3【感想論一般】指摘同意はとりましょう(2/2)
前回の続きです。
前半では指摘同意がなぜ必要なのかについてお話しました。
後半は、指摘同意のとり方です。といってもオマケのような内容です。
指摘同意をとるとして私が思いつくのは大きく三つです。
まずは応募。
感想活動や企画を主催し、企画概要にて指摘の存在を十分に周知したうえで応募者を募る。
指摘同意のとりかたとしてオーソドックスですね。「フィンディルの感想」もこれです。
行動のスタートが小説作者側なこともあり、もっとも指摘同意が堅実にとれる方法だと考えています。
このとき、指摘の存在の十分な周知が重要です。特に指摘オンリーになる可能性があるなら念を押すべきでしょう。
余談ですがここで「私の指摘はこんなにこんなに辛口なんだぞ! すごいでしょ!」と指摘の辛辣さを誇らしげ得意げにアピールしている感想書きはハズレです。応募はオススメしません。
次に企画参加。
指摘同意をとっている小説読みあい企画などに参加する方法です。
「参加者同士の指摘を前提している、推奨している」などが周知されている企画に、参加者として関与します。
こちらは活動や企画を主催しなくてもいいので、手軽に指摘同意がとれます。多くの方がとりやすい指摘同意かもしれません。
ただ参加者間の指摘同意はやや緩めです。あなたからの指摘に同意したわけではなく、参加者全般からの指摘に同意した点に十分留意する必要があるでしょう。要は企画の空気を読みましょうということですね。
さらに「みんな参加してるから自分も参加しとこ」「みんな辛口選択してるから自分も辛口選択しとこ」と小説作者が覚悟なしの軽い気持ちで指摘同意をしがちですので(この場合の非は小説作者側にありますが)注意する必要があります。中身のない指摘同意がもっとも発生しやすい。
また主催者の指摘観の十分な把握も大事です。
次に信頼関係。
普段から仲良くしている作家仲間の作品に指摘する方法です。方法というか機会ですね。
よく指摘は人間関係にたとえられます。指摘していいか悪いかは当事者間の人間関係によると。これはまったくそのとおりで、同じ指摘内容でも見知らぬ他人からのものは不快になりますが、仲良しさんからのものは受けいれやすくなります。
この場合は改まった指摘同意なしに、雰囲気やタイミングなど非言語で指摘同意がとれることがあります。感覚としては、その人の服装や言動や性格に指摘できるタイミングと同じようなものでしょう。
ただし注意しないといけないのは、この指摘同意はひとえに信頼関係によって成立している点です。ですので信頼関係が毀損されないよう、飽くまで当人間関係の範囲内での指摘に収まるよう調整しないといけません。
「何か悪いところがあったら遠慮なく言って」と言われてどこまで遠慮なく言っていいのか、それはその人によりますよね。小説への指摘も同様です。
その点、企画のほうが堅実です。
以上三つです。
と書くと察せますが「通りすがりに気になって小説を読んだが、ここが気になる。指摘したいな」という場合に指摘同意をとる方法は基本的に存在しません。
よほどの人たらしなら別かもしれませんが、そうでないなら指摘は胸にしまって去ることをオススメします。
ここで二つ、指摘同意がとれているとはいえないケースを紹介します。
ひとつめは指摘同意ありの指摘を受けている様子を見たとき。
「Aさんに指摘をしていただきました!」小説作者Bさんが感想筆者Aさんに指摘同意ありの指摘を受けたことを紹介している様子を目撃しました。あるいは感想筆者Aさんが「Bさんの作品に感想(指摘)をしました」と紹介している場面でもいいです。
その様子を見て指摘内容を読むと、自分も指摘したくなるものだと思います。流れに乗って、気づいたことを言ってしまいがちになります。
しかしこれは指摘同意がとれていませんので、原則的にNGです。
小説作者Bさんは飽くまで「感想筆者Aさんからの指摘を受ける」ことに同意をしただけで、無関係なCさんからの指摘には同意していません。
ですのでこの場でCさんが便乗して指摘をするのは、指摘同意のタダ乗りになります。
最悪の場合では感想筆者Aさんへの迷惑になる場合もあるので、原則として控えましょう。現実的にはなあなあになりがちですけどね。
二つめは作者プロフィールなどに「指摘歓迎!」などと書かれているとき。
これは指摘同意が自動的にとれているだろうと考えがちですが、私の経験からいうと微妙です。私は指摘同意はとれていないと判断しています。
指摘とは「本当は受けたくないが自作を向上させるためにあえて受ける」ものなので、基本的に「誰に」「いつ」「どの作品に」「どのくらいのレベルの指摘をされるか」を前もって把握しておくことが望ましいと考えます。受けたくないものをあえて受けるとき、対象が見えているからこそ歯を食いしばれるのです。
ここの頓着なしに「何でもこい!」とするスタンスには強靭なメンタルを感じさせますが、指摘をする側からすると「感想リテラシー(感想を取り扱う能力)の不安な人」という見え方になっているかもしれません。
恐ろしいものの取り扱い方は「恐ろしくない!」と胸を張ることではなく、恐ろしさを理解したうえで適切に対処することです。
「誰に」「いつ」「どの作品に」「どのくらいのレベルの指摘をされるか」をちゃんと選択できる人を、私は小説作者として信頼します。
また大した覚悟がないにもかかわらず虚勢(あるいは感想欲しさ)で「指摘歓迎!」を示している場合も少なくありません。何よりも恐ろしいトラップですね。
小説作者のスタンスで指摘同意をとったつもりになるのではなく、都度指摘同意をとる手続きを踏んで相手を確認することが基本と考えます。
と指摘同意について話してきましたが、指摘同意がとれたらどんな指摘をしてもいいわけではありません。
指摘同意は最低限です。指摘同意をしたうえで、指摘内容に十分な配慮を施す必要があります。
さらに指摘同意をとって指摘内容に十分な配慮をしても齟齬・摩擦が発生する可能性はあります。感想筆者の覚悟と配慮が完璧でも、小説作者の覚悟が致命的に不足していればどうしようもないからです。
本記事では感想筆者の「指摘する覚悟」の重要性を説きましたが、同様に小説作者の「指摘される覚悟」も当たり前に大事です。指摘される覚悟のない小説作者が安易に指摘同意をしてはいけません。感想筆者の覚悟と時間を無碍にしないようにしましょう。
レーティング・ゾーニングが十分に行われたエログロ作品を見て「不快になった!」と不満を漏らしているようなものです。
ということで、指摘をしたいなら最低でも指摘同意はとりましょうというお話でした。
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