燃える目の黒猫

「……そうか、確かに建前のために傭兵を雇おうという判断そのものは良いと思う。しかしだな」

「お姉ちゃん?」

「勝手にどっか行くなと言ったろうに!」


 帰宅、いや船に帰ったヨゼフィーネは姉にお叱りを受けていた。


「む、ちゃーんとレオン様に伝言を頼んだじゃん。それに、私はもうお姉ちゃんが思ってるほど子供じゃありませーん」


 ぷーっとふくれっ面で答えるヨゼフィーネに、シャルロッテはやれやれとため息をつく。


「まったく……。 で、ヨゼフィーネ、何をするかは分かっているのだろうな?」

「もっちろん。悪評の立つようなことにレオン様の兵を使うわけにはいかないから傭兵も拾う、今日一日で町の様子も探ってきた。お姉ちゃんは?」

「私は……こちらの動きに対処できぬよう、議会を空転させようと思う。不満を持ってるやつの目星はついてるからな、成功すれば新体制のポストを約束する、とな。……くくく、まあ空手形だがな」


「お姉ちゃん、わっるーい」「ふん、愚かな方が悪いのよ」

 好き放題に喋りまくるフルージュ姉妹。レオンはあまり謀略が好きではないので苦虫をかみ潰した気持ちになっていた。


「……ところで、決行はいつだ? 俺はいつでも動けるし、怪我人が乗ってる以上停泊の引き延ばし交渉もできるだろうが、あんたらはそうもいかんだろ」

「三日後を考えています。というより、明日準備を全部済ませて、明後日を使って打ち合わせ、といきますので。……な、ヨゼフィーネ」

「ん、任された。フルージュ姉妹のすごいところを見せに行こうね、忙しくなるけどがんばろー、おー」


 レオンは驚いて返答する。間延びしたいまいち気合の入らないヨゼフィーネの「おー」にではなく、やたら切り詰めたスケジュールに、である。


「三日!? もう少し準備してからのほうが良いんじゃないか?」

「いえ、これでいいんです。この町は商業で栄える港町、よく言えば商人らしく柔軟、悪く言えば日和見主義の気風が強いんです」

「あまり時間をかけすぎるとかえって怪しまれますし、心変わりというものは変わってるうちに行動すべきです。レオン様。一人ではなく、この妹とともに成功の見込みがあると、そう自信をもって考えているのです」


 姉妹の発言に含まれている自信を、精神的にも感じとった。それも、一時的な感情というより、自信を伴ったものだ。

 レオンは感情や意思を尊ぶ。そのことは、二人にもよくわかっていたからこそ、こういう説得の札を切ったのだ。


 観念したのか、それとも存外に本心からなのか「万事よし」と静かな笑みを浮かべて、自信をもってこう言うのだった。


「分かった、任せる」

「……では、詳しい動きは準備が終わり次第連絡いたします。今日は……帰ろうか、ヨゼフィーネ、怪しまれる前に」

「そうだね、それじゃレオン様、ぜったい、成功させましょうね!」


 二人を見送り、少しだけレオンは思案した。


(……恐らく、こいつら元々どっかでやる気ではいたんだな? じゃなきゃこんなにスムーズにはいかない。俺が遠征から帰ってきたのはたまたまだ。必然じゃない。運命ってものはそういうもんさ。さもそれっぽく見えるが、切り開くのは俺自身だ。そうだろ? 燃え盛りすぎる火は、いずれ燃料がなくなる。わかってるさ)


 自分を勇気づけるように、そして、熱くなり過ぎないように。そういう言葉が頭の中を回っていった。

「今日はもう寝るか」と独り言を言って、レオンは自分の船室へと戻ることにした。


 ―――


 ある程度大きな町なら酒場はある。港町や、鉱山街ならなおさら大きい。働く男どもにとっては、最も分かりやすく、そして数少ない娯楽であるからだ。ここポート・ド・ルーブも例外ではない。


 もちろん、酒場にはそういう連中が持ち込む情報や噂話、食い扶持も転がっている。だから旅から旅の連中も集まる。傭兵だとか、吟遊詩人だとか、変わったところでは、就職先を探す元貴族付きの料理人なんて連中もいる。


 ヨゼフィーネはそうした酒場にいくつかコネを作っていた。情報を流してもらう代わりに、議会などで優遇措置をとる活動を行っている。


 で、得た情報を使って他の議員を恫喝したり口止め料を払わせたりするなどして、ヨゼフィーネは年齢に見合わない財と影響力、そして悪名を得ていたのだった。


 時は夕刻のことである。今日一日を使っていろいろ準備したヨゼフィーネは、最後に傭兵を拾うため、顔なじみの酒場へと赴いていた。


「おや、久しぶりに顔を見せてくれましたね、先生、いったいどうしたのですか?」

「ちょっと火急の用事でねー……ほいっと」


 ヨゼフィーネはマスターに酒瓶一本分の銀貨が入った布袋を投げて渡す。布越しに硬貨がぶつかる鈍い金属音がした。


「酒場に来ておいて飲み物の一本も頼まないなんて礼儀がなってないからね、それで、常連さんにでも一本奢っていいよ」

「……なるほど、重大さは理解できました」


 ヨゼフィーネの声色が少し変わった。普段の間延びした口調ではなく、少々影を感じさせる、低めの声。

 もし知り合いに聞かれたとしても、ヨゼフィーネのものだと思われないような声色だった。


「傭兵知らない? それも命令をちゃんと聞けて、人質を不必要に傷つけたりもしない、口も軽くない……平たく言えば頭がいい奴。事情は言えないけど」

「いったい何を……いえ! そこを聞くのは失礼というものでしたね」


「えっへっへ、それ、あたしに一枚噛まさせてもらえますかね?」


 マスターが帳簿をとろうと裏に回ろうとしたとき、ヨゼフィーネに話しかける影があった。

 随分と耳が良いらしく、またこの夕の酒場の喧騒にも飲まれてないあたり普通の傭兵ではないだろう。


 と、ヨゼフィーネはそうアタリを付けた。

 それは卑屈そうな笑みをたたえた、危うい雰囲気の、良く見れば女性と分かる顔立ち。


「聞きましたよ、頭のいい傭兵ですってね。ひひひ、結構! 自慢じゃねーですが、読み書きができるくらいにはオツムにゃ自信あるんですよ」

「先生、そいつは……」

「外野が大事な大事な商談に口挟むんじゃねーですよ? 分かりますよ、どーせ後ろ暗い仕事をしようってんでしょう、誰のお使いかは知りませんがね、そーいう仕事は烏合の衆を何人も雇うより、腕の立つ奴を一人、雇う方がずーっと賢いとも思いますがねえ?」


 黒い外套に動きを阻害しない軽装の鎧。そして全体の簡素さからすると、浮いて見えるほど上等なバイザー付きの兜。

 ヨゼフィーネは失礼な奴だなと思いつつも、その女傭兵を値踏みするように見つめた後、こう尋ねた。


「貴方、捕り物の経験は?」

「得意分野ですぜ」


 そう言った傭兵は懐から錘付きの鎖を取り出した。小さく振り回した後、その辺で飲んだくれている男めがけて鎖が伸びる。

 錘の遠心力で鎖がぐるぐる巻きついて、あっという間に腕の自由を奪ってしまった。


「あらよっと、どうです?」


「おぉ」とヨゼフィーネは小さく嘆息の声をあげた。

 コイツ、思ったよりできる、と。


 思った以上に腕が立つし、複数人よりも一人のほうが情報の管理もしやすい。

 なるほど合理的だ、と思えてきたのだった。


「とりあえず人数の分、予備に2、3本ありゃなお結構です。錘付きの投げ縄を用意してもらえればあっちゅうまですよ」

「わかった、あなたの希望にそった武器を用意させる。……麻のロープでいいかしら」

「……あー、構いませんよ。普段は鎖なんで、いちおー使い心地を練習はしますが……たぶん大丈夫でしょ」


「おっと、忘れちゃいけねぇ」と言った後、傭兵は先ほど巻き付けた鎖を回収に向かった。

 小競り合いの後、しっかり小銭も巻き上げて戻ってきた。力自体も男には負けない、というアピールだ。


「そうだ、あなたの名前は?」

「ガットネーロとお呼びくださいな、あたしはそれで通ってます。……よろしくお願いしますね、ヨゼフィーネさん?」


 傭兵はそう名乗って、ヨゼフィーネの隣の席に収まった。ガットネーロはレムレスというよりその南、ディーバイ半島の言葉で黒猫の意味、もちろん偽名である。

 その言葉を受けて、ヨゼフィーネはぞくりとするほど、冷徹な目付きでガットネーロを睨めつける。


「……軽々しく私の名前を呼ぶとはいい根性してるじゃない。ポート・ド・ルーブの人間ならいざ知らず、外から来た傭兵風情が、どこでどうやって知ったのかしら」

「自慢じゃねぇですが、アタシはずいぶんこの港町にお世話になってましてね、評判ですよ? フルージュ姉妹と言や知らねぇ人間は少ないとね、へへへ……あ痛ででで!!?」


 ヨゼフィーネ、無言でガットネーロの唇をつまみ上げた。存外に力は強い。


「長生きするために、その口縫い合わせとこうかな。マスター、針と糸ちょうだい」

「ここは手芸屋ではないんですが……」


 そこまで言って、ヨゼフィーネは唇から手を離す。

 ぷあっ、と酒臭い息を吐いて、ガットネーロは椅子から転げ落ちて尻餅をついた。


(こっ、こいつ容赦がねぇ! 殺気も予兆もなく……一切、悪意なくアタシに暴力を振るいやがった!)


「……わかったかしら、獣の利用法が色々あるように、貴方もまた、色々な利用法がある。そういうことが」

(や、やべぇ、サシの殴り合いなら負けるつもりはねぇが、ヨゼフィーネには気を付けろと、そう言ってるやつもいた! どだい信じちゃいなかった。こんな、年端も行かねー見た目で! ……腕の差を見せつけるつもりが、逆に自分を追い込んじまった!)


 こうなったらガットネーロ、行動が早い。平身低頭である。


「も、申し訳ありません! このとーり! 傭兵として、変なやつに雇われて命を落とすことだけは避けたいと、それだけであります!」

「はー……もう、それならそうと言ってよ。安心して、捨て駒にはしない」


 ガットネーロは顔を上げる、そしてすぐに図々しく頼み込んだ。傭兵とはこういう存在だ。

 その眼はのぞき込むようなものだった。ヨゼフィーネは素早く意をくみ取る。


「んでは、いっちばん大事なものの話をしましょうか」

「給金はこれほど、中身を改めたかったらお好きなように」


 ヨゼフィーネはこちらが本命、とコインの詰まった革袋を渡す。

 どっちゃりとした重さにわずかな緊張を覚え、中身を見て、ガットネーロの目の色が変わる。


(……おいおいおい! 全部金貨ですって!? コイツ……やっぱただもんじゃねえ! 見た目は下手すりゃ成人もしてなさそうなガキに見えるっつうのに! ……こりゃあしくじれませんね。下手をしたらあたしの首が飛ぶっ!)

「……? どうしたの?」

「なんでもねぇですよ、久々の稼ぎなんで、ちょっとびっくりしたぐらいです」


(なるほど、この人の感覚的には高いと。じゃあ期間のほうを吹っ掛けるか)


 顔色を窺ったのち、ヨゼフィーネは期間を提示した。こういう交渉は彼女の十八番だった。

 革命とは仕掛けてはいおしまい、というものではない。むしろ、そのあとの基盤固めが一番大変だ。そのことを十分わかっているヨゼフィーネは、徹底的にガットネーロをこき使うつもりでいた。


「一週間ほど、これで働いてもらえるかしら? メインの仕事が終わったら、それとは別に頼みたいことがあるので」

(ですよねっ! んなこったろーと思いましたよまったく! ただそれを抜きにしても稼ぎはデカい!)


 兜のバイザーで見えないが、ガットネーロの額には汗が流れていた。

 ガットネーロ、この言動にして小市民的性質があり、大金や権威の前では殊更にプレッシャーを感じるタチであった。


(引き受けるっきゃねーでしょガットネーロ! これを受けなかったら何のための傭兵稼業だ!)


 内心で焦りまくりながら自分を励ます。

 アタシはフリーの傭兵、今まで生き残ってきた手腕は伊達じゃない、今回もしくじる筈がない! と、そういう意気だ。


「……いいでしょう! これほど渡されたんじゃあ手は抜きませんよ!」

「ありがとね、前金として少し持って行っていいよ」


 無言でガットネーロは金貨袋に手を突っ込み、自分の財布に金貨をつかみ取った分だけ流し込む。

 これで、いざとなったなら逃げてもしばらく食っていける。ガットネーロはそう考えていた。


「分かってるとは思うけど、これからの仕事は他言無用。酒、拷問、どんな理由でも口を滑らした瞬間、私はあなたを消しにかかる」

「へ、へ、へ! わかってますよそんなことぐらい!」


「細かい話をするには人が多いわね」と、ヨゼフィーネはガットネーロに告げ、二人は酒場を後にした。

 外はすっかり夕方。こういう話をするには好都合と、人気のない場所を選んで先程の仕事の話の続きをする。


「では改めて……私はヨゼフィーネ・フルージュ。ポート・ド・ルーブ市議会議員。今は港の管理組合の建物、そこの管理人でもあるわ」

(ち、もしやとは思いましたが、コイツ政治家の類ですか……。あたしの嫌いな人種ですね)


 ガットネーロは思想的に宗教家とか政治家を嫌っていた。より正確に言うと、組織というものが嫌いなのだ。


「貴方には……要人の捕縛をお願いしたいの。分かっていると思うけど、この仕事も政治的な都合が絡んでる。だから、傷つけることは避けたいし、公的な軍を使うわけにもいかない……オーケー?」

「わかってますよ、傭兵を頼るやつはみんなそうです。自分じゃ戦う力もなく、動かせる兵士もいないくせに金だけはいっちょ前に持ってる」


 なおも嫌味を吐くガットネーロに、ヨゼフィーネは苛立ちを感じなかった。むしろ、胸にあったのは憐憫の情、と言ったほうが正しいだろうか。


「背景の説明、要るかしら」

「……あたしはそーゆー政治とか組織の都合っての、パスでお願いします。仕事のために落ち合う場所だけ、お願いできますかね」

「あ、そ。ちょっと待ってて」


 またもヨゼフィーネは懐から何やら取り出すと、ペン……いや棒状のものをサラサラ走らせ始める。それは紙、というより板状だった。


「ほい、まず、先ほどのロープはここに届けさせるわ。で、書かれてる通りの日時と場所で落ち合う約束ね。私たちは一目見ればわかると思うから、どっか適当な建物とか路地に隠れといて」

「あいわかりました。では、また後程」


 ガットネーロは振り返らずに歩いていく。なんてことは無い、ここで振り返っても良いことは無さそう。という判断だ。

 と言うより、もうさっきの人間と政治の話をしたくないというのが本音である。


(……用心深い奴ですね、『所定の場所』について一言も言葉でしゃべらず、文書の形式で渡してきた。盗み聞きを恐れてる? ……なんにしろ食えねぇやつですね。変な気を起こすのはやめときましょうか)


 ガットネーロは内容を頭に叩き込むと、刻み込まれた文章を指でぐりぐりと押しつぶして消した。

 ヨゼフィーネが使ったのは粘土板だった。紙と比べて安価で、こういう風に証拠の隠滅もやりやすい。


 海風が吹いて、ガットネーロの外套がはためいた。


「う、夕の潮風ってのは冷たいですねぇ。……この仕事を済ませたらおさらばですかね、ここも」


 ガットネーロは風に舞った外套を掴んで体に巻き直すと、愛用の鎖分銅に手をかける。


(ったく、気配ひとつロクに消せねー雑魚ですか、誰の差し金でしょうか。適当なチンピラならまあ構いはしませんが……嗅ぎ付けられたのなら、ここで始末しなきゃいけません。まだヨゼフィーネさんとこには、あたしが貰う筈の金貨がたんまりあるんでね)


「……あたしに何の用ですかね、後をつけるなんていうの、礼儀がなってないと思いますが」

「貴様、ガットネーロだな?」

「名前を知っているなら話は早い。悪いですけど、既に仕事の予定が入ってるんでね、後にして貰えます?」


 背後にいた人間が動く。ガットネーロは殺意を感じとり、手をかけていた鎖を振り抜いた。

 暗闇にじゃらりと金属音。先端の錘は、正確に追っ手の脳天に叩き込まれた。


「人がせっかく感傷に浸ってる時間を邪魔しやがって。あたしはさっきまで政治家なんてものと話する羽目になって、ひっじょーに不愉快な気分だったんですよ。このささくれ立った心を、波の音と夜風で癒してたというのに、……かー、風情の無い奴もいたもんですねまったく」


 散々に吐き捨てるガットネーロ、彼女は負けた人間に冷淡な性質だった。

 通じてるかどうかもわからない言葉が、言い訳するようにその口からは流れ出ていた


「うーわ、いろいろやってたらもう暗くなってきやがった。好都合なこって。……おい、あんな一発で死んでませんよね? ま、どっちにしろ貰えるものは貰っといてやりますよ。慰謝料だけで済んで良かったですね」


 ガットネーロは倒れている人間の衣服を無造作に漁り、しっかり金目のものを抜き取る。中身を改めているうちに、ふと、思い当たる節があった。


(こいつ、やはりアンジェル候の差し金でしょうか? だとしたら不味い、今までやってきたことがヨゼフィーネさんにバレねーうちに、仕事を済まして早いとこ逃げないと)


「悪くない町でしたよ」とガットネーロは零し、今日の寝床を探しに、足早に夜の街に消えていくのだった。

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