるとそのまま乗り込んだ。あたしはたまらず修也の服のすそを引っ張った。
「いいんかい?あなたがたこそ急いでるんじゃ?」
夫婦の言葉にあたしは一瞬救われたと思ったが、修也虫がなかなか引っ込まない。むしろ飛び回ってしまった。
「温泉の夕食は7時ですからそれまでに着けば全然平気ですよ。このダムの上の方の景色も見たいですしね。」
「そうかい。じゃお願いしようかね。とてもおとなしい方だからどこで降ろすか聞いてから送った方がいいかもしれないよ。」
あたしにはこう聞こえていた。「良かった。これで安心できる。とても変わった人だから気を付けて…」と。
「はい、わかりました。お二人もお気をつけて!」
「ありがとうね。わたしたちもこれですぐに病院にいけそうよ。あ、わたしたちは近藤と申します。」
「あ、安良田です。じゃ早いとこ送って僕たちも温泉に向かいますね。」
別れ際に自己紹介なんて…いろいろとあたしはあっけにとられていた。そして夫婦の車は出発した。ダムの上を渡りきったところで、車は右の道に曲がった。はるか先に見える緑の山の中の白い建物へと。
夫婦の車を見送った後、わたしは修也虫をにらみつけた。
「おいおい、奈美~。そんな怒るなって。とっとと送って僕たちも温泉に向かお。」
「怒ってるわよ。今度からわたしにも相談してよね。」
あたしは無理やりの笑顔で車に乗り込んだ。
「すぐ送りますから。」
もちろん、女性からは返事などなく、うなずきもしなかった。やっぱりどこか悪いのだろう。わたしはそう思うことにした。
あたしたちは赤い橋を渡り、ダムの上流へと車を進ませた。10分ほど走ったころ、3軒の民家があった。
「このあたりですか?」
修也が女性に声をかけた。女性はうつむいたまま何の返答もない。修也はそのまま民家をすぎ、さらに車を走らせた。時刻はもうナビの時計は夕方4時をまわっている。秋の夜長という言葉通り、あっという間に暗くなる季節。特に急ぐ必要もないけれど、気持ちだけは急いでいた。
「あ」
たった一言、女性が発した。修也とわたしはその言葉を聞き逃さず同時にシンクロした言葉を返した。
「ここですね?」
修也がちょうど車を停めた横にはかつてはバス停だったと思われる壊れかけの小さな建物があった。見渡せる視界の範囲には民家らしいものはないが、バス停の向かいには、車一台通れるくらいの脇道があった。そして、女性はゆっくりとドアを開け、車から降りて行った。
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