蜃気楼

 ヴィラグーナ、河口の干潟を切り開いて築かれた、水運と物流で栄える都市。

 塩分と泥が混ざった干潟は、おおよそ人が住むに適さない。しかし、不断の努力と熱心な治水は、時に常識を覆す。


 増加する人口を支えるために大堤防による干拓が行われ、地盤の改良とともに宅地は広がった。

 しかしてそれは、決壊とともに押し流される不安定な繁栄であることもあらわす。


 帝都と主街道によって接続された歴史ある港町。ここが政争の場となるのは、果たして必然だったのか。


(うー、分かってはいたけど反乱の指導者に与した人間がここにいるの、物凄く危険よね。早いことバーブラス伯領まで行って、パウエルに手引きしてもらわないと)


 ヴィラグーナの西の端、街道からわざと外れた道を通って、河口側の新興住宅地にたどり着いた見知った影。


 その名はヨゼフィーネ・フルージュ。スフォレッド革命政府に組した政治家。

 彼女はスフォレッドとアーブによるヴィラグーナ共同攻撃計画の書状を届けるために、アーブ公国へと向かう旅路のさなか。


 運んでいるものが運んでいるものなので、帝国貴族配下の軍勢に見つかるようなことはあってはならないことだ。

 治安の悪さを承知の上で貧民街を選び、ヴィラグーナを通り抜けることにしたのだ。


(にしても、ここの情勢も気持ち悪いわねぇ。ヴィラグーナの建前では帝都貴族を引き入れて独立を果たしたということになるハズ、なのに完全な忠誠を誓ってるって雰囲気とは言い難い。むしろ、アーブ公配下のゾーリンゲン伯を退けるために利用するだけして手切れにしたい。って感じかしら?)


 ヨゼフィーネは淀んだ世論を鋭敏に感じ取っていた。しかし、それはこのあたり一帯が安価な土地で、貧民でも住める程度の場所でしかない、というのもあるかもしれない。


 ヴィラグーナにおいて、新たに干拓された地域は極めて安価な土地である。当たり前だ。水と塩分が抜けきってない土地は農地にも宅地にも向かず、もし堤防に何かがあれば真っ先に浸水するのだから。


 そしてさらに堤防が増設、移設されて干拓が進めば、塩や水が抜けてすこしだけ安全、高価になった土地は富裕層や中間層に買い取られ、やはり新たな堤防近くの土地に貧民は追いやられる。酷い話もあったものである。


「最近ここに来た貴族様……働き手を募集してるみたいだけどさあ、アレだろ? 月光商会とつるんでいるっていう。金はたんまりあるけど、悪いこともしてるって」

「パウエル様だっけ? 『悪徳の伯爵』って帝都の連中が言ってたけど、金くれるんなら何でもいいよな。うーん、ここでいつまでも燻ってるわけにもいかないし、汚れ仕事でも紹介してもらいに行くかなあ」


 路地を伝って住宅街を抜けていたヨゼフィーネは、すぐに身をかがめて会話を盗み聞くことにした。

 彼女が聞き逃すわけがなかった。いま、ヨゼフィーネが探している当人の名前が話題に出てきたのだから。


(何やってんのよ!? パウエル……仮に同名だったとしても、『悪徳の伯爵』なんて呼ばれてるのはバーブラス伯パウエルただ一人! あんたってやつは自分の立場を……いや、分かってないはずがないか。月光商会の名前も出てたし、なーんか、陰謀絡みとみて間違いないわね……)


 ヨゼフィーネはしばし考えることにした。確かに、もしパウエルがこのヴィラグーナにいるのなら会いに行ってしまうのが一番だ。

 ――しかし、それはパウエルがアーブを裏切ってないことが前提となる。


(パウエル……あんた、裏切者じゃあないよね? アーブの内部情勢までは分からないけど、噂で聞いたくらいの情報はある。ゾーリンゲン伯との対立、アーブ公の介入、そりゃ面白くないでしょうよ。でも、いくら帝国情勢が不安定だからと言って、一時の栄達のために自分の主君を、故郷すらも裏切るような奴じゃ……いや、人柄としては否定しきれないけど、そこまで馬鹿な奴じゃないよね?)


 盗み聞きした二人組が去るのを待ってから、そっとヨゼフィーネはヴィラグーナ中心部に向かうことにした。

 確かめねばなるまい。身分の垣根を超えた友人であるパウエルが、いったいどんな心持でここヴィラグーナにいるのかを。


 ただ、それだけだった。


 ―――


「パウエル様、お耳に入れたいことが。つい先ほど、主街道からわざわざ貧民街の方に入る女性がおりました。貴方様の話題を出したところ足音が止まったので、恐らくは貴方様のことを調べているかと思われます」

「人相は?」


 椅子に楽に座り、報告を受けるは黒の髪をカールさせた男性。彼こそ、バーブラス伯パウエルその人である。

 報告を行う人間の方はというと、つい先ほど貧民街でヨゼフィーネの前でパウエルについて話をしていた男そのものだった。


「……ふむ、なるほどね。緑髪で背が小さくて……、間違いないな。この辺りでは珍しい髪色、人相も合っている。彼女はおそらく私の友人だ。ここまで連れてきてくれ」

「はっ」


 そう言ってパウエルは借りた屋敷の窓からヴィラグーナ市街地の景色を眺める。ここはかつて、ヴィラグーナがまだゾーリンゲン伯の庇護下にあったとき、その伯爵が滞在する必要が発生したときに使われていたのだ。


「ヴィラグーナは繁栄してるねぇ。しかしここは、砂上ならぬ泥上の楼閣といったところか。……そういえば、蜃気楼は大ハマグリの見せる幻ともいうじゃないか。干潟に立ちのぼる、幻のような都市ヴィラグーナ」


 自分に酔うように言葉をこぼした。パウエルの悪い癖だった。


 さて、彼が言うようにここはヴィラグーナ中心部。複数階建ての建物が軒を連ねる、帝国第二の人口密集地。もちろんトップは首都ラピスである。


 木を隠すなら森の中というように、人が多ければ多いほど紛れることは容易い。ヨゼフィーネは一定以上の生活水準ではかえって目立つだろうボロの外套を脱ぎ捨てた。


 今はいたってどこにでもいる、少しいいとこの出の少女として振舞いながら雑踏をすり抜けていく。


(帝都貴族軍も……駐留してはいるけど、どっちかっていうと買収された、とでもいうのかしら? この薄っ気味悪さ。もっと喜んでも良いと思うのよね、帝都貴族にとっては悲願の、西の海に面した港町なんだから)


 勿論、その間も帝国貴族軍の観察を休めたりはしない。彼ら、というより貴族の軍隊は決まって所属、家名を示すための紋章を武具に入れるため、一目見ればそれと分かる。ヴィラグーナ市章ではない紋章を入れていれば、それ即ち帝国貴族の軍である。


「失礼、そこのお方?」

(う、うげー!? もうバレたっ!?)


 ヨゼフィーネに声がかけられる。反射的に懐のナイフに手が伸びた。


 聞いたことがある声だった。その一点で、ヨゼフィーネは大きく警戒心を強めた。


「いえ! 決して怪しいものではありません。パウエル様の使いのものです」

「は、はあっ!? ……どうして私がパウエルを探してると思ったのかしら!?」


 声をかけた男の顔を、ヨゼフィーネは確かに見た。見覚えが、あった。


「……っ! あんた、貧民街の!」

「いえ、決してあなたが思っているようなわけではなく……ええと、申し訳ありませんが、ご同行願えますか? 私はこういったものです」


(これ、月光商会の紋章!? なんで商売敵の都市に……、まさか、パウエルがここにいる理由って……!?)


 月と船の紋章、間違いなく月光商会のものだ。ポート・ド・ルーブの港で何回も見たことがあるのだ、見まごうはずもない。


「ちっ、わかったわよ!」


 しぶしぶ、ヨゼフィーネは同行の求めに応じることにした。


(パウエル、あいつ! はじめっから部下、いや協力者を使ってあたしを探ってたのね。……迂闊だった。だったけど、少なくともパウエルがアーブを裏切ったという線はこれでない。もしアーブから離反しているなら、月光商会の人間が協力するはずがない!)


 月光商会の人間に連れられて、ヨゼフィーネはあるお屋敷の前まで来た。簡単な身分検査を受け、凶器になりうるナイフを預けると、やっと伯爵へのお目通りが叶う。


「……久しぶりね、会えて嬉しい、バーブラス伯パウエル。月光商会とはよろしくやってるみたいで安心したわ」

「こちらこそどうも、ポート・ド・ルーブのヨゼフィーネ・フルージュ。今や革命政府の重鎮だっていうじゃないか」


 二人は見知った仲である。商人の町の政治に携わる人間同士、時に協力、時に反目した。

 しかし、お互い交渉相手として不足は無い、と、そう思えている。


 ふと、ヨゼフィーネはパウエルの手に気が付く。握手の一つでもしてきそうだったのに、それがなかったというのも違和感の内だ。


「そういえば怪我してたんだっけ。しっかし、あんたみたいなのが怪我とはねえ、っていうか、戦争もいける口なの?」

「まあね、指揮を執っていたら見た目で油断したらしい相手が突っ込んできてさ、白兵戦になったところを……こう、ガツンといったら痛み分け。ってなっちゃった」


 パウエルは拳を軽く作ってゲンコツを食らわせるジェスチャーをした。

 彼の背格好は恰幅が良い、という印象を与えるものだったが、そのわりに体を動かすことは得意だ。


「あー、不意打ちされたから応戦。でゲンコツ食らわしたら自分も怪我。……バッカじゃないの!? 心配して損した!!」

「はっはっは、面目ないね、どうも」


 わざとらしく笑って見せるパウエル。少しだけ呆れながらも、安心したヨゼフィーネ。

 久しぶりの会話ということで世間話も済ませると、いよいよ、ヨゼフィーネの方から本題が切り出される。


「なんにせよ、軽症でよかった。死なれても困るしね。それよりも……パウエル、いったいどういうつもりであたしを探ったのかしら」

「ははは、取り越し苦労、というやつだよ。我が親愛なる友人ヨゼフィーネ。言い換えれば、そう、あれは保護さ。君ともあろうものが少々不用心だったんじゃないのかい?」


 アーブ人は友に呼びかける際に『我が親愛なる』という言い回しを好んで使う。

 方言、というわけではないが、平たく言えば地域性という奴だ。


「しゃーないでしょ、今のあたしの上っ面は亡命中の政治家。護衛なんて付けたらかえって目立ってしまう。それに貴族軍が何の理由もなしに私を捕縛したら今度こそ威信がドブに沈む、そう言う判断よ」

「……彼らをあまり買いかぶらないほうが良い。これは忠告だ。奴らは……ヴィラグーナ総督か、或いはその周辺人物の手引きがあったとはいえ、慣例を堂々と横紙破りして、ある程度の自治が認められていたとはいえ他人の封土としての扱いを受けていた都市に進駐した。もはやなりふり構ってなどいないんだ」


 一団声が低くなり、深刻そうに告げるパウエル。


「さっきも言ったけど、表向きは『ポート・ド・ルーブから友人を頼りにアーブまで亡命している政治家』というつもりよ?」

「その言い訳が通るくらい奴らが高潔なら、僕も月光商会の世話になんかならないよ。……彼らはボディガードだ。月光商会の私兵はアーブ公に重用される軽歩兵であり、商人同士の暗闘の象徴でもある」

「……わかったわ、忠告に感謝する。ふふっ、やはりあなたを頼って正解だった」

「世辞を言っても、余計なものは何も出さないよ。こっちだって余裕ないんだから」


 ふっと息を吐いて、パウエルは話を続けていく。


「そして、だ。僕も表向きはアーブからの使節として……まあ旧来派閥と帝国貴族派閥の調停、仲介なんかをやってる。中立的にものを見れるだろうって売り込んだら何とか潜り込めたよ」

「潜り込む……ってことは実際はそうじゃないと。まあだったら月光商会の人間がいるはずがないものね」

「ご名答。時間稼ぎと引き伸ばし、空転、浪費、踊るだけの会議。その演出が僕の仕事」


 彼の言うとおり、表向きはアーブからの使節として、反乱を起こしたヴィラグーナとの交渉にあたることがパウエルの仕事だ。

 実のところは月光商会のスパイである。ヴィラグーナ情勢を横流しして、決して安いとは言えない金を月光商会から受け取っている。


 貴族――この場合は伯爵である――の主収入は税であり、さらにそこから封建契約を結んだ相手、つまり彼の場合は公爵に税を納める。

 よって、税でない収入はすべてパウエルのポケットに入る。アーブ公たるヨアンナすら手が出せない金の動きだ。


「表向きはアーブ公とは不仲ってことでね、月光商会の人間を数人、間諜として貸してもらってるんだ。……もちろん、ポート・ド・ルーブの方の情勢も耳に入っている。レオン・スフォレッドなる人物が率いる革命軍のことも……、瞬く間に南西部自由都市を手中に収めた、と。末恐ろしいね、どんな手品を使ったのやら」

「ちえっ、私のことなんて筒抜けだったのね。ちょっと腹が立つなあそれ」


 少しだけ不機嫌そうな表情を見せるヨゼフィーネ。しかし顔立ちが幼いので、ぷくっとしたふくれっ面にもそこまでの不服さは感じられない。

 それを見て、パウエルは少しだけ語気をやわらげた。いつもの調子を崩されたのか、女性を前に男性や貴族としての性質がそうさせたのは定かではない。


「……君も変わったんだね。かつてなら、革命なんて一番縁遠い行動だったろ?」

「そうね、でも、潮目は変わったの。……パウエル、あたしはアーブ公に、ある書状を届けたい。スフォレッド革命政府の使者として、それが今一番行うべき事柄」


 パウエルの黒目が鈍く輝く。野心を感じさせる眼の色だった。


「念のため、書状の内容のほうを検めさせてもらっていいかい? ……心配しないでくれ、僕は帝都貴族の敵だ」

「信じておいてあげる」


 書状を受け取ると、パウエルの黒目の色合いがいつにもまして深みを増す。そういう風に感じられた。

 読み終えるまでの時間は短いはずだったのだが、しかし、その場の人間は大きな乖離を覚えた。


 緊張は、時を引き延ばすものだから。


 実時間としてはこの表現は相応しくないとしても、こう表すしかないだろう。


 やっと、パウエルが口を開く。


「僕ぁ、レオン様に全力で協力することにしたよ。ここで軍功を立てて、ヴィラグーナ解放の、アーブ貴族の立役者は僕である。そう印象付けるんだ。そうすれば、ヴィラグーナとゾーリンゲンが元の鞘に収まることもあるまい。表向きがそうでも……」

「商売においてバーブラス家を介入させるのね。……あなたは信用できる。心象なんて不確かなもので動かず、常に利害関係を計算できている。分かったわ。レオン様には、貴方のことは良く伝えておく」

「助かるよ、我が友人殿」


 そう言ってパウエルは、月光商会の人間に馬車を用立てるように命じてからこう言った。


「馬車を手配させる。僕の名前を出すし、警護に月光商会の私兵も付けよう。……万が一に備えて、ね」

「その『万が一』の備えは、私のためかしら?」


 返答までに間があった。


「ふふ、とても僕の口からは言えないなあ、我が親愛なる友人殿」

「あーあ、友達間違えたかしら。……ま、死ぬつもりはないんだけどさ」


 ヨゼフィーネは何となく察した。この場合の『万が一』とは計画の露見。もしそうなったら躊躇い無く消してくるだろう。

 そういうことだ。まったく、命がいくつあっても足りやしない。と思った。


「僕も折を見て脱出する。いずれアーブでまた会おう。麗しき我が故郷。英知の半島に栄える国で」

「そういう鼻につくところ、あいっかわらずね。ま、再会は楽しみにしといてあげる」


 ヨゼフィーネはしばらくこの屋敷に匿われた後、バーブラス伯領への定期連絡、およびパウエルへの生活物資補給に使われる馬車に乗ってアーブへと向かうことになった。

 勿論、公然の密航である。


(ちょいちょい、いくらバレちゃいけないからって荷物扱い!? くっそ、パウエルめ、ちょっと信用してやったらすぐこれだ!)


 座席代わりにあてがわれたのは中にクッション代わりの羽毛やら綿、羊毛とかが詰め込まれ、空気穴がいくつかあけられた大樽だった。

 適当極まりない雑多なゴワゴワもこもこの感触に包まれたヨゼフィーネは、乗り物酔いと戦いながらアーブまで運ばれていくのだった。

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