矢の如く、烏兎怱怱
王、貴族、あるいは市長……、なんにせよ統治者が軍隊を――この場合は徴募された簡素なものではなくプロの、つまり職業軍人である――を持とうとした場合、彼らを住まわせる場所が必要になる。
当たり前だが、兵士と民間人が混在することは望ましくない。戦場に立つ者と立たない者の価値観は相互理解が難しく、古来よりそういう場所では無用なトラブルが起こりがちだ。そこで、軍隊の生活と訓練の場として兵営や駐屯する地区を市街地から離れた場所に築くのは、おおよそ一般的な光景である。
レムレスにおいてもやはりそれは一般的だ。場所によっては、お互いに無用の立ち入りを禁じる法律や慣習を持つところもある。
ポート・ド・ルーブも例外ではない。もっとも、法令に関しては港町ということもありあまり厳しくはないが。
将官クラスなら出入りは自由、ということになっている。
さて、ここはそんなポート・ド・ルーブ兵営。市街地から見て東に離れた場所に建っている。
「……当たった。ああよかった、腕は衰えていないみたいだね」
木製の的にクロスボウの矢がガシュンガシュン突き刺さる。それも一度に複数発。
射手の名はミハイル・ブルム。ガイ公爵の下で遠征軍に従軍した貴族で、石弓の名手である。
もうすっかり老境に入っているものの、いまだに現役で前線に立ち続ける将である。
「さっすがミハイル! いくつになっても石弓の腕は衰え知らずだなあ!」
「……え? ああ、ヨアヒムかぁ、一番最初に飛び起きてたよねえ、ほんと、元気だなあ」
「もちろんだとも、それこそが俺の武器! 馬に乗る人間が馬に負けちゃいけねえからな!」
ミハイルは腰をトントン叩いて伸びをする。「いてて」と小さく言ったあと。白い立派な顎髭を弄んだ。
「それでこそだ、僕は長生きし過ぎたみたいだねえ。君みたいに馬術を志せばよかった」
「やめとけやめとけ、こいつはいつ死ぬかもわからん仕事なんだ。っつーより、年老いた騎兵ってのは漏れなくロクデナシだからな? 爺さんはそういう性質じゃないだろ」
「失礼、お話の間に申し訳ないが、この兵営の間取り図と……あと慣例を文書にまとめておいた。目を通しておいてくれ」
女性の声だった。兵営という男性の声の真っただ中にそれは良く通る。羊皮紙を手に、ミハイルに続いて現れたのはシャルロッテだ。
「ええと、シャルロッテ、さん? だよね、ありがとうねえ、わざわざ兵営をあてがってくれて。都市の自警団とか、交渉大変だったでしょ?」
「ええまあ、そういったことは私の役目です。それに、練兵場を遊ばせておくのはもったいないので。しかし……」
シャルロッテはそう言いながら目線を東に移していた。
(もともと、この兵営は南西部自由都市を守護する大貴族……アルフシア公の軍隊が駐留するためのものだ。先の遠征から帰った後、消耗した軍備の再編などで本領まで引き払っていたのは知っていたが。……まさか、まだ戻ってこないとは。さすがにこの政変の情報が伝わっていないとは考えにくい。さては……、何かあったな?)
ポート・ド・ルーブより東にはヘットウェルの山脈がある、アルフシア公の領地はその中にあり、精強な歩兵隊で知られている。
アルフシアの土地は痩せているが、アルフシア公には古代レムレス帝国より続く歩兵の伝統があった。この自由都市から徴収された税金は軍備にあてられ、その軍によって自由都市は他者からの介入を退けていた。お互い持ちつ持たれつの関係だったのだ。
「アルフシア公のこと、かな?」
シャルロッテはぎくりとする。
「ああ、ごめんごめん! 年をとるとカンばっか鋭くなっていけないね。……まあ、僕も気になっていたんだよ」
ぎろり、と、柔和な表情に似つかわしくない目つきで、ミハイルはシャルロッテと同じくヘットウェル山脈を見やる。
「僕はここでアルフシア公と戦争するつもりだったんだけどね、来なくて拍子抜けしてたとこさ」
「爺さん、変な意地を張らずに……いや、ここが落とされたらしまいだよなあ。……流石、戦術のこととなるとかなわねえや」
冒頭に記した通りこの兵営はポート・ド・ルーブ市街地から見て東、アルフシア公領との中間に位置している。
つまり、ここさえ落とされなければ迂回せざるを得ない、というのがミハイルの見立てであった。
それが空振りには終わったのは、恐らく喜ぶべきことなのだろう。
ミハイルは静かに笑みを浮かべている。何を思っているかはこの場の誰もわからない。
「……それはいいが、アルフシア公はどうなっている? 指示を仰ぐか。個々人の裁量で偵察に行くべきか……。ち、こんなことならあらかじめ口頭でもいいから了解を取り付けておくんだった」
「細かいこと考えんなよシャルロッテ、レオン様のことだかんな、このぐらい許してくれんだろ。……っつーわけでちょっくら駆けてくらあ。実戦でしくじるわけにもいかねえし、ま、リハビリってやつだ」
「一応、レオン様のことは僕たちのほうがよく分かってると思うし、たぶん大丈夫じゃないかな」
二人に見送られてヨアヒムは馬にまたがり駆けていく。久々の騎乗だというのに、全くブランクは感じられなかった。
その後ろ姿を見て、シャルロッテは少し思案をしていた。
(現場の裁量、か。彼らは武官である以上、根っからの文官たる私の思考が合わないのは自明の理。しかしだ、それでも自分が戦えているのは我々が物資の手配やらを済ませているからというのを理解してほしいものだな、まったく)
ミハイルが零すように言った。
「シャルロッテさん、もし戦いがあるなら、すぐに僕に声をかけてくれ。まだまだ戦えるからつもりだからさ。それに、革命を起こしてくれたことにも感謝している。こんな老いぼれに戦う機会をくれたんだから。政治ができる人間はそれでいいけど、僕みたいな戦うことしか能がない人間は、戦場がなきゃ生きていけない」
戦場がなきゃ生きていけない。その言葉にシャルロッテは疑問を感じた。
一応は貴族なのだろう、と。この年であるため何かしらの領地も持っているだろうと、そう思ってミハイルに問うてみた。
「領地はどうされたので?」
「昔は領主の真似事もやってたんだけどね、今は息子に任してあるよ。でももうずっとラピスまで帰ってないし、もしかしたら、もう死んじゃって孫の代になってるかも」
「そんな、縁起でもない!」
危うい話題をさらりと言われて、シャルロッテは心の底が冷たくなる感触を覚えた。
ミハイルは表情を崩さず続ける。
「いいんだよ、僕は政治がわからない。物心ついたころから継承争いに巻き込まれて、生き残るためには何でもしたさ。他人を黙らすために戦争に飛び込んで、がむしゃらに人を撃って、武勲を立てて……そうして気が付いたら、石弓を引くことしか知らない男になってしまった。世の習いだよ、戦乱の世に生まれた人間のね」
ぼんやりとした目つきで過去を振り返る、シャルロッテは思わず圧倒されてしまった。
なんとか会話を切り出そうとしたシャルロッテだが、ふと、ミハイルが手にしているクロスボウの形状が見慣れないことに気が付いた。
そのクロスボウには、他には見られない箱のようなものが乗っかっている。
「……ミハイル殿、先ほどから気になったのだが、そのクロスボウはいったい?」
「東大陸の文献を参考に作ったんだ、機械仕掛けで自動で矢が装填される。弦を引くのは巻き上げハンドル式、歯車にラック……えーと、歯を付けた金属板を噛ませて、歯車をこの巻き上げハンドルで回して弦を引き上げるんだ。細かい機械が多いから個人用だけども多発式でね、気持ちいいよー? 一気に矢がバシュンバシュンって飛んでさあ」
ミハイルはその機械式クロスボウをなでるように指を這わせていた。
「……なるほど。よろしければ、私のコネを使ってポート・ド・ルーブの職人たちに作らせましょうか? これから戦闘は激しくなるでしょう」
「んー……、素人とか徴募兵、新米に使わせるならもっと簡素なのでいいと思うよ。これは少人数でも射撃での制圧を可能にするとか、追撃戦を行うってのを念頭に置いてるから。人のほうをたくさん用意できるなら、リロードはもう後回し、簡単で威力も高い奴をみんなで撃ってもらったほうがずっといい。そういう石弓の改良をしたいってなら力になるけど」
「勉強になりました、ありがとうございます」
(なるほど、な。さすがはレオン様麾下の射手隊長。そこいらの人間と違って合理的にものをとらえている。人もあくまで要素の一つに過ぎないという考え方だ、こいつは使える。ヨアヒムには何をいっても無駄だ。しかし、ミハイル殿ならもしかすると我が影響下に加えることができるかもしれん。見たところ老将として、レオン様も、あまり大きく出れない相手かもしれない)
シャルロッテはまだ諦めていない。軍部にも自分の意見を通すため、手ごろな将官に取り入るつもりである。
「僕はねー、これを撃ちたくて戦場に立つんだ。人を撃ちたくて、さぁ」
「は、はあ」
「普通のクロスボウより貫通力に劣るから隊列を組んだ相手より追撃とか散兵戦が主軸だけどね、逃げる相手に撃つとさ、バタバタ倒れていくんだよね、たまらんよ」
軍人特有の物騒な思い出話に気圧されそうになるが、シャルロッテは何とか本命を切り出そうとする。
「なるほど、戦場においては重要な点、ですな。ところでミハイル殿、貴方には年長者として軍議や……政治的な立場もありましょう、よろしければ、私が助言役に……」
「……え? ……ダメだなぁ、もうすっかり老いたねぇ。よくわからんのよ、そう言うの」
(だ、……ダメだコイツ! 石弓を撃って人を殺すことしかまともに考えてねぇ! ……くそっ、こうなったら最後の一人に賭けるしかない! どうか、ほどほどに頭の良い奴であってくれ!)
シャルロッテの計画はここに2度目の失敗を見た。ちなみに1度目の失敗はヨアヒムと出会った時である。
出会った瞬間にこいつは取り入れない人間だと分かったので、そう意味で行くと初めから失敗だったのだ。
そうこうしているうちにヨアヒムが戻ってきた。
「理由、分かったぞ。アルフシア=ルーブ街道の、切通しの道ががけ崩れでふさがってやがる。誰かがいりゃ詳しい話も聞くつもりだったんだがな、こっち側には特に誰もいなかったぜ、労役に駆り出された連中とかいそうなもんだってのに」
「なに?」
(ますますもって妙だ。この街道はアルフシア公にとって失うべきでない連絡路。それが塞がってるだと? あまり考えたくはないが、まさか、アルフシア公領もまた……)
蛇の道は蛇と言わんばかりに、シャルロッテは良くない気配を感じ取った。
重要な道路ならば、有事となった段階で何らかの対応が施されるはずである。それがない、ということは、(ヨアヒムの目がよっぽどの節穴でなければ)何者かが意図的にそうした、ということだ。
つまりは、謀略の気配である。
「ヨアヒム殿、帰ってきて早々に悪いが、レオン様に伝令を頼めるか?」
「おうっ! こりゃ一大事だわな。……道が塞がってることだよな?」
シャルロッテは小さく首肯する。
「そうだ、詳しいことは追って私がまとめる。まずは素早い報告を、という奴だ」
「うし、じゃあ行って来るぜ。詳しい調査は任せるわ」
「僕も行こうかな、……戦わなくちゃ、まだまだ」
突然、戦うとか言い出したミハイルにシャルロッテは怪訝な顔をして、そして心の中で思った。
(何を言ってるんだこのジジイは。……まあ一人にしてくれるのなら幸いだ。中心にいることができないのは不安だが、ま、今のうちにアルフシア公領の、その寸断された切通しとやらにでも行ってみるか。なぜ、どうして崩れたのかを知らなければ今後の戦略展開にかかわる)
二人はポート・ド・ルーブ中心市街地に向けて移動した。いっぽうシャルロッテは独断で何人か護衛を拾うと、アルフシア公領方面に向けて歩き出していった。
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