青の章:発見の英雄、ヨアンナ・アヴィズル

海洋公国の物語

「おかえりなさい、我が親友ヨアンナ・アヴィズル。月光商会はずーっと、あなたが帰ってくるのを待ってましたよ」

「……ただいま、でもあまり大げさな言い回しは好ましくない、アンシェリーナ・ファン・セレーネ」


 レムレス帝国北西部、アーブ半島のアヴィズル家が治めるアーブ公国、首都アーブ=ミオック。だいたいひっくるめて、この地域は『アーブ』だ。


 船からタラップがおろされると、それを渡って一人の、ボリュームのある青い髪をサイドに束ねた女性が下りてくる。腰には緩やかな曲線を描くカットラスを帯び、一目で貴族と分かる上等な服をまとっている。


 と言っても、それは保守的な帝都貴族の装いではなく、アーブ風の先進的な、しかも男性用のものを個人の寸法に仕立て直したもの。

 これは国を治める立場としての表れとも、個人の志向でもある。


 そんな女公爵の名前はヨアンナ・アヴィズル。若きアーブ公爵にして学者、航海者である。


「ドックで整備をお願い。大砲を乗せた船の処女航海、結果としては成功と言っていいんじゃないかしら?」

「あたりまえですよ、いったいいくらかけたと思ってるんですか、転覆でもされた日にゃ、船だけじゃなく国までひっくり返りますよ?」


 ヨアンナが下りた船、ファルケンヴィント号はアーブの技術と予算をありったけつぎ込んで作られた当代では最新鋭の戦艦である。驚くなかれ、その砲撃甲板には射角調整機能が備わった射石砲がででんと鎮座している。


 いうなれば海の大砲。そして丘で砲兵がそうであるように、この船も護衛を必要としていた。


 護衛には旧式だが信頼性の高い戦闘用の重装ガレー船が随伴し、先の遠征ではサーラーンの砦に海から砲撃をぶちかまして敵方を大いに仰天させた。


「んでんで、どうでした? 奴らの反応。我らアーブの技術力に仰天してましたか?」

「皮肉ね、世の中って。あいつらより、大砲ぶち込まれたサーラーンの側のほうが私たちを高く評価してた」


 ヨアンナは海の向こうに、なんとなく視線を移してみた。幸いにも風、波は弱く、時化も起きていない。


「……でも、楽しかったわ。海の向こうには、まだまだ、私の知らない世界がある。この世には未知があふれている。そのことを実感できた」

「ヨアンナ様がうれしけりゃ何でもいいですよ。私個人としては」


 先ほどからヨアンナと親しげに会話をしているのはアンシェリーナ・ファン・セレーネ。アーブはおろか帝国でも最大規模の商人ギルド、月光商会を取り仕切るやり手の豪商である。


 ヨアンナとは少し年が離れているが、そのことを感じさせないくらいに親しい友人だ。

 ちなみに、ファン・セレーネで一つの名字である。お間違えの無いように。


「さてお前たちっ、お仕事ですよ。ヨアンナ様の帰還をきっかり広めるのです」


 ぱんぱんと手を叩くと、人ごみの中から月光商会の制服を来た人間が前に出てくる。

 このようにファン・セレーネは常に護衛の私兵集団を侍らせている。月光の私兵と言えば投げナイフと小刀、煙幕弾で武装した軽歩兵だ。このように護衛や、時には偵察、敵後衛への浸透や閉所での戦闘を行う。


「あんまり目立つようなことは苦手なのだけれど」

「なーにをおっしゃいますか、この船の建造には我が月光商会も噛んでるんですよ? そのことを知らしめておかないと、商売敵に舐められるってもんです。ただでさえ西海岸の商売圏で最近ヴィラグーナの連中が幅を利かせてるってのに、あいつら帝都貴族御用達をいいことに無茶苦茶しやがる」


 ファン・セレーネの軽薄にもとれる口調は、言ってみればさらに内側まで入り込ませないようにする一種のベールでもある。ヨアンナはそのことをよく理解していたからこそ、敢えて深入りはしないようにしている。


「無茶苦茶やってるのはあなたも同じよ、ファン・セレーネ。アーブ公の威光を笠に着て滅多なことをやらかすようなら、その時は友とはいえ対処させてもらう」

「……おお、怖い怖い。でもそれでこそですよヨアンナ様。貴方は真実と探求を重んじるアーブ公爵。そして私はその庇護下にある一介の商人。いくら友人とはいえ、そこをはき違える心算はありません」


 アンシェリーナ・ファン・セレーネ、彼女の正体を知るものは少ない。本人を除けば、それを知っているものはヨアンナだけだと言われている。

 確かなことは、たった一代で巧みな武力介入や買収により、分散していたギルドをまとめ上げ、一つの月光商会という組織に再編したことだけである。

 その正体の噂は様々だ、例えば裏社会の名士の隠し子だとか……、そんなところだ。


「とはいえ、貴方の都合も理解する。……ヴィラグーナは本来、我が封臣ゾーリンゲン伯の下にあったはず。最近になって帝都貴族がしゃしゃり出てきて大きな顔をするようになったけど、あれ、私もゾーリンゲン伯も迷惑しているのよ」

「そですよ! 一回痛い目を見せなきゃなりません! ……ってアレ、そういや当のゾーリンゲン伯はどこです? 最近造船関連の仕事ばっかだったし、ここいらでペトロのおっさんとこに顔出しておかないと。商売って信用勝負ですからね」


 ゾーリンゲン伯のオーツ家は代々砲術に長けている。カタパルトからトレビュシェット、最近では東大陸由来の砲の研究も行うなど、その専門知識で代々のアーブ公から重用されている。

 現当主ペトロと、娘のチャイカはどちらも遠征に帯同することは無かった。一説にはペトロの健康不安も囁かれ、代替わりの際にもし万が一が起これば、ということで(一応は)諸侯からの納得も得ている形である。


「残念ながら、オーツ家は国内問題に追われてそれどころじゃない、とのことよ。っつーかそれぐらい知ってるでしょうが、それに、諜報はあんたの仕事で、しかも今帰ってきた人間に聞くことじゃないと思う」

「ですよねー」


 ファン・セレーネはへらへらと軽薄に笑った。まるで反省していない風である。


「というか、私は早く家に帰りたい。それに兵士も、従軍してくれた配下貴族も帰したい。これは合理性云々ではなく、それらをすっ飛ばした当然の帰結として……」


 理屈っぽくて話が長くなる、ヨアンナの悪癖だった。


「おおっとこれは申し訳ない。護衛は私がやりますよ、お代はいりません、引き留めちゃった罪滅ぼしって、そういうやつですねー」

「あらそう、じゃあ罪滅ぼしついでに、私の愚痴にでも付き合ってもらおうかしら」

「うへええ、手短にお願いしますよー?」


 ファン・セレーネは月光の私兵を再び呼びつけると、人混みを追い払うよう命じた。

 アーブの住民。特に都市部の人間は月光商会を恐れてもいる。商人や職人が武装した私兵に保護されている構図は、誤解や筆禍を恐れずに表現するならマフィアかヤクザのようなものだからだ。


「さーさー、これからヨアンナ様が通りますよっと。道開けなさーい、庶民どもー?」

「笠に着るなっつったのに……。悪いことをしたわね、アーブの民よ」


 月光商会の私兵が野次馬を解散させ、出来上がった道をヨアンナとファン・セレーネが通り抜けていく。

 二人が向かう先はアーブ=ミオック市中央、アーブ公爵の居城、ミオック城である。


 ミオック城は防御能力よりも外交的儀礼と統治の象徴のための作りで、城というよりは宮殿としたほうが、より実態に即した表現だろう。


 アーブ半島の防衛ラインは付け根である。半島中ほどの沿岸に位置し、政治や学問の中枢を担う首都アーブ=ミオックに、城塞としての機能は端から求められていなかった。

 これはレムレス帝国が成立する以前、かつてのアーブが古代レムレス帝国の蛮族征伐軍に征服を受けた際も、やはり付け根が防衛ラインとして扱われていたことからも明らかだ。


「会長、城内の点検、すでに完了してございます」

「ん、ご苦労ご苦労。人間からカップまでしっかりやったのね?」

「ヨアンナ様が扱う道具、使用人、いずれも不審な点はありません」

「おーけー、それなら安心。あたしが暗殺を働くなら、まずそこに仕込むからね」


 ミオック城から警備兵と月光商会の私兵が現れ、そうファン・セレーネに報告を行った。


「……ねえ、貴方、私が暗殺されるとでも思ったの?」

「万が一ってやつですよ。長いこと居城を空けてたんです、どこに何が仕掛けられたか分かったもんじゃない。一応は月光商会のほうで定期点検はさせてましたがね」

「今の情勢で私が殺されたとして、得があるって誰よ?」

「ヨアンナ様、全員が全員、貴方みたいに合理的な思考をできるわけじゃあないんですよ?」


 二人は歩きながらそうやり取りをした。やがてミオック城の執務室まで来ると、ヨアンナは少しムッとした表情になって自室の椅子に腰かけた。複雑さを嫌う訳ではないが、冗長な言い回しはあまり好きではないのだ。


「言いたいことは理解するけど、質問を質問で返すなんて礼儀がなってない」

「おっと、申し訳ない。……立場上、簡潔過ぎるわけにも行かないんですよ。貴族でもないのに、誰かに舐められるわけにはいかないってのが商会長の辛い所でね」


 ファン・セレーネは立ったまま、言い訳するように――そして気まずそうに目線をそらしながら釈明した。

 ヨアンナの抱いていた不機嫌さは不思議と消える。そして、今度は一転して興味を持ったようにこう言った。


「理解した。貴方は私よりずうっと、不躾な連中と関わる機会が多い。そこで、過剰なまでの複雑さは相手を圧倒する武器になる。……この認識で合ってるかしら?」

「はい、全くその通りでございます。はー、やっぱ私なんかじゃ相手にならない」


 そう言ってファン・セレーネはまたもヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべた。ヨアンナも、つられたように微笑した。


「やっぱり。貴方は私にとって無二の友人よ、ファン・セレーネ。……コーヒー、飲むかしら?」

「遠慮しときます。いちおー私は隠密の人間なんでね、匂いの強いものは避けてるのですわ」

「ニンニクもおちおち食べられない。な人生ね」

「私は人生楽しんでますよ? こーしてヨアンナ様とも話せてますし」


 このコーヒーは先の南大陸遠征の際に、アーブ公国の軍がこっそり持ち帰っていたものだ。

 ついでにコーヒーに関する書物も持ち出され、ヨアンナは船の中でそれを読み耽っていた。船酔いしそうなものだが、ヨアンナはとにかく乗り物に強い、海洋公国の主としては得な性質だ。

 それで、すっかり焙煎や浸出方法も覚え、使用人にも教え込んだ。ヨアンナは新し物好きなのだ。


「で、我が友人ファン・セレーネ? 貴方がヴィラグーナの内情を知らないとか、そんなことあるわけないでしょう?」

「ええまあ、でも裏取れてないんですよね。そーいう不正確な報告を上げられても困るだけでは?」

「裏取れてたらとっくに出るとこ出てるっつの」


 ヨアンナはそうあっさり言い返すと、使用人にコーヒーを淹れてくるよう命じた。

 観念したように、ファン・セレーネは集めた情報を報告することにした。


 ちなみに、使用人にはしっかり月光商会の私兵が監視についた。ファン・セレーネ、こう見えて猜疑心は強い方である。


「……はー、もう、分かりましたよう。できればヨアンナ様の手を煩わせずに、内々で何とかするつもりだったんですけどねー」


 一呼吸おき、書類を取り出して目を通しながらファン・セレーネは説明を始める。


 ところで、アーブは製紙技術において他地域の上を行く。商人の街という需要が技術発展を促したのだ。


「ヴィラグーナですが……状況は最悪と言っていいでしょうね、公爵様以下の遠征、ゾーリンゲン伯の世継ぎ問題……そのタイミングで帝都貴族が軍団連れて圧力をかけてきやがりました。手引きした奴がいることも確認済みですが、そっちを捕まえることはできませんでした。……今は独立都市扱いではありますが、実質的には完全に帝都貴族の手に落ちてます」

「……オーツ家は? さっきのアレは空っとぼけでしょう」


 なにぶん長い付き合いである。ファン・セレーネがああいった衆目の監視下では本当のことを言う筈もない。ということをヨアンナはちゃんと理解していた。


「まあ、人混みの中で馬鹿正直に言うわけにも参りませんのでね……。オーツ家の面々は月光商会が責任をもって保護してあります。ペトロ様もチャイカ様も無事ですよ」

「ん、ご苦労様。最善を尽くしたのね。褒めてあげましょう」

「……都市一個奪われた人間に、かける言葉じゃないですよねえ」


 理由はわからないが、ファン・セレーネはどこか悔しそうだった。


「思い上がらないで頂戴、貴方は一介の商人、その領分を逸脱してはならない」

「っ、申し訳ございません!」


(やっべ、今マジで生きた心地がしなかった)


 ヨアンナの冷たい視線を受けて、ファン・セレーネの背筋がぴいんとなる。


「で、今ヴィラグーナの監視は誰にやらせてるのかしら」

「商売敵の街で月光商会は表立って活動できないんでね……、協力者に任せてます。まぁ、アーブ貴族ながらヨアンナ様とは反目してるってことにして、二重スパイの形式をやらせてますよ」

「それが誰か知りたいんだけど?」


 使用人と監視の月光商会の私兵が戻ってきた。ヨアンナ愛用のカップにコーヒーが注がれる。心なしか嬉しそうだ。

 友人の気分を害することはファン・セレーネにとって不本意だったものの、隠すわけにも嘘をつくわけにもいかず、正直に協力者の名前を打ち明けた。


「バーブラス伯パウエルです」

「……その名前は聞きたくなかった」


 ヨアンナ、途端に手元の液体より苦い顔になる。


 バーブラス家――そうだ、バーブラスは地名がそのまま家名となった名門貴族なのだ――とゾーリンゲン伯オーツ家はもともと対立しており、先代、先々代くらい前のことだが、この闘争にアヴィズル家が介入する形で終わった。


 この戦いは当然、歴代のアーブ公の悩みのタネ。そしてヨアンナにとって、次のオーツ当主チャイカは同年代の友人。


 まったく、バーブラス伯パウエルに良い感情が生まれるはずもないのだ。


「そう言わないでくださいよ。バーブラス伯はアーブ公と不仲で、しかし月光商会とは懇ろ。おまけに社会的地位もあって、これほど最適な人間はいなかったんですってば」

「わかってる。感情に思考を左右され得るのは愚かな人間のやること。だからこそさっきの一瞬、自分自身も腹立たしかったの」


ってことは、バーブラス伯が腹立たしいのは否定しないんですね。まあそこもヨアンナ様の良さなんですけど。貴方は肝心なところで嘘がつけない)


 ファン・セレーネはそう思いながらにまにまと笑っている。知ってか知らずか、ヨアンナは切り込むように話を変えた。


「……こっからが本題、人払いを」

「了解しました」


 ファン・セレーネは受け答えると、目にもとまらぬ速さで窓の外の木めがけて投げナイフを放つ。

 それは星形で、投げ放たれて回転している状態でも、どこからでも刺さる形状だった。

 東大陸の更に東の果て、そこにある神秘の島より伝来したとされる、月光商会の私兵が扱う秘密兵器だ。


「ぎゃっ」と声がして、人が落ちていくのが見えた。


「おっし、命中!」

「流石ね」


 ガッツポーズをとるファン・セレーネ。それを短く誉めて、ヨアンナはコーヒーを啜る。


「……どこに何がいるかわかったもんじゃありませんね、あいつも。どうせどっかの貴族に雇われたんでしょうが、関係が複雑すぎて推論ができない」

「レムレスの貴族制は非効率的過ぎる。制度疲労により破綻の時が近づいている。故に、私は行動を起こさざるを得ないと判断した」


 表向き、レムレスの階級はこうなっている。


 緒民族を束ねる皇帝を頂点とし、その下に各地をまとめる公爵、皇帝の継承など、帝国議会で優先的な権限を持つ選帝侯、公爵ほどの大領地を持たない伯爵、さらに小規模な領主である男爵が連なる。


 しかし、実態としては力関係により容易くひっくり返る、極めて不安定なヒエラルキーだ。

 その典型が月光商会である。ファン・セレーネは商人であるにも関わらず、半端な貴族を遥かに凌ぐ軍事力と資金力を有する。


 もし身分制度が厳格であったなら、彼女のような人間は生まれ得なかっただろう。


「ええまあ、レムレスの貴族政治ってのは限界に来てるとは思いますが……それ、公爵たる貴方が言う台詞なんですか?」

「私は国の理想形くらいちゃんと考えてあるわ。帝国議会の魑魅魍魎どもと一緒にしないで」

「……で、行動って、何しようってんですか、我が親愛なる友人殿?」


 ぐぐっと抑えたような声色で、しかし深刻さはあまり感じさせない様子で、ヨアンナは友人に短くこう告げた。


「革命を起こす。エブナード公、レオン将軍と共に、帝国の弱体化を狙う」


 ファン・セレーネ、その人生において一番驚いた瞬間であった。

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