侵入者の歌、そして天国への階段
ヴィラグーナ=アーブ間帝国主街道
通称、ヴィラ=アーブ街道
ヴィラグーナの攻囲が終わり、戦後処理もなんとか目処がついた頃。
アーブ公国軍は一足先にこの街道を経由して退去していた。
「余計な時間を食ったわね」
「悪いことばかりでもありませんよ。これで後顧の憂を絶つことができた」
「……今回の件で得できた人間は言うことが違うわね? パウエル」
「いやはや、それほどでも。ヨアンナ様と月光商会の助力あってこそ。でしたから」
そもそも、今回のヴィラグーナ攻略は本来ヨアンナの計画に無かったことである。
帝都貴族の――正確に言えばレーゲンスブルク侯レナルトの――暴走に巻き込まれた形だ。
「同じ台詞をチャイカの前で吐いてごらんなさいな。消し炭になっても文句は言えないと思うけど」
「ご忠告感謝します。……では、僕は配下のほうを見てきますので」
(……確かにパウエルの言う通り、結果としてヴィラグーナの帝国側シンパの排除、およびスフォレッド革命政府との友好関係確立ができた。おまけに連中の行動を遅らせる工作も打てた。結果は最高。の、はずなのに)
二人が思う通り、幸運だったのはスフォレッド革命政府の助力を受けられたことだ。
アーブは北部沿岸沿いに作戦を展開するつもりでいた。ゆえに、南に同盟相手ができたことは渡りに船である。
(この胸につっかえる感情は……、いや、分かってはいる。君主たるもの、左右されてはならないということくらい。でも、でも)
ヨアンナは『部下を傷つけられて、正当に報復を行う信義の人物』と見せるために……というのは表向き。
堤防を破壊した本当の理由は、スフォレッド革命政府の足止めである。
(ううん、だってもデモもシュプレヒコールもあってたまるか。君主は、常に己の領邦の発展と栄光を第一とすべし。個人的感情に流されてはならない)
何故、ヨアンナは同盟相手の行軍を遅らせるような真似をしたのか。
理由は単純、そっちの方が都合が良いからである。
革命が成るまでにやらねばならぬことがある。それは――
(私の代で、アーブは国としての一歩を踏み出さねばならない。レムレスなどという古臭い家から抜け出して、次代の帝国を築くために)
アーブ公国首都、アーブ=ミオック。
首都の中央通りはすっかり祝賀ムードだった。帝都貴族によるヴィラグーナ介入。市民感情としても、到底受け入れがたい事件だったからこそ、今回の勝利は胸がすく思いだったことだろう。
さて、今回の舞台はそこではなく政治の中枢であるミオック城。
「お、パウエル、調子はどーだい?」
「お陰さまで。ヴィラグーナの復興には一枚噛ませてもらってる」
「そらそうよ、オーツ家は代替わり直後でバタバタしてるし、何よりあんたはヨアンナ様と共に、ヴィラグーナの中心部まで危険を省みず乗り込んでいった忠臣ってことになってる。このくらいの役得は、貰っても誰も文句言わないって」
「……ふ、ご協力に感謝しよう。貴族だけでは復興は為せない。物資の手配には何より商人が要る。そして君の所こそ、見事潜入して敵陣に大打撃を与えたじゃないか。僕はちゃんと分かってるよ」
相も変わらず、貴族相手だろうと恐れ知ずの軽口を叩くファン・セレーネと、それを軽々と受け流すパウエル。
ミオック城の一室に、アーブの有力者達は集められていた。
「では、プランの発表を」
「はーい、こちらの地図をご覧くださいなっと」
ファン・セレーネが集まった貴族の前に大きな地図を広げて見せる。
レムレス北部、沿岸部を中心に詳細に描かれたものだ。
「攻略目標として挙げられるのは東部に広がるシトレック大森林、または、北の先に広がるカナヴィア半島。これより、双方の特質を説明する。皆には、どちらに進出すべきかの決を採りたい」
ヨアンナは、この帝国を巻き込んだ争いのどさくさ紛れに領土拡大を企んでいた。アーブにはもう、豊かな鉱脈も森林もないということは彼女自身が一番懸念していたことである。
「先ずは海を越えた対岸、カナヴィア半島について。……パウエル、あなたが候補として挙げたんだったわね?」
「ええ、ヨアンナ様。海賊どもは価値を見出していないようですが……未開発の鉱山があるらしい。僕としては、なんとしてでもカナヴィアの海賊を排除し、その金属資源でアーブ最大の武器である鉄砲、大砲の増産を行うべき……と、考えています」
どよめきが走る。
アーブの最大の武器はレムレスの中でも最高の水準である火器にある。当然、作るには鉄やらなんやらの金属がいるのだから、それが手つかずで残っていれば手に入れたいと思うのは当然の心情である。
「……では、次にシトレックについて。こっちの調査は月光商会がやったわね?」
「はい、そちらに関しては月光商会から。シトレック大森林は……いまさら言うまでもなく、帝国最大の木材産地です。んでもって、本来ここを管理していたはずのヤグリューネ家は跡目争いの真っ最中と聞きます。この機を逃さず横取りしちゃって、木材資源は船舶の増産などにあてましょう」
どよめきはもう一度。
アーブとシトレックは帝国の中でも北側に位置するもの同士。そして、北海の航路や利権をめぐってたびたび小競り合いを起こしてきた。これに決着を付けられるのなら、さっさとつけてしまいたい。理解のできる話である。
明確な利益が二つ。瞬く間に議場は喧しくなった。
頭が痛そうにこめかみに手を当て、ヨアンナは口を開いた。
「……はあ、まったく。チャイカ、貴方の意見を聞こうかしら」
「私はカナヴィア・ヴァイキングの一掃を提案いたしますわ」
チャイカははっきりと、そして朗々と言った。
「金属資源のみならず……あの半島を攻略できれば完全な制海権の確保につながります。そうなれば、海よりシトレックの沿岸部を脅かすことも可能でしょう」
「オーツのお嬢様は速攻で海賊を潰せると?」
「シトレックを潰すには向こうのお家騒動につけこむ以外に方法は無い」
シトレック攻略派の貴族から揶揄するような言が飛ぶ。
しかし、チャイカは気にする様子もなく続けた。
「シトレック方面を懸念する考え、確かにもっともです。が、……それに関しては考えがあります。シトレック貴族の盟主であるヤグリューネ家から、フリギア派とかいう新興宗教に転向した者が出たと」
「フリギア派……聞いたことがあるわ」
静かにヨアンナが言った。
「イオニア教会に対し不満を持っていたり、教会と敵対した人間の受け皿。……先の遠征の失敗で顕在化した反イオニアの知識人を上層部に据えて、戦争難民を救済という名目で組織化。まあ事実上の洗脳って形で軍閥化に成功した。今ではクルーシュネ山地のジルウェスト大寺院を総本山とした帝国最大の反イオニア組織。各地で反乱がおこり、権力の空白地帯を縫うように勢力を拡大。なんにせよ、教祖はとんでもない梟雄でしょうね」
ずうっと押し黙っていたファン・セレーネが口を開く。
流れは決したとの判断だ。
「それならシトレック攻略に際してはフリギア派にコンタクトを取ってみようかね? 誰か、やりたい人はいるー?」
「では僕がやろうかな」
パウエルがよっこらしょ、といったふうに座りなおして言う。
「フリギア派。といういい方は正しくないな。彼らは自らのことを『フリギア改革教団』と称している」
「いやに詳しいねー? ま、あんたのことだ、どっかで変なつながりがあっても今さら驚かんよ」
ファン・セレーネの茶々を無視して、そのままパウエルは記憶を引っ張り出すように話をつづけた。
「ヴィラグーナにいたころの話さ。あそこの商人が囲っていた技術者の発明。それに教会から写本師の職を奪うと物言いがついた、とかなんとか」
「なるほどね。表立ってなくても、レムレス中に転向しうる奴が散らばってると。……こいつは予想以上に厄介そうだ」
パウエルとファン・セレーネの会話もまた、ヨアンナにとってはある種の悩みのタネであった。
この二人は、使えるか使えないかで言えば間違いなく『使える』。だが、信用できるか否かで言えば『できない』。
「どうでしょう? シトレック側は……まあ、言い出しっぺの月光商会と、このバーブラス伯とで何とか致しますよ、いいね?」
「望むところ。やはり僕は戦働きよりも裏方が性に合ってる」
これにはシトレック攻略派も黙らざるを得ない。言い出しっぺの撤回で、梯子が実質的に外されたのだから。
その様子を確認して、やっと、ヨアンナがまた言葉を発した。
「……では、カナヴィア半島を第一目標とする。それでいいわね?」
反論は無い。いや、あるのかもしれないが、ここで口に出すのは利に反するという認識。
そういう沈黙だった。
「アーブ公爵ヨアンナとして、臣下並びに月光商会に命ずる。カナヴィア半島に巣くう海賊どもを征伐し、同地を植民地化する。これが、アーブ公国が取るべき作戦である」
アーブ公爵ヨアンナとしての言葉には、冷たく、刺すような印象があった。
「各々、自らの領地に戻り戦の準備を。カナヴィア半島の利権に関しては、戦功をもとに平等に分配すると約束しましょう。もし、何らかの理由があって軍事力を出せないというならこの場が終わり次第連絡を。そのへんは、きちんと勘案する」
「では、本日は散会。呼びつけて悪かったわね。……それとパウエル」
「はっ」
「この戦いが終わったら即座に、クルーシュネ山地に発ってもらうことになる。……何かと苦労を掛けるわね」
「望むところだ。我がバーブラスの家名のためだよ、このぐらいへでもない。それに……」
「僕はこれでも頑丈でね」
「知ってる」
事態は楽観視できない。フリギア改革教団は、単なる世の混乱の隙をついて軍閥化に成功した宗教団体ではない。
何故ならこの時、フリギア改革教団はレムレスの歴史に残る大事件を起こしていたからだ。
時を同じくして、アーブよりはるかに東、クルーシュネ地方
クルーシュネは帝国中部と東部を分かつ山脈である。
その中心都市はカリシュ。鉱業で栄える山間の街。
「カリーナ、逆賊どもはいずれもカリシュ市庁舎に追い込めた。後は仕留めるだけだ」
「よくやったマルティン。では猊下、吉報をお待ちください! ……さあ行くぞお前たちッ!!」
「はい、二人とも頑張ってください。私は外で、彼らに槍を構えさせていれば良いんですよね?」
修道服姿の女性を猊下と呼ぶ二人組。カリーナと呼ばれた方は歩兵用の装備をした女性で、マルティンと呼ばれた方は――今は下馬しているが――騎兵用の装備をまとった男性だった。
そして、この修道服姿の女性こそがフリギア改革教団の教団長、アデル・シュッツェンである。
「腐った手足は刃によって切り落とされるのだ! ……アデル様、万歳!」
「万歳ーっ!!」
勇ましくカリーナとマルティンは手勢を連れ市庁舎に押し入っていく。
アデルは、事態がだんだん、自分の手のひらから零れ落ちていくような感覚でいた。
(なんだか、とんでもないことになっちゃいましたね。私はイオニア教会に排斥された人の受け皿を作って……まあ何より、自分が狙われる立場になったから生き残るために結成した教団なのに)
ぼんやり考えていたそのとき、アデルはとんでもないものを目の当たりにする。
市庁舎2階の窓から、人が、降ってきた。
誰がしでかしたのか? それはすぐにわかった。
窓から人を突き落としたのは
「突き落せっ! 見せしめとせよ!!」
「下で槍を構えるんだよーっ! 串刺しだ串刺し!!」
やはり、カリーナとマルティンだったからだ。
教祖の前で昂ったのか、武装した教団員が我先にと落下点で槍を構える。
どのような光景になったかは言うまでもない。
アデルは、自分の気が遠くなっていくことを感じた。
「う、うーん……」
「あ、アデル様ー!? カリーナ、アデル様がっ!」
「猊下が倒れたぞ、安全なところまでお運びせよっ!」
動乱、喧噪、それを市庁舎から見下ろしながら、カリーナは小さくつぶやくのだった。
「士気のためとはいえ、戦いを経験したことのない人間を連れてきたらこうもなるか。……どうかお許しください、これも、フリギアの、真実の信仰のため」
アデルが目覚めた時には手遅れだった。彼女は狂信というものを甘く見ていたのだ。
カリシュは、完全にフリギア教団の支配下に収まった。
この事件は『第一次カリシュ窓外投擲事件』として、歴史書に刻まれることとなった。
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