発進! 大戦艦ファルケンヴィント

 ヨアンナがアーブに書状を届けてから数日。今回はヴィラグーナの内部情勢から始めよう。


 ヴィラグーナはアーブ貴族であるゾーリンゲン家の保護を受けてはいるものの、表向きは自治の権利を持った、いわゆる都市国家である。


 今回の帝都貴族進駐事件はその建前を利用された形だ。手引きしたのはこの男、ヴィラグーナの総督、マルコ・アドリアノスである

 上等な毛皮のマントの下に、商人らしく実用的な、つまり頑丈で保温性の高い上着とズボンを合わせている。


「ふ、ふ、もうすっかり目も衰えました。侯爵様のお顔すら満足に見えませんなあ」


 70はとっくに超えた老人でありながら、その知性は鋭く、権威ではなくその実力をもって歴代最長の期間、総督の座を保ち続けている。


 その眼前――もはや目の病でよく見えてはいないのだが――にいるのは帝都貴族の一人、レーゲンスブルク侯レナルトである。

 レナルトの外見を見たものは一様に驚く。左腕が義手だからだ。


 レーゲンスブルクはかつて帝国がいまよりよっぽど小さかった頃、外郭都市としての機能を有していた。第二の都市とまで呼ばれていた時代も今は昔、ここ百年は落ちぶれる一方。


 今回の進駐作戦は、その侯爵たるレナルトの起死回生の一手であった。


「総督さんよ、手配はしてあるぜ。この町と引き換えに東部への亡命……そういう約束だったな?」

「ええ、ええ、そうで御座いますとも。もはや目を患ったこの体では一人ではどうすることもできず、かといって公的に退こうとすればこの町に混乱が起こる。総督として、それだけは避けたかったのです」


 平たく言えば、マルコは東部へと亡命する計画を立てていた。理由は簡単、教会との関係悪化である。


「ち、何があったかは知らねぇが……馬車と護衛は用意してあるぜ。あと、お前が気にかけてたアナスタシアって発明家の嬢ちゃんも保護してある。金は持てる分だけ持ってきな、残ったやつは一つ残らず俺がもらうからな?」

「そうして下さいませ、侯爵様。そちらの方が金も喜ぶでしょう。……それでは、私はこれで」


 従者に連れられ、いそいそとマルコは去っていく。


「わっかんねえジジイだな……、けど、これでヴィラグーナは俺のもんだ。後はアーブの連中を叩くだけ」


 レナルトはどっかりと、かつての総督の椅子に座る。部屋には金をかけて作らせた、愛用の鎧が運び込まれる。


(そういや、アーブから交渉の使節として貴族が派遣されてたな……。うっし、そいつをぶっ殺して宣戦布告と行くか)


 そう思い立つと同時に、レナルトは立ち上がる。判断が速いといえば聞こえはいいが、いささか短慮に過ぎるのが彼の欠点だ。


 さて、マルコの方はというと、ヴィラグーナ東側のゲートでアナスタシア――先ほどレナルトが言及していた発明家――と落ち合った。


「おお、おお、アナスタシアよ、無事であったか。もう心配することは無い。レナルト候が亡命の手筈を整えてくれた。私らは助かるのだ」

「総督様……、なぜ、私の発明をそこまでして守ろうとするのですか……?」


 マルコは総督業の傍ら、技術者などに投資を行っていた。金持ちの道楽と言ってしまえばそれまでだが、将来的な利益を囲い込むつもりでもあった。


 それが不味かった。たまたま見つかった写本を大量に作る技術の発明に、教会が物言いをつけたのだ。写本師の保護が名目である。


「それはだな、アナスタシアよ、お前の発明が……大いなる力を持っているからだ。私にはわかる、そして、それはあのレナルトとかいう奴には使いこなせないものだ。ヴィラグーナと引き換えにする価値がある。そう思ったから私はこう言う行動に出たのだ」


 馬車に乗り込んで座席に腰かけると、マルコは歳を感じさせない饒舌ぶりで話し出す。


「ふ、くくく、あの発明は大砲に匹敵する変動をこの世に起こすことができる。……私はな、もはやあんな町なんてどうでもいいのだよ。町の総督、まったくもって私には役不足だ、私はもっと、多くの権力を手にすることができる」

「総督……いえ、マルコ様……」


 当然マルコとその発明家……アナスタシアは立場が悪くなる。商売で成り立っている町の総督が教会と対立するなど、自分で自分の首を締めあげるようなものだ。


 そして、マルコには野心があった。と言っても、具体的なものではないが、少なくとも、町一つの総督に収まる領域の野心でないことは確かだ。


 アナスタシアは茫然としたように目の前の老人を見つめる。患ったはずの目からは、爛々と輝きが漏れているようだった。


「帝国東部……ジルウェスト大寺院を異端の武装勢力が占拠したと聞いておる。そこまで逃げるぞ。教会の敵は同じく、教会の敵と与するべきだ」


 どさくさにまぎれ二人を乗せた馬車がヴィラグーナを発つ。

 自分の都合で戦闘を起こしたようなものだ。全く迷惑なジジイである。




「うおおおっ!? いきなり喧嘩を吹っ掛けるとは礼儀がなってないんじゃないかな!?」

「うるっせ! 黙れや! テメーの首でアーブに宣戦布告してやるって、それだけの話だろうが!!」


 時を同じくして、こちらはヴィラグーナの中心、総督府という名の宮殿。そこで切ったはったを繰り広げているのはレーゲンスブルク侯レナルトとバーブラス伯パウエル。


 剣術と鋼鉄の義手から放たれる格闘に、パウエルは必死であらがっていた。


(おいおいおい! 下手人はコイツかっ! レーゲンスブルク候レナルトっ!! そりゃ落ち目の貴族ってことぐらいは知ってるが、だからと言ってこんな無理矢理な手段に出るかフツー!?)


「ぎいいっ! ずいぶん梃子摺らせてくれるじゃねえ……うわっ!?」


 二人の間に割って入る影。全身に薄い布を巻きつけているが、その背丈と戦術、そしてわずかに見える褐色の肌。


「はあいっ! アーブ貴族に手を出すとはとんだ不届き者ですねアナタ!」

「ヤスミンっ!? 戻ってきていたのか!」


 その声に、ヤスミンはくるりと振り返って言う。


「パウエル様、アーブはスフォレッド革命政府と同盟を結びました。もはやここにいる意味はありませんよ、脱出しましょ!」

「そうかっ、それは良かった……おっと!?」


 再度、文字通りの鉄拳がパウエルに向かって繰り出される。


 がぎぃん、と即座に隠し持っていた金づちで打ち払った。


「がああっ! 痺れるじゃねえかこのタコ!」

「ふ、甘く見たね? これでも僕は鈍器の扱いには一家言……ひえっ!?」


 今度は剣戟がパウエルの巻き髪を掠める。


「おしゃべりしてる場合ですかっ!? 逃げますよ!!」


 ヤスミンは何かを放り投げる。筒状の物体だった。

 煙が急激に吹き出し、あたりは一面視界ゼロ、レナルトはパウエル、ヤスミンの姿を見失う。


「……月光商会のクズがっ!! 落とし前はつけさせるぜ、必ず!!」


 背後からレナルトの怒りの声が聞こえる中、アーブ組の二人は宮殿を走り抜けていく。


「は、速っ!? ちょっと、なんでその体型でそんなに足が速いんです!?」

「ふ、よく食べよく寝てよく動く、日々の生活習慣のおかげだ!」

「そーゆーこと聞いたんじゃないんですけど!? ああもうっ!!」


 現れる帝都貴族の兵士を二人がかりで薙ぎ払いながら進んでいく。


 一番驚くべきは、鎧姿の相手すら突き倒すパウエルのタックルかもしれない。


「……こうなったらもう隠密の意味はありませんね。お前たちっ、ボスと公爵様に連絡を!」


 総督府を出たあたりで誰もいない空間に突然叫ぶヤスミン。

 すると、群衆に紛れていた月光商会の人間が動き出した。


「君以外にも潜入してたのか」

「ま、おっしゃる通りです。……さあ、あいつらが攪乱してくれるでしょう。もう少しだけダッシュしますよ!」

「望むところだ、先にヘタるんじゃないよ?」


 そう言ってパウエルはそのままの意味で一足先に駆けていく。


(……絶対おかしいですよあの人。なんであの小太りの体型であんな動けるんでしょ? 人体には神秘がいっぱいだなあ)


「お、パウエル! 生きてやがりましたか、けっこーけっこー」

「勝手に殺さないでもらえるかな……うわわっ!?」


 アーブ方面の北ゲートで迎えるのは月光商会長アンシェリーナ・ファン・セレーネ。先回りしたかのように待ち構えていた。

 そして直後に響く爆発音。ヴィラグーナ沖合から響いたそれは、少しの間の後、堤防付近でもう一度衝撃音が鳴る。


「堤防に砲撃を叩き込むとは……我が主君ながらとんでもないお人だな、そんだけ怒っていた、ということか」

「ま、配下が守護してる都市をぶんどられちゃそうもなるでしょ。……それに、ヨアンナ様、割とあんたのこと心配してたんだよ?」

「……後で非礼を詫びねばな、一貴族の男が、主君とはいえ女性を誤解していたなど男の恥だ」


(あんた、だからヨアンナ様に誤解されるんですよ……)


 ファン・セレーネはやれやれと言った表情で話を続ける。


「……あーそうそう、こうなることを見越して、あんたの領地の兵士にはいつでも動けるように言っておきましたんで。じき来るはず。……越権行為だってのは承知の上、何なら首、刎ねてもらっても構いませんよ?」

「どうせ君のことだ、使者として出ている僕の情報を流すに留めて、あくまで僕の家臣の自発的行動になるように仕向けているんだろう? ファン・セレーネ、君はそういうところで下手を踏まない女だ」


 良くも悪くも、あんな目に遭いながらも調子を崩さないパウエルに、ファン・セレーネは半ば呆れたように手をひらひらさせた。

 そしてヴィラグーナから遅れてやってきたのはヤスミンと、その配下の月光商会の私兵たち。ヤスミンは少し息を切らしていた。


「はあっ、はあっ! なんでっ、私が足で負けるの!?」

「人の運動能力を見た目で判断しないことだ、お嬢さん。……おっと失礼、悪い癖が」

「ぐだぐだ言ってないで準備しやがれ二人とも。……さ、戦争しますよ、久方ぶりに! 帝国最強最大の商会は我ら月光商会だってことを、ヴィラグーナと帝国貴族のボンクラどもに教えてやろうじゃないか!」


 食えない二人がほくそ笑む。月光商会が有する私兵集団とバーブラス伯領軍は、瞬く間に北側の包囲を進めていった。


 その間にも、海から砲撃は行われる。


 元凶、ヴィラグーナ沖合の見慣れない船。

 その名もファルケンヴィント号、アーブ公爵ヨアンナの肝いりで建造された、射石砲搭載の堂々たる大戦艦である。


「もはや容赦の必要はない。堤防を狙いなさい」

「は、了解!」


 指示を受けた船員はヨアンナの怒りを感じ取る。


(堤防が壊れれば貧民街に浸水が発生する。元々が遠浅、干潟にある都市だから海の底、とはならず、死にはしないけどいろんなものがダメになる。……それこそが狙い。パニックや暴動が起きれば、陸戦を行うレオンもやり易くなる)


 感情を表に出さない人間を怒らせるとだいたい恐ろしいことが起きる。それが、何かしらの権力を持っている場合は尚更である。


 船員の一人がヨアンナに尋ねた。


「あ、あの、不躾は分かった上で質問です。……ヨアンナ様、怒ってます?」

「そうね、正直に言えばものすごく怒ってる。でも、それを表に出すのは馬鹿のやること。だからこうして報復を行っているの」


 ヨアンナは相変わらずの様子で、まっすぐヴィラグーナの方向を見つめてから言った。


「砲撃用意」

「砲撃よーい!」

「……フォイヤ(撃て)」

「フォイヤぁ!!」


 タッチホールに点火され、少しの間のあと、爆音を立てて石塊がヴィラグーナの堤防をめがけ吹き飛んでいく。


 それを遠巻きに見ていたのは北側からはバーブラス伯パウエルと月光商会の会長アンシェリーナ・ファン・セレーネ……そして、南よりレオン・スフォレッド以下の軍勢である。


「よおし! こっちも突入用意だ!」

「待てヨアヒム! 先ずは包囲を……敵戦列や防壁を吹き飛ばさなければ騎兵突撃など自殺行為だ!」

「何でも良いよ、とにかく僕は人を撃つためにここにいるんだ。防壁を壊すにしろ軍を引きずり出すにしろ、いつでも動けるようにしないと」


 スフォレッド革命軍の三羽烏、騎兵隊長ヨアヒム・ミューロッソ、歩兵隊長ルイーズ・ダウロート、射手隊長ミハイル・ブルムは相変わらずである

 当然、この有り様に雷が落っこちていった。


「……落ち着けやオメーら! パーティーに来てはしゃぐガキか!? ……シャルロッテ、ヨゼフィーネ! 火薬の手配はすんでるなっ!?」

「お姉ちゃんは引き続きアルフシア公領……というかそこを簒奪したユート帝国なる連中の調査中です。あ、火薬はここにありますよ。あと、ヨアンナ公から借りた射石砲もここに。指揮に関しては私が。……当たり前ですけど、こういう大砲に自衛能力はほとんどないんで、護衛はお願いしますね?」


 ヨゼフィーネは数門ほどの射石砲を披露する。アーブ式の、砲撃甲板に設置するものと同規格の、やや小型の射石砲だった。


「……ずいぶん良くしてもらったんだな」

「はい、外交交渉の成果なのです、エッヘン」


 レオンは少し不思議そうな顔をした後、前ほどでがあがあと言い合っていた三人に告げた。


「まずは城門を吹っ飛ばす! そうして防衛軍を引きずり出して、隙を見て突撃!! これが今回の作戦だ!」


 レオン・スフォレッドの良さは、こういう簡潔さだった。


 南部の包囲を見て歯噛みしたのはレナルト。


「沖合の爆発音はヨアンナか……、それより、南の軍勢はなんだっ!? 聞いてねえよ、くそっ! あのジジイ、嵌めやがったな!?」


 目論見は崩れ、ここに、ヴィラグーナの攻囲戦が始まった。

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