黒猫は忽然と消える

 ガットネーロ、その偽名の意味は黒猫。そしてレムレスの傭兵を知るもので、この名に悪感情を抱かないものはあまりいない。

 本名を出さず、不吉な存在の異名をとる傭兵。事実として腕は立つのだが、常に剣呑とした雰囲気で、そのくせ卑屈で慇懃無礼。


 彼女を雇い入れたものは必ず後悔する。

 しかし、それでも藁をも掴む思いで雇えば、自分の少なくない損害と引き換えに必ず相手にそれ以上の損害を与える。


 事実、ポート・ド・ルーブのクーデターにおいては汚れ仕事を平然とやってのけ、フルージュ姉妹から一週間契約および延長分と、たんまりと割のいい賃金を勝ち取った。


 そんなガットネーロは今、ポート・ド・ルーブを離れ、ヴィラ=ルーブ街道を通り北へ向かっていた。懐には先の働きで得た賃金が大事にしまい込まれている。

 要はこの女、半分ほどの働きで満額の金を持ち逃げする気でいた。


「あっ」

「あっ!?」


 はたと出会った相手はスフォレッド軍の政治家、悪名高さなら自分にも負けていない相手。その名はヨゼフィーネ・フルージュ。


「……驚かさないでくださいよ、ヨゼフィーネさん。いきなし大声出すんじゃねーですよ」

「……そっちこそ、期限満了はまだ先なのにどこに行こうとしてたんですか? ガットネーロさん」


 バレている。ガットネーロは平静を装うことに決めた。


「ちっと頭を冷やしてただけですよ。貴方のお姉さんと主君の……レオンって人が怒鳴りあうのを聞いちまいましてね。思想がどうとか、大義名分がどうとか、あたしが一番嫌いなことでしたよ。」

「ふうん、まあ覚えてていいよ、貴方を消したりはしない」

「……あなたの方が話が分かるってやつですね、ありがてぇこって」


 卑屈っぽく、ガットネーロはひひっと笑った。


「さて、私のボディガードを頼めるかな? お金のぶん、一週間はまだ経ってないでしょ?」

「ええまあ、任されました」


 ヨゼフィーネはけらけらと、ガットネーロはひやりと心の中で思った。


(もともとお金を出したのはお姉ちゃんだし、この人が持ち逃げしようがどうしようが私には関係ないけど……利用できるものは利用しないと)

(ふいい、追及する気はないようですね、助かった。……やはりこういう利害損得で人をはかる人間は信用できます)


 警戒されている、とヨゼフィーネは判断し、歩きながらに別の話題を振ってみることにした。


「そういえば、ガットネーロさんは流れの傭兵よね? 前はどこで仕事してたの?」

「いえいえ、別に怪しいことなんてしてませんよ。アンジェル侯んとこの……キーファーヴァインで、正規軍を動かせねー事態とかの対処とかです」


 興味を惹かれる内容にヨゼフィーネは目をぱちくり。


「……ねえ、いくら積めば教えてもらえるかな?」


 ガットネーロは慌てふためいて言った。


「しゃ、喋るわけねーでしょう!? あたしは口の固さで貴方の仕事も引き受けたんですからね!?」

「ふうん、ダメで元々だったけど、そうかぁ」


 ヨゼフィーネはガットネーロの表情から、明確に一つの感情を読み取っていた。


「恐れ」である。


(この人、さては何かやらかしてるわね? それが何かわかれば私の子飼いの私兵にできる。……手放すには惜しいなあ、ガットネーロ。でも、今それを掴もうとするのは欲目。今は目の前の仕事に集中すべきね、もし、落ち着いてきたなら何とかして尻尾掴んでやるんだけど)


「……っつーか! ここで口を滑らせるような奴は信用できないって、喋った瞬間あたしを、その、処分するつもりだったんでしょ!?」

「うーん、さっすがプロ、勘が鋭い」


 肩を落とし、呆れたような様子でガットネーロは言う。


「脅かしっこなしですよ、まったくもう……。まあでも、あんだけ貰っといてサービスの一つも無し、ってのもプロとして問題ですよね。……仕方ない、言える範囲で言いますよ。どうせあっちに戻る気はありませんし。以前揉めた雇用主とコンニチワなんて、いくら積まれたって御免被ります」


 観念したようにガットネーロは、皮肉っぽく鼻で笑った。


「前にも言いましたが、普通の傭兵ってのはだいたい徒党を組んで、金だけはいっちょ前に持ってるくせして自分で戦うことも、動かせる兵士も無いような奴に雇われて戦うんです。……あたしは群れで行動するのは性に合わないんでね、表沙汰にできねーよーな仕事を選んで食ってるんです。アンジェル候んとこの仕事も、まあそういう感じでしたよ」

「傭兵というのは名ばかり、実態はフィクサーが使う鉄砲玉まがいって所かしら」


 ヨゼフィーネはさらりと言ってのけた。思わず苦い顔をするのはガットネーロ。


「手厳しいことを言いなさる。否定はできませんがね」

「良いと思うよ? ただ、政治が絡まないと生きていけない仕事なのに、貴女は政治家を嫌っている。難儀な性分だなあ。って、思っただけ」



「危ねぇっ!」


 瞬間的にガットネーロはヨゼフィーネを抱き留めながら大きく転がる。

 ザクザクと、さっきまで立っていた場所には矢が数本突き刺さる。


「あううっ!?」

「矢!? 誰か狙ってやがります!」


 ガットネーロは人から向けられる敵意や気配に鋭い。単独行動を好むその生き方がそうさせたとも取れるが、それ以上に、将来の臆病さが勘の鋭さを作り上げていた。


 じゃらりとガットネーロの外套の下から音がしたかと思うと、その両手には鎖が握られている。


「っち! ヨゼフィーネさん。離れすぎんじゃねーですよ! もちろん、近づき過ぎて巻き込まれもしねーように!」


 ひゅるると鎖を振り回す。先端には錘が付いていて、加速度はぐんぐんと増していった。

 振り回して使うため集団戦闘ではほとんど使えない、正規軍には一切見受けられない武器だった。


「来やがれ三下! てめーらの矢はもう届きませんよ!」


 ガットネーロが傭兵団とか、徒党を組まないのには理由がある。こういう遠心力を利用する武器を好んで扱うのも勿論ではあるが。


 彼女は元々一匹狼の性分であり、群れることを好まない。何故なら、仲間の存在はいざという時の判断力が鈍るから、と考えていたからだ。


 ――つまり、ガットネーロは他人を犠牲にしても自分は生き残る。そういうやり方で戦乱の世の中を渡ってきたのである。


 組まないのではなく、誰もガットネーロと組みたがらないのだ。



 街道脇の林からがさがさ現れる影がある。装備を見る限り傭兵か賊の類であろう二人組の男。

 飛び道具は無力だと判断して、近接戦闘で片を付ける気らしい。


「気を付けろっ! ガットネーロは腕が立つ!」

「分かっている! だからこその賞金首だろうが!」


 賞金首


 その言葉を聞いて、わずかに顔を蒼くしながらヨゼフィーネはガットネーロに問う。


「……ガットネーロさん?」

「長く傭兵やってると、どうしても要らん因縁が増えて嫌になりますねえ。ま、戦っておまんま食ってるんじゃ仕方ない話かもしれませんがね」


 目を合わせずににひにひ笑って、必死に話題を逸らそうとするガットネーロ。

 コイツは過去にロクでもないことをやった。ヨゼフィーネは確信したように問い詰める。


「……何やったんですか?」

「アンジェル候んところでね、……その、ある武器の……爆弾の親戚みたいな奴なんですけど、それの門外不出の製造法を盗み出して個人で使ってたら、……バレちった」


 ヨゼフィーネの目から光が消えた。口元はパクパクと飼われている魚のように動き、今にも泡を吹き出しそうだ。


「ば、ばば、バババ……、バレ……?」

「あー、その、こいつらは責任もって片づけますんでどうかご勘弁を。……ちっきしょー! おめーらのせいで余計な仕事が増えたじゃねーですか!」


 ガットネーロ、その名前の意味は黒猫、しかして真の異名は――


「疫病神」である。


 半ば八つ当たりのような言葉を吐き捨てると、男が構えている剣めがけて鎖が伸びる。


 ぎゃりぎゃり鎖が絡みつき、そのまま引っ張って体勢を崩したあともう一方の分銅を投げて打ち込む。

「ぐえっ」と野太い悲鳴の後、男はその場に崩れ落ちた。


「もーひとり? ……いや、こいつはっ!?」


 ガットネーロは本能的にヨゼフィーネごと後退する。ちなみに絡め捕った剣はもう一人に投げつけられ、見事に命中した。


 現れたのは調査を命じられた都市の兵士たち。ヨゼフィーネにはその所属が一目でわかった。レオンが攻略を計画していた都市の市章が、その盾にはしっかり描かれている。


「あっ、あれ! 自由都市の兵士たち!」

「あんですって!?」


 慌てる二人。


「……間違いない! でも、なんでここに!? いや、そうよね、私たちは政変を起こした。睨まれてもおかしくない!」


(……そうですよ! なんで気がつかなかったんですかあたしは!? こいつら、体のいいこと言ってますけど公然と反乱を起こした反体制派じゃねーですか! あんまし人のことは言えませんが、犯罪者の片棒担ぐのは御免被ります!)


 ガットネーロは戦慄する。このままでは命がいくつあっても足らない、一刻も早くここから逃げ出さねば、何とか事態をうやむやにできないものか、と。


「レオン様はアイツらと構えるつもり、でも、ここで騒ぎを起こしたら……! ガットネーロ、なんとかして!」

「んなアバウトな! ……ああもう、コイツだけは隠し玉なんですがねっ! バレてるんじゃあしょうがねえ!」


 ガットネーロが取り出したのは、口がきつく布で縛ってある色の濃いビン。中身は全く見えない。


 ガチンガチンと金属を打ち付ける音がしたかと思うと、布の部分に火がつく。


「ヨゼフィーネさん! 逃げますぜっ!! あたし一人じゃ流石に無理です!」


 体を軽く捻り、オーバースローで前方に勢いよく、投げ落とすようにきれいなフォームでビンが投擲される。


 放り投げられたビンは良く踏み固められた路面に落ち、割れると一気に火の壁が広がった。

 これが、ガットネーロが盗み出したという爆弾の親戚。なのだろう、恐らくは。


「嗅ぎつけられる前にずらかりますよ! 街道でボヤ起こしたとあっちゃ汚名が増える!」

(増えるのは汚名じゃなくて首にかけられた賞金の額だと思うんだけど……。それより、これレオン様に怒られたりしないかな……?)


 ばたばた逃げ出すヨゼフィーネ。ガットネーロが消えたことに気が付くのは、もう少し後のことだった。

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