4【良い感想書きの見分け方】褒め7指摘3と決めている感想書きはNG
その感想書きは褒めの価値を捨てている可能性が高いからです。
【良い感想書きの見分け方】では感想の技術論などを話しますが、その内容はやや専門的です。
「感想・指摘がもっと上手くなりたい!」と思う方は、感想・指摘を書くときの参考にしてみてください。
上手くなりたいとまで思わない方は、良い感想書きを選ぶ際の見分け方にしてください。
“指摘をするなら褒め7指摘3の割合が良い”という感想論を見かけたこと、ありませんでしょうか。褒め8指摘2でも同じです。
これは「7割褒めることで、3割の指摘を小説作者に受けいれさせる」意図で語られているようです。ですので褒め→指摘の順番のようです。7割褒めて小説作者を気持ちよくさせることで、3割の指摘をモチベーション高く読ませる方針です。
小説作者に指摘を拒絶させない方針と言い換えられるでしょう。
(他にも意図があるのかもしれませんが、わざわざ褒めを多く配置する他の意図に思い至りませんでした)
「褒めて伸ばす」に近しいと思います。
その人の良いところを沢山伝えて、そのうえで「こうすればもっと良くなるよ!」と少しだけ伝える。
素晴らしい方針である気がします。
小説作者のモチベーションを重視した、小説作者に配慮した優しい指摘だ。
ただ私は全然素晴らしいと思いません。褒め7指摘3(褒め8指摘2)と決めている感想書きは素晴らしいとは思いません。
ハズレとまでは言いませんけど、感想を受けたいとは全く思いません。品質に期待はできません。
ここで注意しておきたいのは、褒め7指摘3そのものが悪いわけではないこと。私の感想でも褒め7指摘3になることはあります。
悪いのは「最初から褒め7指摘3に決めている方針」です。褒め7指摘3に最初から決めているのが悪い。
実はこの方針、褒めに価値を置いていないんですよね。7割も褒めるなら褒めに一番の価値を置いているように見えますが、実は褒めに価値を置いていないのです。
何故ならば7割も褒めるのは3割の指摘を受けいれさせるためだから。指摘を受けいれさせるために褒めているから。褒めは指摘への助走距離だから。
この方針において褒めとは、指摘という目的のための手段に過ぎないのです。
そしてこの方針の褒めの真髄は、7割という割合にある。すなわち量にある。
褒めること自体に意味を置いているのです。褒める動作、褒めることそのものが大事。内容と量とでは、量を優先する方針なのです。
こうなると「嘘というわけではないが、そこまで本気で思っていないこと」が褒めに動員されます。
7割褒めたという構成的実績が重視されますからね。「嘘というわけではないが、そこまで本気で思っていないこと」が「嘘じゃないから」と感想筆者をも騙すかたちで忍びこみます。
「どんな作品にも良いところがあるから必ず褒める」これは概ねそのとおりです。私はこの方針を積極的に選択しませんが、尊重はします。
どんな作品にも良いところがあり、それを見つけるのも感想筆者の実力です。
しかしその量はまちまちです。指摘も含んだときに、どの作品でも褒め7割がキープされるなんてことはありえません。
そう都合よく「本気で思っていること」だけで褒め7割が満たされることはありません。
どんな作品にも良いところはありますが、どんな作品にも7割を占める良いところがあるわけではないのです。
であるのに褒め7指摘3がどの感想でも徹底されているとき、その褒めには「本気で思っていること」と「嘘というわけではないが、そこまで本気で思っていないこと」が混ざっている可能性が高いのです。
小説作者は気づきます。「あ、これ褒めるために褒めてるな」「こっちを気持ちよくさせるために、無理して褒めてるな」気づきます。
そして気づいてしまうと小説作者は、7割の褒めを「本気で思っていること」と「嘘というわけではないが、そこまで本気で思っていないこと」に仕分けないといけなくなります。
「嘘というわけではないが、そこまで本気で思っていないこと」を自作の魅力だと真に受けてしまうのは危険ですから。これは本当に思ってるっぽいな、これは字数稼ぎっぽいな、仕分けないといけません。
あるいは褒めは十把ひとからげに話半分に聞くという対応にもなるでしょう。もちろん「本気で思っていること」も話半分で聞きます。
そうなれば感想の実に70%も占めている文章は、牛乳を水で割ったような薄い薄い味しかしなくなるでしょう。
褒め7指摘3の方針は褒めを重視しているようで、実際は指摘を重視した方針なのです。
7割も褒めるのはどうして? 3割の指摘を受けいれさせるため。
7割の褒めにとって大事なのは何? 7割褒めた構成的実績の達成。
どうやって7割の褒めを徹底するの? そこまで褒めたいと思ってないことも動員する。
これを私は「褒めの価値を捨てている」と判断します。
感想における褒めは、ただのモチベーション維持装置ではないんですよね。そんなものに褒めを使うなんて、勿体ないにもほどがある。得るものの小ささに比して、失うものが大きすぎる。
感想における褒めは、何をどのように褒めるかが大事です。褒めることよりも内容が大事。
たとえば「作品の魅力を言語化したうえで、その魅力をさらに伸ばせるような指摘をする」という基本にして極意の型があります。この型では褒め→指摘の順序が通常とられますが、これは順序が大事なのではなく、褒め内容を踏まえた指摘内容という繋がりが大事です。そして前提として、褒めの全てを「本気で思っていること」にする必要があります。本気で思っていないことが混ざった褒めを踏まえた指摘なんて、小説作者にとってリスクが高すぎて読めたものではありません。
たとえば感想筆者の力量は、指摘ではなく褒めに出る傾向があります。矛盾や構成不備を突けば、作者を唸らせる鋭い指摘を入れるのは難しくありません。しかし自作の魅力を把握しているはずの作者を唸らせる鋭い褒めを入れるには、力量が求められます。良い感想は褒めが良い。良い感想書きは褒めを雑に扱いません。良い感想を書こうと思えば、本気で思っていない褒めを入れる余地はありません。
褒めは内容が大事。構成的実績でも量でもない。
これを考えると褒めと指摘の割合や順序といった感想構成は、作品ごとに無数のバリエーションが出るものだと思います。様々な割合、様々な順序。「本気で思っていること」だけを様々な型で伝えようと思えば、割合や順序は無数に生まれます。
その際には指摘オンリーの選択肢をとる勇気も必要かもしれません。褒めない選択肢があるから、小説作者はその感想筆者の褒めを信頼できるのです。
私は「褒めることに意味を置く感想書き」よりも「何を褒めるかに意味を置く感想書き」に褒められたいです。
ちなみに「褒めて伸ばす」という方針はコーチングにおいては有用です。
相手のモチベーションを維持させるために、褒めること自体が大事です。内容も大事ですが、それ以上に褒めることそのものが大事。
これは相手と二人三脚でひとつの目標を目指すことを前提にしているからです。そのときだけではない、長い関係になるからです。相手のモチベーション維持も自身の仕事の一環だからです。
初心者に教えるインストラクターは、まず相手に「もっと取り組みたい!」と思ってもらうことが何より大事でしょう。
だから褒めは、モチベーション維持が大事。
しかし感想書きは違います。
小説作者とひとつの目標に向かって二人三脚で進むことはありません。そのときだけの関係です。
この関係性で小説作者が望むのは「自分の作品への客観的かつ熟達の視点の獲得」です。なるほどこれが自作の魅力なんだ、なるほどこれが自作の向上点なのか。これを知ることです。あるいは自身のレベルの把握もあるでしょう。
だから褒めることではなく、何をどのように褒めるのか、その内容が大事なのです。
ずっと関係が続くのならモチベーション維持も大事です。しかしそのときだけの関係ならモチベーション維持は重要ではありません。
感想を読む前に小説作者各自で、感想を読破できるだけのモチベーションは準備しておいてほしい。これを感想筆者側でカバーして、その結果褒めの価値を捨ててしまっては本末転倒です。
以上、褒め7指摘3と決めている感想書きはオススメしないという話でした。褒めの価値を捨てているからが理由です。
感想書きの見分け方のひとつにお役立てください。その感想書きが書いた感想をいくつか確認してみれば容易に判別できます。
「でも褒めと指摘の割合が決まってるほうが読むときに怖くない」という方は褒め5指摘5の感想書きをオススメします。
こちらは「どんな作品にも良いところがある」という理念に則って、褒めをひとつ指摘をひとつ選んでいる場合が多いからです。割合で分けているのではなく、数で分けている場合がある。その感想書きに褒めと指摘を見つける相応の技術があれば、選ばれたひとつの褒めとひとつの指摘は「本気で思っていること」である確率が高くなります。
そのため「嘘というわけではないが、そこまで本気で思っていないこと」が混入しない可能性が高くなると予想できます。
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