陽炎の帝国

 レムレス


 北大陸を支配する帝国の名であり、レムレス大陸とすればこの大陸の呼び名の一つである。

 もっとも、通称としての北大陸のほうが政治的ないざこざも起こらない分、良く使われてはいるのだが。


 そして、いま存在しているレムレス帝国――正確に言えば「北部属州貴族とその領民によるレムレス帝国」である――の起こりはここより南、ディーバイ半島にあったとされる古代レムレス帝国の北部蛮族征伐軍が土着したものだ。


 やがてヴァルスやキーファーヴァイン領となるヘットウェルの山々と丘陵を通り、一帯の中心地であるラピスに居住していたユート族を滅ぼした

 跡地には城塞都市が築かれ、そこを中心として蛮族征伐軍はレムレス北部属州の成立を宣言。


 その後も周辺地域の征服を続け、ついには今日のレムレス帝国の領土を獲得する。

 半島にあったレムレスの旧首都が崩壊した後は、後継国家を名乗って晴れてレムレス帝国として成立する。


 しかし、その際に教会を完全に無視して戴冠したこと、聖職者の叙任権などのいざこざ、そして何よりかつての首都であり、教皇の所在地であるウルカをないがしろにしていることなどから、教会とは長らく対立状態に陥っている。


 先の南大陸への遠征は、関係修復の糸口をつかもうとした、帝国と教会双方の歩み寄りの産物でもあった。



 さて、話をポート・ド・ルーブの面々に戻そう。

 レオンとシャルロッテとヨゼフィーネの三人は、引き続き船の中にいた。


「まず我らがすべきことは現状の確認です。……月並みですが」

「机、お借りしますねっ」

「待て待て、そのぐらい自分でやる」


 レオンがガタガタと長机を船室の中心に据え、姉妹は椅子を持ってきて着席する。急ごしらえの会議だ。

「そうだ」と言って少し部屋を外れると、合同の遠征に行ったのだから当然あった北大陸諸侯について記された地図を持ってくる、こういうところは意外と用意がいいのだ。


「レオン様、我らと同じく帝国に反旗を翻そうとしているのは北西部半島のアーブ公、東部盆地のエブナード公ですね?」

「ああ、アーブ女公ヨアンナ・アヴィズル、エブナード公ニコラ・シュコーヴァだ。確かに会ってそう話した」

「ポート・ド・ルーブをはじめとする帝国自由都市群は南西。となると、三方向から帝都を包囲する形になるね、他の大貴族たちはどう動くだろう」


 このふたつが協力すると、改めてレオンの口から出たことによりフルージュ姉妹の懸念は緩和された。火薬をいち早く実用化したアーブ、東部遊牧民をルーツに持つエブナード公爵領は、軍事的にも政治的にも無視できない存在だから、である。

 事実、商人からそういう情報は聞いていた。戦争が近くなれば武具、食料……そうした物資の発注は増えるが、特にこの二つの公爵は入念にだったからだ。


「シトレック、ヴァルス、キーファーヴァイン……その他の連中は静観しているようだ。遠征で領内のパワーバランスが崩れ、配下と揉めているところも少なくない。……保守派の連中でさえ、『やっと帰れる』と言っていたくらいだからな」

「教会と親しいヴァルス、帝国きっての保守派シトレックには注意したほうがよさそうですね」

「キーファーヴァインのアンジェル侯にもね、あんまり良い噂を聞かないし、あの辺」


 シトレックは北部大森林を領地とする大貴族である。森の中に点々と存在する小貴族たちをまとめ上げ、木材、金属加工の発達により前時代的ながらも高い工業力を有する。

 アルフシア、ヴァルス、キーファーヴァインは南部丘陵地帯に、西から順番に並んで領地を持つ。さらに南には旧首都……今は教皇領ウルカを有するディーバイ半島の付け根にある。帝国だけでなく、教会からの影響も強く受けているため、パワーバランス的に無視できない存在だ。


「ともかく、だ、後のことは恐らく大丈夫だろう。最悪でも帝国を二分する勢力圏までは持って行けるんだからな。……それに、ポート・ド・ルーブ本来の守護アルフシア公は動いてないようだ。何かトラブルがあったらしいが、この隙をつくしかない」

「……そうですね、できればあいつらにはお互いにいがみ合ってほしいですが。我々は、まずこのポート・ド・ルーブを手中に収めなければ」

「土地がなきゃ戦争できない。改めて突き付けられてるね」


 現状、反乱勢力で唯一確固たる基盤を持っていないのがこの男だった。本来はガイの持つ領地から始めるとか、そう言う考えはあったのだが。

 どんな貴族でも後嗣を持たずに死んでしまえばそれでおしまい。封建領主とはシビアな世界だ。


「とりあえず、この都市の軍はどうなってる? 規模によっては直接攻撃も考えるが」

「練度はいまいちですけど、予備役制度で市民から徴収が可能です。正直いって数だけはいっちょ前なので、万全でもないのに戦うべきではないでしょう」


 そのシャルロッテの言葉を聞いて、立ち上がるものがひとり。


「この町には私が贔屓にしてるお店が何件もあるの。どんな形であろうと、そこに被害が及ぶことは是認できないっ!」

「政治家らしい意見だな」


 レオンは自分の首元を叩いて言った。その様子を見て、ヨゼフィーネは不興を買ったのではないかと慌てた。


「き、気を悪くされたら申し訳ありません。ですが、これに関しては譲れないのです」

「もとより殴り合うつもりなんかない。この町の人間は、おいおい我が領民となるのだから、傷付けるわけにはいかんだろう。それに、俺は勝てない戦いはしない」


 はあっとヨゼフィーネは息を吐いた、安堵とも緊張の反動とも取れる仕草だった。


「……ですので、政治的工作というか、民衆を何とかして味方につけられるようにすべきだと考えます。だよね、お姉ちゃん」

「私の意見を勝手にしゃべるの、やめて欲しいんだが。しかも当たってるのが余計に腹が立つ」

「お姉ちゃんの考えることぐらいお見通しなのです。えっへん」


 姉妹のやり取りを見て、レオンは少し苦々しく言う。

 謀略の存在を否定するわけではないが、個人的に虫が好かないのだ。


「……要するに、人々をこちら側につけて切り崩すのが良い、ということか」

「そうですね、我々は早期に『レムレス皇帝の敵』であることを鮮明にせねばなりません。はっきり言って危険な賭けですが、私の見立てではこれが最も手っ取り早くポート・ド・ルーブの……ひいては南西部自由都市の歓心を買うことに繋がります」


 そのシャルロッテの言葉を聞いて、ふっと、あるアイデアがヨゼフィーネの脳裏をかすめていった。


「……ねえお姉ちゃん、ただ表明するだけじゃつまらない、と思わない?」

「は?」


 要領を得ないふうに、シャルロッテは聞き返した。


「つまらないって、どういう……?」

「えーと、もっとこう、大々的に発表するような……人の支持を取り付ける……そう、演説! 演説ってのはどう!?」


 その『演説』という単語にわずかに驚き、頷いて返答した。


「そうか……演説! その手がありましたか! そうですね、より盛大にやるべきです。……凱旋の形式をとらせましょう。レオン様、動ける兵士の準備をお願いできますか、形式上、戦場帰りとした方が箔も付きましょう」

「負けたんだぞ? 凱旋ってのはおかしくないか」


 訝しがるレオンに、シャルロッテは自信を持った表情になってこう言った。

 ヨゼフィーネは何やら懐から取り出すと、ペンを動かし始めた。


「物は言いようですよ。敗走して逃げ帰ってきたのではなく、レオン様は『困難な撤退戦を成功させた憂国の将軍』なのですから」

「なるほどな。……勝った負けたを決めるのは俺じゃない、ということか」


 レオンはやれやれと言った風に、諦めつつも納得した。

 ヨゼフィーネはなおも書き物を続ける。さらさらさら。話はまるで聞いていない風だ。


「歯痒いな、自分のやったことの価値すら自分で決められないとは」

「政治や歴史とはそういうものです。先の遠征はすでに終わり、歴史として包括される……そうあるべきですから」


 レオンは椅子にもたれ掛かった。なにぶん古いものなので、ぎいっと、軋む音がした。

 シャルロッテの言った「歴史」という単語が、ふと頭の中に残る感覚を覚えた。

 ヨゼフィーネのペンが止まる。む、と、反芻するようにそれまでの分を読み返し始めた。


「歴史を成り立たせるのは大多数の合意、か」

「……そういうことです。歴史について説教をするわけではありませんが、そう言うものですよ。レオン様」


「仕方ないか」と、レオンは不服そうにこぼした。彼にとって、人生は自分で決めるものという意識は確かにある。しかしそれ以上に、己の感情やら意思に踏み込まれることを嫌っていた。

 ヨゼフィーネは満足したように書き上げたものを再び懐にしまい込んだ。


「良い勝ち、悪い勝ち、良い負け、悪い負けですよ」

「まさか政治家風情に軍略を説教されるとはな。……あっはっは! いいぜ、乗った! しばらく思い通りになってやるか!」


 突然笑いをあげて、大声になったレオンにフルージュ姉妹はたじろいだ。


(やはり、こういった人間は危険だ。能力的には十分信用に値するが、だからこそ己の威光にひれ伏せさせる必要がある。逆らう気を挫くんだ。そうすれば、この二人は最高の忠臣だ、そうだろ?)


 レオンはこういう男である。合理性や利害をすっ飛ばして、人の感情をひれ伏せさせることによる忠誠を好む。この時代の軍人、貴族としてはままある考え方だ。

 いっぽうシャルロッテは表情に出ない焦りを感じたが、すぐに冷静さを取り戻し、ふと、しゃべりっぱなしで喉が渇いてきたことに気が付いた。


「……すいません、飲み物を一杯頂けますか。一気に話して、喉が」

「船だから保存用のやつしかないぞ。……ああでも、南大陸を出発するときに積んだ水はまだ大丈夫かもな、念のため、一度沸かしてから飲んでくれ。ちょっと待ってろ」


 そう言うとレオンは紙とペン、インクをとってくると、サラサラと筆を走らせた。


「ほら、許可書。サイン入りだから見せりゃ一発」

「ありがとうございます。……ヨゼフィーネ、来るか?」

「私はいいや、水筒あるし」


 ヨゼフィーネは懐から木製の水筒を取り出していた。使い捨ての藁ストローが刺さっていて、そこから水をちうちう吸っていた。

 見た目もあって、それはまるで社会科見学に来た子供みたいだった。


「お、おい、あるなら早く言え!」

「あげないもーん、それよりも、レオン様の好意を無駄にしちゃだめだよー?」


 ぎりりっと姉が歯噛みする様子を、妹はいたずらっぽく笑う。


「ぐっ、こいつめ……! ふん、この機に交友を広げてこようか」

「はいはい、いってらっしゃーい」


 ―――


(レムレス。帝国の名を冠しながら、実態は有力な貴族の寄り合い所帯。帝冠に威厳は無く、下手をすれば選帝侯どものほうが力を持っている。そうだ、帝国会議でも、結局奴らが遠征の音頭をとっていたんじゃないのか? ……そういえば、話題に出てきたあのキーファーヴァイン選帝侯アンジェルは主戦派として論を展開しておいて、自身は領の荘園に引っ込んでいたとか、そう言う噂を聞くが)


 食堂に向かう廊下でシャルロッテはこういうことを考えていた


(そもそも、王権が不安定すぎるんだ。教会とは関係が悪く、古代レムレス帝国の後継を主張しているものの、そこの遠征軍が土着しただけの国だから正統性も危うい。旧帝とは何の血縁関係もない。……だから実利的な封建契約で運営を行っていた。そうじゃなきゃ貴族どもを束ねることができない。しかも、先の遠征は、傍目には教会との関係修復が目的で戦略的な問題も大きかった)


 酒保長に許可書を見せ、飲み水を貰ってキッチンを借り、火を起こして沸騰までの間に考えを巡らす


(我々が革命を起こそうとしなくても、いずれこの封建的無秩序のなかで国は崩壊していただろう。……それではいかん。私の地位が危うくなるし……、なにより、私のような政治家は基盤である民衆の上にのみ成り立つ存在である。だからこそ、この革命は混乱を最小限にするための行動なのだ!)


 しばらくして沸騰したのを確認し、少し冷ましてから白湯を飲み下した。とても上等な水とは言い難かった。

 リフレッシュ、とまではいかないまでも、一息をつくぐらいの時間が流れた。シャルロッテは改めて決意する。


 今までのような漠然とした野心ではなく、具体性を持った目標を立てて。

 一人の政治家としては、あまりにも逸脱した決意だった。


(この国を動かすのは私と配下の官僚だ! けして王侯貴族の好きにはさせん!)


 ―――


 シャルロッテはすっきりした表情で戻ってきた


「お待たせして申し訳ありません、ですが、その分はきちんと働きを御覧に入れましょう。……ヨゼフィーネ! すぐに支度を……ヨゼフィーネ? どこ行った?」

「あの緑髪の子なら『根回ししてくる』って言ってどっか行ったぞ」



「か、勝手にどっか行くなと言ったろーがーぁ!!?」


 姉って大変なんだなあ、と、元田舎貴族の末子だったレオンは思うのだった。

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