幕間:ガットネーロ・ストラット

 時は少し遡る。


 ちょうど、レオンたちが遠征に出ている最中の話だが、その遠征の背景について補足せねばなるまい。


 レムレス皇帝ジークムント3世とイオニア教皇マゴは、長らく放置されてきた帝国と教会の対立構造を解消すべく、合同軍を組織して南大陸の大砂漠に眠るという『神の墓所』を手中に収め、これをもって『一つの信仰の元に帝国は再生した』とすべく遠征軍を組織。


 南大陸は群雄割拠のさなかだったが、この侵略者に対抗すべく偉大なるサーラーンの王、アルカースィムを中心としてマカーム教の下に宗派を超え団結。


 イオニア教もマカーム教も同じ神を崇めるのだが、その崇め方が違うだけで戦争にまで発展する。愚かに見えるかもしれないが、歴史の中ではどうしようもないことである。


 ここに、北のレムレスと南のサーラーンによる大陸間戦争の火ぶたは切って落とされた……のだが。



(だーっ! 畜生!! 兵士も貴族も南大陸に行ったんじゃねえんですか!? この隙をついてたっぷり金を稼いでやろうと思ったのに、あのアンジェルとかいう奴、戦争を煽るだけ煽って自分は行かねーとか、とんだ食わせもんですよ全く!!)


 ここにもっとどうしようもない奴が一人、兵士が少なくなるタイミングを見計らって、人手不足を理由に給金を吹っ掛けてやろうと企んでいた傭兵、ガットネーロである。


 ガットネーロは選帝侯の一人、アンジェル・フォン・キーファーヴァインが主戦派として議会で論を振るっていたという情報を耳ざとく聞きつけると、真っ先に自分を売り込んだ。

 曰く「表立って兵士に任せられないような仕事から、遠征中の監視までやってごらんに入れます」と。


 しかし、出発の直前になってアンジェルは人前に姿を見せなくなる。肺の持病が悪化したと言って、居城に籠るようになったのだ。もちろん遠征も取りやめ、療養に専念しだす。感染したらいけないからと、ごく一部の人間とのみ関わるようになった。


 さてさてこれに困ったのはガットネーロ、全く好き放題ができないどころか、雇った当主が引っ込んだために後ろ盾を失ったのだ。

 おまけに彼女がやりたかった死体が出るような仕事は一切回って来ず、薄給の閑職を回されるようになる。


 そんなガットネーロの仕事は城内書庫の警備。もちろん、こんなところに狼藉を働こうとする賊など、ただの一人も現れなかった。


(……っちっくしょう! あたしはですね、こんなはした金で番犬みたいにおとなしく待てをするために雇われる計算じゃなかったんですがね!! ……こうなったら、何とかおさらばして他に売り込みましょう。傭兵ってのは戦いや喧嘩がないとおまんまが食えません。誰だって知ってます。知らねーのはお高く留まった貴族連中だけです!!)


 ガットネーロは腹いせに、アンジェルが籠っているのをいいことに彼が大事そうに管理をしていた「貴族御用達のカクテル」なるものの製造書を盗み出す。どこか、適当な酒場や貴族にでも売りつけて路銀にするつもりだったのだ。

 お宝や武具は警備が厳重、そのうえ嵩張ってしょうがない。しかし、紙や書物であれば抜き取る方法などいくらでもある。そうガットネーロは認識していた。


 ガットネーロが使った手口は、ターゲットと良く似た背表紙の本をすり替えるという古典的なものだ。


 当然、このことはすぐにアンジェルにも知れ渡ることとなる。


「アンジェル様、申し訳ありません!! あの傭兵ガットネーロが消え、我々が有していた……の写しも消えたというのです!!」

「……」


 アンジェル・フォン・キーファーヴァインはこの報告を受けると大いに激怒した。

「よくも裏切ってくれたな!!」と隔離室の外にまで聞こえるほどの怒号を上げると、そのまま卒倒、倒れてしまう。

 直ちに部下が突入しアンジェルは一命は取り留めたものの、この事件は侯爵家そのものの威信にかかわると厳重に口外を禁じられた。


 そして、ガットネーロはお尋ね者として――罪状こそ『極めて重大であるため』と伏せられたものの――キーファーヴァイン領全土に手配書が配られたのだった。



 ガットネーロがまんまと逃げたのは、キーファーヴァイン領の隣国、神聖ヴァルス公国首都ザンクト・アウグスト。

 適当な宿で、ガットネーロはその酒のレシピの内容を確認していた。


(……これ、酒じゃねえ、武器の製造法!? なるほど? 油や松脂、硝石、石灰とかを混ぜた火薬をビンに詰めて……燃える液体と火種で、ものを焼き焦がすための武器……ひええ、恐ろし。……これ、売れねーじゃねーですか!? どーすんですか!? 今晩の宿代!!)


 ガットネーロは宿代の代わりに店主に売りつけるつもりだったのだが、その企みは御破算に終わる。

 火炎瓶の製造法を宿屋に売ることはできない。当たり前の話だ。



 その晩、建物の二階の窓から、塀の装飾めがけてスルスルと何かが巻き付く。

 ばさり、何者かが飛び移り、そのまま石塀の上をフラフラと人影が歩いて行った。


 やはりというべきか、その正体はガットネーロ。故あって逃亡生活中の傭兵崩れである。


(やれやれ、今回も夜逃げですね。へへへ、宿代払う金もねぇや。なら逃げるしかねーでしょう? あたしは黒猫ガットネーロ、気ままな傭兵、金なんかなくても胸張っていきましょうや)


 人気のない路地裏を見定め、するりと塀から飛び降りるガットネーロ。

 月明りに照らされて、不意に浮かべた卑屈な笑みが浮かび上がる。


(ふいー。さーて、夜が明ける前に身を隠しませんとね)


 わずかに背後で物音、敵意の気配、ガットネーロはすぐ転がって、道端の何が詰まっているかもわからない壺だか樽だかの裏に隠れた。

 暗くて何が何だかわからないが、少なくとも遮蔽物にはなった。投げられた空き瓶が、さっきまでガットネーロが立っていたあたりでガチャンと音を立てて砕け散る。


「うっげ、追ってきやがった!?」


 ガットネーロはたまらず走り出す。追いかけるように夜の街に罵声が飛ぶ。


「待たんかいコラ! 金払えッ!!」

「は、堅気の人間に手を上げるつもりはありませんが、先に手袋……いやこの場合は酒瓶ですかね? ともかく投げたのはそっちですよ、悪く思わないでくださいね」


 無賃宿泊をしておいてこの言い草。ガットネーロには根本的に、己の悪性を許容していた。


「手加減はしてあげますよ? 素人さんに本気出したとあっちゃ……いやさっきのけっこー危なかったよな……。狙いも正確だったし……。よし、たぶんアイツはその道の人間です、あたしがそう決めました」


 自己欺瞞と強欲が上っ面の中で蠢く、腕ばかりは立つ傭兵。そういう人間に目を付けられた段階でこの宿屋の主人はご愁傷さまと言う他ない。

 人気のないところまでおびき寄せてから、ガットネーロは鎖分銅を振り回した。

 ――夜の街に鎖のこすれる音と鈍い衝撃音、そして短く野太い悲鳴が、ほんの静かに、鳴った。


「ったく、臨時収入があると分かってりゃ夜逃げなんてしませんでしたよ。……って、その宿屋のおやっさんを今シバき倒したんでしたっけ……。あれ、反応がない、生きてますよね?」


 慎重に、ガットネーロは財布を探る。経験上、小規模な店主は店に置いてくるより肌身離さず持ち歩いていることが多い。

 そちらの方がいろんな意味でよほど安全だからである。

 そうアタリをつけ、見事に売上金の入った財布を探り当てる


(おっ、この重量感、大当たりです。よく考えたら路銀なんて喧嘩と死体漁りをすりゃどーにでもなるんでしたね。野良猫が路地裏で喧嘩してはゴミ漁りするようにね、へへへ!)


 事態が知れ渡る前に、ガットネーロは危険を承知でさらに西に向かうことにした。


(ちまちまネズミなんて捕る気はありません、あたしが狙うのはもっとデカい稼ぎ。……そう! こいつがありゃ、あんな嫌味な城主みたいな、気に入らない雇い主の世話になんかなる必要はねえ! 器具とか品質面はちょっと不安ですが、何とか作り方をものにして見せますよ。まずは空き瓶ですね、割れやすい奴。これはガラス工房の失敗作でもちょろまかしましょうか。問題は燃料ですが……どっかの貴族と交渉しますかね、写しを取らせる代わりに融通してもらいましょう。)




 さてさてまんまと逃げおおせたガットネーロ。彼女が次に現れたのは数日後、ヴァルスよりさらに西、アルフシア公領へと至るヴァル=アルフス橋である。

 ヴァルスとアルフシアの間は山がちな地形で、そこを行き来するためにはこの橋を通るしかない。


 そこでガットネーロにふいに声をかける男がいた。浅黒い肌に筋肉質な四肢であった。


「……あんた、疫病神の黒猫ガットネーロだな?」

「へーえ、同業者、ですか。傭兵を十把一絡げに扱ってるお貴族様なら、そんな風に呼びませんよね」


 アレクサンダー・ブラウンシュタイン。人呼んで茨の傭兵隊長。彼の『茨の傭兵団』はレムレスで活動している傭兵団のうち、規模、練度ともに優れた名門である。


「いえいえ、貴方のことぐらい知ってますよ。というより、貴方を知らない傭兵なんてモグリもいいとこです。……ねぇ? アレクサンダー・ブラウンシュタイン隊長?」

「なんだ、それなら話は早ぇ、一つ頼まれてくれ。金ならやるぜ」


 ぎょろりとしたアレクサンダーの黒目がガットネーロをとらえる。張り付いたような笑みを浮かべたまま、ガットネーロは固まったように話を聞いた


「この橋と、西の切通しを通行止めにしたい。手段は問わない。ぶっ壊しても構わん」

「……なんでそんな大それたことを? 額次第ですね」

「……ふん、こいつでどうだ」


 金はいくらあっても良い。ガットネーロはそういう価値観で生きていた。

 折角の稼ぎが目の前にあるのに機嫌を損ねるわけにはいかない。傭兵として形だけの質問をしたが、それ以上の追求は避けることにした。


「一応ですが、もしよろしければ理由の方、お聞かせ願えますか?」

「理由は言えねぇ」

「傭兵隊長としての都合。ってやつですか」

「そんなとこだな」


 ガットネーロは引き続き空虚な笑みを浮かべる。その表情の裏では、アレクサンダーの言葉を反芻していた。


(さっすがプロ、読めませんねぇ。……これは変に探りを入れるだけ損です。あたしの都合としては、キーファーヴァインの連中が追ってこれなくなればそれで良い。ここんとこ本当に運が良い。ふへへ!)


「ええ、ええ、引き受けましょう。ところで、ちょっと融通してほしいものがあるんです。火薬の材料なんですがね……。実は、あたしの手元には前ちょっと盗み出してきた焼夷弾の製造書があるんです。それで、橋は燃やしちまいましょう」

「……確かに、道を壊すなら火薬がいる、か、いいだろう。アルフス=ルーブの切通しはどうする?」

「切通しの道にゃあ、壁面、斜面の崩落を防ぐための土留め板や、所によっちゃトンネルもあります。……適当に要を見繕って、そこを燃やしてやりゃ、あっという間に土砂崩れのがけ崩れ、通行止めですよ」


 傭兵二人、不敵で悪辣な笑みを浮かべる。


「いいぜ、材料はこっちで持つ。好きにやれ。あと、こっちで人払いはやっておく。アルフシアの人間が近づかないようにな。……悪名をおっかぶせるような真似をさせる、すまん」

「構わねーですよ、もともとあった悪名にちょっと増えるだけ。それに、傭兵の悪名は箔でもあります。気にしないでください」


 その後、ガットネーロは必死で火炎瓶を作った。念のため、多めに作っておくことにした。この後ももしかしたら使うかもしれないし、このくらいは役得だろうと、もらえるものは全部もらってやろうと、そういうことだ。


 作戦決行当日。


「……なんです、これ、どーしてあたしに!? いや、当たり前か!?」


 そこでガットネーロは対岸から橋を見張るキーファーヴァイン軍の兵士を目撃する。どうやら自分を追っかけて来たようだ。と、あたりをつける。

 見つからないように目を盗んで橋のそばまで接近し、一気に走り出す。


 しゅるり、鎖が山々の乾いた空気を切り裂くように伸びていった。


「ぐえっ!?」

「は、は! そこでのびてやがれ! あたしの邪魔をするんじゃねーですよ!!」


 闇討ちするように一撃。しかし、きちんとした鎧にガットネーロの鎖分銅は有効打にはならなかったようで、成果のほどは体勢を崩して転ばすにとどまった。


「あの背格好、兜だけ上質な装備……間違いない! いたぞっ、ガットネーロだ!」

「ひっ!? し、死ねるかクソボケ! あたしはっ! こんなとこじゃ死にませんよ!」


 ガットネーロはビンを取り出すと、ガチン、ガチンとなにかを打ち合わせる。

 火が灯った。火打ち石だ。


 瓶の口に巻かれてある布に、慎重に火を移すと、それを放り投げる。

 橋の中頃で火の手が上がった。消火を妨害するために、さらに鎖分銅を大きく振り回して発火点に近づけないよう邪魔をする。


 火は見る見るうちに燃え広がり、乾いた木造の橋を包んでいく。

 ガットネーロは炎に飲み込まれないうちにそそくさと退散し、戻り切ったところで燃え盛る橋を振り返る。


「や、やっちゃった……ふへ、これで後戻りはできねぇ。もう東部へは近付けねぇ……」


 崩落する橋を前に、ガットネーロはぺたんと尻餅をついた。対岸では、キーファーヴァインの兵士の怒りや相談の声が聞こえる。


「ひー、ひー……、お天道様に感謝、ですね……。もし雨だったなら……ううっ考えたくもない! にしても、見よう見まねでやった割にはそこそこ良いもん出来ましたね。世が世なら、錬金術士ってのも悪かなかったかもしれませんねー、へっへっへ」


 軽口をバシバシと叩いて調子を戻そうとするガットネーロ。

 ひとしきり喋り尽くすと、今度は西の切通しの破壊工作に移る。


 当たりはつけていたが、燃やせるポイントはポート・ド・ルーブの側にあった。

 平地から丘に登る街道の崩落を防ぐ支えは、当たり前だが低地のほうにある。


(戻れなくなりますね……。そっちの方が好都合ですけど。どうせ、南部じゃ今頃あたしの名は悪意を持って広まってることでしょうし、ブラウンシュタイン隊長につくのも……悪くはないですけど、あたしは徒党を組んでどうこう、ってタイプじゃありませんし)


 木組みや土留め板の壁を前に、ガットネーロはぼんやりそんなことを思っていた。

 しばし逡巡、やがて意を決すると、数歩距離を取ってから火炎瓶を叩きつけるように放り投げた。


「よーしっ! 燃え尽きる前に走り抜けねえと!!」


 めらめらと木の支えが焼けて、パラパラと砂粒が転がり落ちる。時間はあまりない。ガットネーロ、ここのところ走り込みが続く。


 砂が落ち、土が落ち、石が落ち、そして最後に岩が崩落する。後ろから迫ってくる土砂に飲まれたら死ぬ。

 良くない仕事を引き受けたのでは? そういう考えもよぎったが、ここで躊躇ったら今度こそ死ぬと、走ることのみに集中する。

 土埃の中をガットネーロは駆け抜け、ヴィラ=ルーブ街道の切通しを抜けたところで、どさりと道端の草むらにへたり込む。


「ふ、ふへ、やった……、逃げ切ったぁ……。けど、今は……休みますか、体がボロボロです」


 少しの間転がって休むと、また重たい体を引きずるように、ついにガットネーロは追っ手を振り切ってレムレスの南西の端、ポート・ド・ルーブにたどり着く。

 そして、とりあえずの宿を見繕うと、フラフラした足取りで入り込んだ。


「失敬、あたしは旅の傭兵なんですが、空いてる部屋なんかあるでしょうか? とりあえず持ち合わせはこれほど。あと、できれば仕事とか紹介していただけるとありがたいんですがね。あたしみたいな傭兵を探してる人の情報でもいいですよ。貴方だって、せっかくの客を手放したくはない、そうですよね?」

「安い部屋ならちょうどあるが……お前、名前はなんていうんだ?」

「……おっと失礼、あたしのことは……幸運な黒猫ガットネーロとお呼びくださいな」


 ガットネーロは部屋に消えていく。

 店主はその後ろ姿を、厄介な客を泊めてしまった。と、苦虫を噛み潰したような顔で見送った。


 ガットネーロ、この女の向かうところ、災いあり。

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