幕間:監視塔からずっと
フリギア改革教団長、アデル・シュッツェンはクルーシュネ山地を北上、シトレックへと向かっていた。
理由はもちろんただ一つ、アーブとのシトレック共同戦線に参加するためだ。
(……はあ、私は戦場に立ちたくないんですけど。でも総大将が臆病者だと、私を侮る人間が増えるのは腹立たしいですし)
板張りの装甲を持つ馬車が、護衛と共にクルーシュネの山道を進む。
フリギア改革教団の紋章が刻まれたそれは、殺風景な道路には目立ち過ぎていた。
車列の中ほど、教団長専用の馬車の中では、その教団長さまが机に頬杖をついて思索を行っている。
(フリギア改革教団は資金力や規模ではイオニアにまだまだ遠く及ばない。だからこうして使えるものは何でも使うんです。この装甲馬車もその一つ。ヴィラグーナの発明家が入信してくれたおかげで、こういう手段も問えるようになった。……もっと、もっと信者を増やして、権力と軍事力を手にせねば!)
フリギア改革教団の出現は、クルーシュネに変化をもたらした。
自治権が認められているとはいえレムレスの属国、これまでのクルーシュネ王国は地政学的要衝としての性質からレムレスから出向いた貴族が統治する形体だった。
しかし「よそもの」による統治はいつの世も決まって歪みを生む。
(その信者を最もうまく使えるのはこのアデル・シュッツェンです。やり場のない怒り。とは月並みな表現ですがね、しかし事実ですよ。帰属する組織と怒りの
確かにあって、しかし顕在化はしていない鬱憤。そこに現れたのがフリギア改革教団の創始者、アデル・シュッツェンである。
言語化できるか否かが認識の限界であるとはよく言うが、そういった「語られざる感情」を明確に言語化できる人間が現れた場合、群衆の感情は容易く鉾となる。
その帰結が、クルーシュネの政治的中心地であるカリシュで起きた一連の事件。そう、フリギア教団の信者である庶民によってレムレスの貴族(とクルーシュネの親レムレス派)が窓から突き落とされ殺害されるという事件であった。
(階級闘争は歴史の必然、いずれ王は引きずり下ろされて民衆による独裁政府が起きるとか、そう言う奴もいますがね、私に独裁官の地位は似合わないでしょう。そんな、頭上に剣をぶら下げられてのほほんとはできませんよ。真の危険とは、決まって栄華の中に潜むものですから。僭主の場合は特にそうでしょう?)
この事件は、アデルに率いられた民衆に「自分達は何人なのか」という問いを投げ掛けた。
クルーシュネとレムレスの間の文化的、経済的、政治的……問わず、差異をあげつらってアデルは見事に民衆を導いて見せた。手段はほとんど煽動ではあったが、ともかく事実上の革命ではある。
そして、アデルは自分に指揮能力や政治力が足りていないことも客観視していた。そういった教育を受ける身分ではなかったのだから当然のことだ。
彼女はそれを補うために宗教的権力を利用することにした。
もともとシスターであったことも、この選択を補強した。自分は象徴的指導者に収まりつつ、実務はできる人間に丸投げする。
アデルにとって理想的な政体とは、ある種の歪な神権政治だった。
(カリーナ……私はあなたのことを高く評価してますよ。政治も軍事も、ここらの誰より上手に回すことができるでしょう。思想や信念というものに欠けていることも知ってます。まあ、それを与えてあげるのが私の役目なんですがね)
基本的に指導者層には高等教育を受けた人間が必須であるということをよく知っていたアデルは、貧富や出身を団結の軸にすることは避けるべき事柄だと認識していた。
理想は必要だが、大衆を煽動して戦力に仕立て上げたからには、組織が自壊する要素は慎重に取り除く必要があったのだ。
宗教的に共通項を与え、そこに団結を吹聴する。アデルの手口とはつまるところ、宗教を経由したナショナリズムの醸成である。
(カリーナは……本人が言うには小貴族の出らしいですからね。カリーナが信者どもの不満や嫉妬、怒りの対象となるような言葉は、絶対に使ってはなりません。私とカリーナ、どっちが欠けてもこの教団はたち行かなくなる。指導者層が代替不可能な組織は脆弱だというのはまったく
結局のところ、アデルは口では民のため平等と信仰、真実と正義だなんだと言うものの、心の奥底では大衆というものを見下していた。
しかし、彼女には其処らの貴族や為政者とは決定的に違う点が一つだけある。
アデルはその大衆を見下す心理と同じくらい、また大衆を恐れていたのだ。
かくして、アデルを乗せた馬車の一団は小高い高原の一角にたどり着く。
そこでは、先んじてカリーナが拠点建築を行っていた。
「アデル様、野営地の建設は順調です」
「宜しい、シトレックの様子はどうなってますか?」
「あっちは何も。大分バチバチに後継者争いやってたからそれどころじゃないと思いますよ?」
「マルティン、貴方がそう言うならそうなのでしょうね。……ふむ」
少しだけ思案して、アデルは回りを見渡す。
「時間的余裕があるなら、装甲馬車を連結させて当座の防壁にし、ここを野営ではなく砦にしてしまう、というのはどうでしょうか」
「素晴らしい発案です。早速取りかからせましょう」
カリーナがアデルに反対意見を述べることは決してあり得ないこと。忠誠とも狂信ともいえる心理があるからだ。
そして、意外にもと言うべきか、アデルは無駄が嫌いだった。一応シスターなのだから当たり前ではあるが、ともかくそのお陰で、あまり無茶な命令を下すことはない。
この事も、配下があまり考えずにアデルの発案を追認する要因になっていた。
「大規模な工事や治水には人員がいるよねー……。アデル様、あたりの集落や町を偵察、調査しましょう。もし僕たちの教団が布教できそうなら…… 」
「宣教を行い、人員を引き抜けば良い。これに関してはマルティン、あなたに任せましょう。報告がまとまり次第私にあげること。必要そうなら直々に布教に出向いてやります」
「ははーっ、……よーし、やるぞーっ」
相も変わらずの調子でマルティンは持ち場に戻り、馬を走らせ斥候に向かう。
それを見送ると、アデルは自分の馬車へと戻っていった。
(教祖も楽じゃありませんね。あいつら放っておくと何をしでかすか分かりゃしない。……さて、この辺りで煽れそうな不満を探しておくとしましょう。布教のコツは絶対に相手を否定せず、望んでいることを代わりに口にしてあげること。それが不幸であればなお結構。魔法の言葉「あなたは悪くありません」が使えますから)
フリギアが馬車を多用するのには理由がある。地域的な事情からだ。
クルーシュネでは山道の往来に馬車をよく使っていた。高原地帯で牧畜を、丘陵地帯で鉱業を行い、さらに限られた平地に都市機能があるクルーシュネでは、必要にかられて流通が発展したのだ。
大陸の東部と中部を隔てる位置にある要衝という事情も後押しした。古代より、ここを治めることとなった為政者は道路の整備に多くの労力を費やすこととなった。
その道路は、古代レムレスの崩壊後も大きな影響を受けることなく維持された。
現在のレムレス帝国にとってクルーシュネは要衝であったし、最大の脅威であった騎馬民族シャスタン・ウルスは山地よりも平地に流入した。
「皆さん、これより私の馬車はフリギアの教会となります。困ったことや相談があればフリギアの神官に言うのですよ」
アデルは自分の馬車隊を教会にある講壇のように並べ、積み荷から椅子を運び出しては、やはり礼拝堂のように並べた。
このとおり教団幹部の馬車は特別製である。兵員の代わりに神官とこのように教会の備品が乗せられている。
その名は
布教が何よりの力となるフリギア改革教団が迅速に教えを広めるにあたって、足回りの改善は急務であると判断された。
そこで産み出されたのが、馬車を改造した簡易教会である。
教会すらないような辺鄙な場所にこういったものを動かすことで、アデルは相次ぐ動乱で荒廃した人心を瞬く間に手玉にとった。
「お前たち、もしここにやって来る人間がいたら、ボディチェックの上でこの馬車教会に案内するように。シトレックとクルーシュネの境目とくれば、迷える者から好ましからざる者までいるでしょうからね。防壁代わりの戦闘馬車がある以上、そんな滅多な攻撃はないとは思いますが」
そして、フリギアの馬車技術は戦闘にも活かされた。
ヴィラグーナからやって来た信徒の知識をもとに改良された、特別頑丈に作った装甲板で覆われた戦闘馬車。馬にまともに乗ったことのない人間でも――やや前時代的なチャリオットとしてではあるが――騎馬戦力として戦場に立つことを可能にした。
マルティンやカリーナなど元貴族を除けば、フリギアの軍団の大半はアデルの宣教と教義に感化されて入信した、もともと戦うことを生業としていない人間。そこにいきなり戦場に立てと言ってもどだい無理な話だ。
しかし、装甲に包まれていれば多少は恐怖心は薄れる。たとえ徴募されただけの人間でも、石弓や火砲を撃たせるだけでだいぶ違う。
フリギアにとって、馬車は信仰の場であり、立派な武具だったのだ。
「戦闘行為に打って出なくても、人を集め、建築と治水でコミュニティを作って、土地を実効支配をしてしまえばいいんです。攻撃と防御であればいつだって防御側が有利ですからね」
「まったくその通りですアデル様。最善の勝利とは、戦いを起こさずして土地や砦を制することですから。戦いによって土地を得ることはあくまで次善に過ぎません。やはりあなた様こそ天道、この世を真に支配するべきお人」
自慢げなアデルの言葉に、称賛を送ったのはカリーナだった。
「カリーナ? どうかしましたか?」
「は、一帯の陣地化についての報告です。クルーシュネの丘陵地帯はこの辺りで北限を迎えるため、根本的に丘一つ一つが我々の本拠より低く、そして狭くなっています。よって、ひとつ大きな拠点を作るよりもそれぞれの丘に小規模な陣地を作り、相互に支援が可能な形状にすべきであると判断いたしました」
「良いでしょう。それで進めてください」
カリーナがこの分野で誤った判断をしたり、自分に何かしらの不義理を働くとはまったく思ってもいなかったので、アデルはあまり考えずにそのまま許可を出した。本来はなにも良くないのだが、信頼関係が故である。
「アデル様ー、偵察中に気がかりなことがあったので戻りました」
「マルティン、今は私がアデル様に……」
「緊急なのでご容赦ください」
帰ってきたのは偵察に出ていたマルティン。
珍しく、人の言葉を遮ってまでものを言うマルティンにアデルは違和感を覚えた。
「その様子……よっぽどのことなんですね?」
「はい、シトレックの旗を……具体的には我が妹ベアトリクスの領地、フライブルクの旗と並べて掲げる連中を見ました。どうやら彼女もシトレック大公位を主張して軍事行動を起こしているようです」
その言葉を聞いて真っ先に反応したのは、アデルではなくカリーナだった。
「……何だと?」
「あっ、勿論僕の存在はバレてませんよ。すぐ耕作地境界の生け垣に飛び込んで身を隠したので。……で、遠巻きに観察したところ、どうやら秩序の回復のためシトレック各地の集落や町を支配下に組み入れてるみたいですね。御家騒動を好機と見て勝手な行動を起こした僭主を排除して回っているようです」
「ひっ!?」
マルティンが言った「僭主の排除」という言葉に、アデルは一層敏感に反応した。
自分は排除される側である。新興宗教を立ち上げて勝手に土地を支配して回っている人間が、僭主でなくてなんだと言うのか。
その事に気がつかないほど、アデルは決して愚鈍な人物ではなかった。
「……戦う羽目になったら死んでもいいから私を守れ!? 私がもし、もしも死んでしまったらフリギアは一巻の終わりなんですからね!?」
「もちろんですアデル様。命に代えてでも」
「僕たちが負けることなどあり得ません。真実と正義はわれらにあり!」
(あああああっ!! 余計不安だっ! 主体性のある部下は反乱の原因とは言いますが! ここまで忠実すぎてもそれはそれで困る! もし、もし私が知らぬうちに過ちをおかしたとして、それを止めるのも部下の仕事でしょうにっ!!)
二人の相変わらずなマイペースぶりに、アデルは慌てながらもぐっとこれらの言葉を飲み込むことに成功した。
そして落ち着かない様子のまま、カリーナに指示を行った。――これが果たして指示と言えるのかどうかは別として。
「シトレック方面への布教は中止っ、中止です。余計なことを構えるわけにはいかない! かっ、カリーナ、あなたが便りです。何とかしてください。なるべく連中を刺激しないように、しかしここを速やかに陣地化しなさい!」
「はい。防御に関してはご心配なく。馬車の防壁はそう簡単に破られないでしょうし、まずは監視塔を築かせ警戒を優先します。マルティン、あなたの部隊には引き続き周囲の偵察を頼みたい」
「了解。何かあったらすぐに報告するから、そのための人員は残しておいてね。……アデル様、すみませんがご同行願えますか? 幾つかの村落を、シトレックの連中より先に手中に収めねばなりません。ベアトリクスの性格からして……越境は無いと思いますが、念のためです」
「……よっ、良いでしょう。素早い行動が必要ですよね? 机とかかさばる備品は置いていきましょう。私の言葉のみでこの辺の村人どもを信徒とせねば」
「お願いしますアデル様! では出発しましょう。僕の騎兵隊が先行するのでついてきてください!」
ベアトリクスというシトレック大公の跡取りが一人により、フリギア改革教団は防衛陣地よりずっと、シトレック方面を睨む羽目になった。少なくとも、アーブが侵攻を開始するのが見えるまでは。
「何だ、あれは」
「あれこそマルティン様が出奔されたフリギア改革教団ですな。どうやらこの辺りで布教活動を行っている様子」
「人んちの庭先で勝手なことするよな、あいつら。ベアトリクス様、ちっと脅かしてやりますか?」
立派な口髭の老いた男性と栗の木の紋章が刻まれた武具を持つ若い女性、そしてその主君と思われる緑髪緑眼――そう、マルティンとまったく同じ色の髪と眼の色をした、ベアトリクスと呼ばれた人物。
「よせ、向こうもこっちに積極的に手を出すつもりはないらしい。完全にうちの領内ならともかく、ここはシトレックとクルーシュネの境界。余計なことをして、ただでさえ危機に瀕しているシトレックの敵を増やすこともあるまい」
「舐められっぱなしは癪に障るんですがね。……ま、マルティン様がいるなら大丈夫か」
「何だかんだと言いつつ、マルティン様は妹であるベアトリクス様をたいそう気にかけておられましたからな。フリギア改革教団が余程のものでない限り、実の妹に手をあげる非道はなさらないでしょう」
「
フリギア改革教団の面々は知る由もなかった。
シトレックはシトレックで、また重大な局面を迎えていたことを。
それは監視塔からずっと見ているだけでは、到底わからないことなのだから。
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