吹けよ硝煙の風、呼べよ奇跡の雨
「相手は軽装、怯むな! 付き合わされずにじっくり行くわよ!」
「はーいお前たちっ! ヨアンナ様の銃兵隊をしっかりサポートしますよっ!」
どうっ、どうっと銃撃の音。
ばたり、ばたりと倒れるは海賊ども。
アーブ公国は制海権の確保、および鉱山を目当てにカナヴィア半島に流入した。
そのための作戦として現地に根付く海賊の排除。それが今の主目的である。
「……ふう! ひとまず凌いだわね」
「軽装備ならこんなもんですねヨアンナ様。帝都貴族のフルプレート重装歩兵とは違って、ちゃんと死んでくれる」
ヤスミンの言う通り、上質なプレートアーマーは(とうぜん弾丸が命中した際の入射角にもよるが)銃弾や矢を弾くに足る強度を有する。
また、一部では強い傾斜を盾や装甲につけて正面からの矢弾を弾きやすくすることで、軽さと矢弾への抵抗力を両立させることも研究されていた。
「基本的に重騎兵を食い止めることに主眼が置かれたパイクと違って、こういう風に剣や斧持って突撃してくる歩兵相手にも効果的に使えるってのは明確な利点ね。もうちょい軍事研究の予算を回してあげるべきだったかしら」
「まーまー、うちら最新鋭ですからね、なかなか効率良く集中投資ってのは難しいですよ。……あ、今の、会長の受け売りデス」
自分で言っておきながらきまりが悪そうにするヤスミン。ヨアンナは微笑を浮かべた。
「さ、少しずつ前線を押し上げましょう。歩兵主体だとこういう時困るなあ。でも騎馬の渡海輸送は難しいし……そもそも、アーブにはよそみたいに信用できる騎馬戦力がいないのも問題ねえ」
じりじりとアーブ軍が迫るのはニーダー・ロシュロ、カナヴィア半島最大の都市。しかし、防御力的にはレムレス本土の城塞都市とは比べるべくもない。
何故ならその防壁は、獣や賊を防ぐための旧式のものに過ぎなかったのだ。
「砲兵に移動射撃を徹底させといて。発射地点を逆観測されて強襲食らったら洒落にならない」
「あいさー、伝令ですね?」
「ん、こっちで親玉に話つけるから。その間に『こちらが完全に有利』と脅す準備をする必要がある。そのために、絶え間ない砲撃がいる……いいかしら?」
「了解です!」
ヤスミンは敬礼の後、気が付いたときには消えていた。
(どうやってるのよそれ……南大陸式の奇跡論の応用かしら?)
緩やかな侵攻の間に、ヨアンナは奇跡論について思考を巡らせた。
奇跡論。イオニア教会によって体系化された『神の奇跡を人の身でも扱えるように規模を戦術レベルまで縮小、体系化したもの』のこと。
行使には神学に対する知識と経験、強靭な精神が必須。故に、扱える人間は高位聖職者や一部の貴族に限られる。
(……でも、あの子が坊主や名士とか、そういう類には見えないのよね。ま、レムレスと他の大陸じゃ体系が違うと言われても何も不思議じゃないんだけどさ)
『気が付いたときにはヤスミンは消えていた』その現象は少なくとも物理的なものではないはずだ。
何らかの方法を用いて、人間の認識機能を妨害する方法を用いたのではないか。――例えば、妙に印象に残らない人間がいるように、そういう風に自分に奇跡論を行使したのではないか、と。
(やめやめ! 奇跡論なんて私の柄じゃないわね。一部の人間のみが得ることができる力は、私の求めるものではない。どんな人間でも、努力と機会があれば手にできる力こそ理想。……私の銃士隊は、全員が折り目正しい出自じゃない。中には荒くれ出身だっている。それでも)
ヨアンナはきゅうっと、小さく手を握り締めた。
(銃の威力は同等。火薬は、弾丸は、時に天秤より平等)
幾ばくか時を経て、ヨアンナはニーダー・ロシュロの中心にいた。
半ば脅迫のように、「はじめまして、海賊さん。戦闘を止めるための交渉をしに来たわ」と言ってのけた。
なお、受け答えは予想されたとおりのものだった。
「貴方たち、私の許可なしに発砲は厳禁、いいわね?」
銃士隊にそう伝えて、ヨアンナは一歩、二歩と前に出る。
ニーダー・ロシュロの中心街路に、ひゅうっと冷たい風が吹く。
「……やる気か?」
「もちろん、あと腐れなく決めたいもの」
ヨアンナの前に立つのはロベールという海賊だった。頭であるアンブロワーズから町の管理を任されている。
「分かってんだろう、アーブの公爵様よ」
「一騎打ち、ね? 海賊の町長さん」
そう言ってヨアンナはカットラスを腰から抜く。鈍く光る、良く磨かれた刀身に青い髪が写り込んだ。
(……ちっ、俺がボスじゃないってことぐらいお見通しか)
ロベール・イルーガル・ダルタヴィル――意味合いは『ダルタヴィル家の人狼ロベール』だ――は(海賊の割に)整った顔立ちをひそめて、ヨアンナを真っすぐ、半分睨みつけるように見つめていた。
こちらも剣を引き抜き、銀灰色の髪を揺らした。
「合図は……そうね、私が今からこの銃弾を真上に放る。それが落ちて……石畳に金属音が響いたら。どうかしら」
「いいねえ、惰弱になったと思ってたが、さすがは俺たちと同じ血を分けたアーブ公爵家の当主様だ、いいぜぇ」
ロベールは犬歯を見せてヒヒっと笑う。ヨアンナは皮肉っぽく笑うと、無造作に銃弾を手に取った。
ひゅうっと風が吹き抜け、その後に残ったのは静寂のみ。ヨアンナは銃弾を放り投げた。
空中に銃弾が舞う。
しかし、それが地面に落ちるより前に、響く音……いや、声があった。
「撃て」
短く、しかし刺すような号令だった。
アーブの銃士隊が一斉に銃を構え、着火用意にうつる。
「て、てめえっ!! ゴミがぁっ!」
「……はっ、愚かな奴。剣によって立つ者、銃によって倒れる。進歩の証がその胸に刻み込まれたことを誇りに思うがいい、野蛮人」
ロベールは言うが早いか、わずかにぶつぶつと祈りを捧げた。水飛沫が降り注ぎ、銃士の火薬を湿気らせる。
好機を逃さず懐に斬り込む。配下の海賊も同様にヨアンナの銃兵に一撃を見舞わんと距離を一気に詰める。
「クズどもが寄って集って! ……鬱陶しい。そんなに撃ち殺されたいのかしらっ!?」
「お……俺たちが知らねーとでも思ったかよ? アーブってのは大昔、海を渡ったご先祖様が建てた国だとっ! お前は、それに泥を塗ったんだよ!!」
「黙れ野蛮人! 誇り高きアヴィズルをお前らのような下賤な海賊と一緒にするな!」
カットラス同士の剣戟。懐に飛び込んだ以上はこちらのもんだと、ロベールは一瞬、そう考えた。
「はぁい、おしゃべりが過ぎますよ貴方?」
「……があああっ!! どいつもこいつも汚い奴!! 退け、退くぞっ!! 勝てねえ戦は流儀じゃねえ!」
どこからともなくヤスミンのナイフが、ロベールとヨアンナの間に降ってきたのだ。
「この町は寒いですねえ、北にあるからしょーがないですけど。んで、暖を取るために密集させてある住宅が仇になりましたね。あたしみたいに高所を取った腕利きに勝てるわけねーっしょー?」
ヤスミンが扱うナイフは南大陸式のものである。……とヤスミン本人は言っている。
そして、ロベールは確かにそれに見覚えがあった。
(このナイフ、カシラのっ!?)
振り払うように自分のほほを叩くと、銃口の向きを読みながらひらりひらりと目線を切るように駆けだす。
(……やるわね。奇跡論で火薬を湿気らせたか。水……ってことは青色の奇跡かしら、私たちアーブは捨てた奇跡。それがこうして、逆に牙をむくなんて皮肉なもんね)
「火薬の交換、再装填と反撃が間に合わない、か。かといって陣形を崩せば思うつぼね。……いいでしょう、逃げなさい。海賊」
ヨアンナは無感情に、現状を追認する。
ギリリと歯噛みしながら、冷静であろうと努めるロベールは言う。
「落ち着け、まだそうと決まったわけじゃねえ! ……退くぞオメーらっ!!」
押し切った。ヨアンナとヤスミンは確信した。
そう思った矢先の出来事だった。
「なっ!?」
「爆発音!?」
振り返るヨアンナとヤスミン。
もくもくと煙をたてているのは、アーブの砲兵陣地。
後退しつつロベールはこう思った。
(はん、人狼ロベールを甘く見るな!! 狼の狩りは迂回と伏撃が基本。……悪いが尾行して、戻ってる間に狩らせてもらったぜ、連絡員さんよぉっ!)
ロベールの異名は人狼。と言っても、本当におとぎ話に出てくる人狼だというわけではない。
何故、ロベールは狼に例えられるようになったのか。それは、狼の毛並みのような銀灰色の髪色がまず一つ。
もう一つは……。
(狼のように、尾行し待ち伏せて最適な好機に狩りを行う! これが人狼ロベールの名の由来だ!)
「頭を排除して、やっと都市を確保したというのに……! あと少し、あと少し、我慢が必要かしら、ここはっ!」
「ヨアンナ様! チャイカ様の救援に行きましょ! 後詰の会長もパウエル様も、もうすこしでやってきますって!」
アーブとカナヴィアの中間点、ノールト海西部。
ファン・セレーネとパウエルは後詰を行っていた。その船団には当然、ファルケンヴィント号も連ねる。
ヨアンナより預かったアーブ最大の戦艦、その甲板で、二人は含みを持った素振りで会話をしていた。
「パウエルー?」
「なんだい? ……ああ、言わんでもわかるが」
「ま、金にならないんじゃしょうがないよねー」
「だな、僕にも慈悲の心がないわけではないが……話も通じず同族でもない連中に、いったいどれだけの慈悲がかけられるっていうんだい? この侵略を問題視したとして……いや、問題にできる奴は果たしているのか?」
「いねーっしょ」
へらっと笑うファン・セレーネ。
「政治のコンセンサスってのはさ、そのまま大多数の力だ。つまるところ、少数民族ってのはその段階で不利なんだよ」
「海賊を排除できる……つまり、制海権の確保により安全に商売ができる。ともなれば商人の側から支援が見込める」
「ホントだよ、利益にもならない戦争に船を出したがるバカは、少なくともアーブにゃほとんどいない。……これはその逆、共通の利益、多くの人間の合意。傭兵を雇って、うちらを独自に援助してる商人だっている。……戦う前から決まってんだよ。これはさ」
軽い笑みがヨアンナの前では決して見せない笑みへと変わる。具体的に言えばファン・セレーネは鮫のように笑って見せた。
「さ、そろそろだぜパウエル? ヨアンナ様はどのぐらいやってくれたかね。……ま、負けはしねーだろーが」
「完勝、とはいかんだろうな。海賊どもが我らアーブに勝てるとは思わんが、そうそう簡単にくたばるとも思えない」
「だろうねえ。だったらとっくのとうに排除できてるっつの」
ファン・セレーネは鼻をスン、とならす。パウエルの前だからこそする仕草だ。
「ヨアンナ様は理想の君主だが……欠点もそりゃ当然ある。慎重で沈思黙考、確かに政治においては素晴らしいが、戦場じゃあ理論的過ぎるんだよ」
「本能的閃きには後れを取る、か。それを支えるのが臣下の務めだな」
カナヴィア半島が見えてくる。二人は上陸準備を整えにかかる。
「ほいじゃあ、手加減無用でやったろうじゃないの。分かってるだろうけどカナヴィアの海賊どもはレムレス帝国の臣民じゃない。……どんな非道も許されようさ」
「うむ。……おや、煙が上がっている。はてさて、状況はどちらにとって好ましかろう?」
「うーわ、ほんとだ。海賊どもが爆ぜ飛んだ煙だといいねー」
半分軽口を叩きあいながらファン・セレーネは上陸準備を進めた。
いよいよ合流した後詰部隊。その前にいたのは、柄にもなく煤にまみれたチャイカ・オーツとまた柄にもなく語尾を荒げるヨアンナ・アヴィズル。
「チャイカ! その煤は……!?」
「御心配には及びません! 廃棄した陣地にありったけ油と火薬を撒いておきました! 襲撃してきた海賊連中はきっちり吹き飛ばしましたわ! ……危うく私もいっしょに吹き飛ぶところでしたが!」
ヨアンナは面食らった表情になった後、拳を小さく握りなおして言う。
友を傷つけられたということが、ヨアンナの逆鱗に触れたのだ。
「あの野蛮人どもをこの世から消し去る。……チャイカっ! 異民族を、異教徒を焼き払うのは罪かしら!?」
「いいえ! 世界で最も由緒正しき兵器とは! それは燃え盛る硫黄の焼夷弾! 神が不信心者を焼き払ったというのなら! 敬虔で正しき我らが神敵を焼き払うこともまた正義なり!」
「形振り構ってられないわ。……この島を焼き払う。ファルケンヴィント号、艦砲射撃用意! 目標はニーダー・ロシュロ市街地! ……こんな田舎の村なんか、技術と学問の素晴らしさを知らない人間なんて、みんな、みんな消し炭になりゃいいのよっ!!」
「ええ! 異教徒を焼くことは善行!! 燃えろよ燃えろ、不浄の街よ、英知の炎で燃え尽きろ!!」
その様子を遠巻きに見ていたのはパウエルとファン・セレーネ。
物資や増援の荷下ろしを進めながら、らしくないくらいに高揚する二人を眺める。
「それにしても、ヨアンナ様にも悪い癖ってあるんだねえ。私ちょっと驚いちゃった」
「……あの目、もはや人間として見做すのをやめた目だな。ヨアンナ様にとっては、あの海賊どもは害獣と同列になったと、そういうことだ」
「虫ぃ引っ叩いて心を痛める奴はいない、ま、そーゆーことさね。さってと、うちらも仕事しないとね、残党狩りだ」
ひょこんと樽から飛び降り、ナイフをジャグリングして器用に一個ずつ鞘に納めて見せた。
停泊しているとはいえ、揺れる船の上ではまったくもって神業である。
「君も同列だなあ」
「ヨアンナ様に失礼な口きくんじゃないよパウエル? あの方はちゃーんと分別を付けて人間扱いを止めてるじゃないか」
「君は?」
ファン・セレーネは振り返らずに言った。
「自分以外の人間は、ヨアンナ様みたいなごくごく一部を除いて、みーんなゴミクズ」
「手厳しいな。……さて、私も攻撃の用意をするか。略奪を許可して兵糧攻めといこう」
「ははっ、良いねぇ。どんなに悪いことやっても許される状況ってのは最高だ」
ヨアンナのなりふり構わない砲撃命令、さらなる後詰の到着によって戦局は一気にアーブ側に傾いた。
結局、海賊は離散した。もともと傭兵なんだか商人なんだか、それとも略奪者なのか、そういう要素のごった煮状態が細分化されただけ、とも表現できるが。
ロベールも例外ではない。南に逃れ、傭兵擬きとして活動を始めるのだった。
海を変えただけで、結局やっていることは変わらないのだが……。
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